−ケース・メソッドによる講義を中心に−
2002年7月19日
名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂
従来の法学部の教育目標は,法の一般常識を備えた社会人を養成することであった。これに対して,法科大学院の教育の目標は,有能な法律専門家と同じように考え,同じように行動できる人材を養成することへとシフトされることになった。したがって,法科大学院においては,法律問題に直面した場合に法律専門家はどのように考え,どのように行動するのかを科学的に分析し,それと同じように考え,行動できる人材を育てることのできる教育方法を発見し,実践しなければならない。
これまでの考え方によれば,大学とは,神聖な学問研究の場であり,法律学とは,伝統ある研究テーマについて,または,指導教授が指定し,もしくは,認めた研究テーマについて,主として外国法との比較において研究することであり,教育とは,研究者が研究した成果を学生に教授することだったといえよう。大学での研究は,あくまで,新しい理論の創造のための研究であり,教育についても,講義は別にしても,研究指導は,法曹養成ではなく,主として研究者の養成を狙って行なわれてきたのである。
確かに,大学における法学教育は,基本法の理解を中心に据えるべきである。しかし,基本法を理解させるためには,常に,最前線の応用問題を提示しながら基礎の理解を深めるべきである。最前線の応用問題に接して初めて,そのような問題は,特別法を駆使しても,うまく解決できるとは限らないのであり,特別法に対する理解を深めた上で,なおかつ,特別法の基礎に流れる基本法の考え方が有用であることが示されるからである。
法的なものの考え方とは,事実を見る観点として,要件と効果の組み合わせによるルール,または,法格言的な原則を採用し,それらのルールや原則をうまく組み合わせたり,拡張,縮小,類推等の解釈技術を駆使して,問題の解決案を提示する方法論にほかならない。
法律家の思考においては,ルールから事実を発見するプロセスと, 発見された事実から,より適切なルールを再発見するというプロセスとが 相互に影響を与えつつ,妥当な解決策が発見されまで繰り返される。 |
英米法流の具体的問題をルールを参照しつつケースバイケースで判断するという考え方も,大陸法流のルールを重視して普遍的な思考をめざす考え方も,それらが,事実を見る観点として作用し,問題解決のよりどころとされる点では同じである。両者の違いは,前者が問題の決め手として,事実が法律要件に該当するかどうかという方法(包摂)を採用するのに対して,後者は,似ているか似ていないかを判断した上で,事実が先例に似ている場合には先例を生かし,似ていない場合には新たな法理を創造するという方法(先例拘束と法の創造)を採用する点にある。
しかし,法律専門家の思考をさらに詳しく分析すると,法律家は,上に述べたように,数少ないルールに基づいて膨大な事実の中から重要な事実を発見するという側面のほかに,新しい問題に遭遇した場合に,その問題の解決に最も適切なルールを発見したり,適切なルールが存在しない場合には,これまでのルールを変更したり,全く新しいルールを創造するという側面を持っていることが分かる。
例えば,社会の進展等により,これまでのルールや法原則ではうまい解決案が提示できなくなると,新しい観点が模索され,新しい観点が発見されると,その観点に基づくルール(仮説)が提示される。そして,新しいルールが従来のルールよりも柔軟で具体的妥当な解決が説得的に示されると,裁判官それに従って判例を変更し,また,立法者は法律を制定するという過程を通じて,パラダイムの変革が行なわれることになる。
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法律専門家の能力は,単に,事実に法を適用できるというものではない。 一方で,法的ルールの視点から,重要な事実(隠された事実を含む)を発見すること, 他方で,その事実に適合する新たなルールを発見し・正当化する能力が求められる。 |
司法制度改革審議会の「意見書−21世紀の日本を支える司法制度」(平成13年6月12日)においても,法曹教育のあり方については,以下のような基本的理念が掲げられている。
専門的な法知識を確実に習得させるとともに,それを批判的に検討し,また発展させていく創造的な思考力,あるいは事実に即して具体的な法的問題を解決していくために必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。
このように考えると,法律家に必要な能力とは,以下の2つに整理することができる。
法曹に必要な能力 | 望まれる法曹像 | 科学観 | 民主主義・専門家責任 | |
---|---|---|---|---|
1 | 専門的・体系的な知識の習得し,具体的な事例に適用できる能力 | 説得力のある公平な議論ができる専門家 | 科学法則も仮説を設定し,反証されない限りで通用するに過ぎない。科学理論の選択も,論理によって行われるのではなく,理論を生み出す基本的なものの見方(パラダイム)の変革に応じて理論選択が行われるのであり,その変革の中心は「説得」以外の何ものでもない。 | 専門性の涵養 |
2 | 似た事例の収集し,そこから具体的妥当性を確保できるルールを発見する能力 | 社会的正義の実現 | ||
3 | 一つの結論を導くことのできるすべての議論を尽くすことのできる能力 | アカウンタビリティ | ||
4 | 社会状況,将来を見通しながら,新しいルールを構想できる能力 | 立法,政治学への橋渡し |
このような2つの能力を身につけるためには,以下のような順序に従い,無理のない方法で,上記の能力を身につける必要がある。
このような能力を身につけさせるために,法科大学院では,いかなる教育方法を採用すべきであろうか。
先に述べた法律家の思考方法を身に付けさせるためには,以下のような段階を踏んだ教育が必要である。
以上のプロセスを更に詳しく説明すると以下のようになろう。
法科大学院構想が浮上し,定着に至る2001年度および2002年度に,筆者は,名古屋大学法学部の新一年生に対して,「法政基礎講義V−実定法入門」という講義を担当する機会に恵まれた。そこで,筆者は,この講義を,法科大学院における民法教育の実践の場としても活用できるのではないかと考え,新しい教育の試みを行ってみた。以下の記述は,主として,2002年度における教育実践の成果である。
法科大学院における民法教育の方法論を具体的に論じるため,ここでは,比較的新しい平成12年度の最高裁判例の中から,最三判平12・6・27民集54巻5号1737頁(バックホー盗難被害者から転得者に対する返還・使用料請求事件(以下,「バックホー盗難事件」という))を取り上げることにする。この最高裁判決は,大審院の判例(大判昭4・12・11民集8巻923頁)に従ったとされる一審・二審の判断を最高裁が破棄・自判したものであり,従来の判例を変更したものである点で,重要な判例と考えられている。
しかし,この判例が示した結論は,「妥当な判決である」と評価する学者(安永正昭・判例セレクト‘00 16頁,野口恵三・NBL703号66頁(2000年),)もいるが,「余りにも善意取得者に有利な判決である」との批判もなされており(池田恒男・判例タイムズ1046号67頁(2001年),鳥谷部茂・判例評論505号7頁,好美清光・民商124巻4・5号723頁(2001年)),創造的な法思考を考える場合に,非常に興味深い論点を与えてくれるものといえよう。
【設例】 平成6年10月末,Xは所有していた土木機械(バックホー)をAらに窃取された。 平成6年11月7日,Yは,無店舗で中古土木機械の販売業を営むBから善意・無過失で本件機械を購入し,代金300万円を支払い引き渡しを受けた。 平成8年8月8日,Xは,窃取された本件機械がYの下にあることを発見し,Yに対して,所有権に基づき本件引渡しを求めるとともに,訴状到達日の翌日から引渡済みまでの使用利益相当額の支払を求める訴えを提起した。 平成9年7月29日,第一審は以下のような判決を下した。
