−司法研修所・言い分方式第6問〜第9問を題材として−
作成:2010年7月20日
明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
これまでは,売買契約に基づく代金支払請求権,および,消費貸借契約に基づく貸金返還請求権の問題について考察してきた(第1問〜第5問)。これからは,いったん,契約から生じる請求権の問題を離れて,物権,特に,所有権に基づく請求権について考察する(第6問〜第13問)。なお,所有権に基づく請求権の考察を終えた後は,再び,売買契約に基づく請求権に立ち返り,売買契約に基づく動産引渡請求権(第14問),債権の売買に基づく譲受債権(第15問)の問題について考察する。
所有権に基づく不動産明渡請求訴訟の要件事実を学ぶに際して,その前提となる実体法上の問題,すなわち,@物権的請求権の法的性質,A物権的請求権,特に,所有権に基づく請求権の法的根拠と3つの種類,B物権的請求権における行為請求権と受忍請求権との関係,C物権的請求権の衝突の問題,D物権的請求権の主体と相手方,E物権的請求権における費用負担について理解を深めておくことにする。
@物権的請求権(特に所有権に基づく請求権)とはどのような権利であり,物権(所有権)のどのような性質から導かれる権利であるのか,また,どのような侵害に対してどのような救済手段を求めることができるかを,占有訴権に関する条文(民法197条〜202条)を参照しながら,具体的に説明することができる。
Aわが国の民法には,占有訴権に対応する「本権の訴え」として,所有権に基づく請求権が明文で規定されている(通説はこれを否定するが,「条文において顕著な事実」であるので,通説の考え方は無視してもよい)。それらの規定(たとえば,民法193条,民法216条,民法233条1項,民法234条)を1つ1つ検討し,それが,物権的請求権の3分類(返還請求権,妨害排除請求権,妨害予防請求権)のうちのどの分類に属するのかを説明できる。
B民法233条1項(枝の切除)と2項(根の切取り)とを対比させながら,物権的請求権が相手方の行為を求める権利(行為請求権)であるのか,それとも,物権者の権利行使を受忍することを求める権利(受忍請求権)であるのかをめぐる議論を理解し,その問題点を説明することができる。さらに,たとえば,甲土地の所有者の洗濯物(ボールや屋根瓦でもよい)が,乙土地に風で飛ばされた場合を想定して,甲の権利(返還請求権,引取請求権)と乙の権利(妨害排除請求権)について,それが,物権的請求権のどの類型に属するのかを説明することができる。
C物権が「妨害」されているとはどのような場合を指すか,物権的請求権の衝突として有名な大判昭12・11・19民集16巻1881頁(民法判例百選T第46事件)の事案を例にとって,土砂が落下して迷惑をしている田の所有者が妨害排除請求をすることができるのか,それとも,田を作る際に土砂が崩壊しないように配慮すべきであったことを理由に,家屋の崩壊のおそれがある敷地の所有者が,田の所有者に対して妨害予防請求をできるのかについて,参照しうる民法の条文を摘示しつつ説明することができる。
D物権的請求権を行使する相手方が誰であるかについて,基本的な考え方を説明することができるとともに,占有をしていないが所有権の登記を保持している者に対して物権的請求権を行使できるかどうか(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁(民法判例百選T第47事件)),さらに,債権担保のために所有権を留保している者(クレジット会社)に対して物権的請求権を行使できるかどうか(最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,判タ1306号217頁,金法1882号78頁,金判1314号24頁)について,関連判例を整合的に説明することができる。
この点に関連して,土地上に権原なしに存在する建物の収去義務を負うのは誰であるかについて,訴訟物,請求原因に関する立証責任を含めて,民法188条の果たすべき役割とわが国の通説・判例の問題点(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁(建物収去土地明渡等請求事件))とを説明することができる。
E物権的請求権の行使に際して,費用負担はいずれの当事者が負担するのかについて,一方だけが負担する場合,双方が比例的に分担する場合,双方が均等に負担する場合のそれぞれについて,条文の根拠を示して説明することができる。
司法研修所の要件事実論は,判決書作成の技術訓練として始まった[中野・民事裁判(2010)67頁]。その内容は,ドイツのローゼンベルクの証明責任論[ローゼンベルク・証明責任論(1972)]を基盤とし,わが国の民事訴訟法理論をリードしてきた兼子一によるローゼンベルクの理論の解釈([兼子・立証責任(1954)])に従い,実体法の我妻理論を参照しながら,司法研修所の教官の長年の共同作業によって構築された理論である([司法研修所・要件事実〔第1巻,第2巻〕(1985)],[司法研修所・類型別要件事実(1999)],[司法研修所・問題研究15題(2003)]など)。
このように,司法研修所の要件事実論は,ドイツ民法およびドイツ民事訴訟法理論,ならびに,それに基づいて学説を構築した兼子理論に決定的な影響を受けており,一方で,わが国の民法の条文に忠実であることを標榜しながらも,他方で,ドイツ民法の解釈に基づいて,わが国の民法を実質的に変更するような解釈をしている箇所が散見される(典型例は,以下に述べるように,@取得時効に関する民法162条2項の解釈,A消滅時効に関する167条の解釈であり,Bこれから詳しく述べる「占有権原の抗弁」という,ドイツ民法986条(占有者の抗弁)には適合的ではあるが,わが国の民法188条(占有物について行使する権利の適法の推定)に真っ向から対立する考え方[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)59頁]である)。
第1に,司法研修所の要件事実論([司法研修所・改訂問題研究15題(2006)116−117頁])は,わが国の民法186条1項が採用している占有の態様に関する「法律上の推定」について,ドイツ民法937条(取得時効)が1項と2項とに書き分けられていることを根拠に,これは,法律上の推定(Gesetzliche Vermutung)ではなく,「暫定真実(Intermswahrheit)」であると主張するローゼンベルク[ローゼンベルク・証明責任論(1972)2370頁],および,兼子一の見解[兼子・立証責任(1954)144頁]に従って,わが国の民法162条2項と民法186条1項とを組み合わせれば,それは,法律上の推定ではなく,ドイツ民法と同じく,本文とただし書きに書き分けることができる「暫定真実(Intermswahrheit)」であると決めつけている。しかし,暫定的真実のもともとの意味は,反対事実が証明されるまでは,真実と扱うことできるということであるので,それが,なぜ,法律上の推定といってはいけないのか不明である。
第2に,司法研修所の要件事実論[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)27頁]は,わが国の民法176条1項が,債権の消滅時効の要件として,権利の「行使をしない」ことを要件としているにもかかわらず,以下のように述べて,「債権の行使をしないこと」は要件事実ではなく,それと両立する別事実である時効中断事由が再抗弁となるとしている。このことも,「権利の不行使」を要件としていないドイツ民法194条以下(消滅時効)の影響であると思われる。
民法167条1項は,権利を「行使しないときは」と定めていますが,Xが権利を行使しなかったことについては,民法147条が権利の行使を時効の中断事由として定めていることから考えて,消滅時効を主張する側に主張立証責任を負わせるべきではありません。債権者が一定の権利行使をしたことが時効中断事由となって,相手方が主張立証責任を負う再抗弁となると考えられます。
