作成:2010年1月4日
明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
2009年12月に,「法科大学院コア・カリキュラム調査研究」グループによる「法科大学院コア・カリキュラム第1次案モデル案」(http://www.congre.co.jp/core-curriculum/result/index.html)が公表された。このコア・カリキュラムモデル案は,法科大学院における学生の共通の到達目標としての意義を有しており,学生が予習する場合に,どれだけの予習をしておけばよいかという目安になるばかりでなく,復習においても,到達目標に到達しているかどうかを確認するためにも,さらには,司法試験の受験勉強を進めるに際しても,極めて重要な意義を有する。
この共通到達目標(コア・カリキュラム)モデル案は,本来は,法科大学院の各教員が,自らの創意と工夫によって作成して学生に示すべきものであろう。しかし,各法科大学院で達成目標にブレがあると,学生達にとってはそれが一種の不安材料となりうる。したがって,全国共通の到達目標が示されることは非常に有益であり,法科大学院に共通の到達目標が示されたことは高く評価されるべきである。
筆者は,本年度末の最終講義において,このコア・カリキュラムにしたがって講義を展開してみたところ,当初の予定よりも,ほぼ2分の1の時間で講義を終えることができた。その結果,学生との質疑を十分にとることができた。このことから考えても,今回公表されたコア・カリキュラムモデル案が,全国の法科大学院における講義の効率化に資することも確実であると思われる。
しかし,このような重要な意義を有するコア・カリキュラムモデル案であるだけに,到達目標の選定作業に際しては,客観的な選定基準(方法)が作成され,それに基づいて到達目標項目が客観的に選定されることが何よりも重要である。
ところが,今回公表されたコア・カリキュラムモデル案に対する意見を募集する<意見要領>にも,「共通的到達目標(コア・カリキュラム)モデル案作成の基本的な考え方」においても,到達目標がどのような具体的な基準によって選定されたのかは,全く示されていない。
そのような客観的な基準(方法)が示されていない限り,内容の適否を判断することは困難であり,公表された第1次案に対して評価を加えたとしても,それは,恣意的な評価を加えることになるに過ぎない。
例えば,公表された第1次案には,債権の対外的効力として重要な債権者代位権(民法423条),および,詐害行為取消権(民法424条〜426条)は,完全に脱落している(筆者は,致命的な欠陥だと考える)が,そうだからといって,草案作成グループが,これらの制度は,債権法改正によって削除されるべきであるという考え方に組していると評価するのは早計であろう。急いで作成されたためであろうか,見出しの重複(21頁,25頁,39頁,40頁),同じ文章の重複(44頁),また,誤字・脱字(23頁,26頁,31頁,53頁67頁)も散見されるが,これらも,公表された草案の内容の評価を傷つけるものではなかろう。
「よくできている」,「まあまあよくできている」,「あまりよくない」,「よくない」という評価が集まったところで,そのような評価は評価基準が示されていないのであるから,意味がない。また,この第1次案に対する意見を求めるに際して,修正意見,削除意見,追加意見を寄せることが要望されているが,どのような基準に基づいて修正したり,削除したり,追加したりするのか,理由を示さずに意見を述べても,それも無意味である。
要するに,今回の意見募集は,出来上がった成果だけを公表して,一般から意見を聞いたという体裁を整えるためだけに行われているとしか考えられない誠意のない意見募集である(期間も年末から1月27日までのわずか1ヶ月に限定されている。それでは,専門家でも,詳しく検討する時間的な余裕もなかろう)。肯定的な意見だけを取り入れて,コア・カリキュラムモデル案を正当化するのに利用されるのがせいぜいであり,否定的意見を述べたところで,それが聞かれるかどうか,何の保証もない。例えば,全部削除または全面的に修正すべきであるという意見があるとしよう。その場合の削除または修正すべきかどうかの判断根拠について,理由を示す立証責任がどちらにあるかも示されていない。本来は,コア・カリキュラムモデル案を示す方が,まず,その正当事由について理由を述べるのが筋であり,そのような理由が示されている場合にのみ,修正・追加・削除等の意見を述べる側が,それらの理由を明らかにすることが求められるはずである。理由も述べずに提出された提案に対して,否定の意見が出た場合には,正当化の理由は,すべて,提案者にあると考えるのが筋であろう。
筆者は,最初に述べたように,法科大学院の共通の到達目標(コア・カリキュラム)を作成することに賛成である。しかし,全国の法科大学院に共通の到達目標を作成するのであれば,作成に際しては,到達目標のすべての項目について,その選定理由,すなわち,選定基準とその方法を明らかにする必要があると考える。結論を示しただけでは,意味がない。なぜなら,それについて,評価する基準も定まらないからであり,最終的に出来上がったものも,法科大学院の共有財産とはなりえないからである。
そこで,本稿では,2009年12月に公表された「法科大学院コア・カリキュラム第1次案」とは異なり,コア・カリキュラムモデル案を作成するに際して,以下のような客観的な選定基準(選定方法)が必要であることを示すことにする。
今回公表されたコア・カリキュラムモデル案を見てから1ヶ月にも満たない状況では,その全体像を把握するのが精一杯であり,全体について対案を作成することはできない。したがって,本稿では,筆者が法科大学院で実際に講義を行っている民法の担保法の分野のうち,学生が苦手とする留置権の分野に限定して,以上の問題について筆者の考え方,実際の作業を示すことによって,筆者の対案(客観的な方法で作成された到達目標)とそれに基づくコア・カリキュラムモデル案に対する評価(全部修正案)を示すことにする。
先に述べたように,今回の意見募集に対しては,コア・カリキュラムモデル案の項目選定理由を質すために,全面削除案という意地悪な回答をしたいところであるが,この論文では,あえて,こちらから提案理由に関する立証責任を引き受けた上で,それに対する対案を示すことによって,建設的な意見交換に資することにする。
法科大学院に共通の到達目標を作成するに当たっては,第1に,それが法科大学院の教育目標に適合的であることが求められる。そして,法科大学院の教育目標としては,司法制度改革審議会の意見書(2001)にある以下の教育目標が参照されるべきである。
専門的な法知識を確実に習得させるとともに,それを批判的に検討し,また発展させていく創造的な思考力,あるいは,
事実に即して具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する[改革審・意見書(2001)]。
この教育目標を一言で言えば,「解決すべき事案に対して,法曹(弁護士,検事,裁判官)と同じように考えることのできる能力」を習得することであるとまとめることができよう。このとは司法試験法3条においても,その目的は,以下のように,「法曹に必要な専門的な法律知識及び法的な推論の能力」を判定することにあると表現されており,本稿では,以上のことを前提として議論を進めていくことにする。
司法試験法3条1項によれば,短答式試験は,法曹に必要な「専門的な法律知識及び法的な推論の能力を有するかどうか」を判定することを目的としており,同法同条2項によれば,論文式試験は,法曹に必要な「専門的な学識並びに法的な分析,構成及び論述の能力を有するかどうか」を判定することを目的としている。両者を比べてみると,用語に多少の違いはあるものの,法曹に必要な「専門的な法知識及び法的推論の能力を有するかどうか」を判定するという目的においては,短答試験と論文試験とで異なるところはない。つまり,司法試験法には,短答試験が基本問題であり,論文試験が応用問題であるとの規定は存在しないばかりか,短答式においても,論文式においても,司法試験においては,等しく,「知識を有するかどうかの判定に偏することなく,法律に関する理論的かつ実践的な理解力,思考力,判断力等の判定に意を用いなければならない」(司法試験法3条4項)とされている。
上記の改革審の教育目標においては,具体的な法的問題を解決していくために必要な能力として,「法的分析能力」と「法的議論の能力」とが挙げられている。「法的分析能力」とは,事実関係を,法律の条文に書かれた要件と効果を参考にして,結論を導くことができるような論理へと変形する能力のことである。「法的議論の能力」とは,対審構造での弁論能力のことである。言い換えると,原告の立場でも,正反対の被告の立場でも,それぞれの主張につき,法律の条文に基づいて主張を根拠づけ,正当化ができる能力のことであり,両当事者の矛盾する厳しい議論を通じて,さらに高度な結論を導くことのできる能力のことである。ここでは,法的分析能力に絞って議論することにする。
法科大学院の教育目標として学生に獲得させるべき法的分析能力は,法律学に限らず,その他の学問においても,問題解決能力として重要な意味を有している。ここでは,最初に,問題を解くことを主要な課題としている数学をとりあげ,一次方程式を使って応用問題を解くという,数学の簡単な問題の解き方を例にとって,法律学における問題の解き方との共通点を見ておくことにする。
なお,以下の設例は,法律学の山を超えて目標に到達しようとする学生の姿をもじって筆者が作成したものである。
上り道は8km,下り道は12km,合計20kmの山道を自転車で2時間で到着する目標を設定したとする。体力的に,上りと下りの時速は,1対3(下りのスピードは,上りの3倍のスピード)とすることができることがわかっているとした場合に,上りの時速と下りの時速をいくらに設定すればよいか。 | |
*図1 上りと下りの時速を求める問題 |
目標は自転車で20kmの山道(上り8km,下り12km)を2時間で走破するためには,時速をどのように設定するかである。そして,その制約条件は,上りと下りの時速は1対3というものである。
いきなり,上りの時速と下りの時速を求めようとしても,答えは簡単には得られない(暗算では無理であろう)。そうではなく,問題をよく読み,そこに出ている事実関係を答えがでるような論理(方程式)へと変形することが重要である。本問の場合,距離と時間と時速との関係に関する公理だけを使い,「上りの時間+下りの時間=2時間」という論理(方程式)にまとめることができれば,後は,計算だけで,自動的に答えを導くことができる。