平成9年9月2日,Yは,負担の増大を避けるため(民法189条2項参照),Xから代価の支払を受けないまま,任意に本件機械をXに引き渡し,Xはこれを受領した。 平成10年4月8日,第二審は,以下のような判決を下した。
Yは,これを不服として,最高裁判所に上告した。 |
以下の解説(登場人物,目的物,事実関係,参照条文,問題状況)は,この事例をよく理解するために不可欠の作業である。最初のうちは,教師が手本を示してもよいが,徐々に,学生に,この作業を行わせることが望ましい。
X:本件機械(バックホー)の所有者
A:本件機械の窃盗者(行方不明)
B:中古土木機械の販売業者。本件機械を買い受けて販売
Y:Bから本件機械を善意・無過失で購入
登場人物の関係図 |
バックホーとは,建設機械の一つで,ドラグショベルともいう。ブーム先端のバケットで土砂を手前にすくい取り,旋回してトラックなどに積み込む。多くはキャタピラ式。下方の掘削,特に溝掘り,建造物の基礎根掘りに適している(マイペディア99(C)株式会社日立デジタル平凡社)。
ランダムハウス英語辞典 | http://www.seirei.co.jp/ |
年月日 | 事実 | 法律関係 |
---|---|---|
平成6年10月末 | Xは所有していた土木機械(バックホー)をAらに窃取された。 | 一方で,Yは所有権を善意取得する可能性を得る。 他方で,Xは,代金相当額を支払って,本件機械の返還を求めることができる |
平成6年11月7日 | Yは,無店舗で中古土木機械の販売業を営むBから善意・無過失で本件機械を購入し,代金300万円を支払い引き渡しを受けた。 | |
平成8年8月8日 | XはYに対して,所有権に基づき本件引渡しを求めるとともに,訴状到達日の翌日から引渡済みまでの使用利益相当額の支払を求める訴えを提起した。 | |
平成8年11月 | もし,XがYに対して請求をしなければ,Yが,確定的に所有権を取得する | |
平成9年7月29日 | 一審判決(Yは,Xから300万円の支払を受けるのと引き換えに本件機械をXに引き渡せ。Yは,訴状送達の日の翌日から引渡済みまで,使用により得た利益として,1カ月30万円の割合による金員を支払え) | Yは,代金300万円の弁償を受ける代わりに,本件機械を返還するまで,1カ月30万円を支払わなければならないのか。 |
平成9年9月2日 | Yは,負担の増大を避けるため,Xから代価の支払を受けないまま,任意に本件機械をXに引き渡し,Xはこれを受領した。 | Yの目的物の返還によって,代価弁償請求はどうなるか。 |
平成10年4月8日 | 二審判決(Yは,本件機械の引渡までは,1カ月30万円を支払う義務がある。Yは,代価として300万円と遅延損害金の支払を求めることができる) |
設例を提示し,その設例の解説を通じてその事例の特色を学生に考えさせ,さらに,従来の判例との相違点を事実のレベルと理由中の判断のレベルで比較させること,関連判例を含めて,学説が判例に対してどのような対応をしているかを検討させること,その上で,学生自身が,この事例に対してどのような解決策を提示できるかを問うというプロセスこそが,法科大学院での教育の最も重要な点となる。
学生に与える質問は,そのの質とレベルを考慮して,以下のような順序で与えるのが適切であると思われる。
以上のうち,1から5までをこの章で扱うことにし,6以下は,最後の章で扱うことにする。
バックホー盗難事件の問題状況を把握するためには,原告,被告のそれぞれの立場にたってみて,それぞれの主張を組み立ててみるのが一番である。
質問1 バックホー盗難事件の問題状況を理解するため,民法194条をよく読んだ上で,原告(X:被害者),被告(Y:善意取得者)のそれぞれの立場にたって,どのような主張をなしうるかを考え,相手方に対して,それぞれの主張を説得的に展開してみなさい。その際,時代背景,登場人物の特色,目的物の特色等,事案の特色を浮き彫りにするようにつとめなさい。 |
解答例
- Xの立場
- Xの立場からすると,Yが盗まれたもの持っているのを発見したのに,Yがそれを取得するために支払った代金300万円全額をYに支払わなければならないというのは,腑に落ちないことになる。
- もちろん,民法194条の規定(占有者が盗品又は遺失物を競売若しくは公の市場に於て又は其物と同種の物を販売する商人より善意にて買受けたるときは被害者又は遺失主は占有者が払ひたる代価を弁償するに非ざれば其物を回復することを得ず)があるため,盗品を回復するためには,代価を弁償しなければならないというのは仕方がない。
- Yは,確かに300万円支払って本件機械を買ったのではあるが,それにしても,約1年間ほど,本件機械を利用したにもかかわらず,その後で,Xから,支払代金の全額である300万円を取得できるということになると,結局,Yは,Xに返すまで,ただで本件機械を利用しまくることができたことになり,やり過ぎだといわざるをえない。
- 本件機械を使いまくったのだから,機械を返すときに,使用料ぐらいはXに支払うべきではないのか。
- Yの立場
- Yとしては,代金300万円を支払って,本件物件を取得しているのであるから,それを使用・収益できるのは当然のことである。
- それなのに,その間の使用について,毎月22万円もの使用利益,合計で273万余円もの金額を支払わなければならないとすると,民法194条がYがXに代金を請求できるとした趣旨が失われてしまう。
- 民法194条が,支払った代価を弁償できると規定しているのは,善意者は,代価の全額の弁償を受ける権利を有するということであり,そこから使用利益を引かれてしまったのでは,代価の弁償を受けたことにならない。
このように,原告被告の立場になってそれぞれの主張を組み立ててみると,以下のように,この事件の特色が見えてくる。
バックホー盗難事件は,以上のような特色を持つために,従来の判例では問題とされなかった,「使用利益の返還」の問題がはじめて争点となったことが理解されると思われる。
質問2 Yは,本件機械を返還するのと引き換えに300万円の弁償を受けることができることになっている。ところで,本件の場合のように,Yが盗品を任意にXに返還してしまった場合においても,Yは,Xに対して300万円の支払いを請求できるか(条文上の根拠はないが,Yは,請求権ではなく,単に抗弁権を有するに過ぎないとの理由で,大審院の判決(大判昭4・12・11民集8巻923号)は,これを否定していた)。 |
判決要旨
盗品または遺失物について民法192条の要件を具備しても,動産の上に行使する権利を即時に取得するものではない。また,民法194条は,占有者に対し代価の弁償がない以上占有物の回復請求に応ずる必要のない抗弁権を認めたものであつて,代価弁償の請求権を与えたものではない。
判決文
昭和四年(オ)第六三四号(指環引渡請求事件)
【上告人】 被控訴人 被告 溝淵弁助 訴訟代理人 石橋忠男 外一名
【被上告人】 控訴人 原告 坂本貞雄 訴訟代理人 里村栄蔵 外一名
事 実
被上告人(控訴人,原告)訴旨ノ要領ハ被上告人ハ装身具ヲ取扱フ古物商ニシテ昭和元年十二月二十六日同種ノ商品ヲ取扱フ同業者ナル訴外塩田アイヨリ代金百七十円ニテ本件指環一箇ヲ善意ニテ買受ケ即時其ノ引渡ヲ受ケ占有シ居リシ処右指環ハ訴外姜洪烈カ所有者タル上告人(被控訴人,被告)方ヨリ窃取シタルモノナリトノ理由ニテ同人ニ対スル窃盗被疑事件起リ昭和二年四月十四日兵庫県警察部ニ於テ其ノ取調アリタル際被上告人ハ捜査処分ノ証拠品トシテ右物件ヲ任意同警察部ニ提供シタルニ同警察部ハ被上告人ノ承諾ヲ得ルコトナク同日上告人ニ右物件ヲ仮下渡シ上告人ハ現ニ之ヲ所持セルモノナリ
然レトモ訴外姜洪烈ニ対スル刑事事件ノ有罪判決ハ確定シタルノミナラス上告人ハ被上告人ニ対シ其ノ支払ヒタル代価ヲ弁償セサルヲ以テ右物件ノ回復ヲ請求シ得サルニ拘ラス仮下渡ヲ受ケ之ヲ所持スルハ被上告人ノ右物件ニ対スル占有ヲ侵奪シタルモノニ外ナラス故ニ占有回収ノ訴ニ依リ之カ返還ヲ請求シ併テ其ノ引渡アラサル場合ニ於ケル代償金ヲ請求スト云フニ在リ