このように,司法研修所の要件事実論が,わが国の民法の条文を無視している箇所は,すべて,わが国の民法よりも,ドイツ民法を優先したことに基づいている。確かに,わが国の民法がその立法過程においてもドイツ民法草案の影響を植えており,また,学説の形成過程においても,ドイツ民法の影響を強く受けていることは事実であって,わが国の民法の解釈に際して,ドイツ民法を参考にすることは有益である。しかし,わが国の民法は,ドイツ民法だけの影響を受けているわけではない。わが国の民法が土台としたボワソナードの旧民法,フランス民法,イタリア民法,その他の様々な国の民法を参照して起草された比較法の産物である。したがって,わが国の民法が,ドイツ民法とは異なる立場を鮮明にしている場合には,必ずしも,ドイツ法を優先すべきではない。それにもかかわらず,上記の占有の態様の推定(民法186条1項)の場合のように,司法研修所の要件事実論[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)116−117頁]は,わが国の民法186条1項が,スイス民法3条,および,オーストリー一般法328条と同様に,ドイツ民法937条とは異なる立場を採用し,明文で「法律上の推定」を規定している場合でさえ,そのようなわが国の民法の立場は間違いであり,ドイツ民法937条の規定のように,「暫定真実」と考えることが正しいという立場([ローゼンベルク・証明責任論(1972)2370頁],[兼子・立証責任(1954)144頁])を採用していることは,わが国の民法の解釈としては,明らかに行き過ぎであると思われる。
このようなドイツ民法を模範とした司法研修所の要件事実論が,その行き過ぎをさらに増幅しているのが,不動産物権に関する領域である。ドイツ民法に依拠して理論を構成してきた司法研修所の要件事実論は,以下に示す理由により,わが国の民法に適した解釈をなしえない。
第1に,わが国の民法は,不動産物権変動に関しては,ドイツ民法の形式主義・登記の公信力(ドイツ民法873条,925条)の制度を採用せず,フランス流の意思主義(民法176条)と登記の対抗要件主義(民法177条)を採用している。これに対して,ドイツ民法は,登記に公信力を認めているため,登記に権利適法の推定力を与えており(ドイツ民法891条),そもそも,「対抗要件」という概念自体を知らない。したがって,ドイツ民法にその多くを依拠する司法研修所の要件事実論は,不動産の占有に権利適法の推定力を与えているわが国の民法188条を無視して,ドイツ民法986条(占有者の抗弁)を参考にして,不動産占有者にその正当権原の証明責任を負わせるという根拠のない理論から出発している[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)59−60頁,95頁]。しかも,対抗要件の解釈について,フランスの対抗不能の理論[加賀山・対抗不能の一般理論(1986)6頁]を全く考慮しておらず,必然的に,わが国の民法の立場とはかけ離れた結論に到達することになる[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)79-80頁]。
第2に,わが国の民法は,占有訴権とともに,本権としての所有権に基づく請求権を明文で規定している(民法193条,216条,233条,234条など)。それにもかかわらず,ドイツ民法に影響を受けたわが国の通説・判例が,「わが国の民法には,物権的請求権の規定,特に,所有権に基づく請求権の規定を欠いている」という根拠のない理論を主張しているため,それを真に受け,物権的請求権の理論をすべてドイツ民法の所有権に基づく請求権の諸規定に基づいて構成している。しかし,その過程で,ドイツ民法特有の登記重視,占有軽視の考え方が取り込まれており,先に述べたように,わが国の民法188条がほとんど無視されるという弊害が生じている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)59−60頁]。
視されるという弊害が生じている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)59−60頁]。
動産 | 不動産 | |
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日本民法 | 不動産物権変動は,意思表示のみによって生じ,登記は,第三者対抗要件に過ぎない。したがって登記には公信力が認められていない。反対に,動産・不動産を通じて,占有が重視されている(わが国の不動産取引においては,登記のほか,占有に関する現況調査が重視されている)。 第1に,動産と不動産とを区別せず,占有による時効取得が認められている(民法162条)。 第2に,動産と不動産とを区別せず,占有に権利適法の推定を認められている(民法188条)。 |
|
ドイツ民法 | 不動産の場合には,占有は重視されないが,動産の場合には,以下のように,占有が重視されている。 第1に,動産についてのみ,占有による取得時効が認められている(ドイツ民法937条)。 第2に,動産についてのみ,占有による権利適法の推定が認められている(ドイツ民法1006条)。 |
登記を不動産物権変動の不可欠の要素とし(ドイツ民法873条,925条),不動産登記に公信力を認めている。したがって,不動産については,占有よりも登記が重視されている。 第1に,不動産については,わが国の民法とは異なり,占有ではなく,登記の継続による取得時効が認められている(ドイツ民法900条)。 第2に,不動産については,わが国の民法とは異なり,登記に権利適法の推定が認められており(ドイツ民法891条),占有には権利適法の推定が認められていない。したがって,所有者の返還請求に対しては,占有者に占有権原の立証責任が課されている(ドイツ民法986条)。 |
司法研修所の要件事実論 | 不動産の取得時効については,無過失の推定を認めないが(最一判昭46・11・11判時654号52頁),動産の善意取得においては,民法188条を適用して,無過失の推定を認めている(最一判昭41・6・9民集20巻5号1011頁)。 | 最高裁昭和35年判決(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁)を唯一の根拠として,不動産には,占有の権利適法の推定(民法188条)を認めない。そして,所有者の返還請求に対して,占有者に占有権原の立証責任を課している(ドイツ民法986条には適合的であるが,民法188条の規定には明らかに反している)。 |
以上のことから,司法研修所の要件事実論は,特に,物権的請求権に関する部分について,わが国における所有権に基づく請求権の規定(民法193条(所有権に基づく返還請求権),216条,233条,234条(所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権))を無視しており,しかも,ドイツ民法986条に従って,占有者の権利(民法188条)を無視するという,わが国の物権法秩序をないがしろにする理論を展開するに至っている。したがって,司法研修所の要件事実論は,わが国の民法に則した理論とするために,根本的な修正を必要としている。そのことを理解するためにも,司法研修所の要件事実論を理解する前に,わが国の民法の条文に則して,所有権に基づく請求権に関する真の姿(条文に顕著な事実)を知っておく必要があると思われる。
物権と債権とは,ドイツ民法だけでなく,わが国の民法の体系上も,厳格に峻別されているように見える。しかし,それらの権利が訴訟上で主張されるときは,すべて請求(Anspruch)という形式をとる。これまで学習した契約に基づく請求権の場合には,当然に請求権が問題となったが,物権に関する訴訟においても,物権そのもの(物に対する排他的支配権)が問題となるのではなく,物権に基づく請求権,特に,所有権に基づく請求権(所有権に基づく返還請求,所有権に基づく妨害排除請求,所有権に基づく妨害予防請求)が問題となる。
