判例百選研究(1_46)嘘でも通説


土地崩壊の危険と所有権に基づく危険防止請求

−民法判例百選T第46事件−

判決は完璧。通説による不当な一般化に注意せよ!

作成:2010年1月22日

明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂



判決の内容

判決が依拠している知識および推論は何か。民集に参照条文として掲げられている条文だけで問題の解決は可能か。事案の解決としての結論は妥当か。


大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件) 民法判例百選T第46事件

事実の概要

X(被控訴人、原告)の先代Aの所有宅地に隣接して畑を所有するBは,@昭和7年5月,その畑を掘下げて水田に変換するに際し,A所有の宅地との境界線上から垂直に掘下げたため,Aの宅地とBの水田との境界に直高約73cmの断崖を生じさせた。AY(控訴人,被告)は昭和10年2月12日,Bからこの水田を買受けて所有権を取得し,BXは同年3月30日,先代Aの死亡による家督相続の結果,Aの宅地の所有権を取得した。現在のところ,CXとYの両地の境界における断崖は,一部は斜面となり,一部はその下部において窪んで洞窟状となり,そのような断崖の状況は,過去においてX所有宅地の土砂がY所有水田内へ崩落したためであり,一方,X所有の宅地上には境界からわずか約1.8mを距てて住居としての家屋があり,しかも,Xの宅地の地質は砂地であるため,Xの宅地は将来,その断崖からYの水田内へ自然崩壊する危険が生じている。

図1 大判昭・12・11・19民集16巻1881頁

上記の事実関係に基づき,DXは,その宅地の所有権に基き,Yに対して,断崖の崩落の危険を予防するため,特定の設備の施行を求めたところ,原審は,Xの主張を入れて,Yに対し,危険防止に必要な特定の設備の施行を命じた。ここで,これを不服として,Yが上告した。

判旨

土地の所有者は,其の隣地が自己の所有地内に崩壊するの危険ある場合に於ては,該危険が隣地所有者の行為に基きたると否とを問はず,又,隣地所有者に故意過失の有無を問はず,隣地所有者に対し該危険の防止に必要なる相当設備の施行を請求することを得るものとす。

判決理由

上告棄却。

凡そ所有権の円満なる状態が他より侵害せられたるときは,所有権の効力として其の侵害の排除を請求し得べきと共に,所有権の円満なる状態が他より侵害せらるる虞あるに至りたるときは,又,所有権の効力として,所有権の円満なる状態を保全する為,現に此の危険を生ぜしめつつある者に対し,其の危険の防止を請求し得るものと解せざるべからず。

土地の所有者は,法令の範囲内に於て,完全に土地を支配する権能を有する者なれども,其の土地を占有保管するに付ては,特別の法令に基く事由なき限り,隣地所有者に侵害又は侵害の危険を与へざる様,相当の注意を為すを必要とするものにして,其の所有にかかる土地の現状に基き,隣地所有者の権利を侵害し若くは侵害の危険を発生ぜしめたる場合に在りては,該侵害又は危険が不可抗力に基因する場合,若くは,被害者自ら右侵害を認容すべき義務を負ふ場合の外,該侵害又は危険が自己の行為に基きたると否とを問はず,又,自己に故意過失の有無を問はず,此の侵害を除去し,又は,侵害の危険を防止すべき義務を負担するものと解するを相当とす

果して然らば,被上告人は,其の土地所有権に基き,現に隣地の所有者たる上告人に対し,右危険の防止に必要なる相当設備を請求する権利を有すること前説示するところに照し,洵に明白なりと云ふべく,従て被上告人の右請求を容認したる原判決には所論の如き違法あるものにあらず。

原審は証拠に依りて,被上告人所有の本件宅地は,将来,其の断崖面に於て上告人所有の水田地内に自然崩壊するの危険あること,並に,右宅地上には人の住居に供する家屋あり,該家屋と前記崩落の虞ある個所との距離は僅々約一間なることを認定し,斯くては安んじて右宅地上に生活を営むを得ざるものなりと為し,本件宅地の崩壊に因りて生ずることあるべき損害は極めて重大なりと判示したるものにして,かかる重大なる危険に対し,原判決主文表示の如き予防設備を命じたるは洵に相当にして,上告人に対し過大の負担を課したるものと為すを得ず。

大審院民事判例集に【参照条文】として掲載されている条文

第206条(所有権の内容)
所有者は,法令の制限内において,自由にその所有物の使用,収益及び処分をする権利を有する。
第199条(占有保全の訴え)
占有者がその占有を妨害されるおそれがあるときは,占有保全の訴えにより,その妨害の予防又は損害賠償の担保を請求することができる。

【参照条文】で参照されていない重要条文

第216条(水流に関する工作物の修繕等)
他の土地に貯水,排水又は引水のために設けられた工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる
第237条(境界線付近の掘削の制限)
@井戸,用水だめ,下水だめ又は肥料だめを掘るには境界線から2メートル以上,池,穴蔵又はし尿だめを掘るには境界線から1メートル以上の距離を保たなければならない
A導水管を埋め,又は溝若しくは堀を掘るには,境界線からその深さの2分の1以上の距離を保たなければならない。ただし,1メートルを超えることを要しない。
§1004 BGB(侵害除去及び差止請求権(Beseitigungs- und Unterlassungsanspuruch))
 @所有権が占有の侵奪もしくは不当な留置以外の方法によって侵害されているときは,所有者は侵害者に対して,侵害の除去を請求することができる。引き続き侵害のおそれがあるときは,その差止めを請求することができる。
 A所有者が侵害を忍容する義務がある場合には,前項の請求権は排除される