上告人ハ答弁トシテ上告人ハ兵庫県警察部ヨリ本件指環ノ仮還付ヲ受ケ之ヲ所持スルモノニシテ其ノ侵奪者ニ非サルヲ以テ請求ニ応シ難シト云フニ在リ
原裁判所ハ被上告人ハ兵庫県警察部ニ対シ本件指環ヲ任意提供シタルモノナレハ之ニ依リテ其ノ占有ハ同警察部ニ移転シ被上告人ハ本件指環ノ所持ヲ任意ニ喪失シタルモノト謂フヘク従テ爾後上告人カ同警察部ヨリ仮還付ヲ受ケ占有スルモ被上告人カ本件指環ニ付有スル占有ヲ侵奪シタルモノト謂フヲ得ス故ニ侵奪ヲ理由トスル指環返還ノ請求ハ失当ナリ然レトモ本件指環ハ現ニ上告人ニ回復セラレ而モ上告人ハ被上告人ニ対シ其ノ買受代価ノ弁償ヲ為シ居ラサルヲ以テ被上告人ハ其ノ弁償ヲ請求シ得ヘク従テ該請求ハ正当ナリトシテ之ヲ是認シタリ
当院ハ上告ヲ理由アリトシ原判決中「被控訴人(上告人)ハ控訴人(被上告人)ニ対シ金百七十円ヲ支払フヘシ訴訟費用ハ第一,二審共全部被控訴人ノ負担トス」トアル部分ヲ破毀ス前記請求ノ部分ニ対スル控訴ハ之ヲ棄却ス被上告人ノ附帯上告ハ之ヲ棄却ス訴訟費用ハ第一,二,三審ヲ通シ総テ被上告人ノ負担トス」トノ判決ヲ言渡シタリ
理 由
上告理由第一点ハ民法第百九十四条ノ規定ハ被害者カ占有者ニ対シ其ノ物ノ回復ヲ請求シ得ルコトヲ規定シ以テ被害者ヲ保護シタルモノニシテ占有者ノ為ニ設ケラレタルモノニ非サルコトハ法文自体ニヨリ明瞭ナリトス然ルニ原判決ハ上告人カ「本件指環ノ所持ヲ回復シ居ルコトハ前示認定ノ如クナルヲ以テ同人ニ対シ之カ買受代価ノ弁償ヲ請求シ得ルヤ勿論ナリ」ト説示シタルハ法則ヲ不当ニ適用シタルモノト信ス(占有者ハ盗品又ハ遺失者ニ対シテ其ノ代価ノ弁済ヲ請求スル権利ヲ有スルニ非ス川名博士物権法要論三八頁参照)
元来本件ノ指環ノ実際価格ハ百円ニ満タス(第一審ノ口頭弁論中上告人カ百七十円ノ価格ヲ相当トストアルハ履行不能ノ場合ノ金円ノ請求ナリシヲ以テ之ヲ争ハサリシニ過キス)故ニ仮リニ本件指環ヲ被上告人カ占有スル場合ニ於テモ固ヨリ上告人ハ民法第百九十四条ニヨリ被上告人ノ買受代価百七十円ヲ弁償シテ其ノ物ヲ回復スルノ意思ヲ有セス
然ルニ原判決ニヨレハ上告人ハ指環ヲ被上告人ニ返還シテ代価弁済ノ義務ヲ免レントスルモ免ルル能ハサル事トナリ上告人ハ金百七十円ヲ支払ヒナカラ実価百円未満ノ指環ノ所持ヲ判決ニヨリテ強ヒラルル結果トナル即本判決ニ示スカ如クナレハ物件ノ買入代金カ其ノ実際価格ヲ超過スル場合ニ於テハ常ニ被害者ノ地位ニアルモノハ其ノ選択ノ自由ヲ奪ハレ実際以上ノ価格ノ支払ヲ強ヒラルルノ不合理ヲ招来スルコトトナルヘシ之全ク同法条ヲ不当ニ適用シタルカ為ニ此ノ如キ結果ヲ来スモノナリト信スト云フニ在リ
案スルニ平穏且公然ニ動産ノ占有ヲ始メタル者カ善意ニシテ且過失無キトキト雖其ノ占有物ニシテ盗品又ハ遺失物ナル場合ハ被害者又ハ遺失主ヨリ二年内ニ其ノ回復請求ヲ受ケサルニ及テ茲ニ始メテ其ノ動産ノ上ニ行使スル権利ヲ取得ス可ク夫ノ一般ノ場合ノ如ク決シテ即時ニ此ノ権利ヲ取得スヘキモノニ非ス
民法第百九十三条ハ此ノ趣旨ヲ言顕ハシタルモノニシテ同条ニ「前条ノ場合ニ於テ」トアルハ「平穏且公然ニ動産ノ占有ヲ始メタル者カ善意ニシテ且過失ナキ」場合ニ於テト読ミ做ス可ク「其ノ動産ノ上ニ行使スル権利ヲ取得ス」トアル文詞ニ承接スル意味ニ解スヘキニ非サルナリ蓋シ若シ之ヲ爾ラストシ此ノ場合ト雖占有者ハ一旦ハ即時ニ当該ノ権利ヲ取得スルモノトセムカ法文ニ所謂回復トハ此ノ権利ヲ還元スルノ義ト解セサル可カラス而モ此ノ回復請求権ヲ有スル者カ被害者又ハ遺失主ナルコトハ規定ノ上ニ昭々タルト共ニ凡ソ被害者又ハ遺失主トハ単ニ不任意ニ占有権ヲ喪失シタル者ノ謂ニシテ必スシモ本権ヲ有スル者ニ限ラサルカ故ニ茲ニ本権ヲ有セサル被害者又ハ遺失主ト雖民法第百九十三条アルニ因リテ其ノ元来有セサリシ本権ヲ回復スルヲ得ルト云フ極メテ不可解ナル結果ヲ見ルニ至ラムナリ豈斯カル理アラムヤ然レハ盗品又ハ遺失物ノ場合ニハ占有者ニ於テ其ノ物ノ上ニ行使スル権利ヲ即時ニ取得スルモノニ非スト解スルト同時ニ此ノ場合ニ於ケル回復トハ猶引渡ト云フカ如ク単ニ占有権ノ移転ヲ意味スルニ過キスト解スヘキハ亦何等ノ疑ヲ容ル可カラス
而シテ此ノ回復ハ無条件ニ之ヲ請求スルヲ得ルヤト云フニ必スシモ爾ラス或場合ニハ占有者ノ払ヒタル代価ヲ弁償スルニ非サレハ回復ヲ為シ得サルヘク即之ヲ占有者ノ側ヨリ云ハハ右ノ弁償ナキ限リ其ノ回復ノ請求ニ応セサルコトヲ得ヘシ
民法第百九十四条ハ此ノコトヲ規定シタルモノニ外ナラス故ニ同条ハ占有者ニ与フルニ一ノ抗弁権ヲ以テスルニ止マリ一ノ請求権ヲ認ムルノ法意ニ非ス而モ斯クスルコトハ実ニ回復者ニ便ナルト同時ニ亦占有者ニモ有利ナリ
何者回復者ハ占有者ノ払ヒタル代価ヲ弁償シテマテモ物ヲ回復セムトスル程爾ク今ヤ其ノ物ニ執著セサルコトアルヘキト共ニ弁償ノコトナクシテ其ノ間二年ノ歳月ヲ経過スルトキハ茲ニ占有者ハ完全ニ其ノ物ノ上ニ行使スル権利ヲ保有シ得テ以テ其ノ物ヲ買受ケタル当初ノ目的ヲ達シ得ヘキヲ以テナリ 従テ回復者ニ於テ代価ノ弁償ヲ為スコト無クシテ恣ニ物ヲ持チ去リタル場合ニ於テハ占有者ハ占有ノ回収ヲ請求スルヲ得ヘキモ(民法第二百三条但書参照)代価弁償ノ如キハ固ヨリ其ノ請求ヲ為シ得ルノ限ニアラス否物ヲコソ欲スヘケレ斯カル請求ハ抑モ始メヨリ其ノ望ムトコロニ非サラムナリ
然ラハ則チ斯ル弁償請求権アリトノ前提ニ立テル当該原判決ハ此ノ点ニ於テ既ニ失当タルヲ免レス
次ニ被上告人ノ附帯上告ニ付案スルニ被上告人ノ本訴物件返還ノ請求ハ結局占有侵奪者ニ対スル占有回収請求ニ外ナラサルヲ以テ原審カ本件ニ於テ占有侵奪ノ事実ヲ否定シタル以上該請求ヲ排斥シタルハ当然ニシテ附帯上告ハ其ノ理由ナキモノトス
以上説明ノ如ク而モ本件ハ事件ニ付直ニ裁判ヲ為スニ熟スル部分アルヲ以テ上告ニ付民事訴訟法第四百八条第一号第三百八十四条附帯上告ニ付同法第百三十八条第三百九十六条第三百七十四条第三百八十四条訴訟費用ニ付同法第九十六条第八十九条ヲ適用シ主文ノ如ク判決ス
事実関係
年月日 | 事実 | 法律関係 |
---|---|---|
Yは所有していた本件指輪1個をAに窃取された。 | 一方で,Xは所有権を善意取得する可能性を得る。 他方で,Yは,代価を支払って,本件物件の返還を求めることができる可能性を有する。しかし,本件の場合,Xは,占有を失っている。 |
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昭和元年12月26日 | Xは,同種の商品を取り扱う古物商Bから善意で本件指輪1個を購入し,代金170円を支払い引き渡しを受けた。 | |
昭和2年4月14日 | 兵庫県警察部において,窃盗疑惑事件の取調べがあり,その際にXは,捜査処分の証拠品として本件物件を任意に同警察部に提供したところ,同警察部はXの承諾を得ることなく同日Yに本件物件を仮下渡し,Yが現にこれを所持するに至った。 | |
昭和4年 | Xは,Yに対して代価の弁償を請求して訴えを提起した。 | Xは,占有を失っても,代価の弁償を請求できるか。 |
窃取の時期は明確ではないが,昭和元年12月の直前であろうと推測されている。そうだとすると,現在では,古物営業法が制定されているため,この事件が昭和25年以降に生じたとすると,民法194条の特則としての古物営業法20条が適用され,被害者は,無償で目的物の返還を求めることができることになる。
参照条文
古物営業法(昭和24年5月28日公布,同年7月1日施行)
第20条 (盗品及び遺失物の回復)
古物商が買い受け,又は交換した古物(商法(明治32年法律第48号)第519条に規定する有価証券であるものを除く。)のうちに盗品又は遺失物があつた場合においては,その古物商が当該盗品又は遺失物を公の市場において又は同種の物を取り扱う営業者から善意で譲り受けた場合においても,被害者又は遺失主は,古物商に対し,これを無償で回復することを求めることができる。ただし,盗難又は遺失の時から1年を経過した後においては,この限りでない。
(平7法66・旧第21条繰上・一部改正)
○動産引渡請求本訴,代金返還請求反訴事件(平成10年(受)第128号 同12年6月27日第三小法廷 一部破棄自判 一部棄却)
【上告人】 控訴人・附帯被控訴人・反訴原告,被告 安藤忠男, 代理人 成田龍一
【被上告人】 被控訴人・附帯控訴人・反訴被告 原告 宮下清 代理人 岩井羊一 外2名