これまで,所有権そのものの問題とされてきた「所有権の確認の訴え」でさえも,訴訟においては,万人に対する権利(対世権)として主張されるのではなく,相手方に対する請求の形式をとるのであり,所有権を争う者に対する一種の妨害排除・予防請求と考えることができる。なぜなら,所有権の帰属が争われ,所有権に対する法的な妨害状態が生じている場合に,裁判所によって所有権の帰属が確定されると,それだけで,所有権に対する紛争が解決できる。したがって,このような場合には,所有権を争う者に対する所有者からの妨害排除・予防請求権として,所有権の確認の訴えが認められるのである(民事訴訟法134条)。
確かに,債権の場合には,その取得原因に基づいて,契約であれば,履行請求権,損害賠償請求権が発生し,事務管理であれば,費用償還請求権,不当利得であれば,返還請求権,不法行為であれば,損害賠償請求権,または,原状回復請求権というように,さまざまな請求権が発生する。しかし,物権の場合にも,1つの所有権であっても,そこから1つだけの請求権が生じるのではなく,物権の性質に応じて,使用・収益権,換価・処分権という異なる権利が問題となり,また,権利侵害の態様に応じて,上記の3つの請求権(返還請求権,妨害排除請求権,妨害予防請求権)という請求権が生じる。その点では,物権から生じる的請求権と債権から生じる請求権との間に差はないのであり,すべての訴えが,「請求」の形式をとっている以上,訴訟においては,債権と物権との区別はほぼ解消されていると考えてよい。
もっとも,物権的請求権は時効にかからないから,債権的請求権と区別されるのではないかとの疑問が生じるかもしれない。しかし,物権的請求権が消滅時効にかからないのは,所有権が妨害されている限り,請求権が絶えず発生するために,物権的請求権も消滅しないように見えるだけであり(大判大5・6・23民録22輯1161頁参照),個々の物権的請求権は,順次消滅時効にかかると解釈することができる。明文上も,物権的請求権は,物権だから消滅時効にかからないという必然性は存在しない。たとえば,後に詳しく論じるように,物権的請求権の1つである民法234条2項の所有権に基づく建築の中止(建築差止め)・建築の変更請求権は,建物の建築開始から1年で消滅することが,明文上明らかとなっている。したがって,「物権的請求権は消滅時効にかからない」という命題は,必ずしも,一般化することができないものであることを銘記すべきである。
司法研修所の要件事実論においては,この点についての実体法の考察が十分ではなく,以下のように,物権的請求権と債権的請求権とを厳格に区別して扱うことにしている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)3−4頁]。
原告が訴えを提起するには訴訟物を特定しなければなりませんが,訴訟物の特定の仕方は,権利の性質によって異なります。
物権は,権利の主体と権利の内容によって特定されます。これは,物権が絶対的,排他的権利であり,同一人に属する同一内容の物権は他に存在しないことによります。特定の土地の原告の所有権といえば,それは1個だけであり,取得原因によって異なる権利にはなりません。
これに対して,債権は,権利義務の主体,権利の内容,発生原因によって特定されます。これは,債権が相対的,非排他的権利であり,主体及び内容を同一とする権利が同時に複数成立することが可能だからです。この場合,発生原因が異なれば別個の権利になります(例えば,同種・同量の物を数回にわたり売買したときの各売買契約に基づく代金支払請求権相互の関係など)。
以上の司法研修所の要件事実論は,物権それ自体と,物権に基づく請求権とを混同しており,完全な誤解であるといわなければならない。物権であっても,訴訟物として現れる場合には,発生原因(侵奪か(→返還請求権)それ以外の妨害か(→妨害排除・予防請求権)というように,妨害の種類・性質ごとに,返還請求権,妨害排除請求権,妨害予防請求権というように変化し,訴訟物はそれぞれに異なる。すなわち,以下の*表2のように,訴訟物が,当事者と目的と目的物という要素によって特定されるという意味では,物権的請求権と債権的請求権との区別は存在しないのである。
所有権に基づく請求権 | 売買契約に基づく請求権 | |
---|---|---|
当事者 | XとY | XとY |
目的 | YによってX所有の甲土地の支配が奪われたため,その返還を求める | YがXに対し甲土地の売買代金の支払を求める |
YによってX所有の甲土地が妨害されているため,妨害の排除を求める (YがXの所有権を争うため,XがYに対し,所有権の確認を求める) |
XがYに対し甲土地の引渡を求める | |
YによってX所有の甲土地が妨害される危険があるため,妨害の予防を求める | XがYに対し甲土地の移転登記を求める | |
目的物 | 甲土地 | 甲土地 |
このように,司法研修所の要件事実論は,実体法上の所有権に基づく請求権について,その分析等をなおざりにしたまま,理論を構成しようとしているため,占有権原の立証責任の分配をはじめとして,多くの点で誤りに陥っている。そこで,ここでは,物権的請求権,特に,所有権に基づく請求権についての実体法上の権利を条文に則して,理解することから始めることにする。
わが国の民法には,占有訴権は別として,本権としての物権に関しては,所有権に基づく請求権を含めて,物権的請求権に関する明文の規定は存在しないというのが,[鳩山・物上請求権(1930)117頁]以来のわが国の通説であり,これまで,これに異議を唱える学説は存在しなかった。
しかし,わが国の民法にも,所有権に基づく請求権の明文の規定が存在することは,以下に示す条文を見れば一目瞭然であり,わが国の学説が,なぜ,このような間違った考え方を保持してきたかは,不明である。
考えうる原因の一つとしては,わが国の民法学が,立法直後から,ドイツ民法の影響を強く受け,大正期には,「ドイツ法でなければ民法ではない」という風潮がわが国の学説の主流を占めるほどになり,所有権に基づく請求権に関する詳細な規定を有するドイツ民法との比較から,わが国には,「物権的請求権,特に,所有権に基づく請求権の規定は存在しない」という誤った理論に民法学会全体が傾斜することになったことが考えられる。
司法研修所の要件事実論も,そのようなドイツ民法に影響を受けたわが国の民法学説から無縁でいられるはずもなく,所有権に基づく請求権について一般的な規定を有するドイツ民法にしたがって,要件事実論を構成することになるのも,自然の成り行きであったといえよう(司法研修所の要件事実論の特色をなすブロック・ダイアグラムにおいて,Kg,E,R,D,Tなどの記号が用いられているのが,すべて,ドイツ語の頭文字であることは,司法研修所の要件事実論が,ドイツのローゼンベルクの要件事実論を輸入したものであることを物語っている)。
しかし,不動産物権の領域に関しては,ドイツ民法に依拠することは,非常に危険である。なぜなら,ドイツ民法は,登記に公信力を認め,登記に権利適法の法律上の推定力を与えているのに対して,わが国の民法は,登記に公信力を認めず,対抗力を認めるのみであり(民法177条),登記には,権利適法の推定を与えず,むしろ,占有に権利適法の推定を与えている(民法188条)のであり,ドイツ民法に則して要件事実論を構成することは,わが国が採用する物権法秩序を破壊することになるからである。
たとえば,ドイツ民法によれば,以下のように,所有者は,占有者に対して目的物の返還請求ができるとし,占有者の方で正当権原を抗弁として立証しなければならないと規定している。
§985(所有者の返還請求権(Herausgabeanspruch))
所有者は物の占有者に対してその物の返還を請求することができる。
§986(占有者の抗弁(Einwendung des Besitzers))
@占有者又はその占有者に占有権を与えた間接占有者のいずれかが,所有者に対して占有権原を有している場合には,占有者は,所有者からの物の返還請求を拒絶することができる。(以下略)