判旨の書き直し(試案)

〔1〕甲土地の所有者は,隣接する乙土地の所有者が境界線上より掘り下げて断崖を生じさせ,甲土地(宅地)に自然崩壊の危険を生じさせた場合には,その侵害または危険が乙の故意または過失による行為によるものであるかどうかを問わず,乙土地の所有者に対して,危険防止に必要な相当の設備の施行を請求することができる([金山・物権的請求権(1962)12頁]参照)。
〔2〕乙土地の所有者は,隣接する甲土地の土砂が乙土地に崩落する危険があり,または,土砂が崩落している場合には,その侵害または危険が甲の故意又は過失による行為によるものであるかどうかを問わず,原則として,甲土地の所有者に対して侵害の防止または除去を請求することができる。ただし,その原因が,不可抗力による場合,または,自ら若しくはその前主が乙土地を境界線上より垂直に掘り下げて断崖を生じさせたことによるため,その侵害を受忍する義務がある場合には,乙土地の所有者は,甲土地の所有者に対して,侵害の防止または除去を請求することができない

不可抗力によって妨害排除請求権が認められなくなる場合についての具体例は,[山田・引取請求権(1983)26−30頁]で詳しく論じられているので参照すること。


論点1 物権的請求権とは何か−占有訴権,所有権に基づく請求権,物権的請求権の異同

物権的請求権とは何か。わが国には,物権的請求権についての一般的な明文規定は存在しない。しかし,具体的な規定は多数存在する。それらは,どのような規定か。


物権的請求権に関する通説

物権的請求権について,通説は,以下のように説明している[我妻・有泉・コンメンタール(2009)]。(なお,斜体部分は,筆者が誤りだと思う箇所を示している。また〔 〕内の番号は,筆者が補ったものである)

〔1〕物権の内容の完全な実現が何らかの事情で妨げられている場合には,物権者は,その妨害を生じさせている地位にある者に対して,その妨害を除去して物権内容の完全な実現を可能とする行為を請求することができる。たとえば,動産の所有者は盗人に対してその返還を請求し,土地の所有者は隣地から倒れてきた樹木の除去を請求することができる。物権のこのような効力を,「物権的請求権」または「物上請求権」という。民法は,占有についてこれを規定しているが(§§198〜200),その他の物権,ことに所有権については何の規定も設けていないしかし,学説・判例は,所有権についてもこれを認め,その他の物権についても,それぞれの特質に応じてこれに対応する請求権を認めるべきだとしている。
〔2〕その根拠は,つぎのように説かれる。そもそも,物権は目的物を直接に支配することを内容とするものであるから,その内容の実現がなんびとかの支配内に存する事情によって妨げられている場合には,物権はその作用としてその侵害の排除を請求することができるとするのが,まさに法律が物権を認めた趣旨に適合すると考えられる。条文上の根拠を考えれば,民法が一時的な支配権である占有権についてさえこれを認め,また,占有の訴えの他に本権の訴えなるものを認めている(§202参照)のは,本権すなわち占有権以外の,占有権より強力な物権に基づく請求権を当然に予定するものであろう,と考えられる。

物権法の専門家による近時の論文(松岡久和「物権的請求権」大塚直=後藤巻則『要件事実論と民法学との対話』(2005)186頁)においても,物権的請求権については,以下のような総括的な記述が見られる。

〔1〕物権的請求権については,法律に明文の根拠規定を欠くが,微妙な表現の差異を度外視すれば,「物権の円満な物支配の状態が妨害され,またはそのおそれのある場合に,その相手方に対してあるべき物支配の状態の回復,または妨害の予防措置を求める請求権である」という定義で見解がほぼ一致している。
〔2〕そして,現在も民法上の通説は,所有権に基づく返還請求権につき,物権か債権かを問わず被告が自己の占有を正当ならしめる権原を有するときは,そもそも所有権に基づく返還請求権は発生しないと説いている[我妻・物権法(1983)263頁]。これは,不法占有が要件とされていると表現することもできる。

通説の見解とその問題点(通説の嘘)

しかし,通説によるこれらの説明には,以下のような4つの疑問点がある。

第1に,わが国の民法は,ドイツ民法とは異なり,所有権に基づくいわゆる物権的請求権(妨害排除・妨害予防・請求権を規定していないというのは本当だろうか。

そうではなかろう。なぜなら,上記の「動産の所有者は盗人に対してその返還を請求し」という点については,民法193条が,「占有物が盗品…であるときは,被害者…は,…占有者に対してその物の回復を請求することができる」として,所有者に基づく返還請求権を明文で定めている。したがって,上記の「所有権については何の規定も設けていない」という記述は明白な誤りである。さらに,「土地の所有者は隣地から倒れてきた樹木の除去を請求することができる」という点についても,民法233条1項が,「隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは,その竹木の所有者に,その枝を切除させることができる」として,妨害の除去を明文で規定している。枝が隣地に張り出している場合でさえ枝の除去を請求できるのであるから,樹木が倒れてきた場合に,民法233条1項を適用して,隣地の所有者に対して,所有権に基づいて樹木の除去を請求できることは当然であろう。したがって,この点でも,上記の「所有権については何の規定も設けていない」という記述は誤りである。

これほど明確な誤り(条文を見れば,誰でもわかるし,反論の余地のない誤り)が,何十年も指摘されることなく通説として認められているところに,わが国の法律学の権威主義的性質(東大と京大の教授の見解が一致している場合には,それが通説として尊重されるという風潮)が表れているといえよう。