【第一審】 名古屋地方裁判所 平成9年7月29日判決
【第二審】 名古屋高等裁判所 平成10年4月8日判決
○判示事項
一 民法194条に基づき盗品等の引渡しを拒むことができる占有者と右盗品等の使用収益権
二 盗品の占有者がその返還後にした民法194条に基づく代価弁償請求が肯定される場合
○判決要旨
一 盗品又は遺失物の占有者は,民法194条に基づき盗品等の引渡しを拒むことができる場合は,代価の弁償の提供があるまで右盗品等の使用収益権を有する。
二 盗品の占有者が民法194条に基づき盗品の引渡しを拒むことができる場合において,被害者が代価を弁償して盗品を回復することを選択してその引渡しを受けたときには,占有者は,盗品の返還後,同条に基づき被害者に対して代価の弁償を請求することができる。
【参照】(一,二につき)民法第194条 占有者カ盗品又ハ遺失物ヲ競売若クハ公ノ市場ニ於テ又ハ其物ト同種ノ物ヲ販売スル商人ヨリ善意ニテ買受ケタルトキハ被害者又ハ遺失主ハ占有者カ払ヒタル代価ヲ弁償スルニ非サレハ其物ヲ回復スルコトヲ得ス
○主文
一 原判決を次のとおり変更する。
上告人の控訴に基づき,第一審判決中上告人敗訴部分を取り消す。
前項の部分につき被上告人の請求を棄却する。
被上告人の附帯控訴を棄却する。
被上告人は上告人に対し,三〇〇万円及びこれに対する平成九年九月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
上告人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
○理由
上告人代理人成田竜一の上告受理申立て理由について
一 原審の適法に確定した事実関係の概要及び記録によって認められる本件訴訟の経緯等は,次のとおりである。
1 被上告人は,第一審判決別紙物件目録記載の土木機械(以下「本件バックホー」という。)を所有していたが,平成六年一〇月末ころ,光井信俊ほか一名にこれを盗取された。
2 上告人は,平成六年一一月七日,無店舗で中古土木機械の販売業等を営む結城政一(以下「結城」という。)から,本件バックホーを三〇〇万円で購入し,その代金を支払って引渡しを受けた。右購入の際,上告人は,結城が本件バックホーの処分権限があると信じ,かつ,そのように信ずるにつき過失がなかった。
3 平成八年八月八日,被上告人は,上告人に対して本件訴訟を提起し,所有権に基づき本件バックホーの引渡しを求めるとともに,本件バックホーの使用利益相当額として訴状送達の日の翌日である同月二一日から右引渡済みまで一箇月四五万円の割合による金員の支払を求めた。
上告人は,右金員の支払義務を争うとともに,民法一九四条に基づき,被上告人が三〇〇万円の代価の弁償をしない限り本件バックホーは引き渡さないと主張した。
4 第一審判決は,上告人に対して,
(一)被上告人から三〇〇万円の支払を受けるのと引換えに本件バックホーを被上告人に引き渡すよう命じるとともに,
(二)上告人には本件訴え提起の時から物の使用によって得た利益を不当利得として被上告人に返還する義務があるとして,平成八年八月二一日から右引渡済みまで一箇月三〇万円の割合による金員の支払を命じた。
5 上告人が控訴をし,被上告人が附帯控訴をしたが,第一審判決によって本件バックホーの引渡済みまで一箇月三〇万円の割合による金員の支払を命じられた上告人は,その負担の増大を避けるため,本件が原審に係属中である平成九年九月二日に,代価の支払を受けないまま本件バックホーを被上告人に引き渡し,被上告人はこれを受領した。被上告人は引渡請求に係る訴えを取り下げた上,後記二記載のとおり請求額を変更し,他方,上告人は後記二記載のとおり反訴を提起した。
二 本件は,以上の経緯から提起された本訴と反訴であり,
(一)被上告人が上告人に対して,不当利得返還請求権に基づく本件バックホーの使用利益の返還請求又は不法行為による損害賠償請求権に基づく賃料相当損害金の請求として,訴状送達の日の翌日である平成八年八月二一日から前記一5の引渡しの日である平成九年九月二日まで一箇月四〇万円の割合により計算した額である四九七万〇九五〇円の支払を求める本訴請求事件と,
(二)上告人が被上告人に対して,民法一九四条に基づく代価弁償として三〇〇万円の支払と,右引渡しの日の翌日である平成九年九月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金等の支払を求める反訴請求事件からなる。
三 原審は,右事実関係の下において,次のとおり判断し,
(一)被上告人の本訴請求を二七三万二二五八円(平成八年八月二一日から平成九年九月二日まで一箇月二二万円の割合により計算した額)の支払を求める限度で認容し,
(二)上告人の反訴請求を三〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成九年一一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で認容した。
1 結城は民法一九四条にいう「其物ト同種ノ物ヲ販売スル商人」に当たり,上告人は民法一九二条所定の要件を備えているから,上告人は,被上告人の本件バックホーの引渡請求に対して,民法一九四条に基づき代価の弁償がない限りこれを引き渡さない旨の主張をすることができる。
2 占有者が民法一九四条に基づく主張をすることができる場合でも,代価が弁償されると物を返還しなければならないのであるから,本権者から提起された返還請求訴訟に本権者に返還請求権があると判断されたときは,占有者は,民法一八九条二項により本権の訴え提起の時から悪意の占有者とみなされ,民法一九〇条一項に基づき果実を返還しなければならない。したがって,被上告人は本件バックホーの引渡請求に係る訴えを取り下げてはいるが,上告人が本件バックホーをなお占有していれば,被上告人の右請求が認容される場合に当たるから,上告人は,本件訴え提起の時から引渡しの日まで本件バックホーの果実である使用利益の返還義務を負う。
3 上告人は,民法一九四条に基づき,被上告人に対して代価の弁償を請求することができると解すべきであり,右債務は反訴状送達の日の翌日から遅滞に陥る。
四 しかしながら,原審の右判断のうち2及び3の遅滞時期に関する部分は,いずれも是認することができない。その理由は,次のとおりである。
1 盗品又は遺失物(以下「盗品等」という。)の被害者又は遺失主(以下「被害者等」という。)が盗品等の占有者に対してその物の回復を求めたのに対し,占有者が民法一九四条に基づき支払った代価の弁償があるまで盗品等の引渡しを拒むことができる場合には,占有者は,右弁償の提供があるまで盗品等の使用収益を行なう権限を有すると解するのが相当である。けだし,民法一九四条は,盗品等を競売若しくは公の市場において又はその物と同種の物を販売する商人から買い受けた占有者が同法一九二条所定の要件を備えるときは,被害者等は占有者が支払った代価を弁償しなければその物を回復することができないとすることによって,占有者と被害者等との保護の均衡を図った規定であるところ,被害者等の回復請求に対し占有者が民法一九四条に基づき盗品等の引渡しを拒む場合には,被害者等は,代価を弁償して盗品等を回復するか,盗品等の回復をあきらめるかを選択することができるのに対し,占有者は,被害者等が盗品等の回復をあきらめた場合には盗品等の所有者として占有取得後の使用利益を享受し得ると解されるのに,被害者等が代価の弁償を選択した場合には代価弁償以前の使用利益を喪失するというのでは,占有者の地位が不安定になること甚だしく,両者の保護の均衡を図った同条の趣旨に反する結果となるからである。また,弁償される代価には利息は含まれないと解されるところ,それとの均衡上占有者の使用収益を認めることが両者の公平に適うというべきである。