しかし,不動産に関して占有よりも登記を優先するドイツ民法がそうだからといって,わが国においても,そうなるべきだということにはならない。わが国の民法は,登記には権利適法の推定の効力を与えていない(最一判昭34・1・8民集13巻1号1頁(所有権取得登記抹消手続請求事件),最三判昭38・10・15民集17巻11号1497頁(不動産登記抹消請求事件)も,登記には,事実上の推定力があるに過ぎないことを認めている)。むしろ,わが国の民法は,占有に権利適法の推定をおこなうことによって,占有者を保護している(民法188条)。したがって,わが国の民法の解釈としては,ドイツ民法とは異なり,所有者は,占有者に対して返還請求を行う場合には,所有者が,占有者に正当権原がないことを立証しなければならないと解さなければならない。
ところが,わが国の判例(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁),および,司法研修所の要件事実論は,このようなわが国の民法の規定を無視して,ドイツ民法986条の条文通りに,所有者が占有者に返還請求をした場合には,占有者の方で,占有権原を有していることを抗弁として主張立証しなければならないという,全く根拠のない理論を展開している。わが国の要件事実論は,わが国の民法の条文を尊重して理論を構成すべきであり,わが国の民法の条文を無視して,ドイツ民法の条文に従って理論構成を行っている司法研修所の要件事実論は,全面的に改定されるべきである。
わが国の民法は,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,少なくとも以下の3箇条の条文を有している。明文の規定であるため,それが,物権的請求権のうちの,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権,所有権に基づく返還請求権であるかどうかは,誰の目にも明らかである。それにもかかわらず,「所有権に基づく請求権については,わが国は明文の規定を欠いている」という誤った考え方が,4半世紀にわたって通説・判例となってきたこと,しかも,今なお,それが学説の一致した見解であることが,わが国の民法学の最大の悲劇であるといってよい。
第1は,民法216条であり,相隣関係の規定に含まれているものの,ある土地とその隣地の関係に限定されているわけではなく,工作物による危険が及ぶすべての土地に関連しており,単なる相隣関係の範囲を超えて,所有権に基づく妨害排除・予防請求権の典型的な規定として位置づけることができる。
第2は,民法233条1項であり,隣地の枝が境界線を越えて土地の所有権を妨害している場合について,その土地の所有権者は,隣地の所有権者に対して,枝を切除することによって妨害を排除するよう請求できることを明文で認めている(民法233条2項については隣地の根の所有者に対して,自らが妨害排除を行うことを忍容するよう求める請求権であり,受忍請求権の問題として後に詳しく検討する)。
第3は,民法234条であり,民法234条1項の境界線から50センチメートルの距離を保つことなしに建物を建築しようとしている隣地の所有者に対して,建築の中止,または,建築の変更を求めるものであり,これが,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権(建築差止請求権)である。この請求権が,民法199条の占有訴権とは別個の「所有権本権に基づく請求権」であることも,疑いの余地がない。
所有権に基づく返還請求権については,わが国の民法は,少なくとも,1箇条ではあるが,民法193条が占有者に対する本権に基づく返還請求権を規定している。
この条文(民法193条)は,善意取得の例外の条文として,占有の箇所に規定されているため,占有訴権であるかのように見える。しかし,その内容は,盗品または遺失物の所有者が,占有を失っていることを前提にして,盗品または遺失物の占有者に対して,本権に基づいて,その返還を求めることを認めた規定である。したがって,この規定が,占有訴権とは異なる所有権に基づく返還請求権を含んでいることについても,疑いの余地がない。
民法202条1項は,「占有の訴えは本権の訴えを妨げず,また,本権の訴えは占有の訴えを妨げない」と規定しており,上記の本権の訴えが,占有訴権と併存することを前提としている。
そこで,民法202条の意味について,本権である所有権に基づく請求権としての民法234条と占有訴権である民法199条,201条2項とを例に挙げて,両者の関係を整理しておこう。たとえば,ある土地の所有者Aの隣地の所有者BがAとの境界線から50センチメートルの距離を置かずに建物を建築しようとしたとする。
第1に,Aは,Bに対して,占有訴権を選択し,民法199条および201条2項に基づき,建築工事に着手した時から1年以内に「妨害の予防」として,工事の差止を請求することができる。第2に,Aは,Bに対して,本権の訴えを選択し,民法234条に基づき,建築工事に着手した時から1年以内に,「建築を中止」または建築の「変更」を請求することができる」。
このように,民法は,所有権に基づく請求権と占有訴権の両者を明文で規定し,かつ,所有者は,両者をともに利用することができるとしているのである。なお,ここで注意すべきは,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権について,民法234条が消滅時効(または除斥期間)を定めていることである。後に述べるように,通説・判例は,いわゆる「物権的請求権は消滅時効にかからない」と考えている。しかし,民法は,そのような一般化はしていないのである。わが国の民法は,いわゆる物権的請求権といえども,消滅時効にかかる場合があることを明確に規定していることに留意しなければならない。
現行民法とは異なり,旧民法財産編36条は,本権に基づく請求権(本権訴権)と占有訴権との関係を,以下のように一般的に規定していた。
旧民法 財産編 第36条
@所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得。但動産及び不動産の時効に関し,証拠編に記載したるものは此限に在らず。
A又所有者は第199条乃至第212条に定めたる規則に従ひ,占有に関する訴権を行ふことを得。
現行民法は,旧民法財産編36条の規定を削除したのであるが,その理由は,それに反対したからではなく,「占有権及び時効に関する規定に因りて自から明らかなるが故」[民法理由書(1987)243頁]であり,旧民法財産編36条の考え方(本権訴権と占有訴権との併存)は,民法202条1項にそのまま受け継がれている。言い換えると,いわゆる物権的請求権,特に,所有権に基づく請求権は,わが国の民法に明文(民法193条,216条,233条,234条など)をもって規定されている。そして,民法202条は,それを当然のこととして規定している。つまり,民法の立場は,占有訴権と本権訴権(所有権に基づく請求権,用益権(賃借権)に基づく請求権を含む)とがあれば十分であり,それ以外に,一般的な物権的請求権の概念を必要としてないのである。
このように考えると,わが国の学説が一貫して主張してきた「わが国には物権的請求権に関する明文の規定は存在しない」という誤った命題を金科玉条のように信奉し,それを補うために,ドイツ民法の条文に頼ってきた民法学のあり方自体が問われることになる。
物権的請求権には,物権的妨害排除請求権,物権的妨害予防請求権,物権的返還請求権の3種類があるというのが通説である。この3種類は,わが国の民法が占有訴権として規定してる占有保持の訴え(民法198条),占有保全の訴え(民法199条),占有回収の訴え(民法200条)に対応しており,その占有訴権の名称ではなく,その内容が,以下のように,「妨害の停止」(民法198条),「妨害の予防」(民法199条),「物の返還」(民法200条)となっていることに由来している。
第198条(占有保持の訴え)
占有者がその占有を妨害されたときは,占有保持の訴えにより,その妨害の停止及び損害の賠償を請求することができる。
第199条(占有保全の訴え)