「上りの時間+下りの時間=2時間」というと,何を当たり前のことを言っているのだと思われるかもしれない。しかし,この論理を作るだけで,問題が自動的に解けるのであるから,この問題にとって重要な論理なのである。ここで注意しなければならないことは,「(所要)時間=2時間」とは書いていないことである。上りと下りとでは,速度が異なるので,そこを区別して書かなければならない。重要な差異を見落とさず,区別している点が重要なのである。
この点は,法律学の場合,問題となる事実の中から重要な事実(区別された要件)だけをピックアップし,かつ,条文が適用できるような論理へと変換する作業をすることが重要であるのと全く同じである。
全体の論理(上りの時間+下りの時間=2時間)が出来上がったので,次は,上りと下りの時間を数学的に表現することが必要となる。この場合の前提知識は,@時速の定義(時速(km/h)=距離(km)/時間(h))であり,これを変形すれば,A時間と時速から距離を求めることもできるし(距離(km)=時間(h)×時速(km/h)),また,以下のようにして,B距離と時速から時間を求めることができる。
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これを使って,「上りの時間+下りの時間=2時間」という論理を正確に表現することが可能となる。すなわち,「(上りの距離/上りの速度)+(下りの距離/下りの速度)=2時間」となる。
ここで,求める解の1つである上りの時速をx(km/h)と仮定する。そうすると,下りの時速は,3倍であるから,3x(km/h)となる。
方程式とは,変数を使って等しいものを等号(=)で挟んで書いたものである。変数の数に対応する方程式を作ると,後は,等式の計算だけで解答を得ることができる。
今回の論理は,「上りの時間+下りの時間=合計時間(2時間)」である。これを先に仮定したxを使って方程式として表現すると,上りの時間は,「上りの距離(8km)/上りの時速(x(km/h))」で表現できる。下りの時間は,同様にして,「下りの距離(12km)/下りの距離(3x(km/h))と表現できる。したがって,問題文の事実関係を論理で表現し直した方程式は,以下のようになる。
出来上がった式は,難しそうに見えるが,この式の論理は,あくまで,「上りの時間+下りの時間=2時間」という実に単純なものである。あとは,これを等式の計算方法にしたがって機械的に計算すればよい。答えは自動的に求めることができる。
答え:上りの時速は6km/h,下りの時速は上りの3倍の18km/h。このように設定すると,山道を越えて目的地に2時間で到達できる。
検算:上りの時間:8(km)/6(km/h)=80分,下りの時間:12(km)/18(km/h)=40分,合計120分=2時間
応用問題:体力を考えて,下りのスピードを上りのスピードの3倍ではなく,2倍に設定したいとする。この場合には,上りの時速と下りの時速とをいくらに設定すればよいか。同じようにして問題を解くと,上りを時速7km,下りを時速14kmとすればよいことがわかる。
逆に,下りのスピードアップして,上りのスピードを4倍,5倍,6倍にした場合には,上りの時速と下りの時速はいくらにすればよいだろうか。各自でこの問題を解いて,検算をしてみるとよい。結果は,以下の通りとなる。
上り8kmの速度 | 下り12kmの速度 | 所要時間 | |
等速 | 10km/h | 10km/h | 2時間 |
2倍速 | 7km/h | 14km/h | |
3倍速 | 6km/h | 18km/h | |
4倍速 | 5.5km/h | 22km/h | |
5倍速 | 5.2km/h | 26km/h | |
6倍速 | 5km/h | 30km/h |
上記の応用問題の答えを出すことができたら,なぜ,このような方程式の応用問題を解くことができたのかを振り返ってみよう。すなわち,「何がわかっていたからこの問題が解けたのか」を自問・自答してみるのである。その問いかけこそが,学習目標とは何かを考える上での,最も基本的な視点なのである。
一定の距離を一定の時間で進むためには,特定の平均速度で進むことが必要である。20kmの距離を2時間で進むには,平均速度10kmで進まなければならない。そのことがわかるためには,距離=時間×速度という公式(定理)を知っていなければならない。また,上りと下りの時速が異なるので,問題を解くための論理式は,「上りの時間+下りの時間=2時間」としなければならない。
このように考えたときに初めて,以下のような4つの学習到達目標が設定されることがわかる。最初の2つは,距離・時間・速度に固有の到達目標であるが,最後の2つは,方程式に普遍的な到達目標である。
学習到達目標は,恣意的に設定されるものではない。解くべき問題の水準と具体例を挙げずに学習到達目標を示しても,それは,ほとんど無意味である。到達目標を設定するに際しては,第1に,解くべき最終問題を想定した上で,第2に,それを解くために必要な能力を必要かつ十分な形で表現しなければならない。すなわち,学習到達目標を明らかにするためには,解くべき問題を設例として明らかにすべきである。そして,その設例こそが,学習到達目標がどの程度達成されているかを具体的に評価することのできる測定基準ともなるのである。
この問題を解く方法は,実は1つではない。同じ公理を使って,別の論理(方程式)を組み立てることができる。それは,先ほどが「時間」の論理を表現したのに対して,今回は「距離」の論理を表現するものである。
上りの距離(8km)=上りの時速×上りの時間
下りの距離(12km)=下りの時速×下りの時間
この論理の場合には,不明な点が2つあるため(時速と時間が不明),変数が2つ必要となる。上りの時速をx(km/h),上りの所要時間をy(h)とすると,前記の論理は,以下のように表現できる。
上りの距離(8km)=上りの時速(x(km/h))×上りの時間(y(h)) …@
下りの距離(12km)=下りの時速(3x(km/h))×下りの時間(2-y(h)) …A
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この連立方程式を解くと,x=6, y=4/3 という解を得ることができる。
この場合は,先の解法が変数を1つしか必要としなかったのに対して,変数を2つ必要とするため,「連立一次方程式」という1ステップ進んだ知識を知らないと解けない。しかし,その知識があると,結局は,通常の一次方程式に変形できるので,その後は簡単に解ける。表現の仕方が違って見えても,同じ公理(時速=距離/時間)を変形したものを使っているので,解は同じになるのである。
以上のことに考えをめぐらせた上で,今度は,法律の応用問題の解き方について,数学の問題の解き方との異同について考えをめぐらせてみよう。数学と法律学といえば,全く異なる学問のように思えるが,問題に対する解き方は,実は,共通点が多いこと,すなわち,数学の公理(法律の条文)とそこから推論規則で導かれる数学の定理(学説または判例の準則)とを使って,数学的な解(法的な結論)を導くという点では共通していることに気づくはずである。
問題を解くことについて,多くの経験を有している数学を例にとって,問題を解くためには,何が必要かという観点から,問題の解法を振り返ってみた。そこでの分析方法を使えば,法律学においても,問題を解くための能力として必要な前提知識,推論方法を明らかにできるのではないかというのが,本稿のねらいである。
憲法76条3項は,「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定している。反対からいえば,裁判官が判決を下すときは,憲法および法律に従った判断をしなければならない。判決理由に条文の根拠が示されるのは,憲法上の要請である。
法曹と同じように考えることを学ぶ法科大学院においても,学習の到達目標は,「具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力を養成すること」であるが,そこには,解決のための結論を「法律の条文に即して考え,結論を正当化する能力」が含まれている。
解決すべき事案が与えられた場合,その事案に適用されるべき条文を発見することが,法律家にとっての最初で最後の仕事である。適用すべき条文が見つかれば,結論は条文に書かれているからである。しかし,適用すべき条文を発見するためには,多くの前提知識と推論能力とが必要となる。そのような前提知識と推論能力とを身につけることが,学習到達目標の大半を占めることになる。
前提知識は,2つの方向から相互に補完されなければならない。一方で,重要な条文の要件と効果とを整理しながら理解し,その条文がどのような事案に適用されているかを学習しなければならない(トップ・ダウン方式)。他方で,判例に現れた事案をよく読み,その事案をどのように整理すると,適用すべき条文に当てはめて結論を出すことができるのかを学習しなければならない(ボトム・アップ方式)。両方向での学習がうまくかみ合うようになったときに,全く新しい事案が与えられた場合でも,その事案に最も適合する法律の条文を見つけ出し,結論を導くことができるようになる。
しかし,事案にぴったりと当てはまる条文が常に存在するわけではない。むしろ,条文にぴったりとは当てはまらない事例の方が多いのが現実である。そのような場合には,条文の背後にある原則にさかのぼることが必要となる。例えば,民法94条の類推でも,110条の類推でもぴったりとこない場合には,権利外観法理にさかのぼって要件を検証し,権利外観法理で結論が導けることを確認した上で,民法94条と110条との重畳適用とかいずれか一方の類推を正当化の根拠とすることが必要となる。
このような解釈方法は,民法770条1項に挙げられている1〜5号の裁判上の離婚原因のうち,同条2項によって第5号だけが例外を許さない離婚原因となっており,結果として,5号のみが真の離婚原因であり,1号〜4号までの離婚原因は,第5号の真の離婚原因の例示に過ぎないことを理解することを通じて大きく進展する。このような理解,すなわち,平面的に羅列されているように見える法律要件を,真の法律要件(一般法)とその例示(特別法)とに区別して理解できる能力が備わるようになると,一方で,第1号に規定されている不貞行為があっても,特段の事情があるため,必ずしも離婚が認められない場合があり,他方で,770条の1号〜4号に列挙されていない事由(例えば,夫の暴力等)によっても,裁判上の離婚が認められることをうまく説明することができるようになる。