これを本件について見ると,上告人は,民法一九四条に基づき代価の弁償があるまで本バックホーを占有することができ,これを使用収益する権限を有していたものと解される。したがって,不当利得返還請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づく被上告人の本訴請求には理由がない。これと異なり,上告人に右権限がないことを前提として,民法一八九条二項等を適用し,使用利益の返還義務を認めた原審の判断には,法令の解釈適用を誤った違法があり,右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由がある。
2 本件において,上告人が被上告人に対して本件バックホーを返還した経緯は,前記一のとおりであり,上告人は,本件バックホーの引渡しを求める被上告人の本訴請求に対して,代価の弁償がなければこれを引き渡さないとして争い,第一審判決が上告人の右主張を容れて代価の支払と引換えに本件バックホーの引渡しを命じたものの,右判決が認めた使用利益の返還債務の負担の増大を避けるため,原審係属中に代価の弁償を受けることなく本件バックホーを被上告人に返還し,反訴を提起したというのである。右の一連の経緯からすると,被上告人は,本件バックホーの回復をあきらめるか,代価の弁償をしてこれを回復するかを選択し得る状況下において,後者を選択し,本件バックホーの引渡しを受けたものと解すべきである。このような事情にかんがみると,上告人は,本件バックホーの返還後においても,なお民法一九四条に基づき被上告人に対して代価の弁償を請求することができるものと解するのが相当である。大審院昭和四年(オ)第六三四号同年一二月一一日判決・民集八巻九二三頁は,右と抵触する限度で変更すべきものである。
そして,代価弁償債務は期限の定めのない債務であるから,民法四一二条三項により被上告人は上告人から履行の請求を受けた時から遅滞の責を負うべきであり,本件バックホーの引渡しに至る前記の経緯からすると,右引渡しの時に,代価の弁償を求めるとの上告人の意思が被上告人に対して示され,履行の請求がされたものと解するのが相当である。したがって,被上告人は代価弁償債務につき本件バックホーの引渡しを受けた時から遅滞の責を負い,引渡しの日の翌日である平成九年九月三日から遅延損害金を支払うべきものである。それゆえ,代価弁償債務及び右同日からの遅延損害金の支払を求める上告人の反訴請求は理由がある。そうすると,反訴状送達に先立つ履行の請求の有無につき検討することなく,被上告人の代価弁償債務が右送達によってはじめて遅滞に陥るとした原判決の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり,右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由がある。
五 以上の次第で,原判決のうち,被上告人の本訴請求に関する上告人敗訴部分及び上告人の代価弁償請求に関する上告人敗訴部分は,いずれも破棄を免れず,被上告人の本訴請求を棄却し,上告人の代価弁償に関する反訴請求を認容すべきであるから,これに従って原判決を変更することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 千種秀夫 裁判官 元原利文 裁判官 奥田昌道)
上記の指輪盗難事件に関する昭和4年大審院判決(大判昭4・12・11民集8巻923頁)とバックホー盗難事件に関する平成12年最高裁判決(最三判平12・6・27民集54巻5号1737頁)とを比較検討し,事実関係の違いを明らかにしておくことにしよう。
目的物 | 当事者 | 盗難から発見 までの期間 |
古物営業法(昭和24年法)が 適用されたとした場合の結果 |
||
---|---|---|---|---|---|
売主 | 買主 | ||||
昭和4年大審院判決 | 指輪 経年変化なし |
古物商 | 古物商 | 1年以内 | 被害者は無償で回復可能 |
平成12年最高裁判決 | バックホー 経年変化あり |
古物商 | 建設業者 | 1年以後2年以内 | 被害者は有償で回復可能 |
2つの判例が前提とする事実について,上の表のように,目的物,当事者,盗難から発見までの期間という属性で比較してみると,事件の性質の違いが浮き彫りとなることがわかる。
そして,最高裁判決によって判例変更されたとされる昭和4年の大審院判決も,現在の時点で再度判決をやり直したとしても,その場合には,古物営業法の適用によって,判決の結論はそのまま維持されることになることも明らかである。
判例変更がなされたとされる事例においても,その事案をつぶさに検討すると,その事案に特有の事実により,現在の時点においても,その判決の結論が維持される場合は少なくないのである。
最高裁平成12年判決は,民法194条の場合につき,所有権の帰属について,全く判断しないまま,取得者に対して使用収益権と代価弁償請求権を認めた。
しかし,最高裁の見解は,以下の2点のいずれについても,明らかに取得者帰属説に有利である。
それにもかかわらず,最高裁は,なぜ,所有権の帰属について判断しないまま,上記の結論を導くに至ったのであろうか。
質問3 本件において,本件機械は,被害者Xのものか,それとも,取得者Yのものか。本件に関して,最高裁判所が,所有権の帰属について判断をしなかった理由は何か。 |
条文 要件 盗難・遺失の時から2年間が経過するまでの効果 判例の考え方(原所有者帰属説) 通説の考え方(取得者帰属説) 民法193条 盗品・遺失物を公の市場ではなく,特殊のルートで取得した場合 被害者・遺失主 取得者 被害者・遺失主 取得者 盗難・遺失の時から2年間は,所有権を有する。
したがって,所有権に基づき回復請求ができる。盗難・遺失の時から2年間は,無権限占有者に過ぎない。 取得者の即時取得によって,所有権を失う。
しかし,無償で回復する請求権を有する
(説明としては苦しい)所有権を即時に取得する。
しかし,被害者・遺失主の返還請求に応じなければならない。
(説明としては苦しい)民法194条 盗品・遺失物を公の市場または同種の物を販売する商人から善意で買い受けた場合 被害者・遺失主 取得者 被害者・遺失主 取得者 盗難・遺失の時から2年間は,所有権を有する。
しかし,代価を弁償しないと回復請求をなしえない。
(説明としては苦しい)盗難・遺失の時から2年間は,無権限の占有者に過ぎない。
しかし,代価の弁償を受けるまで,被害者・遺失主の返還請求を拒絶する抗弁権を有する。
(本件の場合不都合が生じる)所有権を失う。
しかし,代価を弁償して所有権を再取得できる。所有権を即時に取得する。
しかし,被害者・遺失主が代価を弁償した場合には,所有権を失う。
最高裁は,平成12年判決によって,民法194条の取得者に盗品の使用収益権を認め,かつ,取得者が盗品を被害者に返還した後も,代価の弁償を請求できると判断したのであるが,このことの根拠としては,民法194条の取得者は,即時に所有権を取得すると考えれば,簡単に説明がつく。
それにもかかわらず,最高裁が,所有権の帰属について,全く判断を下すことなく,上記の結論を導くに至ったのは,以下の理由に基づくと推察される。
質問4 Yは,代金300万円の弁償を受けるのと引き換えに盗品である本件機械をXに返還しなければならない(民法194条)。その際,Xの訴えの提起から本件機械を被害者Xに返還するまで,1カ月につき22万円の使用利益を支払わなければならないか(条文には規定がない)。 |
本件の使用利益に関する最高裁の判断に対しては,結論に賛成する学説もある(野口恵三・NBL703号(2000年)66(69)頁,油納健一・銀行法務21 591号(2001年)64(67)頁)。しかし,最高裁の結論の妥当性について,反対する学説も少なくない。例えば,好美清光・民商124巻4・5号723頁(2001年)733頁は,以下のように,最高裁の判断を厳しく批判している。
Yは,Xに物を返還する際に,無権利第三者に支払ったその購入代金をXに弁償させることができるのであるから,193条の場合と異なり,Yは何ら酷な状況に陥ることはない。のみならず,後にもみるように,Yはその使用によって価値の低下した機械を返せば足りるほか,その間の使用利益を返還しなくてもよいとなると,その分,丸もうけをするのである。他方,Xは,もとはといえば自分の物を取り戻すのに300万円も支払ううえに,Yの2年8ヶ月間の営業用の使用によって価値の低下させられた物を取り戻せるだけというのでは,大損である。価値の低下した機械のほか,その価値の低下をもたらしたYの使用利益相当額まで返還させなければ,Xの弁償する300万円と対応しないはずである。