このように,民法は,確かに,物権一般について「物権的請求権」なるものを認めてはいないが,所有権に基づく妨害予防請求権,妨害排除請求権,返還請求権については,これを明文で定めている。特に,相隣関係に関する規定である民法216条は,「…土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」と規定しており,所有権に基づく妨害排除請求権だけでなく,妨害予防請求権をも明確に規定している。先に述べた,民法233条1項の「竹木の枝の切除請求権」も,さらには,民法234条,235条の「境界線付近の建築制限」も,民法237条,238条の「境界付近の掘削の制限」も所有権に基づく妨害予防・妨害排除請求権の規定にほかならない。

さらに,相隣関係の最初の規定である民法209条は,「土地の所有者は,境界又はその付近において障壁又は建物を築造し又は修繕するため必要な範囲内で,隣地の使用を請求することができる」と規定しているが,これは,妨害予防の観点から,所有権に基づく「忍容請求権」を認めた規定である。民法210条〜213条の「囲繞地通行権」の規定も,袋地所有者にする所有権に基づく忍容請求権の規定である。民法214条の自然水流に対する妨害の禁止も,民法215条の水流に関する工作物の修繕工事権も,いずれも,所有権に基づく忍容請求権を認めたものである。

その上,先に述べたように,民法193条は,「被害者又は遺失者は,盗難又は遺失の時から2年間,占有者に対してその物の回復を請求することができる」と規定しているが,これは,所有権に基づく返還請求権を認めたものに他ならない。

このように考えると,民法は,一般的な「物権的請求権」を規定していないだけであって,占有訴権だけでなく,物権本権である所有権に基づく妨害予防請求権,妨害排除請求権,返還請求権を明文で定めている。そもそも物権すべてに認められる「一般的物権的請求権」など存在しないし,それに関する規定はその必要性も存在しない。むしろ,一般的な物権的請求権を認めることは,後に述べるように,賃借人の保護の観点からは,危険ですらある。民法は,具体的には,様々な箇所で,所有権に基づく妨害予防請求権,妨害排除請求権,返還請求権の外,いわゆる物権的請求権の議論の中で話題となる侵害行為の忍容請求権,不作為請求権についても物権本権に基づく請求権として明文で定めている。つまり,いわゆる「物権的請求権」に関して,民法の規定には,「法の欠缺」など存在しないのである。

通説が参照するドイツ民法における「所有権に基づく請求権」とそれを取り入れる際の注意点

なお,参考までに,ドイツ民法における物権的請求権に関する規定のうち,主要な部分について,紹介しておく。なお,わが国の要件事実論は,この条文に基づき,この条文に忠実に構成されている。条文に忠実なことを売り物にしている要件事実論が,わが国に条文がないとしながらも物権的請求権についての要件事実論を気軽に展開しているのは,ドイツ民法をわが国の条文であるかのように,そのまま利用しているからである。

ドイツ民法典 第3編 物権 第3章 物権 第4節 所有権に基づく請求権(§985〜§1007 BGB)
§985(所有者の返還請求権(Herausgabeanspruch))
 所有者は物の占有者に対してその物の返還を請求することができる。
§986(占有者の抗弁(Einwendung des Besitzers))
 @占有者又はその占有者に占有権を与えた間接占有者のいずれかが,所有者に対して占有権原を有している場合には,占有者は,所有者からの物の返還請求を拒絶することができる。(以下略)
§1004(侵害除去及び差止請求権(Beseitigungs- und Unterlassungsanspuruch))
 @所有権が占有の侵奪もしくは不当な留置以外の方法によって侵害されているときは,所有者は侵害者に対して,侵害の除去を請求することができる。引き続き侵害のおそれがあるときは,その差止めを請求することができる。
 A所有者が侵害を忍容する義務がある場合には,前項の請求権は排除される。

このようなドイツ民法の規定は,証明責任の観点から見ると,あまりにも所有者に有利な規定であるため,これを額面通りに受け取り,所有権に基づく請求権を妨げる原因の証明を被告に負担させるというのは問題である。わが国においては,そもそも,所有権に基づく請求権に関する一般規定が存在しないのであり,この点で,我妻説が,「所有権に基づく返還請求権につき,物権か債権かを問わず被告が自己の占有を正当ならしめる権原を有するときは,そもそも所有権に基づく返還請求権は発生しない」としていることは,重要な意味を有している。

わが国においては,いわゆる物権的請求権が発生するのは,契約関係のない相隣関係が存在する場合に限定されるのであり,返還請求権については,不当利得の返還請求権の場合と同様に,民法200条に即して,ドイツ民法985条と986条との関係を裏返し,占有が法律上の原因に基づかないことの証明を原告に負担させるのが妥当であろう。また,妨害排除・妨害予防請求権については,民法198条,199条に即して,ドイツ民法1004条と同様に,原告に忍容義務があることを被告に証明させるのが妥当であろう。これを条文の形で表現するとすれば,以下のような構成となろう。

所有権に基づく返還請求権
 所有者が自己の物を奪われたときは,所有者は,侵奪者に対してその物の返還を請求することができる。侵奪者の特定承継人に対しては,その占有が法律上の原因に基づかないことを所有者が証明した場合に限り,その物の返還を請求することができる。
所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権
 所有権が侵奪以外の方法で妨害されている場合には,所有者は,妨害の排除及び損害の賠償を請求することができる。引き続き妨害のおそれがあるときは,所有者は,その妨害の予防および損害賠償の担保を請求することもできる。ただし,いずれの場合においても,所有者に妨害を忍容すべき義務がある場合はこの限りでない。