さらに,このような能力は,例えば,民法612条において,賃借人が,賃貸人に無断で賃借権を譲渡したり,無断で転貸をした場合には,賃貸人は契約を解除できると書いてあるにもかかわらず,裁判所が,無断譲渡・転貸であっても,「背信行為と認めるに足りない特段の事情がある場合」には,賃貸人は契約の解除ができないとしていることについても,それが,法律を無視した憲法違反の判断とはならないことを説得的に説明することができるようになる。なぜなら,民法612条の要件は,前記の民法770条1項の1号〜4号に該当する要件と同じであり,学説・判例を通じて確立されてきた「信頼関係の破壊行為(背信行為)」こそが,真の解除原因であり,民法612条1項に書かれている解除原因は,真の法律要件の例示に過ぎないことが理解できるようになるからである。
上記のように,個々の条文の細かい要件についての分析も重要であるが,反対に,個々の条文の要件を統合する要件を発見することも,また重要である。民法541条〜543条,民法561条以下の解除の要件として,「契約目的を達成することができないこと」という要件を発見しておくと,先に述べた継続的契約関係の解除要件としての「信頼関係が破壊されていること」,「婚姻関係が破壊されていること」を含めて,「契約目的を達成できないこと」を民法の解除の統一要件として理解することも可能となる。
このように,法律のプロフェッショナル(法曹)とは,以上のように,法律の条文の要件と効果をよく理解し,要件事実に関する細かい区別をマスターしていると同時に,そのような条文の解釈が尽きた場合にも問題解決をすることができる原理,すなわち,条文が作られた背景となっている原理・原則についても通暁している人のことであろう。
学習到達目標を作成するに際しては,条文間の細かい区別を知っているだけでなく,条文間の細かい区別を超えた原理・原則を身につけたプロフェッショナルを育てるということが,到達目標の1つに数えられるべきである。
学習目標を設定するには,その必要条件と十分条件の2つの方向から作業を進めるのがよい。第1の必要条件とは,標準的な最新の教科書,民法判例百選シリーズ,最新のコンメンタール等に搭載された重要な判例または事例を選定することである。そして,選定された事案の1つ1つについて,事案を解決するために必要な前提知識,適用条文,関連判例,関連学説等を特定し,それらを学習目標の候補としてあげていく。
第2の十分条件とは,それらの学習目標が従来の標準的な教科書で重要なものとしてあげてある項目から脱落していないかを検証する作業である。従来の司法試験問題を解くに際しても十分かどうかを検証すれば,それで十分であろう。
ここでは,第1の必要条件としての作業を中心に解説する。そして,到達目標を客観的に選定する作業は,以下のようなプロセスを踏むのが有用である。
本稿では,時間の関係で,上記の作業を留置権に関する判例の分析に限定し,民法判例百選T〔第6版〕に掲載された第79事件および第80事件という2つの判決,すなわち,@留置権の成立・対抗要件に関する昭和47年最高裁判決〈最一判昭47・11・16民集26巻9号1619頁〉およびA留置権の成立を妨げる要件に関する昭和46年判決〈最二判昭46・7・16民集25巻5号749頁〉を取り上げて,上記の作業プロセスのうち,1〜7までの作業とそのプロセスを明らかにする。8の作業は,膨大な時間を要するが,その考え方は,1〜7までの作業の繰り返しに過ぎない。
この章では,以下の順序で作業を行うことにする。第1に@判例について,2〜6の作業を行う(第1節)。第2にA判例について,同じく2〜6の作業を行う(第2節)。第3に,7の作業によって,それぞれの作業において得られた学習到達目標の項目を整理し,留置権に関する学習到達目標を確定する(第3節)。
担保物権に関する民法判例百選T〔第6版〕の最初の事件である第79事件〈最一判昭47・11・16民集26巻9号1619頁〉を取り上げて,そこから学習到達目標項目を選定する作業を行う。
本件建物は,その敷地(本件土地)とともに,もとYとAの共有であったが,右両名は,昭和43年7月20日,これを代金680万円で買主Bに売り渡したこと,右代金の支払方法としては,うち金40万円は本件土地建物の所有権移転登記と同時に支払い,うち金110万円は同年8月10日限り支払い,うち金185万円についてはX(盛岡信用金庫)に対する金135万円の債務およびC(秋田相互銀行)に対する金50万円の債務をいずれも免責的に引き受けて支払う約束であり,残金345万円については,金員の支払に代えて,Bにおいて他に土地(提供土地)を購入して建物(提供建物)を新築し,これをYに譲渡することとし,本件土地建物の明渡は右提供土地建物の引渡と同時におそくとも同年11月30日までにすることを約した。
しかし,Bはいまだ提供土地建物をYに譲渡する義務を履行していない(@)。ところで,Xは,昭和44年2月19日,Bの代理人D(小笠原勝雄)に対し金348万円を貸与し,その担保のため,本件土地建物を目的として抵当権設定契約および停止条件付代物弁済契約を締結したが,Bは右借受金を所定の期限に弁済しなかったため,Xは,右代物弁済契約により同年3月11日本件土地建物の所有権を取得し(A),同月13日その旨の所有権移転登記を経由した(B)。そして,Xは,所有権に基づき,Yに対して建物明渡しを求めて訴えを提起した。これに対して,Yは現に本件建物を占有しており,留置権の抗弁を主張している(C)。
【判決要旨】 甲〔Y]所有の物を買受けた乙〔B〕が,売買代金を支払わないままこれを丙〔X〕に譲渡した場合には,甲〔Y〕は,丙〔X〕からの物の引渡請求に対して,未払代金債権を被担保債権とする留置権の抗弁権を主張することができる。 |
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*図2 最高裁の判断に基づいた事案の図解 〈最一判昭47・11・16民集26巻9号1619頁〉 民法判例百選T〔第6版〕第79事件 |
原審は,右認定事実のもとにおいて,買主Bによっていまだ履行されていないのは残代金345万円の支払に代わる提供土地建物の引渡義務であり,売主Yは,売買の目的物(本件土地建物)の残代金債権を有するものではなく,売買の目的物とは無関係な提供土地建物の引渡請求権を有するのであって,右引渡請求権をもってXに対抗することはできないから,これと売買の目的物である本件土地建物との間には留置権発生の要件たる牽連関係はないと判示して,上告人主張の留置権の抗弁を排斥しているのである。
〔@被担保債権の存在〕原審は,右確定事実のもとでは,売主Yは売買の目的物の残代金債権を有しないというが,右確定事実によれば,残代金345万円については,その支払に代えて提供土地建物をYに譲渡する旨の代物弁済の予約がなされたものと解するのが相当であり,したがつて,その予約が完結されて提供土地建物の所有権がYに移転し,その対抗要件が具備されるまで,原則として,残代金債権は消滅しないで残存するものと解すべきところ(最高裁昭和39年(オ)第665号同40年4月30日第二小法廷判決・民集19巻3号768頁参照),本件においては,提供土地建物の所有権はいまだYに譲渡されていない(その特定すらされていないことがうかがわれる)のであるから,YはBに対して残代金債権を有するものといわなければならない。
〔A物に関して生じた債権〕そして,この残代金債権は本件土地建物の明渡請求権と同一の売買契約によって生じた債権であるから,民法295条の規定により,YはBに対し,残代金の弁済を受けるまで,本件土地建物につき留置権を行使してその明渡を拒絶することができたものといわなければならない。ところで,留置権が成立したのち債務者からその目的物を譲り受けた者に対しても,債権者がその留置権を主張しうることは,留置権が成立したのち債務者からその目的物を譲り受けた者に対しても,債権者がその留置権を主張しうることは,留置権が物権であることに照らして明らかであるから(最高裁昭和34年(オ)第1227号同38年2月19日第三小法廷判決・裁判集民事64号473頁参照),本件においても,Yは,Bから本件土地建物を譲り受けたXに対して,右留置権を行使することをうるのである。もっとも,Xは,本件土地建物の所有権を取得したにとどまり,前記残代金債務の支払義務を負ったわけではないが,このことはYの右留置権行使の障害となるものではない。また,右残代金345万円の債権は,本件土地建物全部について生じた債権であるから,同法296条の規定により,Yは右残代金345万円の支払を受けるまで本件土地建物全部につき留置権を行使することができ,したがって,Xの本訴請求は本件建物の明渡を請求するにとどまるものではあるが,YはXに対し,残代金345万円の支払があるまで,本件建物につき留置権を行使することができるのである。
〔B三当事者関係における引換給付判決〕ところで,物の引渡を求める訴訟において,留置権の抗弁が理由のあるときは,引渡請求を棄却することなく,その物に関して生じた債権の弁済と引換えに物の引渡を命ずべきであるが(最高裁昭和31年(オ)第966号同33年3月13日第一小法廷判決・民集12巻3号524頁,同昭和30年(オ)第993号同33年6月6日第二小法廷判決・民集12巻9号1384頁),前述のように,XはYに対して残代金債務の弁済義務を負っているわけではないから,Bから残代金の支払を受けるのと引換えに本件建物の明渡を命ずべきものといわなければならない。
〔C代位弁済による解決〕叙上の理由によれば,原判決は破棄を免れないが,一審判決もXからの残代金の支払と引換えに明渡を命じているので,右の限度で,これを変更すべきである。(なお,XがBに代位して残代金を弁済した場合において,本判決に基づく明渡の執行をなしうることはいうまでもない。)
本件の事例は,所有権に基づく返還請求権に対する抗弁としての留置権(引渡拒絶の抗弁権)の成否の問題であるから,留置権の成立要件である民法295条以下ということになる。留置権の成否の問題は,例外的に他の条文が問題となることがあるが(例えば,民法194条,民法475,476条),ほぼ,民法295条が適用される。このことも,学習目標の1つとなる。
留置権の成立要件は,被担保債権が存在し,それが物に関して生じた債権であり,その債権の弁済期が到来していること,および,債権者の占有が不法行為によって始まったものではないこと(占有が正当な理由によって始まったこと)である。
本件では,そのうち,被担保債権が存在しているかどうか(代物弁済によって,債務が消滅しているかどうか),被担保債権が物に関して生じたものであるかどうかが問題となっている。