占有者の使用利益 | 被害者が回復を求めない場合 | 被害者が回復を求める場合 | |
---|---|---|---|
最高裁 の考え方 |
使用利益のみに着目(両者の公平に適う) | 使用利益を取得できる。 | 右と同じく,使用利益を取得できると解すべきである。 |
最高裁 への批判 |
使用利益のみに着目(結論を逆にしても両者の公平と均衡を達しうる)(佐賀徹哉・ジュリ1202号58頁) | 左と同じく,使用利益を被害者に返還させるべきである。 | 使用利益を被害者に返還させるべきである。 |
使用利益と対価との関係に着目(最高裁の判断は両者の公平と均衡を達成していない)(加賀山茂) | 売主に代金300万円を支払って,有償で,使用利益を取得できる。 | 売主に支払った300万円を被害者から全額回収できるため,結局,( )で,使用利益を取得できることになる。 |
最高裁の判断は,被害者が盗品の回復をあきらめたときと,被害者が盗品の回復を請求した場合とを比較し,被害者が盗品の回復をあきらめた場合にも,被害者が盗品の回復を請求した場合にも,占有者には,使用利益が教授できると考える方が,被害者の保護と占有者の保護との均衡が保たれると考えている。
このように,占有者が使用利益を享受できるかどうかという観点から見ると,最高裁の判断は,均衡を保っているように思われる。しかし,使用利益を得るために,占有者がどの程度負担をしているかという観点をも考慮してみると,この均衡は,全くの見せかけであることがわかる。
なぜならば,被害者が回復を求めない場合と被害者が回復を求める場合との比較を,最高裁のように,単に使用利益を取得できるかどうかという点に限定するのではなく,どの程度の対価の支払いによって使用利益を取得するのかという観点から,上のような比較対照表を作成してみると,最高裁の判断がいかにバランスを欠いたものであるかが明らかとなるからである。
質問5 法律を度外視した場合,窃盗者の行方が不明な現状において,XとYとの関係で,どのような解決をするのが最も妥当と思われるか。 |
バックホー事件について,入学したばかりの1年生が考えた解決案
Xの義務 Yの義務 備考 人数 XはYが支払った物件の代価である300万円を支払わなければならない Yは使用利益を支払わなければならない A 1審・2審の見解と同じ(使用利益の額が問題) 法律家の予想の範囲内 57 Yは使用利益を支払わなくてよい B 最高裁の見解と同じ(Yに有利) 30 Xは300万円ではなく,物件の現価・市価を支払えばよい Yは使用利益を支払わなければならない C 新説(Xに有利過ぎる) 8 Yは使用利益を支払わなくてよい
(使用利益は現価・市価で考慮済み)D 新説(妥当・しかし学説にはなりにくい) 60 XはYと対等額(例えば150万円)を支払わなければならない Yは対等額(例えば150万円)を支払わなければならない E 新説(法的根拠がないため,学説・判例にはなりえない) 法律家の予想を超える 24 XはYに金銭を支払わなくてよい Yは使用利益を支払わなければならない F 新説(Yにとって酷過ぎる。民法193条の問題ではない) 1 Yは使用利益を支払わなくてよい G 新説(Yに酷。結果的に民法193条の問題となってしまう) 20 XとYとが話し合って決めればよい,Xは回復請求できない等 H 説としては,論外 2
コメント 回答を分析してみると,考えうる全ての説が出揃ったとの感がある。学生諸君の素晴らしい可能性に脱帽。法律を度外して考えるとこれほどまでに柔軟な思考が可能なのだということを改めて認識することができた。以下は,法律家としてのコメントである。
A: 本訴の第1審,第2審判決がこの考え方である。使用利益については,第1審は,30万円/月,第2審は,22万円/月と変化している。この考え方を推し進め,使用利益を使用損としての減価償却分と一致させることができれば,使用利益=使用損という妥当なラインに落ち着く。このことが正当化されれば,結果的には,A説とD説とは,同一の結果となる。
B: 本訴の最高裁判決がこの考え方を採用した。一見,民法194条の趣旨を生かし,Xが回復をあきらめた場合と,回復を求めた場合とのバランスを考慮した妥当な判断のように見えるが,Yは,使用利益=使用損を支払わずに,まるまる取得対価の補償を受けることになり,Yに有利なバランスを欠く見解であろう。
C: Yは,使用損を減額された上に,使用利益を支払わされることになり,Yにとって非常に不利な見解である。
D: 結論は妥当であり,立法論としては,最も適切な見解と思われる。しかし,民法194条の解釈として,「占有者カ払ヒタル代価」を現価・市価と読み替えることは,解釈の枠を超えていると言わざるを得ない。したがって,解釈として,このような見解をとる学説は,現在も存在しないし,多分,将来も現れないと思われる。
E: 両当事者の公平を重んじた見解であるが,何故,損失を痛み分けしなければならないのか説得力がなく,法律上もその根拠を欠くため,裁判で採用されることはないと思われる。多分,法律の専門家が絡んだ場合には,和解でも採用されることはないであろう。
F: 両者とも金銭的負担をせずに,所有者であるXに物件を返還させるという考え方である。民法193条の場合ならいざしらず,民法194条の場合に,このような解決をすることは,民法194条の存在理由を失わせてしまう。
G: 民法193条の場合であれば,これでよい。本件の問題は,民法194条の問題である。Yには代価も入らず,使用利益だけ支払わなければならないというのでは,余りにもYに酷である。
H: XとYとが話し合って決めようとしても,基準がなくては,話がまとまらない。話をまとめるための基準を設定するのが法の意味である。法を押さえた上で,話し合いで決めるのは自由であるが,基準を決めないままで話し合いをすれば,声の大きい者か力の強い者がゴリ押しをするに決まっている。
質問6 最高裁が,善意取得者は代価の弁償を請求できるとともに,その盗品について,使用収益権を有すると判断するに至った理由を自分の理解できる範囲で簡潔に答えなさい。 |
盗品又は遺失物(以下「盗品等」という。)の被害者又は遺失主(以下「被害者等」という。)が盗品等の占有者に対してその物の回復を求めたのに対し,占有者が民法一九四条に基づき支払った代価の弁償があるまで盗品等の引渡しを拒むことができる場合には,占有者は,右弁償の提供があるまで盗品等の使用収益を行なう権限を有すると解するのが相当である。けだし,民法一九四条は,盗品等を競売若しくは公の市場において又はその物と同種の物を販売する商人から買い受けた占有者が同法一九二条所定の要件を備えるときは,被害者等は占有者が支払った代価を弁償しなければその物を回復することができないとすることによって,占有者と被害者等との保護の均衡を図った規定であるところ,被害者等の回復請求に対し占有者が民法一九四条に基づき盗品等の引渡しを拒む場合には,被害者等は,代価を弁償して盗品等を回復するか,盗品等の回復をあきらめるかを選択することができるのに対し,占有者は,被害者等が盗品等の回復をあきらめた場合には盗品等の所有者として占有取得後の使用利益を享受し得ると解されるのに,被害者等が代価の弁償を選択した場合には代価弁償以前の使用利益を喪失するというのでは,占有者の地位が不安定になること甚だしく,両者の保護の均衡を図った同条の趣旨に反する結果となるからである。また,弁償される代価には利息は含まれないと解されるところ,それとの均衡上占有者の使用収益を認めることが両者の公平に適うというべきである。