第2に,占有権を伴う物権以外に,占有を伴わない物権(たとえば先取特権,抵当権)に物権的請求権を認めるべきだろうか。

前記のように,わが国の民法の下では,占有を伴う物権(物権本権),特に,所有権については,占有訴権が利用できるばかりでなく,相隣関係の規定において,所有権に基づく妨害排除・予防・忍容・不作為・返還請求権が認められている。つまり,所有権に基づくいわゆる物権的請求権は具体的な権利として,民法に明文をもって規定されているのである。

所有権以外の物権にも物権的請求権が当然に認められるというのが,通説の考え方であるが,たとえば,物権とされている留置権,質権には,占有訴権以外の請求権は認められていない(民法302条,353条)。そして,これらの権利に占有訴権以外の物権的請求権を認めるべきだという見解は存在しない。つまり,物権の中でも,占有訴権しか認めれていない物権が存在しており,それは,それなりに理由があって,問題とはされていないのである。むしろ,最後に述べるように,占有を伴わない権利に過ぎない一般先取特権や抵当権に物権的請求権(特に,返還請求権)を認めることの方が問題ではないだろうか。

第3に,通説が,本権に比べて「占有権が一時的な支配権である」というのは,賃借権(借地権を含む)に基づく占有権を考えれば,偏見ではないだろうか。そもそも,占有権を物権だと考え,占有権に占有訴権があるなら物権本権にも物権的請求権が認められるべきだという発想自体に問題がないだろうか。

占有権は物権,債権を問わず,本権を取得・証明・保護するものである。したがって,本権の訴えを拡張したいのであれば,物権に限らず,占有を伴う本権(所有権,賃借権等)にも妨害予防・妨害排除・返還請求権が認められるべきであるという方向,すなわち,物権にこだわらない方向での主張をすべきである。なぜなら,判例(最二判昭28・12・18民集7巻12号1515頁)も,第三者に対抗できる借地権を有する者は,その土地に建物を建ててこれを使用する者に対し,直接その返還を請求することができるとしているからである。

第4に,民法202条に規定されているように,占有訴権以外に本権の訴え(賃借権のように債権からも発生するので,物権的請求権という名称が的確かどうかは慎重に判断されるべきである)が認められるべきことは当然である。しかし,以下の2点に注意すべきである。

第1点は,所有権(占有を根拠づける本権としての物権)に妨害予防・妨害排除・返還請求権を認めることは当然であるが,その内容は,占有訴権(妨害排除・妨害予防,返還請求権)の範囲内にとどめるべきである。占有訴権の内容を逸脱し,賃借人を追い出すための,所有者の側からの建物収去(土地明渡)請求権を安易に認めることは問題である。なぜなら,民法616条によって賃貸借に準用される民法598条においては,「借主は,借用物を原状に復して,これに付属させた物を収去することができる」と規定しており,賃貸人の権利ではなく,賃借人の権利として,建物収去権を規定している。また,これを受けて,借地借家法13条は,建物の収去を望まない借地人のために,賃貸人に対する建物買取請求権を認めている。すなわち,賃貸借の終了の際に,賃借人に対して建物収去義務を認めているわけではない。したがって,物権的請求権の名の下に,賃借人に対する所有者からの一方的な建物収去権を安易に認めるべきではない。
第2点は,占有を伴わない物権(たとえば,先取特権,抵当権)に安易に物権的請求権を認めるべきではない。占有を伴わない先取特権や抵当権に返還請求権を認めること(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁)は,明らかに行き過ぎである。

以上をまとめると,わが国には占有訴権の規定はあるが,一般的な物権的請求権の規定は存在しない。しかし,占有訴権に対応する本権の訴え(本権に基づく請求権)は,相隣関係の規定を中心に具体的な規定が多数存在する。したがって,ドイツ民法を参考にして,物権本権に基づく請求権以外に,一般的な「物権的請求権」を認めるべきであるという通説の考え方は,つぎの理由で,完全に誤っていることがわかる。

第1に,民法には,占有に裏付けられた物権「本権の訴え」が,相隣関係の規定を中心にして多数存在する。その代表的な規定である民法211条以下の規定(囲繞地通行権)には,費用負担のあり方を含めて,それらの本権に基づく請求権は,「必要であり,かつ,他の土地のために損害が最小限のもの」でなければならないという考慮の下に妨害予防,妨害排除の規定が詳細に規定されている。したがって,「物権本権に基づく請求権」としてのいわゆる「物権的請求権」がわが国の民法には規定されていないというのは,全くのデマである。
第2に,すべての物権に,占有訴権以外の「物権的請求権」を認めるべきであるという議論は,危険な抽象化であって,否定されるべきである。なぜなら,第1に,所有権においてさえ,物権的請求権を安易に認めることは,先に述べたように,賃借人の権利を考慮して,慎重でなければならない。第2に,所有権以外の物権については,たとえば,留置権や動産質権の場合には,本権の訴えを認める必要がないのであり(民法302条,353条),机上の空論に過ぎない。第3に,占有訴権に対応する本権の訴えに関しては,判例によって,賃借権に基づく妨害排除請求が認められており,これは明らかに物権から生じる「物権的請求権」ではなく,「本権に基づく請求権」というべきであろう。さらに,物権的請求権と債権的請求権とを区別する際に強調される「物権的請求権だから消滅時効にかからない」というテーゼも,そのリーディングケース(大判院大5・6・23民録22輯1161頁)をよく検討してみると,解除による原状回復請求権の事件に他ならず,この場合は,「物権的請求権」であっても,消滅時効を認めても何ら差し支えない事案であったことに注意しなければならない。第4に,本権としての「物権的請求権」を認める場合でも,契約法の規定(たとえば,民法616条で準用される598条,借地借家法13条参照)を破るような強い効力を認めるべきではないという点が強調されるべきであろう。