占有者がその占有を妨害されるおそれがあるときは,占有保全の訴えにより,その妨害の予防又は損害賠償の担保を請求することができる。
第200条(占有回収の訴え)
@占有者がその占有を奪われたときは,占有回収の訴えにより,その物の返還及び損害の賠償を請求することができる。
A占有回収の訴えは,占有を侵奪した者の特定承継人に対して提起することができない。ただし,その承継人が侵奪の事実を知っていたときは,この限りでない。
これらの占有訴権は,占有を伴う物権を有する者(本権者)は,当然に,これを利用できる。また,占有に関する本権には,賃借権者,受寄者等も含まれるのであり,占有を伴う債権も本権となるので,債権者においても,占有訴権を利用することができる(民法202条)。反対に,物権であっても,占有を伴わない物権,たとえば,先取特権,抵当権等は,占有訴権を有しない。
物権的請求権について,一般的な規定を有するとされるドイツ民法においても,質権のように占有を伴う物権については,所有権に基づく請求権の規定が全面的に準用されているが(ドイツ民法1227条),抵当権については,所有権に基づく請求権の準用はなく,妨害排除・妨害予防のみが認められる(ドイツ民法1133条-1135条)というように,それぞれの権利に応じた適切な対応がなされている。
所有権に基づく請求権に関しては,誰が相手方の行為を請求できるのか,それとも,所有権者が自力で妨害を排除することを相手方に受忍するように求めることができるだけなのかが問題となる。この問題については,以下の順序を追って考察するのが適切である。
第1に,1つの条文の中で,所有権に基づく妨害排除に関して行為請求権と受忍請求権とをかき分けている民法233条について分析する。第2に,受忍請求権に特化して,隣地への立ち入りを認めることを規定している民法209条について分析する。第3に,妨害排除・妨害予防を含めて,行為請求権を規定している民法216条と234条とを,請求権の主体と相手方の特定の問題を含めて考察する。
行為請求権と受忍請求権との違いを明確に規定しているのは,民法233条である。民法233条1項は,甲土地(隣地)の竹木の枝が境界線を越えて乙土地の所有権を妨害している場合に,乙土地の所有者に,その枝を切除するように請求する権利(所有権に基づく妨害排除請求権)を認めている。
これに対して,甲土地(隣地)の竹木の根が境界線を越えて乙土地の所有権を妨害している場合には,乙土地の所有者に,その根を切り取ることを認めている。これは,一見,自力救済を認めたものであるかのように見えるが,実は,乙土地の所有者が自ら妨害排除を行うことを甲土地(隣地)の所有者が受忍しなければならないという義務が法律によって課され,その結果,乙土地の所有者は,妨害目的物の所有者である甲土地(隣地)の所有者に対して,妨害を排除することを受忍せよとの受忍請求権を取得しているのである。
同じ土地所有権を妨害する物でありながら,竹木の枝と根とを区別したのは,なぜか。それは,以下の2つの考慮によるものと考えられる。
第1は,民法211条1項に規定されている原理であるが,権利者にとって「必要であり,かつ,他の土地のために損害が最も少ないものを選ばなければならない」という,所有権に基づく請求権に関する根本原理としての「必要かつ損害最小限の原理」への考慮が働いていると考えられる。
甲土地の竹木の枝が乙土地の境界線を越えているときに,乙土地の所有者に妨害排除請求権を認める場合には,乙土地の所有者が甲土地の境界を越えて切除するのではなく,甲土地の所有者にその枝を切除させる方が,損害を最小限に抑えることができる。なぜなら,甲土地の所有者は,妨害を除去するために,枝のどの部分から切除するかを決定することができからである。しかも,場合によっては,その竹木を移植することによって,乙土地の所有権の妨害が停止され,かつ,甲土地の所有者にとっても損害が全くないという結果を実現することも可能となる。
これに対して,甲土地の根が乙土地の境界線を越えているときに,乙土地の所有者に妨害排除請求権を認める場合は,甲土地の所有者が乙土地の境界を越えて根を切り取るのではなく,乙土地の所有者にその根を切り取らせる方が,損害を最小限に抑えることができる。乙土地の所有者は,根を元から切り取るのではなく,妨害が生じている部分だけを切り取るという選択をすることによって,甲土地の所有者の損害を最小限に抑えることが可能となるからである。
第2は,妨害が妨害する側の者の目に見えるか,目に見えないかの区別(帰責性への考慮)があると考えられる。目に見える妨害の場合には,妨害をしている方(枝をはみ出させている帰責性のある甲土地の所有者)に妨害排除義務を課すのが適切である。これに対して,妨害が目に見えない場合には,帰責性のない妨害者ではなく,妨害を受けている側(根によって妨害を受けている乙土地の所有者)に相手方への受忍請求権を与えるのが適切である。
甲土地の竹木の枝が,見える部分で隣地である乙土地の所有権を妨害している場合には,甲土地の所有者に帰責性があるため,乙土地の所有者に相手方に対する行為請求権(枝を切り取るという行為請求権)を認めるのが妥当である。これに対して,甲土地の竹木の根が見えない部分で隣地である乙土地の所有権を妨害している場合には,甲土地の所有者には帰責性が認められないため,乙土地の所有者に行為請求権を与えるのではなく,相手方に対する受忍請求権(根の切り取りを受忍せよとの権利)を認めるのが妥当である。すなわち,妨害者に帰責性がある場合には,所有者に行為請求権を与え,妨害者に帰責性がない場合には,所有者に行為請求権ではなく,受忍請求権を認めるのが適切である。すなわち,所有権に基づく請求権のデフォルト値(初期値)は,受忍請求権であるということになる。
物権的請求権のデフォルト値(初期値)は,受忍請求権であるという考え方は,阪神淡路大震災のように,不可抗力によって甲土地の建物や竹木が倒れて乙土地の所有権を侵害している場合を想定してみるとよくわかる。このような場合には,所有権に基づく請求権を絶対視して,甲土地の所有者に対する乙土地の所有者の行為請求権を認めるのは適切ではなく,逆に,甲土地の所有者が,乙土地に立ち入って後片付けをすることを認める,すなわち,妨害者である甲土地の所有者の方に,乙土地の所有者に対する受忍請求権(立入請求権)を認めるのが妥当であろう。このように,所有権に基づく受忍請求権は,妨害者に帰責性のない場合の解決方法として,デフォルト値(初期値)として尊重することが適切である。
受忍請求権を考える上で,重要な論点のひとつに,たとえば,甲土地の所有者の洗濯物が風で飛ばされて乙土地の上に落下したり,甲土地でボール遊びをしていてボールが,乙土地に飛んでいったりしたような場合に,甲土地の所有者は,乙土地に立ち入って洗濯物やボールを探して引き取ることを要求できるかどうかである。この点について,ドイツ民法には,以下のような明文の規定がある(ドイツ民法867条)。
§867 BGB(占有者の探索・引取の忍容請求権)
物が占有者の支配を離れて他人の占有する土地の上に移動した場合に,土地の占有者がその物を自己の占有に移転しない間は,その物の探索(Aufsuchung)及び引取り(Wegschaffung)を忍容しなければならない。その場合において,土地の占有者は,探索及び引取りによって受けた損害の賠償を請求することができる。また,損害発生のおそれがあるときは土地の占有者は,担保の供与があるまで,探索及び引取りを拒絶することができる。ただし,遅延によって損害が生じるおそれがあるときは,探索及び引取りを拒絶することができない。
わが国には,上記のような他人の土地への立入忍容請求権についての明文の規定がない。このため,このような請求権は,物権的請求権の3つの類型に該当せず,第4の類型として独立した類型と考えるべきであるとの主張がなされている[山田・引取請求権(1983)1頁以下]。
しかし,このような請求権は,先に述べたように,所有権に基づく妨害排除請求権について,相手方が進んでその義務を履行しようとするものに過ぎない。すなわち,これは,妨害排除義務を負う側の方から,自ら妨害排除を行うことの認容を求めるものに過ぎず,妨害排除に関する忍容請求権として位置づければ足りる。