これを本件について見ると,上告人は,民法一九四条に基づき代価の弁償があるまで本バックホーを占有することができ,これを使用収益する権限を有していたものと解される。したがって,不当利得返還請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づく被上告人の本訴請求には理由がない。これと異なり,上告人に右権限がないことを前提として,民法一八九条二項等を適用し,使用利益の返還義務を認めた原審の判断には,法令の解釈適用を誤った違法があり,右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由がある。
考慮事項 最高裁の理由 Xが回復を求めた場合と回復を断念した場合とのバランス A Xが回復を求めるかあきらめるかの選択権を持っているのに対して,Yの地位は不安定であり,Xがどちらを選択しても,同じ利益を保持すべきである。 B Xが回復をあきらめた場合には,Yは使用利益を保持しうる。
Xが回復を請求した場合にも,Yは使用利益を保持しうると解すべきである。Yの代価請求に利息がつかないこととのバランス C Yに補償されるべき代価には,取得から回復までの間の利息がつかない。 D 代価に利息がつかないのと引き換えに,使用利益はYが保持すべきである。
質問7 原審では,民法194条の善意取得者は,盗品について使用収益権を有しないと判断されたのであるが,それは,民法194条の解釈として,何解釈を採用したのであろうか。
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原審判決の概要
本件バックホーの売主Bは,民法194条所定の「同種ノ物ヲ販売スル商人」にあたる。また,Yは,本件バックホーをBから買い受けるにあたり,善意であったとものというべきであり,過失があったということはできない。
民法189条2項は,占有者が本権者に対し占有物の返還をするときに,その占有者が善意であったとしても,本権者から占有物の返還請求訴訟を提起され,その訴訟において本権者に返還請求権があると判断される場合には,訴え提起の時から悪意の占有者であるとみなし,その時からの果実を本権者に返還させるという趣旨の規定である。しかるところ,民法194条の適用がある場合には,本権者としては,占有者に代価を弁償すれば,占有者に対し占有物の返還を請求することができるのであるから,その場合には,占有者が本件の訴えに敗訴した場合と同様に,占有者は,訴えの提起のときからの果実を本権者に返還すべきものと解するのが相当である。
Yは,本件バックホーの月額リース料を考慮して,1カ月22万円の割合で,平成8年8月21日(XのYに対する訴え提起の日)から平成9年9月2日(YからXへの本件機械の引渡の日)までの間の使用利益に相当する額273万2,258円を支払う義務がある。Yは,代価として300万円と遅延損害金の支払を求めることができる。
原審の解釈方法(194条の事案に関する189条2項の類推解釈)
原審は,民法194条には使用利益に関する規定がないため,占有者の果実に関する民法189条,190条が適用ないし準用されるとした。この点はよいてしても,194条の本権の訴えにおいて,Yは勝訴している(本件において,Yの300万円の請求は認められているし,理論的にも,民法194条の場合,本権(所有権)は,Yにあると考えざるをえない)。それにもかかわらず,原審は,本件において,Xに返還請求権があるのであるから,たとえ,Yに代価の弁償が認められる(Yは勝訴している)としても,Yは,本権の訴えに敗訴した場合と同じように解するとしている。
これは,189条2項の条文の要件を厳密には充足していない(Yは,273万2,258円の使用利益の支払請求では敗訴しているが,300万円の反訴請求で勝訴している)にもかかわらず,結論だけを利用するために,事案が似ているとして,189条2項の適用を正当化するものである。したがって,原審判決は,民法194条が適用される場合に,使用利益に関しては,民法189条2項,190条が類推できるとした判決であると考えるべきであろう。
質問8
最高裁では,民法194条の善意取得者は盗品について,使用収益権を有すると判断されたのであるが,それは,民法194条の解釈としては,何解釈を採用したのであろうか。いずれかを選び,その理由を書きなさい。
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上告人(Y)は,民法194条に基づき代価の弁償があるまで本バックホーを占有することができ,これを使用収益する権限を有していたものと解される。したがって,不当利得返還請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づく被上告人の本訴請求には理由がない。これと異なり,Yに右権限がないことを前提として,民法189条2項等を適用し,使用利益の返還義務を認めた原審の判断には,法令の解釈適用を誤った違法があり,右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。
民法194条が適用される場合には,取得者は,代価の弁償があるまで,法律の規定に基づいて,正規の占有権限を有する。Yが支払った対価を弁償しなければ,盗品・遺失物の回復ができないと規定しているのは,Yにその間の占有権限を認めているからに他ならない。したがって,最高裁によれば,正権限を有しない占有者について規定している民法189条はそもそも適用されないことになる。
最高裁の解釈方法は,原審が民法189条2項が適用される結果,民法190条1項の適用を認める判断を行ったのを否定したものであり,民法190条1項の反対解釈を行ったものということができよう。
ところで,民法194条の場合というのは,Yの立場からすると,300万円を支払ってBから目的物を取得したにもかかわらず,被害者Xから300万円を弁償されるとはいえ,Xによって権利を追奪されるのであり,Bとの間の売買契約を第三者によって解除されたようなものである。
そして,まさに,民法561条の追奪担保責任によって契約が解除された事案に関しては,最高裁は,買主は,解除までの間目的物を使用したことによる利益を売主に返還すべき義務を負うとの判断を下している(最二判昭51・2・13民集30巻1号10頁)。
この場合の買主は,解除されるまでは,代金を支払って,目的物を占有していたのであり,本件の判決と同じ法理を用いるのであれば,買主は,使用収益権を有するのであるから,使用利益を返還しなくてもよいことになるはずである。つまり,使用利益に関する最高裁の判断は,一貫性を欠いており,発展途上にあると考えざるを得ない。
これまでの法学教育は,学説を通じて法の体系を教授したり,判例の法理を教示したりすることが中心で,学生の主体的な学習とそこから生まれる創造性を育てる教育を志向しなかったように思われる。
法科大学院においては,単に,既存の法解釈の方法をマスターするだけでなく,新しい問題に対応して,具体的に妥当で,論理的にも説得力に富む創造的な解決案を提示できる学生を育成していかなければならない。
その際のポイントは,基本を教えることと,創造性を伸ばすこととを別次元のものと考え,まずは,基本をマスターさせ,それが出来上がってから,初めて創造性を伸ばすというような方法論をとらないということである。
既存の体系や学説や判例の法理を教育するときも,学生には,良い教材を与えて,あらかじめ学ばせておき,講義を通じて,それらの法理を学生達に発見させるという方法を採用すべきである。このような新しい法学教育によって学んだ学生達は,その延長線上において,真の創造性を獲得することができるであろう。
従来の法学教育論の欠陥は,他学部から法学部に転部してきた学生にはよく見えるようである。以下は,法学部の教師と他学部から転部してきた学生との間の対話である。従来の法学教育においては,学生の創造性が抑圧されていることがよくわかる。
学生T:先生,社会学部から,3年生で法学部へ編入してきてびっくりしたことがあります。
教師K:どんなことですか。
学生T:先輩と議論していたのですが,「結局,君は,何説をとるの?」といわれたんです。
教師K:それで,どうしてびっくりしたのかな?