民法に規定されている所有権に基づく妨害予防・妨害排除請求権

「民法は,占有について物権的請求権を規定しているが(§§198〜200),その他の物権,ことに所有権については何の規定も設けていない」という通説の主張が誤りであることは,民法に所有権に基づく妨害予防・妨害排除請求権が明文で定められていることからも,明らかである。

民法が明文で規定している所有権に基づく妨害予防,妨害排除請求権(本権に基づく請求権)を,所有者の作為義務,不作為義務,受忍義務という観点から分類して一覧表にまとめると,以下の表のようになる。

民法に規定された所有権に基づく妨害予防・妨害排除請求権(本権に基づく請求権)

  土地所有者の義務の態様 根拠条文
土地所有者の義務
(相手方の妨害予防・妨害排除請求権)
作為義務
(安全,環境,プライバシィ保護)
接道義務 建築基準法43条1項
損害予防のための工事義務 民法216条
目隠し設置義務 民法235条
不作為義務
(妨害予防・禁止)
雨水直接排水禁止 民法218条
水路・幅員変更禁止 民法219条1項
枝の切除禁止 民法233条
近傍工作物の距離保持義務 民法234条,236-238条
受忍義務
(土地の有効利用のための
法定の共同利用権)
立ち入り受忍義務 民法209条
囲繞地通行受忍義務 民法210-213条
排水流入受忍(承水)義務 民法214条
水流疎通工事受忍義務 民法215条
工作物利用受忍義務 民法221条
境界標識設置受忍義務 民法223条
境界囲障設置受忍義務 民法225条
根の切り取り受忍義務 民法233条

なお,所有権に基づく返還請求権については,先に述べたように,民法193条が,「被害者又は遺失者は,盗難又は遺失の時から2年間,占有者に対してその物の回復を請求することができる」と規定している。このことから,民法は,本権に基づく請求権として,所有権に基づく妨害予防請求権,妨害排除請求権,返還請求権のすべてについて,明文の規定を設けており,わが国の民法には,物権本権に基づく「物権的請求権」の規定を欠いているという主張は,根拠のないデマに過ぎないことが明らかとなったと思われる(加賀山説)。


論点2 民法に物権的請求権の一般規定がないのはなぜか

わが国の民法が物権的請求権についての一般規定を置かなかった理由は何か。損害賠償における損害と妨害排除における妨害とは実体が異なるか。


旧民法に存在した所有権に基づく請求権の規定(財産編第36条)が削除された理由

旧民法財産編第36条には,所有権に基づく請求権について,以下のような規定が置かれていた。

旧民法 財産編 第36条
 @所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得。但動産及び不動産の時効に関し証拠編に記載したるものは此限に在ら す
 A又所有者は第199条乃至第212条に定めたる規則に従ひ,占有に関する訴権を行ふことを得。

この規定が現行民法の作成の過程で削除された理由は,以下の通りである。

(理由)同編第36条の規定は占有権及ひ時効に関する規定に因りて自から明かなるが故に,亦之を削除せり。

つまり,民法において,所有権に基づく請求権(本権の訴え)の規定が削除されたのは,それが,否定されたわけではなく,所有者が所有権に基づく請求権を有することも,所有者も当然に占有訴権を利用できることは,当然であり,わざわざ規定する必要がないとして,規定されなかったのである。

一般的な物権的請求権という概念は必要か

上記のように,わが国の民法には,一般法としての占有訴権と,それを補う本権に基づく請求権が,所有権の相隣関係の箇所で具体的に規定されており,一般的な物権的請求権という概念を必要としないからである。

むしろ,占有を伴わない物権(先取特権,抵当権等)に,物権的請求権としての返還請求権を認める方が奇異である。たとえば,占有を伴わないと定義されている抵当権(民法396条1項)になぜ,物権的返還請求権を認めて,抵当権者に占有を回復させる必要があるのか。執行妨害が問題となるのであれば,それは,民事執行法で解決すべき問題である。すでに,そのような執行妨害のための規定が備えられている現状において,抵当権に物権的返還請求権を認める必要性は存在しない(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁は,バブル期の混乱を解決するために裁判所が行き過ぎた解釈に走ったものに過ぎない。執行妨害に対する適切な措置が講じられている現状においては,抵当権に基づく妨害排除請求権,返還請求権を否定した最二判平3・3・22民集45巻3号268頁に立ち返る必要があると思われる)。

妨害(侵害)と損害との区別は必要か

損害賠償の場合は,過失責任だが,物権侵害の場合は無過失責任であるとし,その根拠として,損害賠償請求権における損害の概念と妨害排除請求権における侵害の概念は,全く違う概念であるとの説がある。

確かに,民法198条,199条では,占有を「妨害されたとき」または「妨害されるおそれがあるとき」という用語法が使われている。この場合に,占有物に「損害が生じた場合」または占有物に「損害が生じるおそれがあるとき」という用語法とを比べてみると,妨害と損害とのニュアンスの違いがはっきりするように思われる。しかし,民法201条は,同じく占有訴権において,「工事により占有物に損害を生じた場合」,または,「工事により占有物に損害を生ずるおそれがあるとき」という用語法を使っており,侵害(妨害)と損害との間に厳密な意味での区別をしていない。特に,差止請求が問題になる場合については,「妨害のおそれがあるとき」と「損害のおそれがあるとき」という用語法に区別はないといえよう。

そもそも,「妨害」と「損害」とを区別すべきだという主張の背景には,不法行為責任は過失責任であり,物権侵害の場合には,無過失責任であるとの考え方があるのだが,不法行為責任は過失責任であり,物権侵害は無過失責任であるという考え方は,わが国の民法の下では,厳密には貫徹できない。