本件では,残代金債権に代えてY・B間で代物弁済契約が締結されているため,これによって,残代金債権はすでに消滅しているのではないかどうかが問題となっている(原審はこれを肯定している)。代物弁済契約は要物契約とするのが通説・判例であること,諾成契約だとしても,目的物の提供もなされていない本件においては,代物弁済契約によっては残債務は消滅しない(最高裁の判断)。
最高裁判所は,この点について,以下のように述べている。
残代金345万円については,その支払に代えて提供土地建物を上告人に譲渡する旨の代物弁済の予約がなされたものと解するのが相当であり,したがつて,その予約が完結されて提供土地建物の所有権がYに移転し,その対抗要件が具備されるまで,原則として,残代金債権は消滅しないで残存するものと解すべきところ(最高裁昭和39年(オ)第665号同40年4月30日第二小法廷判決・民集19巻3号768頁参照),本件においては,提供土地建物の所有権はいまだYに譲渡されていない(その特定すらされていないことがうかがわれる)のであるから,YはBに対して残代金債権を有するものといわなければならない。
民法295条の要件のうち,最も抽象的でわかりにくいのが,被担保債権が「物に関して生じた債権」であることという要件である。この要件はあいまいなため,わが国の学説は,これを,2つに分類して,いずれかに該当する場合にのみ,被担保債権が「物に関して生じた債権」であることを認めている。
このような要件の具体化がどのようになされるようになったのかは,歴史をさかのぼらなければならない簡単に結論だけを示すと,以下の表のようになる。
出典 | 第1類型 | 第2類型 | 備考 |
---|---|---|---|
旧民法 債権担保編92条 (1890) |
其物に関し又は其占有に牽連して生じたるとき | 総論と各論とを有している。 各論の第1類型と第2類型の順序は条文では逆となっている。 |
|
其物の保存の費用に因り或は其物より生じたる損害賠償に因りて…其物に関し…生じたるとき | 債権が其物の譲渡に因り…其物に関し…生じたるとき | ||
現行民法295条 (1989) |
債権がその物に関して生じた債権であること | 総論しかなく,一元論(抽象的)でわかりにくい。 | |
ドイツ民法273条 (1900) |
目的物を返還すべき義務を負う者がその目的物に加えた費用または目的物によって生じた損害について,すでに弁済期に達した請求権を有するとき | 債務者が債務を負担したのと同一の法律関係に基づき,債権者に対して弁済期に達した請求権を有する場合 | 総論はないが,旧民法と同じく,第1類型と第2類型の順序は逆となっている。 |
富井・物権下 (1929)316頁 |
物が事実上債権発生の原因と為りたる場合 | 債権と同一の原因より生じたる債権の目的たる場合 | 現行民法の起草委員の1人。 |
三潴・担保物権 (1921)43頁 |
物自身が債権発生の直接原因を為したる場合 | 債権と物の占有取得とが同一の取引関係から又は目的に因りて生じたる場合 | ドイツ民法(給付拒絶の抗弁権)の影響を受けている。 |
薬師寺・留置権 (1935)76,271頁 |
債権が直接に物自体を原因として発生した場合 | 債権と物の引渡請求権とが同一の生活関係から生じたる場合 | |
我妻・担保物権 (1968)29-32頁 |
債権が物自体から生じている場合 ・その物に加えた費用の償還請求権 ・その物によって受ける損害の賠償請求権 | 債権が物の返還請求権と同一の法律関係または同一の生活関係から生じた場合 | 現在の通説。ただし生活関係(事実関係)は不要とされつつある。 |
上の*表2で明らかなように,現行民法の抽象的な規定の具体化は,現行民法295条の元となった旧民法債権担保編92条の具体例に復帰しているとも言えるし,給付拒絶の抗弁権として,物権ではなく,債務法の中で規定されているドイツ民法273条の留置権の規定に依存しているともいえる。いずれにせよ,留置権の被担保債権に関する要件が,現行民法295条のように,「物に関して生じた」という抽象的な要件ではなく,学説およびそれに従う判例によって,被担保債権が@物の費用の償還債権,または,物から生じた損害の賠償債権である場合,A被担保債権が返還義務と同一の法律関係から生じた場合というように,具体化されたことは重要である。
民法295条の条文を読んだだけで,一般市民が,被担保債権が「物に関して生じた」であるかどうかについて,学説・判例のように,被担保債権が@物自体から生じた費用または物から受けた損害から生じたものであるとか,被担保債権がA物の返還義務と同一の法律関係から生じたものであるという要件にブレークダウンさせることは不可能であろう。したがって,この点について,通説の考え(旧民法の復帰と考えることも可能であるし,ドイツ民法の援用であると考えることもできる)を理解しておくことは,プロフェッショナルとしては,不可欠の資質となる。
留置権において,なぜ,被担保債権と占有する物の返還義務との間の牽連性が問題になるかというと,留置権が,単なる物権ではなく,同時履行の抗弁権の1つである引渡拒絶の抗弁権という性格を有しているからである(純粋な物の支配権としての物権なら,債権との牽連性は問題とならない)。
同時履行の抗弁権の場合,出発点は,民法533条に規定されているように,双務契約における同時履行の関係にあるものに限定されているが,双務契約の異時履行に関するものであっても,例えば,引渡された目的物に瑕疵があるために,買主が損害賠償債権を有する場合には,一方の当事者である買主を保護するために,損害賠償債権と代金債権とについて同時履行の抗弁権の規定が準用されている[民法571条]。さらに,判例によって,片務契約である消費貸借契約において,貸金の返還債権と支払のために振り出された約束手形の返還債権との間に,同時履行の抗弁権が類推されている〈最三判昭40・8・24民集19巻6号115頁〉。
これと同様に,引渡拒絶の抗弁権である留置権の場合にも,被担保債権と返還義務との間に牽連性が要求される。もっとも,留置権の場合には,物の占有が要件となっているため,第1類型の場合,すなわち,被担保債権が物自体から生じた場合には,両債務の牽連性の要件の証明は軽減され,牽連性の証明を必要としない(厳密には,両債務が1つの法律関係から生じる必要はなく,売買と転売,賃貸と転貸,原料の売買と原料を使った製作物供給契約・請負というように複数の密接に関連する,または,連続する法律関係から生じる場合でもよい)。
それに対して,その他の場合,すなわち,第2類型の場合には,原則に戻って,被担保債権と返還義務との間に牽連性があることの証明が要求される。しかも,牽連性の要件として,最も厳しいものである「同一の法律関係から生じたこと」が要求される。本来は,牽連性というのは,起源が1つのところから生じていることを意味するのであり,先に述べたように,例えば1つの契約から2つの債権が生じる双務契約の場合を典型として,そればかりでなく,売買と転売,賃貸と転貸というように,1つの契約が他の契約の前提となって連続しているように密接不可分の関係にある場合,さらには,原料の売買契約とそれを加工等して製品に仕上げる等の制作物供給契約または請負契約のように,2つの債権が密接に関連している場合も含まれる。しかし,第2類型の場合には,留置権の成立が拡散するのを抑制するため,牽連性が「同一の法律関係から生じたこと」に限定されているのである。
このことは,*表3に示したように,同時履行の抗弁権の牽連性の要件としてその類型が拡大している(第1類権(民法533条の適用),第2類型(民法533条の準用),第3類型(民法533条の類推))のに対して,留置権の場合には,牽連性が2類型に限定されていることからも理解されよう。
同時履行の抗弁権の牽連性 | 留置権(引渡拒絶の抗弁権)の牽連性 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
牽 連 性 の 類 型 |
総論 (民法533条) |
2つの債権に牽連性がある場合 | 総論 (民法295条) |
被担保債権と返還義務との間に牽連性がある場合 | ||
各 論 |
第1類型 (適用) |
双務契約上の両債権 (例えば,引渡債権と代金債権) |
各 論 |
第1類型 (物的牽連) |
債権が物自体から生じた場合 ・物の費用(保存・購入費用)から生じた債権 ・物から生じた損害の賠償債権 |
|
第2類型 (準用) |
双務契約上の異時履行の両債権 (例えば,瑕疵に基づく損害賠償債権と代金債権) |
|||||
第3類型 (類推) |
他の契約から生じる密接な関連を有する2つの債権 (例えば,貸金債権と手形返還債権) |
第2類型 (人的牽連) |
債権が物の返還義務と同一の法律関係から生じた場合 (例えば,最一判平15・3・27金法1702号72頁) |
同時履行の抗弁権が,原則として2当事者間の関係を問題とするのに対して,留置権の場合の多くは,3当事者の関係が問題となる。例えば,留置権の典型例とされるのは,自動車(時計)の修理(請負)契約において,注文者(A)が請負人(B)の報酬(請負代金)を支払わないまま,目的物を第三者(C)に譲渡した場合に,所有権を取得したCからの所有権に基づく返還請求に対して,請負人Bは,留置権を持って対抗できるかという例である。
*図3 留置権の典型例としての三当事者関係 |
従来は,このような三当事者の牽連性を,まず,二当事者間の牽連性として捉えて留置権の成立を認め,その後に目的物が譲渡されても,留置権は物権であるから第三者に対抗できると説明してきた。先に引用した昭和47年最高裁判決〈最一判昭47・11・16民集26巻9号1619頁 民法判例百選T〔第6版〕第79事件〉も,すでに述べたように,以下のように説示している。
留置権が成立したのち債務者からその目的物を譲り受けた者に対しても,債権者がその留置権を主張しうることは,留置権が成立したのち債務者からその目的物を譲り受けた者に対しても,債権者がその留置権を主張しうることは,留置権が物権であることに照らして明らかであるから(最高裁昭和34年(オ)第1227号同38年2月19日第三小法廷判決・裁判集民事64号473頁参照),本件においても,Yは,Bから本件土地建物を譲り受けたXに対して,右留置権を行使することをうるのである。
しかし,留置権は,使用・収益権も,優先権を有する換価・処分権も有しないのであるから,物権といえるかどうかは疑わしい。しかも,占有を失うと留置権も消滅するのであるから(民法302条),少なくとも,物権本権でないことは明らかである。