学生T:以前の社会学部では,いろいろな学説を押さえることは必要ですが,一つの学説に加担していたのではダメでした。いろいろな学説や文献データを消化しつつ,自分の言葉で,自分の見解を述べることができるようになって,初めて,一人前と見られるんです。
教師K:法学部の学生にもそうなってほしいと,ゼミの発表では,「レジュメを読むな。みんなの顔を見て,自分の言葉でしゃべりなさい」とうるさく言っているんだけど,なかなかうまくいかないね。
学生T:法学部では,なかなかいい成績が取れなくて,ゼミのH先輩に相談したら,次のようなアドバイスを受けました。
通説・判例とか,出題者の説とか,ある説に従って答案を書くと,いい点がもらえるけど,自分の考えを述べると減点されるのでやめた方がいい。自分の意見なんて百年早いと思われるだけだから。
そのアドバイス通り,自分の意見は書かないで,ある学説だけに従って答案を書いたら,初めて,「優」がいただけました。
「優」はうれしかったけど,これまで社会学部でやってきた「自分の言葉で表現する」って,何だったんだろうと落ち込んじゃいました。
教師K:法学部に来て,びっくりしたというより,落ち込んだんだ。でもね。法学部の中にも,今の法学のあり方に疑問を持ち始めている人も少しはいるんだ。太田勝造さんの『法律(社会科学の理論とモデル)』東大出版会(2000))X-Y頁を読んでごらん。次のようなことが書かれているから,元気が出るかも。法律学も少しずつ,変わっていくと思うよ。新しくできる法科大学院では,君のような他学部の学生が増えるから,こんな「リーガル・マインド」は,通用しなくなるだろうね。
社会科学を学び,理論,仮説,検証・反証という社会科学のマインドを身につけた者からみると,法律学の議論は,カルト教義と区別がつかないように思われるかもしれない。
法律学における「理論」とは,仮説を構築し,検証・反証に曝すための理論ではなく,とりたてて根拠があるとは限らないようなドグマ(教義)の「体系」であり,これを信じて他者に使えるようになることが法律学を身につけることである。
法律の分野では,このような法律学を身につけることを「リーガル・マインドを修得することである」という。法学部の学生たちは,これを「リーガル・マインドコントロールだ」と揶揄する。
先のケース・メソッドにおいても,学生の創造性を伸ばすような質問を考えてきたのであるが,先の最高裁判決を例にとって,学生達の創造性をさらに発展させるための方法について,考察することにしよう。
被害者(X)の利益と取得者(Y)の利益のバランスをとろうと思うのであれば,Xの使用による損失(本件機械の使用による減価)およびYの使用利益(結果的に本件機械を無償で使用できることになる利益)とを考慮して,適切な解決策を見出さなければならない。
一つの試みは,Xの利益を減価償却理論を用いて,推定する方法である。減価償却の理論(定率法)によれば,本件機械の価値の変動を全ての時期において推定することができる。例えば,原審の事実認定によれば,本件機械の製造時の価格は1,000万円であり,2年半で半額になるという。そうだとすると,本件機械の減価償却によるある時期の現在価値(Vm)は,初期値V0=1,000万円,耐用年数n=8年として,以下の数式で表現することが可能である。
Vm=V0*0.1^(m/n)
この計算式によって計算すると,本件機械の価格の変動は,それぞれの時期に応じて,以下のように推定される。
年 | 月 | 経過月数 | 本件機械の状況 | 減価償却 価額(万円) |
---|---|---|---|---|
1992 | 6 | 0 | 製造年月 | 1,000 |
1994 | 10 | 28 | 本件機械の盗難 | 511 |
1994 | 11 | 29 | Yが300万円で購入 | 499 |
1996 | 8 | 50 | Xが訴えを提起 | 301 |
1996 | 10 | 52 | 盗難より2年経過 | 287 |
1997 | 7 | 61 | 第一審判決 | 232 |
1997 | 9 | 63 | YがXに本件機械を返還 | 221 |
1998 | 4 | 70 | 第二審判決 | 187 |
2000 | 6 | 96 | 最高裁判決 | 100 |
この表によれば,Yが本件機械を取得してから,Xに返還するまでの間の34ヶ月の間に,物件の価額は,499万円から221万円へと減少しており,その間の減価償却分,すなわち,499万円−221万円=278万円の損失を蒙ったことになる。
この損失部分をYがそのまま利得したとすると,Yは,取得代価の300万円の補償を受けるとともに,利得と推定される278万円をYに返還しなければならず,結局,Yは,民法194条の立法趣旨に反して,22万円しか補償を受けないことになってしまう。
しかし,Xが本当に278万円の損失を蒙ったかどうかを考えてみると,本件機械は,盗難にあわなかったとしても,減価償却されていくものであり,Xが購入していた時点で,誰かに正規のルートで売れていたかどうかも確かではない。むしろ,Xの損失は,Xが盗難にあった本件機械を発見し,Yに対して返還を求めた時点における価額(301万円)を基準として,301万円−221万円=80万円と考えることの方が適切であろう。
そうだとすると,本件の場合,Xは,民法194条に基づき,Yの取得代価300万円をYに弁償するのと引き換えに,Xは,80万円の使用損をYに請求することができると解するのが妥当であるということになろう。そして,この結論は,偶然にも,Xは,Yに対して,目的物の取得代価ではなく,目的物の減価償却を考慮した価額である221万円をYに支払えばよいというのと,結果的には,ほぼ同じとなる。
質問9 バックホー事件を通じて学んだことを生かして,民法194条の自分なりの改正案を口語体で表現してみなさい。そして,それが,民法194条の何解釈に当たるかを考えて見なさい。 |
民法194条の「占有者カ払ヒタル代価」という文言について,本件の事案を適切に解決しうるように解釈を行うために,まず第1に,理想的な解決方法を提言し,その提言を法文の形にまとめる作業をしてみよう。そして,その提言の文言と民法194条の文言との間のギャップを埋めるためにはどのような解釈がありうるかを考えてみよう。そのことを通じて,解釈の範囲で解決できる問題か,それとも,立法による解決が必要であるかを判断することにしよう。
バックホー盗難事件に関して,具体的な妥当性を確保するためには,以下の2つの解釈方法が考えられる。
上記の解釈論を踏まえて,誰でも理解でき,解釈の幅の少ない明確な法文を民法194条の修正案という形で表現してみることにしよう。まず,民法194条を口語化し,次に,バックホー盗難事件において具体的な妥当性を実現するだけでなく,今後予想される一般的な問題の解決に耐えうると思われる修正案を考えてみることにしよう。
これまでの問題は,すべて,これまでに下された判決を素材として作成されたものである。もちろん,このような解決策が示されている判例を研究することによっても,学生にとっては,これまで学んできたことが,自分の頭の中で整理され,実際に使える知識へと変わっていくと同時に,誰も答えていない問題に直面することを通じて,創造力が養われることになる。
しかし,すでに解決がなされた問題を解くだけでは,真の創造性は発展しない。創造性教育を進展させるためには,判例研究と並行して,未だ,解決がなされていない実際の紛争について,法的な解決案を提示する能力を養うことが重要である。
この点で,例えば,国民生活センターをはじめとする各地の消費者生活センターに蓄積された消費者苦情に関する事例が参考となる。これらの問題に関して,グループを組んで,解決策を議論することを通じて,学生たちの創造性は,飛躍的に向上するものと思われる。