なぜなら,不法行為責任をとってみても,民法717条が不法行為責任であることと疑う人はいないし,これが,無過失責任,または,厳格責任であることも疑いがない。なお,民法717条の責任の性質を厳格責任であるというのは,民法717条の要件である工作物の設置・保存の瑕疵の性質は,結局のところ,人の行為の懈怠,すなわち,過失につながるのであるから,民法717条の責任は,過失責任とも無過失責任とも異なる厳格責任(strict liability)であるとする考え方に基づいている。


論点3 事案の妥当な解決(Xの請求の肯定・Yの請求の否定)を説明できるのはどの説か

本件の場合に,Xに妨害予防請求権として予防工事の権利を認めるべきか。それとも,Yに妨害排除請求権として土砂の除去を認めるべきか。いずれの場合についても,費用負担はどうあるべきか。最も望ましい方法は何か。


本件は,従来の物権的請求権に関する学説(行為請求権説,受忍請求権説,責任説)のうち,どの説が最も妥当な説かを判断する試金石として,重要な意義を有する事案である。なぜなら,本件は,土砂の落下による侵害を被っているYがXに対して妨害排除請求をするのが通常のように見える事案であるにもかかわらず,判例は,それとは逆に,XにYに対する予防工事の請求を認めることを通じて,自分の土砂を落下させているXから,いかにも被害者に見えるYに対する妨害予防請求権を認めており,判例法理の理論的根拠の解明が望まれているからである。

判決は,この点に関して,妥当な結論を述べているのであるが,その根拠となる条文を示していない。しかし,民法の条文を丁寧に検索すると,本件の紛争を解決するにふさわしいいくつかの条文を見つけることができる。それらの条文を活用して,様々な解決方法を模索した後,本件の解決に最もふさわしい条文を選び出すことにしよう。

相隣関係における妨害予防のための規定の活用

本件の場合,3つの可能性が考えられる。

民法216条の活用

第1は,本件判決が示しているように,Xの請求を認め,Yに妨害予防措置として,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を義務づけることである。判例は,民法の条文を引用することなく,物権的請求という根拠のない概念を使っているが,物権的請求権という概念が安易に用いられるべきでないことは,すでに述べた。民法にない概念を無理に使う前に,まず,民法にある具体的な条文が活用されるべきである。

民法216条を見てみよう。「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」という,本件に利用できそうな規定があることがわかる。もっとも,この規定は,すべての工作物ではなく,「上流にある貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という限定が加えられている。これに対して,本件の事案では,いわば下流の施設について上流の土地所有者が請求するという逆向きの請求になっている。そこで,民法216条については,予防工事が認められる要件を願密に検討し,その検討の結果を踏まえて,多少の抽象化(類推の可能性)を図る必要がある。

民法216条が,所有権に基づいて,予防工事を認めているのは,第1に,貯水,排水又は引水のために設けられた工作物によって他人の土地に損害が生じるおそれが生じているからであるが,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という制限は,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある土地工作物」一般に置き換えることが可能である。そのような抽象化の代わりに,「危険な土地工作物の設置については,設置者の帰責性が要求される」という制約条件を付加することによって,抽象化による危険を回避することができよう。つまり,民法216条は,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」だけでなく,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある工作物の設置・保存に瑕疵がある場合」にも類推が可能であると考えられる。

この考え方を本件の事案に応用してみよう。Yが行った行為は,畑を水田という設備に作り直す際に,民法237条の趣旨を無視して,境界から距離を置かずに田を設置した結果,危険な断崖が生じていると考えられる。そうだとすると,本件の危険な断崖について,民法216条の規定を類推することができると思われる。

通常であれば,土砂を他の土地(田)に落下させているXに対して,田の所有者であるYから妨害排除の請求ができそうにも見える。しかし,本件においては,危険な崖を作り出したことについて,帰責性のあるのはYであって,Xにはないことが重要である。この点を考慮して,通常なら認められるはずのYからの妨害排除請求を否定し,Xからの予防工事請求のみを正当化できる点に,この考え方のメリットがある。

民法209条の活用−費用負担の原理の抽出

第2は,Yがやるべきことをやらないのであるから,Xの方からYの土地に立ち入り,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を行うことを認めることである。その際,これらの場合において,費用負担は,誰がすべきだろうか。

相隣関係の最初の規定である民法209条は,「境界又はその付近において障壁又は建物を築造し又は修繕するため必要な範囲内で,隣地の使用を請求することができる」と規定してる。したがって,Xの方からYの田に立ち入って,土地の崩壊防止に必要な障壁を築造または修繕することができる。

その場合の費用負担については,民法209条には直接の規定がない。しかし,相隣関係の規定全体を見ると,費用負担に関して,以下の原理を輯出することができる。

第1に,一方だけの利益になる場合には,「自己の費用で」(民法215条,231条),または,「費用の増加額を負担しなければならない」(民法227条但し書き)と規定されている。
第2に,両者の利益になる場合には,「利益受ける割合に応じて費用を負担しなければならない」(民法221条,222条,224条但し書き)と規定されている。
第3に,設備が共有となる場合には,「共同の費用で」(民法223条,225条),または,「相隣者が等しい割合で負担する」(民法221条2項,222条3項,226条)と規定されている。

本件の場合に,民法216条が類推されると考えるならば,つぎの条文である民法217条が,予防工事請求権の場合には,「費用の負担については別段の慣習があるときは,その慣習に従う」との規定があり,原則は,危険な設備を設置した方,本件では,Yの負担ということになる。また,本件の場合,Yは,民法236条に規定された境界付近の掘削の制限に違反していると思われるのであり,Yに費用を負担させることについても,条文上の根拠があるといえよう。