確かに,民法233条2項(竹木の根の切り取り)の場合には,妨害を受けた乙土地の所有者から,根の所有者(甲土地の所有者)に対して,根の切り取りを受忍する請求権を認めている。しかし,一定の要件を満たした場合には,逆に,根の所有者(甲土地の所有者)が自ら妨害を排除すること,すなわち,乙地に立ち入って根を切り取ることの認容を請求することを認める方が効率的な場合もありうる。その場合が,「必要かつ損害最小限」の原則(民法211条1項)を満たす場合には,甲土地の所有者からの乙土地への立入受忍請求権が認められるべきであろう。
民法の相隣関係の最初の規定である民法209条が,隣地への立入受忍請求権を規定していることは,この意味で,重要な意義を有するといえよう。したがって,立入受忍請求権を物権的請求権の第4類型とすることを提唱する学説[山田・引取請求権(1983)1頁以下] が,条文上の根拠として民法209条の類推を示唆しているのは,むしろ,当然のことといえよう。
このようにして,わが国の民法は,所有権に基づく請求権について,所有権に基づく返還請求権(民法193条),所有権に基づく妨害排除請求権(民法216条,民法233条1項),所有権に基づく妨害予防請求権(民法216条,234条)の3類型ばかりでなく,所有権に基づく妨害排除・予防請求権を実現するために,権利者から妨害者に対する受忍請求権(民法233条2項),または,妨害者から所有者に対する受忍請求権(民法209条)といういわゆる第4の類型も認めており,条文の数は少ないとはいえ,内容的には,所有権に基づく請求権のすべての類型について,ドイツ民法に劣らない明文の規定を有していることが明らかになったと思われる。
所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関して,侵害を受けた,または,侵害の恐れがある所有者から,妨害者に対して行為請求権が請求できるのは,妨害者に帰責事由がある場合であり,妨害者に帰責事由がない場合には,所有者には,行為請求権ではなく,妨害排除に関する受忍請求権が認められていることについては,民法233条,および,民法209条の分析を通じて明らかにした。
このことを,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関して,所有者に行為請求権を認めた民法216条,234条を通じて再確認することにしよう。
民法216条は,土地に貯水,排水又は引水のために設けられた「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」と規定している。この場合において,工作物の破壊又は閉塞により,所有権侵害,または,損害の発生することは,工作物のある土地の所有者にとって予見可能であり,かつ,その回避が可能である。したがって,工作物の所有者に帰責事由があることは明らかであり,行為請求権が認められている。
また,民法234条の場合にも,所有権に基づく建築差止め,または,建築変更の請求権が認められるためには,建物を築造しようとする者に,民法234条1項の違反(境界線から50センチメートル以上の距離を保つべきことに対する違反)があることが要件とされており,したがって,行為請求権が認められている。
なお,民法234条は,物権的請求権について,1年間の除斥期間を認めており,所有権に基づく請求権は,時効にかからないという命題が,普遍的な命題ではないことを明らかにしている点でも注目に値する。
所有権に基づく請求権の法的性質,種類等が明らかになると,次に,所有権に基づく請求権間の競合の問題をも容易に解決することができる。以下の例は,境界を接する宅地と田との間で,土砂が落下して迷惑をしている田の所有者が妨害排除請求をすることができるのか,それとも,田を作る際に土砂が崩壊しないように配慮すべきであったことを理由に,家屋の崩壊のおそれがある敷地の所有者が,田の所有者に対して妨害予防請求をできるのかが争われた事例である(大判昭12・11・19民集16巻1881頁)
大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件)民法判例百選T第46事件
土地の所有者は,其の隣地が自己の所有地内に崩壊するの危険ある場合に於ては,該危険が隣地所有者の行為に基きたると否とを問はず,又,隣地所有者に故意過失の有無を問はず,隣地所有者に対し該危険の防止に必要なる相当設備の施行を請求することを得るものとす。
X(被控訴人,原告)の先代Aの所有宅地に隣接して畑を所有するBは,@昭和7年5月,その畑を掘下げて水田に変換するに際し,A所有の宅地との境界線上から垂直に掘下げたため,Aの宅地とBの水田との境界に直高約73cmの断崖を生じさせた。AY(控訴人,被告)は昭和10年2月12日,Bからこの水田を買受けて所有権を取得し,BXは同年3月30日,先代Aの死亡による家督相続の結果,Aの宅地の所有権を取得した。現在のところ,CXとYの両地の境界における断崖は,一部は斜面となり,一部はその下部において窪んで洞窟状となり,そのような断崖の状況は,過去においてX所有宅地の土砂がY所有水田内へ崩落したためであり,一方,X所有の宅地上には境界からわずか約1.8mを距てて住居としての家屋があり,しかも,Xの宅地の地質は砂地であるため,Xの宅地は将来,その断崖からYの水田内へ自然崩壊する危険が生じている。
図1 大判昭・12・11・19民集16巻1881頁 |
上記の事実関係に基づき,DXは,その宅地の所有権に基き,Yに対して,断崖の崩落の危険を予防するため,特定の設備の施行を求めたところ,原審は,Xの主張を入れて,Yに対し,危険防止に必要な特定の設備の施行を命じた。そこで,これを不服として,Yが上告した。
上告棄却。
凡そ所有権の円満なる状態が他より侵害せられたるときは,所有権の効力として其の侵害の排除を請求し得べきと共に,所有権の円満なる状態が他より侵害せらるる虞あるに至りたるときは,又,所有権の効力として,所有権の円満なる状態を保全する為,現に此の危険を生ぜしめつつある者に対し,其の危険の防止を請求し得るものと解せざるべからず。
土地の所有者は,法令の範囲内に於て,完全に土地を支配する権能を有する者なれども,其の土地を占有保管するに付ては,特別の法令に基く事由なき限り,隣地所有者に侵害又は侵害の危険を与へざる様,相当の注意を為すを必要とするものにして,其の所有にかかる土地の現状に基き,隣地所有者の権利を侵害し若くは侵害の危険を発生ぜしめたる場合に在りては,該侵害又は危険が不可抗力に基因する場合,若くは,被害者自ら右侵害を認容すべき義務を負ふ場合の外,該侵害又は危険が自己の行為に基きたると否とを問はず,又,自己に故意過失の有無を問はず,此の侵害を除去し,又は,侵害の危険を防止すべき義務を負担するものと解するを相当とす。
果して然らば,被上告人は,其の土地所有権に基き,現に隣地の所有者たる上告人に対し,右危険の防止に必要なる相当設備を請求する権利を有すること前説示するところに照し,洵に明白なりと云ふべく,従て被上告人の右請求を容認したる原判決には所論の如き違法あるものにあらず。
原審は証拠に依りて,被上告人所有の本件宅地は,将来,其の断崖面に於て上告人所有の水田地内に自然崩壊するの危険あること,並に,右宅地上には人の住居に供する家屋あり,該家屋と前記崩落の虞ある個所との距離は僅々約一間なることを認定し,斯くては安んじて右宅地上に生活を営むを得ざるものなりと為し,本件宅地の崩壊に因りて生ずることあるべき損害は極めて重大なりと判示したるものにして,かかる重大なる危険に対し,原判決主文表示の如き予防設備を命じたるは洵に相当にして,上告人に対し過大の負担を課したるものと為すを得ず。
本件は,従来の物権的請求権に関する学説(行為請求権説,受忍請求権説,責任説)のうち,どの説が最も妥当な説かを判断する試金石として,重要な意義を有する事案である。なぜなら,本件は,土砂の落下による侵害を被っているYがXに対して妨害排除請求をするのが通常のように見える事案であるにもかかわらず,判例は,それとは逆に,XにYに対する予防工事の請求を認めることを通じて,自分の土砂を落下させているXから,いかにも被害者に見えるYに対する妨害予防請求権を認めており,判例法理の理論的根拠の解明が望まれているからである。