このように考えると,典型例も三当事者間の牽連性として考察することが必要である。典型例の場合には,被担保債権が修理代金であり,保存費用に関する債権として,牽連性の第1類型(債権が物自体から生じた場合)として考えることができる。そうだとすると,第1類型の場合には,牽連性の証明は必要がない(厳密には,連続する2つの契約(請負契約と請負目的物の売買契約)の連鎖であっても牽連性があると認められる)ため,修理代金の債権者であるBは,所有権に基づいて返還を求める第三者Cに対して,留置権をもって対抗できることになる。
上記の典型例が三当事者関係であることは,この場合の判決がどのようなものかを考察することでも明らかとなる。上記の例の場合,第三者Cは,Aに対して請負代金を支払う義務を負っているわけではない。請負代金の債務者は,あくまで,注文者Aである。しかし,裁判所が下す判決は,Bが被担保債権である請負代金の弁済を受けるのと引換えに,CのBに対する目的物の返還請求が認められることになる。
留置権の抗弁が理由のあるときは,引渡請求を棄却することなく,その物に関して生じた債権の弁済と引換えに物の引渡を命ずべきであるが(最高裁昭和31年(オ)第966号同33年3月13日第一小法廷判決・民集12巻3号524頁,同昭和30年(オ)第993号同33年6月6日第二小法廷判決・民集12巻9号1384頁),前述のように,XはYに対して残代金債務の弁済義務を負っているわけではないから,Bから残代金の支払を受けるのと引換えに本件建物の明渡を命ずべきものといわなければならない(なお,XがBに代位して残代金を弁済した場合においても,本判決に基づく明渡の執行をなしうる)。
つまり,BがAに請負代金を支払わない以上は,Cは,Bに代位して請負代金を支払わなければ,Bに対して,目的物の返還を実現することはできないのである。
以上のような問題の分析を行った上で,はじめて,学習目標として,どのような知識,どのような解釈技法が抽出できるかを明らかにすることができる。今回の場合には,以下のような前提知識が学習目標としてピックアップできる。
第1の判例の分析から学習到達目標を選定する前に,これまでの検討を踏まえて,判決理由の流れを整理しておく。
第1に,留置権の第1の要件について,被担保債権〔売買残代金債権〕が存在することが確認されている。そのことは,たとえ,代物弁済の予約がなされていたとしても,代物弁済の目的物の提供もなされていない以上,売買残代金債権は消滅していないこと(当然に弁済期にあること)が確認されている。
第2に,留置権の第2の要件について,被担保債権が「物に関して生じている」ことを,通説の図式にしたがって,以下のように認定している。まず,二当事者Y・B間で留置権が成立するかどうかを検討し,この場合に,YのBに対する被担保債権(売買代金債権)とYのBに対する返還義務(目的物の引渡債権)とが同一の法律関係(売買契約)から生じているため,留置権が成立することを認めている。次に,いったん成立した留置権は,目的物がBからXへと譲渡されても,物権だから,第三者Xに対抗できるとしている。
第3に,留置権の効果としての引換給付について,新しい判断を行っている。すなわち,二当事者間で留置権が問題になる場合には,Y・Bは,相互に債権・債務を負担しているから,引換給付判決を下すことには何の問題も生じない。しかし,三当事者間で留置権が問題になる場合には,第三者Xは,YのBに対する売買代金債権を負担しているわけではないので,Xに対して,引換給付判決を下すことができるかどうかが問題となる。最高裁は,この点について,Xが被担保債権の弁済の義務を負っていない場合でも,Yに留置権を認める場合には,Yと第三者Xとの間で引換給付判決を下すことの妨げにはならないことを宣言している。この点は,引換給付判決に関する新判例として位置づけられている。
第4に,留置権の効果としての引換給付が債権者と第三者との間でなされる場合の不都合を以下に解決すべきかについての示唆が示されている。すなわち,引換給付判決を受けたXが所有権に基づいてYに目的物の返還請求を実現するためには,BがYに対して,被担保債権を弁済することが条件となる。しかし,BがYに弁済しない場合にはXは,どうすればよいのかが問題となる。判決は,その場合には,XがBに代わって弁済し,その後,Bに求償すればよいこと(代位弁済)を示唆している。
第1の判決の結論は正当であるが,以下の2点について,理論的な問題が生じている。第1は,牽連性の類型に関する問題であり,第2は,最高裁は,B・Y間の関係を転売と割り切っているが,実は,B・Y間では代物弁済の予約がなされており,これを担保的に構成すると,単なる転売の問題ではなく,不動産売買の先取特権者Yと仮登記担保権者(抵当権の私的実行権者)であるXとの優劣関係として捉える方が実態に即しているのではないかという本件の事実関係の法律構成の適否の問題である。
第1の問題点は,最高裁が,本件の牽連性の類型を第2類型であるとしていることである。もしも,本件の牽連性が第2類型であるとすると,YのBに対する被担保債権とBのXに対する返還義務とが同一の法律関係から生じている必要がある。判決は,この点について,実は,ごまかしを行っている。すなわち,まず,二当事者間で被担保債権と返還義務とが同一の法律関係(売買契約)から生じたことをいい,次に,留置権は物権であるから,目的物が譲渡されても,第三者であるXに対抗できるとしている。しかし,第2類型の場合には,三当事者間の場合においても,YのBに対する被担保債権とYのXに対する返還義務とが同一の法律関係から生じていることを証明しなければならないはずである。本件の場合,被担保債権は,売買契約から,YのXに対する返還義務は,転売債権から生じているのであり,売買と転売とは,転売が売買を前提としている点で,密接な法律関係を有しているが,同一の法律関係とはいえないから,この点にごまかしがある。
それでは,本件の場合はどのように考えるべきであろうか。本件の場合,牽連性は,第2類型ではなく,第1類型に属しているというのが,その答えである。不動産の売買代金債権は,実は,民法325条3号,328条により,不動産売買の先取特権が認められており,目的物に対して物的担保の権利が与えられている。したがって,本件の売買代金債権は,目的物との間に物的牽連性を有しており,留置権の類型としても,第2類型としての人的牽連ではなく,物的牽連としての第1類型に該当するのである。売買代金が第1類型の「債権が物自体から生じた場合」であるというのは,意外であろうが,「債権が物自体から生じた場合」の内訳は,費用と損害であり,売買代金は,そのうちの売買(購入)費用と考えればよい。費用は,通常は,必要費,有益費に限定されているように考えられているが,有益費とは,目的物の増価価値のことであり,売買契約の場合は,ゼロからその目的物が供給されたのであるから,売買費用全体が目的物の増価価値となっているのである。
このようにして,売買代金債権が第1類型に該当することが明らかとなれば,牽連性の証明は軽減され,牽連性は同一の法律関係には限定されないことになる。すなわち,被担保債権と返還義務とが2つの法律関係にわたってもよく,その2つの法律関係が売買と転売,賃貸と転貸というように他方が一方を前提としているというような不可分の関係にある場合,または,原料の売買とそれを使った請負というように,密接に関連している場合でも牽連性が認められる。本件の場合,被担保債権と返還義務とは,売買とその転売という2つの不可分の法律関係から生じているために,両者に第1類型に要求される牽連性の要件は満たされているのであり,被担保債権が民法295条にいう「その物に関して生じた債権」であるという要件を充足しているのである(もっとも,この点は,学理上の問題であり,法科大学院での教育目標としては,最高裁の用いた推論でも到達目標を達成していると判断すべきである。)。
平成47年最高裁判決の事案は,一見,目的不動産がBからAへ,AからCへと転々譲渡された場合に,最初の売主(B)が最初の買主(A)に対する残代金債権を被担保債権として,転得者Cからの目的物の引渡請求に対して,留置権を主張し,それが認められた事件(二当事者型留置権の対抗問題)のように見える。そうであれば,AB間で発生していた留置権について,目的物が第三者Cに譲渡された場合であっても,Bは留置権の抗弁を主張することができるという平凡な事例に過ぎないということになる(藤原正則「留置権の対抗力」[民法判例百選T〔第6版〕(2009)161頁]は,本件を売買が連鎖した事件として構成している)。しかし,別の角度から見ると,本件は,目的物の二重譲渡事件と同じように,三当事者型の留置権が認められた事件(三当事者型の留置権)として評価することができる。
X・Yの関係は,判決によれば,売主Yと転売買主Xとの関係と見られている。しかし,見方を変えれば,不動産売主に関する先取特権者Yと仮登記担保者Xという,物的担保権者同士の競合問題と見ることもできる。 そのように考えると,本判決は,不動産売買の先取特権が留置権によって対抗力を有することとなり,対抗力を備えた不動産売主に遅れて対抗力を得た仮登記担保権者に優先することを明らかにした画期的な判決と評価することができる。 |
|
*図4 (別解)最一判昭47・11・16民集26巻9号1619頁 民法判例百選T〔第6版〕第79事件 に関する別の解釈 |
その理由は,以下の通りである。BはAに対して,残代金債権を被担保債権として不動産売買の先取特権を有している。これに対して,CもAに対して貸金債権を被担保債権として代物弁済予約に基づく担保権(仮登記担保権)を有している。この場合の三当事者の関係は,転売から生じる二当事者間の留置権の対抗力という単純な問題ではなく,より高度な三当事者型の留置権の問題として構成されるべきである。なぜなら,代物弁済予約に基づいて建物収去・土地明渡しを請求するCに対して,Bは,Aに対する残代金債権を有しており,それが,「その物に関して生じた債権」であることを主張して,留置権を主張することができるからである。
このように考えると,昭和47年最高裁判決は,A・Bの二当事者間で成立した留置権が第三者Cに対して対抗力を有するという転売事件に関する平凡な判決ではなく,Aに対する残代金債権に基づいて不動産売買の先取特権を有するBは,たとえ登記を有しない場合でも,その代わりに占有を継続している場合には,留置権によってその優先弁済権が強化され,Aから登記を有する抵当権と同等の効力を有する仮登記担保権を得たCに対しても,実質的な優先弁済権を取得できることを認めた画期的な判決であるということになる。なぜなら,この判決は,不動産売買の先取特権と仮登記担保とが競合した場合について,登記を有しないが占有を有するために留置権を有する不動産売買の先取特権者に,仮登記担保権者に優先する権利を与えたことになるからである(もっとも,この点も,学理上の問題であり,法科大学院での教育目標としては,最高裁の用いた推論でも到達目標を達成していると判断すべきである)。