一般的な物権的請求権の活用と解決不能問題の発生

第3に,判決の結論とは逆に,Yに妨害排除請求(落下物に対する予防・妨害排除請求)を認めることはできるであろうか。

もしも,通説のように,条文の根拠なしに,無過失責任としての物権的請求権を認めることになると,Xの土地から落下している土砂に対して,Yから妨害排除請求を認めることも可能となるはずである。

しかし本件の場合,土砂の落下の原因である断崖を作ったのは,Yであるため,自ら作成した設備によって土砂の落下が生じても,妨害排除請求は認めるべきでないと思われる。

しかし,その結論(土砂の落下の危険にさらされているYの物権的請求権を否定する)を導くための理論は,費用負担は別として,通説のように,無過失責任としての物権的請求権の存在を認める以上は,見つからないのではないだろうか。

この問題を解決するために,物権的請求権とは,侵害者にたいする作為請求権ではなく,侵害者に対する忍容請求権に過ぎない。すなわち,Xは,Yに対して,「危険の防止に必要なる相当設備」を請求する権利という作為請求権を有するのではなく,XがYの土地に立ち入り,Yの費用で「危険の防止に必要なる相当設備」を設置することを受忍せよという,忍容請求権を有するに過ぎない(前記の第2の解決方法しか認めない)という考え方がある。しかし,この考え方によれば,本件における妥当な結論である判例の見解を否定しなければならなくなる上に,民法が明文で認めている216条の「工作物の修繕・障害の除去・予防工事請求権」,および,民法235条の「目隠し設置請求権」を否定することになり,わが国の民法の解釈論としては成り立たない考え方であろう(もっとも,忍容請求権の考え方自体が否定されるべきではなく,所有者に忍容義務がある場合には,所有者の行為請求権が成立しないという意味で,認容請求権(忍容義務)は意味を有している)。

判決のような妥当な結論を導くためには,ドイツから輸入された一般的な物権的請求権という考え方にとらわれるのではなく,わが国の民法に規定された,占有訴権,および,相隣関係において規定されている所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関する条文およびその趣旨を考慮した上で,具体的な事例に適合することのできる緻密な解釈論を展開すべきではないだろうか。

この意味でも,憲法76条3項の「すべて裁判官は…この憲法及び法律にのみ拘束される」という文言の意味するところをよく考える必要があると思われる。

以上の議論を参考にして,本件における最も適切な方法とその理論的根拠について,自分の頭でよく考えてみよう。


まとめ −本判決の研究から得られた知見−


通説の見解によれば,わが国の民法は,占有権については,それを保護するために占有訴権に関する規定(民法197条〜202条)が存在するが,その他の物権,特に,所有権についてそれを保護するための所有権に基づく請求権については,ドイツ民法とは異なり,明文の規定を置いていないとされてきた。

しかし,民法209条以下の相隣関係に関する規定の中には,所有権に基づく請求権に関する一連の規定を見出すことができる。したがって,ドイツ民法と比較して,わが国には,所有権に基づく請求権の規定が存在しないという通説の見解は,完全に誤っている。

もっとも,ドイツ民法における所有権に基づく請求権の規定((§985〜§1007 BGB))は,23箇条に及んでおり,詳細を極めるばかりでなく,一般条項(所有権に基づく返還請求権(§§985f.),所有権に基づく侵害除去・侵害予防(差止)請求権(§1004))をも含んでおり,わが国の問題を解決する上でも,非常に参考になる。ただし,仔細に検討してみると,返還請求権に関する規定は,わが国の民法200条を参照して,立証責任のあり方を考慮して多少の修正が必要であると思われる。そのような点を考慮した上で,わが国おける所有権に基づく請求権の一般規定(立法試案)を作成してみると,以下のようになろう。

民法207条の2所有権に基づく返還請求権)(試案)
 所有者が自己の物を奪われたときは,所有者は,侵奪者に対してその物の返還を請求することができる。侵奪者の特定承継人に対しては,その占有が法律上の原因に基づかないことを所有者が証明した場合に限り,その物の返還を請求することができる。
民法207条の3(所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権)(試案)
 所有権が侵奪以外の方法で妨害されている場合には,所有者は,妨害の排除及び損害の賠償を請求することができる。引き続き妨害のおそれがあるときは,所有者は,その妨害の予防および損害賠償の担保を請求することもできる。ただし,いずれの場合においても,所有者に妨害を忍容すべき義務がある場合はこの限りでない。
民法207条の4(所有権に基づく探索・引取忍容請求権)(試案)
 物が所有者の支配を離れて他人の所有する土地の上に移動した場合に,土地の所有者が時効取得等によって,その物の所有権を取得しない限り,その物の探索及び引取りを忍容しなければならない。その場合において土地の所有者は,探索及び引取りによって受けた損害の賠償を請求することができる。また,損害発生のおそれがあるときは土地の所有者は,担保の供与があるまで,探索及び引取りを拒絶することができる。ただし,遅延によって損害が生じるおそれがあるときは,探索及び引取りを拒絶することができない。

このような一般条項を念頭に置いて,本件の判決要旨と判決理由を丹念に比較してみると,本判決が重要な点を余すことなく指摘しているかを理解することができると思われる。

最後に,わが国の民法における相隣関係の規定を仔細に検討すると,費用負担の原則について,以下の原則が導かれることも明らかとなった。この点も,新たな知見として加えておくことができよう。