判決は,この点に関して,妥当な結論を述べているのであるが,その根拠となる条文を示していない。しかし,民法の条文を丁寧に検索すると,本件の紛争を解決するにふさわしいいくつかの条文を見つけることができる。それらの条文を活用して,様々な解決方法を模索した後,本件の解決に最もふさわしい条文を選び出すことにしよう。
第1は,本件判決が示しているように,Xの請求を認め,Yに妨害予防措置として,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を義務づけることである。判例は,民法の条文を引用することなく,物権的請求という根拠のない概念を使っているが,物権的請求権という概念が安易に用いられるべきでないことは,すでに述べた。民法にない概念を無理に使う前に,まず,民法にある具体的な条文が活用されるべきである。
民法216条を見てみよう。「工作物の破壊又は閉塞により,自己の土地に損害が及び,又は及ぶおそれがある場合には,その土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」という,本件に利用できそうな規定があることがわかる。もっとも,この規定は,すべての工作物ではなく,「上流にある貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という限定が加えられている。これに対して,本件の事案では,いわば下流の施設について上流の土地所有者が請求するという逆向きの請求になっている。そこで,民法216条については,予防工事が認められる要件を厳密に検討し,その検討の結果を踏まえて,多少の抽象化(類推の可能性)を図る必要がある。
民法216条が,所有権に基づいて,予防工事を認めているのは,第1に,貯水,排水又は引水のために設けられた工作物によって他人の土地に損害が生じるおそれが生じているからであるが,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」という制限は,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある土地工作物」一般に置き換えることが可能である。そのような抽象化の代わりに,「危険な土地工作物の設置については,設置者の帰責性が要求される」という制約条件を付加することによって,抽象化による危険を回避することができよう。つまり,民法216条は,「貯水,排水又は引水のために設けられた工作物」だけでなく,「他人の土地に危害を及ぼすおそれのある工作物の設置・保存に瑕疵がある場合」にも類推が可能であると考えられる。
この考え方を本件の事案に応用してみよう。Yが行った行為は,畑を水田という設備に作り直す際に,民法237条の趣旨を無視して,境界から距離を置かずに田を設置した結果,危険な断崖が生じていると考えられる。そうだとすると,本件の危険な断崖について,民法216条の規定を類推することができると思われる。
通常であれば,土砂を他の土地(田)に落下させているXに対して,田の所有者であるYから妨害排除の請求ができそうにも見える。しかし,本件においては,危険な崖を作り出したことについて,帰責性のあるのはYであって,Xにはないことが重要である。この点を考慮して,通常なら認められるはずのYからの妨害排除請求を否定し,Xからの予防工事請求のみを正当化できる点に,この考え方のメリットがある。
第2は,Yがやるべきことをやらないのであるから,Xの方からYの土地に立ち入り,土地の崩壊防止に必要な設備の設置を行うことを認めることである。その際,これらの場合において,費用負担は,誰がすべきだろうか。
相隣関係の最初の規定である民法209条は,「境界又はその付近において障壁又は建物を築造し又は修繕するため必要な範囲内で,隣地の使用を請求することができる」と規定してる。したがって,Xの方からYの田に立ち入って,土地の崩壊防止に必要な障壁を築造または修繕することができる。
第3に,判決の結論とは逆に,YにXに対する妨害排除請求(落下物に対する予防・妨害排除請求)を認めることはできるであろうか。
もしも,通説のように,条文の根拠なしに,無過失責任としての物権的請求権を認めることになると,Xの土地から落下している土砂に対して,Yから妨害排除請求を認めることも可能となるはずである。
しかし本件の場合,土砂の落下の原因である断崖を作ったのは,Yの前主であるBであり,Bが作成した危険な状態を放置しているために土砂の落下が生じても,妨害排除請求は認めるべきでないと思われる。
しかし,その結論(土砂の落下の危険にさらされているYの物権的請求権を否定する)を導くための理論は,費用負担は別として,通説のように,無過失責任としての物権的請求権の存在を認める以上は,見つからないのではないだろうか。
この問題を解決するために,物権的請求権とは,侵害者にたいする作為請求権ではなく,侵害者に対する忍容請求権に過ぎない。すなわち,Xは,Yに対して,「危険の防止に必要なる相当設備」を請求する権利という作為請求権を有するのではなく,XがYの土地に立ち入り,Yの費用で「危険の防止に必要なる相当設備」を設置することを受忍せよという,忍容請求権を有するに過ぎない(前記の第2の解決方法しか認めない)という考え方がある。しかし,この考え方によれば,本件における妥当な結論である判例の見解を否定しなければならなくなる上に,民法が明文で認めている216条の「工作物の修繕・障害の除去・予防工事請求権」,および,民法235条の「目隠し設置請求権」を否定することになり,わが国の民法の解釈論としては成り立たない考え方であろう。
もっとも,忍容請求権の考え方自体が否定されるべきではない。むしろ,不可抗力の場合,すなわち,侵害者に故意または過失がない場合,または,所有者に忍容義務がある場合には,所有者の行為請求権が成立しないという意味で,認容請求権(忍容義務)は,大きな意味を有している。
判決のような妥当な結論を導くためには,ドイツから輸入された一般的な物権的請求権という考え方にとらわれるのではなく,わが国の民法に規定された,占有訴権,および,相隣関係において規定されている所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権に関する条文およびその趣旨を考慮した上で,具体的な事例に適合することのできる緻密な解釈論を展開すべきではないだろうか。
このように考えると,大判昭12・11・19民集16巻1881頁(危険予防設備請求事件)民法判例百選T第46事件の判旨は,最高裁民事判例集に掲載された,判決理由の法理を反映していない不正確な要旨とは異なり,以下のようにまとめることができよう。
〔1〕甲土地の所有者は,隣接する乙土地の所有者,または,前主が境界線上より掘り下げて断崖を生じさせ,甲土地(宅地)に自然崩壊の危険を生じさせた場合には,乙土地の所有者に対して,危険防止に必要な相当の設備の施行を請求することができる。
〔2〕乙土地の所有者は,隣接する甲土地の土砂が乙土地に崩落する危険があり,または,土砂が崩落している場合には,原則として,甲土地の所有者に対して侵害の防止または除去を請求することができる。ただし,その原因が,不可抗力による場合,または,自ら若しくはその前主が乙土地を境界線上より垂直に掘り下げて断崖を生じさせたことによるため,その侵害を受忍する義務がある場合には,乙土地の所有者は,甲土地の所有者に対して,侵害の防止または除去を請求することができない。
所有権に基づく請求権に関しては,だれが費用を負担すべきかが問題となる。わが国の民法には,物権的請求権についての規定はなく,費用負担についての規定もないとされてきた。しかし,相隣関係の規定全体を見ると,費用負担に関して,以下の原理を抽出することができる。