以上の検討を踏まえると,判例の分析を通じて,法科大学院の教育目標として以下の点を抽出することができる。
牽連性 | 2分類 | 具体例 | |
---|---|---|---|
物に関して生じた債権 | @債権が物自体から生じた場合 | 費用 | 占有物にかけた必要費または有益費の費用償還債権(借家の修理など) |
損害 | 自動車が飛び込んできて玄関を壊したり,隣家の犬が入り込んで盆栽を壊したりなど | ||
A債権が物の返還義務と同一の法律関係または事実関係から生じた場合 | 法律関係 | 売買契約から生じる物の返還義務と代金債権,物の修理委託契約から生じる修理物返還義務と修理代金債権など | |
事実関係 | 2人の者が互いに傘を取り違えて持ち帰ったときの,相互の返還義務の場合(ただし,[鈴木・物権法(2007)421-422頁]は,この場合の留置権を否定する) |
このようにして,民法判例百選に取り上げられた判例ごとに,裁判所の判断をトレースしながら,どのような前提知識と,推論規則に基づいて,判決が導かれているのかを分析し,抽出し,判例ごとの学習目標を積み重ねていくという作業のプロセスが明らかにされた。
次に第2判決についても,上記と同じ作業を繰り返すことによって,到達目標の別の項目をピックアップすることにする。
担保物権に関する民法判例百選T〔第6版〕の第2事件である第80事件〈最二判昭46・7・16民集25巻5号749頁〉を取り上げて,そこから学習到達目標項目を選定する作業を行う。
Xは「常盤堂」の屋号で本件家屋で菓子の販売および喫茶店を営んでいたが,営業不振となったため,昭和26年12月10日にすし屋営業のA(Yらの先代)に対し本件建物を同月15日以降期限の定めなく賃料1ヶ月5万円,毎月28日翌月分持参払いの約定で賃貸した。その後XはAの懇請により昭和28年5月分から賃料を1ヶ月4万5,000円に減額したが,Aは同年5月28日に支払うべき6月分の賃料および6月28日に支払うべき7月分の賃料を支払わなかった。Xは6月29日付けの書面で7月2日までに延滞賃料を支払うよう催告したがAはこの支払いをしなかったため,右賃貸借契約はAの賃料債務不履行により解除された(@)。
Yらは本件建物上に造作を加え,修理費等有益費を支出したとして(A),Xの建物明渡請求(B)に対して,留置権の抗弁を主張した(C)。
【判決要旨】 建物の賃借人が,債務不履行により賃貸借契約を解除されたのち,権原のないことを知りながら右建物を不法に占有する間に有益費を支出しても,その者は,民法295条2項の類推適用により,右費用の償還請求権に基づいて右建物に留置権を行使することはできない。 |
|
*図6 最二判昭46・7・16民集25巻5号749頁の図解 (賃貸借契約の解除,占有者悪意の場合) 民法判例百選T〔第6版〕第80事件 |
原審は,本件の有益費は,契約解除によってAが不法占有者となり,かつこれを知った以降に行った工事の支出費用であるから,「公平の原則により民法295条2項を解釈すると,元来その占有につき正権原のない目的物につき,あらたに留置権を発生せしめる根拠としては是認し得ない」として留置権を否定した。
〔@占有の態様〕Aは,本件建物の賃貸借契約が解除された後は右建物を占有すべき権原のないことを知りながら不法にこれを占有していた。
〔A占有が不法行為によって始まった場合に準じるかどうか〕Aが右のような状況のもとに本件建物につき支出した有益費の償還請求権については,民法295条2項の類推適用により,Yらは本件建物につき,右請求権に基づく留置権を主張することができないと解すべきである(最高裁判所昭和39年(オ)第654号同41年3月3日第一小法廷判決,民集20巻3号386頁参照)。
本件の事例は,賃貸借契約が債務不履行を理由に解除された場合の賃貸目的物の返還請求権に対して,抗弁として主張された留置権(引渡拒絶の抗弁権)の成否の問題であるから,適用可能な条文は,留置権の成立要件である民法295条以下ということになる。留置権の成否の問題は,例外的に他の条文が問題となることがあるが(例えば,民法194条,民法475,476条),原則として,民法295条が適用される。
留置権の成立要件に関する民法295条によれば,留置権の成立要件は,被担保債権が存在し,それが物に関して生じた債権であり,その債権の弁済期が到来していること,および,債権者の占有が不法行為によって始まった場合ではないこと(占有が正当な理由によって始まったこと)である。
本件では,そのうち,「占有が不法行為によって始まった場合」といえるかどうかが問題となっている。
民法295条2項の意味は,旧民法債権担保編92条が,留置権の成立要件の1つとして,「債権者の占有が正当の原因に因りて…生じたるとき」としていたのを以下の2つの観点から変更したものである[民法理由書(1987)312頁]。
第1は,正当の原因があればよいということであれば,占有の始めは不正の原因によって始まったときでも,その後に正当の原因を取得した場合には留置権が成立するように読める。そこで,そのような解釈を避けるために,旧民法が占有の態様が「正当な原因に基づく」ことを成立要件の1つとして正面から規定していたのを現行民法は修正することにした。そして,現行民法は,占有が「不法行為によって生じた場合には,留置権は成立しない」というように,占有取得の正権原を裏側から規定することにしたのである。
第2は,このように成立要件を裏側から規定すると,留置権を否定する側が成立要件が充足していないことを立証しなければならないことになる。このことによって,旧民法の規定の仕方よりも,現行民法の方が,留置権者を保護することになると考えたからである。
さらに,現行民法の起草に当たって参照されたドイツ民法草案[現行ドイツ民法273条2項]が,立証責任を考慮して,「故意の不法行為によってその目的物を取得した場合はこの限りでない」としていたことが,現行民法の起草委員に大きな影響を与えたからであろう(*表5参照)。
旧民法 (留置権) |
ドイツ民法 (留置権:給付拒絶の抗弁権) |
現行民法 (留置権) |
|
---|---|---|---|
占有の態様 | 旧民法債権担保編第92条 留置権は,…債権者が既に正当の原因に由りて其債務者の動産又は不動産を占有し,…其占有に牽連して生じたるときは,其占有したる物に付き債権者に属す。 |
ドイツ民法273条2項 ただし,債務者〔留置権者〕が故意に加えた不法行為によってその目的物を取得したときはこの限りでない。 |
民法295条2項 前項の規定は,占有が不法行為によって始まった場合には,適用しない。 |
現行民法の立法理由[民法理由書(1987)312頁] | 既成法典〔旧民法〕は,占有の原因を表面より観察して正当の原因に基くことを要すと規定せり。然れども,単に正当の原因に因りて占有すと云ふときは,其始め不正の原因たるも後に至りて正当と為るときは留置権は存立する如く解せしむるに足るべし。之れ本案の避けんとする疑点にして,占有が詐欺の如き不正の原因に因りて始まりたるときは,其後に至り,正当の名義を得るも法律は之に因りて留置権を生ぜしむべきにあらず。故に本案は此主意を明了ならしむる為め,本条第2項に於て,既成法典の正当の原因なる字句を裏面より解して,占有が不法行爲に因りて始まりたるときは,留置権を生ぜしめざることを明かにせり。又既成法典の規定に依れば,留置権者は正当の原因たることを証明せざるべからずと雖も,本条第2項の如くなれば,証明の責任は留置権を攻撃する者に存し,之に因りて,又,権利保護の趣旨に適せしむることを得べし。 |
それでは,占有の始めに正当な原因を有していた(占有が不法行為によって生じたのではない)が,その後に正当な原因を失った場合にはどうなるのであろうか。それは,以下に述べるように,抵当権の成立要件の問題ではなく,実は,留置権の消滅要件の問題なのである。
本件の場合も,契約を解除された賃借人Xは,有益費を支出したことを理由に留置権を主張しているのであるが,民法299条2項によれば,裁判所は,所有者(Y)の請求により,その〔有益費の〕償還について相当の期限を許与することができる」と規定している。もしも,裁判所が期限を許与することを認めると,履行拒絶の抗弁権は効力を失い,その物の占有を所有者に返還しなければならなくなるので,留置権は消滅する。つまり,正当の原因によって始まった占有がその正当な原因を失った場合には,たとえ,有益費の支出を根拠に留置権を主張しても,民法299条2項により,裁判所が所有者のために期限の許与を認めれば留置権は消滅するのである。つまり,本件の場合,留置権の消滅の問題なのであるから,留置権の成立に関しては,民法295条2項の文言どおりに,「占有が不法行為によって始まった場合」でなければ,特別の事情がない限り,留置権の成立を認めてよいということになるのである(民法295条2項の反対解釈)。
したがって,反対からいえば,民法295条の条文の趣旨に従った解釈(反対解釈)によれば,「占有が不法行為によって始まった場合」でないことが明白な場合には,たとえ,占有の開始後に占有の正権原を失った場合であっても,上記の手続き(期限の許与の手続き)等,消滅原因に該当する事由がない限り,留置権は消滅しないことになるはずである。
それでは,本件のように,「占有が不法行為によって始まった場合」でないことが明白な場合にもかかわらず,すなわち,民法295条2項が適用できないことが明白な場合にもかかわらず,裁判所はどのような考えに基づき,どのような解釈方法に基づいて,民法295条2項を利用することができると判断したのであろうか。これが,本件における最大の問題である。
民法295条の立法理由によれば,民法295条2項は,留置権の成立要件の1つとしての「占有が正当な理由で取得されたこと」を裏側から規定されたものに過ぎないから,占有が正当な理由で取得されている場合,すなわち,占有が不法行為によって始まった場合に当たらない場合には,当然に,留置権は成立することになる。
民法の解釈論でいうと,「占有が不法行為によって始まった場合でない」場合には,民法295条2項は適用されないのであるから,原則に戻って,民法295条1項が適用されることになり,原則どおりに留置権が成立することになる(民法295条の文理解釈)。確かに,民法295条2項だけに注目して解釈するとすれば,民法295条の反対解釈ということになる,しかし,正確には,民法295条2項の要件が満たされないため,原則に戻って民法295条1項が適用されると考えるのが正しく,民法295条2項の反対解釈ではないことに注意を要する。