第1に,権利行使または義務の履行が,一方だけの利益になる場合には,「自己の費用で」(民法215条,231条,227条但し書き)行う。
第2に,権利行使または義務の履行が,両者の利益になる場合には,「利益受ける割合に応じて費用を負担しなければならない」(民法221条,222条,224条但し書き)。
第3に,権利行使または義務の履行によって,設備が共有となる場合には,「共同の費用で」(民法223条,225条),または,「相隣者が等しい割合で負担する」(民法221条2項,222条3項,226条)。

復習課題


設例1

Xは,Yの隣地の田畑の所有者である。Xは,田畑で米作りをするとともに,果樹(イチジク),野菜の栽培を行っており,収穫の後は,XとYとの境界をなすX私有の畦道を使って,収穫物をX所有のリアカーに乗せて運んでいた。

ある日,Y所有の田にX所有のリアカーが落下した。しかし,Xはリアカーを撤去せずに放置している。

この場合,YはXに対して,物権的請求権に基づいて,リアカーの除去を請求することができるか。条文または判例の根拠を示して答えなさい。

設例2

設例1において,X所有のリアカーがY所有の田に落下した原因は,以下の通りであった。

Xがいつもの通り,果物を満載したリアカーを引いて,畦道を通っていたところ,畦道が陥没して,XのリアカーがYの田に落下し,Xも引きずられてYの田に落下し,その際,運悪くリアカーの下敷きになって内蔵が破裂する重傷を負ってしまい,現在も入院中である。そのためリアカーを引き上げることができずに放置したままとなっている。

この場合,YはXに対して,物権的請求権に基づいて,リアカーの排除を請求することができるか。条文または判例の根拠を示して答えなさい。

設例3

設例2において,畦道が陥没した原因を調査した結果,以下の事実が判明した。

Yは,春に田を耕すに際して,常に,畦道を少しずつ削って,自己の田を広げることを習性としていた。これは,親譲りの習性であり,長年にわたって,X私有の畦道は少しずつ狭められていた。しかし,1日の作業で畦をけずるのは,1cmに満たない単位の規模であり,目に見えるような変化が現れるのは,何年にもわたって削られた後のことである。XがリアカーもろともYの田に転落した時も,Xは,畦道がリアカーが通るのに支障が生じるほどに狭くなっているとは感じておらず,通常の方法でリアカーを引いていた。

ところが,Yによって畦道が少しずつ削られており,さらに,それが原因となって,畦道の一部は,もろくなった場所ができており,リアカーがその場所を通過した際に,畦道の陥没によってリアカーが傾き,XのリアカーはYの田に落下し,引きずられたYも田に落下し,リアカーの下敷きとなって重傷を負ったのである。

この場合,YはXに対して,物権的請求権に基づいて,リアカーの排除を請求することができるか。条文または判例の根拠を示して答えなさい。

設例4

設例3の場合に,Yの請求に対して,Xは,どのような反論をすることができるか。また,XはYに対してどのような請求をすることができるか。条文または判例の根拠を示して答えなさい。

設例5

Xは田畑(甲地)の所有者であり,甲地で米作りとするとともに,野菜と果物(イチジク)の栽培をしている。Yは,甲地に隣接する乙地(田)の所有者であり,甲地と乙地の境界は,X所有の畦道(幅3m,長さ100メートル)によって区切られている。

Yは,乙地の面積を増やすことに執着し,春に田を耕すに際して,畦道を1cmに満たない単位で削りとっており,長年の間に,X所有の畦道は少しずつ狭くなっていたが,その変化が余りに緩慢であるため,Xは,畦道が狭くなっているばかりでなく,一部に畦道が陥落のおそれが生じているのに気づかなかった。

ある日,Xがイチジクの収穫を終えて,リアカーに収穫物を積み込んで,畦道を進行していたところ,畦道のY側の一部が陥没し,リアカーがYの田に転落し,それに引きずられて,Xも田に転落し,しかも,運悪く,リアカーの下敷きになって内臓破裂の重傷を負い,リアカーを引き上げることができずに,今日に至っている。

Xは,Yの畦を削る行為によって畦が狭まり,かつ,一部に陥落する部分が生じ,それが原因となって本件事故が発生したとして,Yに対して不法行為に基づく損害賠償(治療費,休業損害,慰謝料等の500万円)を請求した。同時に,畦道の広さを元に戻すための修繕工事を請求した。これに対して,Yは,Xの不注意でリアカーが転落したのであり,Yに責任はないとして争うとともに,畦道の修繕工事については,法律上の根拠を欠き,請求自体失当だとして争っている。Xの各請求は認められるか。

参照条文(§1005 BGB(自己の物が他人の土地にある場合の探索・引取忍容請求権))

§1005 BGB(追跡権(Verfolgungsrecht):自己の物が他人の土地にある場合の探索・引取りの忍容請求権)
 物がその所有者以外の者の占有する土地の上に存在するときは所有者は土地の占有者に対して第867条(占有者の探索・引取の忍容請求権)に定めた請求権を有する。
§867条(占有者の探索・引取の忍容請求権)
 物が占有者の支配を離れて他人の占有する土地の上に移動した場合に,土地の占有者がその物を自己の占有に移転しない間は,その物の探索(Aufsuchung)及び引取り(Wegschaffung)を忍容しなければならない。その場合において,土地の占有者は,探索及び引取りによって受けた損害の賠償を請求することができる。また,損害発生のおそれがあるときは土地の占有者は,担保の供与があるまで,探索及び引取りを拒絶することができる。ただし,遅延によって損害が生じるおそれがあるときは,探索及び引取りを拒絶することができない。

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