したがって,民法の解釈論の王道から言えば,本件の場合に,民法295条2項の適用の余地はないことになる。しかし,民法295条の立法理由の解釈を別の観点から見ると,民法295条2項の適用の余地が残されている。それは,立法理由の以下の部分を違った方向から解釈することである。
〔旧民法のように,〕単に正当の原因に因りて占有すと云ふときは,其始め不正の原因たるも後に至りて正当と爲るときは留置権は存立する如く解せしむるに足るべし。之れ本案の避けんとする疑点にして,占有が詐欺の如き不正の原因に因りて始まりたるときは,其後に至り,正当の名義を得るも法律は之に因りて留置権を生ぜしむべきにあらず。
旧民法が留置権の成立要件として,単に「正当の原因に由りて…占有を生じたるとき」としていたのを現行民法が,「占有が不法行為によって始まった場合」には,留置権は成立しないというように修正したのは,「始めに占有が不正の原因によって取得されたが,後になって正当の原因が備えられた場合」に留置権の成立を否定するだけでなく,「始めに占有が正当の原因によって取得されたが,後になって正当の原因を失った場合」も同様であると解することも不可能ではない。すなわち,留置権における「占有は,始めから終わりまで正当の原因を有するものでなければならない」と解釈するのである。
しかし,この考え方は,先に述べたように,第1に,成立要件と消滅要件とを混同するものであり,かつ,第2に,旧民法の場合よりも,立証責任を転換してまで,留置権の成立を促進しようとする立法者の意思に反しており,立法理由の解釈として正当とは思われない。しかし,そのような解釈が解釈として成り立たないわけではない。
もしも,そのような解釈が立法理由として認められるのであれば,民法295条2項の文言とは異なり,たとえ,「占有が不法行為によって始まった場合」でないことが明らかである場合でも,「留置権における占有は,常に正当な原因を有していなければならない」という,こじつけ的ではあるが,「立法趣旨」を考慮して,民法295条2項を「類推適用」することが許されるのである。
「占有が不法行為によって始まった場合」に該当しないにもかかわらず,あえて,民法295条2項を適用することを可能にするもう1つの方法は,占有の正当な原因を失った時点をもって占有取得が始まった場合と解釈するという離れ業を使うことである。
本件における最高裁の判決理由が,占有が始まった時点では正当な原因を有していたことには全く触れず,以下のように,いきなり,契約が解除された時点から説き起こしていることからも,最高裁が,この第2の方法を使っていることが推測される。
Aが,本件建物の賃貸借契約が解除された後は右建物を占有すべき権原のないことを知りながら不法にこれを占有していた旨の原判決の認定・判断は,挙示の証拠関係に徴し首肯することができる。
このように考えると,占有が不法行為によって始まったのではないが,賃貸借契約が解除された後についていえば,占有が不法行為によって始まったのと同様であるとして,民法295条2項を類する適用することが可能となるわけである。
本件における法適用の問題は,占有が不法行為によって始まったのではない以上,民法295条2項を反対解釈する(留置権の成立を認める)べきであるのか,それとも,占有が不法行為によって始まったのではないが契約の解除によって占有の正当な原因を失った後に留置権者が有益費を支出した場合には,民法295条2項を類推解釈(留置権の成立を否定する)べきであるのかが争われているように見える。
しかし,そもそも,民法295条2項は,同条1項の成立要件である「占有が正当な原因によって取得されたこと」を裏から規定したものであり,1項のただし書きに該当することが立法理由書によっても明らかにされている。したがって,民法295条2項を独立した条文として考え,その反対解釈とか類推解釈とかを問題にするのは,そもそも誤りであることに注意しなければならない。
本件のように,「占有が不法行為によって始まった場合」に該当しないことが明らかな場合には,民法295条2項は,1項のただし書きの性質を有する以上,厳格に解釈すべきであり,全く適用の余地はないと考えるべきである。本件の場合は,民法295条2項の反対解釈ではなく,あくまで,原則に戻って,民法295条1項を適用し,留置権の成立を認めた上で,その後の事情の変化を考慮して,留置権の消滅に関する民法299条2項を問題とすべきなのである。
そして,ただし書きは厳密に解釈されることが要求されるとの原則に則り,民法295条2項の解釈においては,安易な類推解釈は避けなければならない。判例が,民法295条2項について,安易な類推解釈をしていることは,この点からも,厳しく批判されるべきなのである。
したがって,本件は,裁判所でさえ,適用条文を誤ることがある(民法299条2項を適用すべき問題を民法295条2項を(類推)適用した)という例として,また,解釈論としても,類推適用の濫用に陥っているという例としても,反面教師として,法科大学院の学生にとっても,大いに参考となる判決であるといえよう。
以上のような問題の分析を行った上で,はじめて,学習目標として,どのような知識,どのような解釈技法が抽出できるかを明らかにすることができる。今回の場合には,以下のような前提知識が学習目標としてピックアップできる。
第2の判決の分析から得られる学習到達目標を選定する前に,判決理由の流れを整理すると以下のようになる。
第1に,本件の場合には,「Aの占有が不法行為によって生じていないこと」が最も重要な要件であるにもかかわらず,最高裁は,留置権の成立を認めないという自らの結論を正当化するために,都合の悪いこの事実には一切触れることなく,いきなり,「Aは,本件建物の賃貸借契約が解除された後は右建物を占有すべき権原のないことを知りながら不法にこれを占有していた」との事実を確認することから始めている。
留置権の成立を否定するという本判決の結論を正当化するために,要件事実の最も重要な点について,主要事実を摘示しないということは,裁判官として,あるまじき行為である。法科大学院の学生としては,これを反面教師として受け止めるべきであろう。
第2に,Aの債務不履行によって賃貸借契約は,Xの正当な解除の意思表示によって賃貸借契約は終了し,それ以降は,Yらの占有に関する正当な原因が失われているのであるから,本件において問題にすべきは,留置権の消滅であり,その点については,民法299条2項において,「裁判所は,所有者の請求により,その償還について相当の期限を許与することができる」という留置権の消滅原因が挙げられているのであるから,この条文を適用して,留置権の消滅を宣言すべきであった。
ところが,最高裁は,民法295条2項にいう「占有が不法行為によって始まった場合」には,明らかに該当しない本件について,以下のように述べて,民法295条2項を類推適用している。
Aが右のような状況のもとに本件建物につき支出した有益費の償還請求権については,民法295条2項の類推適用により,Yら〔Aの相続人〕は本件建物につき,右請求権に基づく留置権を主張することができないと解すべきである(最高裁判所昭和39年(オ)第654号同41年3月3日第一小法廷判決,民集20巻3号386頁参照)。
自らの頭で考えるのであれば,民法295条2項の要件事実に明らかに反している本件において,民法295条2項を適用(類推適用を含めて)することは考えられないはずである。また,民法295条2項は,独立して存在する条文ではなく,その性質が民法295条1項の「占有が正当な原因によって取得されていること」の裏返しの規定であり,立法者によって,わざわざ,留置権の成立を容易にするために,旧民法を修正した規定であることを理解していたならば,安易な類推解釈はできないはずである。
最高裁がこのような安易な類推解釈に流れた原因は,同様の事件について,判決にも引用されている以下のような先例があったためである。
最一判昭41・3・3民集20巻3号386頁(売買契約の解除,占有者悪意の場合)
建物の売買契約によりその引渡を受けた買主が,右売買契約の合意解除後売主所有の右建物を権原のないことを知りながら不法に占有中,右建物につき必要費,有益費を支出したとしても,買主は,民法295条2項の類推適用により,当該費用の償還請求権に基づく右建物の留置権を主張できない。
裁判所の「安易な先例頼み」については,多くの批判があるが,その最先鋒は,以下のような批判であろう[井上・狂った裁判官(2007)139-140頁]。
判例調査に専心する裁判官の給料が,先例調査に専心する登記官の給料より高くてよい理由がはっきりしません。要するに,裁判官が,前例を調べてそれを事件にあてはめる作業を仕事の中心としている現実を前にすると,中央省庁の国家公務員より優位を主張することは困難なのです。…最高裁の裁判官の給料も同じく高すぎます。仕事のほとんどを判例尊重で片付けていて,創造的な思考を使わない仕事に,高給は不要です。
問題となっている事件に似ている事件についての先例があれば,それを参照することは重要であり,その作業をおろそかにすることは許されない。しかし,現実には,1つとして同じ事件はなく,また,訴訟当事者としては,一生をかけるほどの重大な問題なのであるから,先例を使うことが適切かどうかは,その事件ごとに,慎重に判断されるべきであろう。法科大学院の学生としては,このような「安易な先例頼み」を反面教師とすべきであろう。
判決の結論は具体的な事例の結論としては,妥当であろう。しかし,適用条文を誤るという致命的な欠陥を有していることは先に述べたとおりである。たとえ,本件において,民法295条2項の適用が問題となるとしたとしても,本判決には批判の余地があり,学説の多くも,民法295条2項を類推することに批判的である([我妻・担保物権(1968)36頁],[関・留置権(2001)459頁],[近江・講義V(2005)31頁],[平野・民法総合3(2007)348-349頁])。
もっとも,[清水(元)・担保物権(2008)182-183頁]は,占有の開始のときは適法であっても,後に不適法に変わった場合(権限喪失型)には,民法295条2項が不法行為性を留置権の消極要件としている点からして違法性の契機を否定すべきでないとし,「無権限占有が違法と評価された場合に限って,同条項を類推適用すべきものと考える」とする。そして,上記の判例〈最二判昭46・7・16民集25巻5号749頁(民法判例百選T〔第6版〕第80事件:賃貸借契約の解除,占有者悪意の場合)〉につき,「契約解除の場合,以後は返還債務が賃借人に発生しており,債務不履行として違法な占有があるということができよう。とくに,かかる場合に費用支出を理由として返還を拒むということ自体が権利濫用的意味あいを帯びており,295条2項〔の類推〕によって留置権を否定することは妥当であるといえる」としている(清水元「民法295条2項の類推適用」[民法判例百選T〔第6版〕(2009)163頁])。
しかし,旧民法が,「債権者が既に正当の原因に由りて其債務者の動産又は不動産を占有」していることを留置権の成立要件としていたこと,これを踏まえて,現行民法が,このことを裏側から,すなわち,消極的要件として「占有が不法行為によって始まった場合には,適用しない」としている点が重視されるべきである。つまり,正当な原因に基づく占有が,解除等によってその正当な原因が失われ,最終的に,正権原を有する者(所有者)へと移転されるというプロセスの中で,いったん正当な権限を有していた占有者の利益は,それが尊重されつつ,穏やかに占有の移転が計られるべきであり,その間の本権と占有権との利益調整は,民法の占有に関する規定[民法189条-196条],および,留置権の消滅原因[民法299条2項]に基づいて行われるべきである。そのように考えると,留置権者によって占有がいったん適法に開始された以上は,その正当の原因が解除等によって喪失されたとしても,本権者へと占有の移転が完了するまでは,留置権者は,なお,費用償還請求権を有する[民法196条,299条]ことが重視されなければならない。したがって,民法196条2項または民法299条2項に従って,所有者に相当の期限が許与されるまでは,留置権者は,なお,事実上の優先弁済権である留置権を保持すると考えるべきである。
以上の検討を踏まえると,第2判決の分析を通じて,法科大学院の教育目標として以下の点を抽出することができる。
留置権の分野について,解決すべき問題の典型例として,民法判例百選T〔第6版〕に掲載された主要な判例2つを題材として,それらの判例の推論に使われた前提知識,推論方法を抽出するために各判例を丹念に検討することを通じて,以下の学習到達目標を抽出することができた。
この学習目標は,限られた判例だけを使って作成されたものに過ぎない。次のステップは,標準的な教科書,これまでの司法試験問題のうち,法科大学院の教育目標に適合的な問題が解けるかどうかを検証する作業が控えている。その検証を通じて,足らない部分を補った結果として得られるのが,最初に目標としてあげた,十分条件としての学習目標であるといえよう。
第2章までの作業で得られた学習目標と,2009年12月に公表されたコア・カリキュラムモデル案に示された到達目標を比較すると以下のようになる。
コア・カリキュラムモデル案 | 評 価 |
理由 | 筆者の作成した学習目標案 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
留 置 権 |
1 | 留置権とはどのような性質の担保物権であるかを,具体例に即して説明することができる。 | 削 除 |
後に述べる留置権の要件の説明と重複する | − | 留置権の性質についての理解を問うのであれば,通有性の理解を問うべきである。 |
2 | 留置権の成立する要件を具体例に即して説明することができる。 | 修 正 |
包括的過ぎて,意味がない。 | 留置権が成立する要件を列挙するともに,留置権を主張する者に立証責任があるものと,相手方に証明責任があるものとに分類し,それぞれを具体例に即して説明することができる。 | 留置権の要件を具体的に知るには,旧民法との比較が不可欠である。そして,その違いは,立証責任の相違に現れている。 | |
3 | 判例・学説にしたがい,被担保債権と物との牽連関係が異論なく認められる場合を,具体例を挙げて説明することができる。 | 修 正 |
異論なく認められる場合と異論がある場合とを区別することは意味がない。 | 留置権の牽連性の要件(債権が物に関して生じていること)について,第1類型(債権が物から生じている場合)とされている場合を具体例を挙げて説明することができる。 | 留置権の要件のうち,「物に関して生じた債権」という要件の理解が難しい。旧民法,ドイツ民法の比較からも,通説の2分類は理由があり,牽連性の要件については,この2分類についての理解を避けて通ることができない。 | |
4 | 被担保債権と物との牽連関係が認められるかどうか争われている場合について,その具体例を挙げて説明することができる。 | 留置権の牽連性の要件(債権が物に関して生じていること)について,第2類型とされている場合(債権と返還義務とが同一の法律関係から生じている場合)を具体例を挙げて説明することができる。 | ||||
5 | 留置権と同時履行の抗弁権の異同について,具体例を挙げて説明することができる。 | 修 正 |
較べる視点を明らかにしていないと,暗記に陥る危険性が高い。 | @留置権も同時履行の抗弁権も認められる場合,A留置権が認められるが同時履行の抗弁権が認められない場合,反対に,B留置権が認められないが,同時履行の抗弁権が認められる場合という3つの場合について,具体例を挙げて説明することができる。 | 留置権と同時履行の抗弁権の違いは,牽連する債権の性質の違いによるところが大きい。具体例を挙げよというのではなく,視点を示して,違いを明らかにすることが重要である。 | |
6 | 留置権を第三者に対抗することができることに争いがない場合を,具体例を挙げて説明することができる。 | 修 正 |
対抗できる場合と対抗できない場合とに分けて考えるべきである。 | 留置権の第1類型について,留置権が第三者に対抗できない場合がないにもかかわらず,第2類型については,第三者に対抗できる場合とできない場合があるのはなぜか,具体例を示して説明することができる。 | 留置権の理解で最も困難な箇所は,留置権が第三者に対抗できる場合とできない場合との区別である。この点についての区別と説明の能力を問題としないのであれば,コア・カリキュラム作成の意味がない。 | |
7 | 占有が不法行為によって始まったといえるのはどのような場合かを,具体例を挙げて説明することができる。 | 修 正 |
留置権の成立障害要件の聞き方が包括的に過ぎる。 | 占有が不法行為によって生じた場合,および,占有が途中から債務不履行または不法行為となった場合の留置権の存否について,具体例を挙げて説明することができる。 | 占有が正当な原因によって始まった場合の解釈について,2つに分けて聞くのが望ましい。 | |
8 | 留置権者は目的物に対してどのような権利を有するか,どのような行為をなすことができなかを具体例を挙げて説明することができる。 | 修 正 |
留置権の効果の聞き方が包括的に過ぎる。 | 留置権の効果のうち,法律上の優先弁済権を有しないにもかかわらず,事実上の優先弁済権を有するとされる理由を,質権の留置的効力との相違,通常の競売権と形式的競売権との相違,勝訴判決と,引換給付判決との関係を例にとって説明することができる。 | 到達目標は,その到達目標が達成できているかどうかを評価できるように表現しなければ意味がない。 | |
9 | 留置権が消滅するのはどのような場合かを,具体例に即して説明することができる。 | 修 正 |
留置権の消滅要件の聞き方が包括的に過ぎる。 | 留置権の消滅原因のうち,他の担保物権である質権の消滅原因と同じものと,留置権に特有なものとに分類し,それぞれを具体例に即して説明することができる。 |
すべての学習目標は,ある権利についての成立要件,効力要件,対抗要件,消滅要件について理解すること,その権利の法律効果を理解することに尽きるといってもよい。そのことをそのままストレートに表現するのであれば,項目ごとの達成目標は必要ない。単元を分けて到達目標を明らかにするのであれば,その権利に特有の成立要件,効力障害要件,対抗要件,消滅要件を他の権利との比較において理解しているかどうかをたずねるべきである。
時間の関係で,今回は,民法の留置権に関する部分についての比較に限定せざるを得なかったが,「法科大学院コア・カリキュラム調査研究」グループによって2009年12月に公表されたコア・カリキュラムモデル案と,筆者が客観的な選定基準に基づいて選定した学習到達目標とを比較したところ,その結果は,コア・カリキュラムモデル案の項目のすべてにわたって,削除か修正が必要であることが明らかとなった。
その原因は,今回公表されたコア・カリキュラムモデル案は,解決すべき判決を選定し,その判決を下すための不可欠の知識,推論方法を丹念に分析した上で導き出されたものとは思えないからである。今回のコア・カリキュラムモデル案の留置権に該当する部分の到達目標は,一言で言うと,「留置権の成立・対抗・消滅要件と留置権の法律効果について具体例を挙げて説明できること」に集約できる程度の精度しか持っておらず,この程度の到達目標であれば,民法のすべての権利について,「当該権利の発生・効力・対抗・消滅の要件および法律効果とを具体例を挙げて説明できる」といってしまえば済むのであるから,法科大学院の共通の到達目標の設定としては,あまりにも安易に過ぎるといえよう。
筆者が作成した学習到達目標は,解くべき問題として民法判例百選TU〔第6版〕に収録された判例の事実関係と判決理由とに限定して,そのような事実関係が与えられた場合に,法曹(裁判所)はその問題をどのような知識と推論方法を使って問題を解いているのかを詳しく分析し,そこで使われている知識と推論方法をピックアップするという作業の積み重ねから,法曹として必要な能力としての学習到達目標を設定していくという方法を採用している。つまり,筆者の場合には,到達目標を設定するための理念,素材,方法をすべて明らかにした上で,学習到達目標を作成するとともに,その目標が到達されているかどうかをチェックする問題のリストまで用意している。むしろそのような達成度の評価基準のリストを作成する作業の中で,学習目標が明らかにされたといった方が正確である。
今回公表されたコア・カリキュラムモデル案のうち,留置権に関する箇所について,すべての項目が,削除するか修正するかどちらかであるという結論を理由を述べて示したのであるから,今度は,「法科大学院コア・カリキュラム調査研究」グループの方で,コア・カリキュラムモデル案を正当化できる理由とコア・カリキュラムモデル案を作成した作業内容を一般に公開する番であろう。
筆者は,すでに,担保法すべてについて,学習到達目標と,その到達度を具体的に測定するための到達度チェック・リストを作成済みである。したがって,次回は,民法の契約法の分野についても,同じ試みを行うとともに,担保法のすべてについて,コア・カリキュラムモデル案と筆者の作成した学習到達目標との比較対照表を作成して,公表するつもりである。その結果が,今回のコア・カリキュラムモデル案(民法)の全面修正案となる可能性があることは,今回の作業からも十分に予測されるところであろう。