第1に,一方だけの利益になる場合には,「自己の費用で」(民法215条,231条),または,「費用の増加額を負担しなければならない」(民法227条但し書き)と規定されている。
第2に,両者の利益になる場合には,「利益を受ける割合に応じて費用を負担しなければならない」(民法221条,222条,224条但し書き)と規定されている。
第3に,設備が共有となる場合には,「共同の費用で」(民法223条,225条),または,「相隣者が等しい割合で負担する」(民法221条2項,222条3項,226条)と規定されている。
所有権に基づく請求権は,所有権者が,その目的物の排他的な支配(使用・収益,換価・処分)を侵奪,または,侵奪以外の方法で妨害している者に対して,物の返還,または,物の妨害の除去,または,妨害の予防を請求する権利である。したがって,所有権に基づく請求権の権利主体は,目的物の所有者であり,相手方は,目的物を侵奪したり,妨害したり,妨害のおそれを生じさせている者である。
所有権に基づく請求権の相手方については,所有権の目的物を妨害している占有者であるのが原則である。しかし,例外として,占有をしていないがその物の処分権を有している者,処分権を有するとの外観を有している者も含まれると解されている。
例外として,目的物の登記名義人も,所有権に基づく請求権の相手方となることを明らかにしたのは,平成6年最高裁判決(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁)である。
最三判平6・2・8民集48巻2号373頁(建物収去土地明渡請求事件)(民法判例百選T第47事件)
甲所有地上の建物の所有権を取得し,自らの意思に基づいてその旨の登記を経由した乙は,たとい右建物を丙に譲渡したとしても,引き続き右登記名義を保有する限り,甲に対し,建物所有権の喪失を主張して建物収去・土地明渡しの義務を免れることはできない。
X(原告,控訴人,上告人)は,平成2年11月5日,本件土地を競売による売却により取得したが,本件土地上には,本件建物が存する。本件建物はYの夫であるAの所有であったが,Aが昭和58年5月4日に死亡したため,Yが相続によりこれを取得して,同年12月2日にその旨の登記を経由した。Yは,同年5月17日,本件建物をBに代金250万円で売り渡したが,登記簿上,本件建物はY所有名義のままとなっている。
本件訴訟において,Xは,本件建物の所有者はその所有権移転登記を有するYであり,同人が本件建物を所有することにより本件土地を占有していると主張して,所有権に基づき本件建物収去による本件土地明渡しを求めるのに対し,Yは,Bへの売却により本件建物の所有権を失ったから本件土地を占有するものではないと主張するところ,原審は,右事実関係の下において,Yの主張を容れ,Yが本件建物を所有し本件土地を占有しているとのXの主張は理由がないとして,Xの右請求を棄却すべきものとし,これと同旨の第一審判決に対するXの控訴を棄却した。これを不服として,Xが上告。
図1 最三判平6・2・8民集48巻2号373頁 |
破棄自判。
1 土地所有権に基づく物上請求権を行使して建物収去・土地明渡しを請求するには,現実に建物を所有することによってその土地を占拠し,土地所有権を侵害している者を相手方とすべきである。したがって,未登記建物の所有者が未登記のままこれを第三者に譲渡した場合には,これにより確定的に所有権を失うことになるから,その後,その意思に基づかずに譲渡人名義に所有権取得の登記がされても,右譲渡人は,土地所有者による建物収去・土地明渡しの請求につき,建物の所有権の喪失により土地を占有していないことを主張することができるものというべきであり(最高裁昭和31年(オ)第119号同35年6月17日第二小法廷判決・民集14巻8号1396頁参照),また,建物の所有名義人が実際には建物を所有したことがなく,単に自己名義の所有権取得の登記を有するにすぎない場合も,土地所有者に対し,建物収去・土地明渡しの義務を負わないものというべきである(最高裁昭和44年(オ)第1215号同47年12月7日第一小法廷判決・民集26巻10号1829頁参照)。
2 もっとも,他人の土地上の建物の所有権を取得した者が自らの意思に基づいて所有権取得の登記を経由した場合には,たとい建物を他に譲渡したとしても,引き続き右登記名義を保有する限り,土地所有者に対し,右譲渡による建物所有権の喪失を主張して建物収去・土地明渡しの義務を免れることはできないものと解するのが相当である。けだし,建物は土地を離れては存立し得ず,建物の所有は必然的に土地の占有を伴うものであるから,土地所有者としては,地上建物の所有権の帰属につき重大な利害関係を有するのであって,土地所有者が建物譲渡人に対して所有権に基づき建物収去・土地明渡しを請求する場合の両者の関係は,土地所有者が地上建物の譲渡による所有権の喪失を否定してその帰属を争う点で,あたかも建物についての物権変動における対抗関係にも似た関係というべく,建物所有者は,自らの意思に基づいて自己所有の登記を経由し,これを保有する以上,右土地所有者との関係においては,建物所有権の喪失を主張できないというべきであるからである。もし,これを,登記に関わりなく建物の「実質的所有者」をもって建物収去・土地明渡しの義務者を決すべきものとするならば,土地所有者は,その探求の困難を強いられることになり,また,相手方において,たやすく建物の所有権の移転を主張して明渡しの義務を免れることが可能になるという不合理を生ずるおそれがある。他方,建物所有者が真実その所有権を他に譲渡したのであれば,その旨の登記を行うことは通常はさほど困難なこととはいえず,不動産取引に関する社会の慣行にも合致するから,登記を自己名義にしておきながら自らの所有権の喪失を主張し,その建物の収去義務を否定することは,信義にもとり,公平の見地に照らして許されないものといわなければならない。
3 これを本件についてみるのに,原審の認定に係る前示事実関係によれば,本件建物の所有者であるYはBとの間で本件建物についての売買契約を締結したにとどまり,その旨の所有権移転登記手続を了していないというのであるから,Yは,Xに対して本件建物の所有権の喪失を主張することができず,したがって,本件建物収去・土地明渡しの義務を免れないものというべきである。
そうしてみると,本件建物の譲渡を理由に被上告人は本件土地の占有者に当たらず,建物収去・土地明渡しの義務を負わないとした原審の判断には,右明渡義務が認められる場合についての法令の解釈適用を誤った違法があり,右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから,その趣旨をいう論旨は理由があり,原判決は破棄を免れず,前示事実関係に照らせば,上告人の請求は認容すべきものである。
通説([司法研修所・類型別(2006)58頁])は,建物所有による土地の占有によって土地の所有権が侵害されている場合,土地所有者には,土地返還請求権が発生するだけであって,建物収去は,土地明渡しの手段ないし履行態様であるにすぎないと考えている(訴訟物1個説)。この見解に基づいている本判決においても,参照条文には,返還請求権に関する民法200条しか挙げられていない。
しかし,これに対して,[遠藤・注解財産法2(1997)27頁]は,建物収去と土地明渡しの執行方法は明らかに異なるから,建物の収去が土地明渡しの手段ないし履行態様にすぎないというのは無理があると批判している。確かに,建物収去が認められなければ土地明渡しも認められないのであるから,両者は密接不可分の関係にあり,両者を1つの訴訟物と考えることも可能であるように見える。しかし,建物収去が認められないままに(たとえば,建物買取請求権が認められた場合など)土地明渡し請求のみが認められることがあるのであるから,建物収去と土地明渡しとは,別の訴訟物と考えるべきであろう(訴訟物2個説)。通説・判例が,旧訴訟物理論を採用しながら,根拠条文も執行方法も異なる建物収去(民法198条)と土地明渡し(民法200条)とを1つの訴訟物であるとするのは,ご都合主義のそしりを免れない。
訴訟物1個説を主張する[吉川・明渡請求の要件事実(2005)89頁],[塚原・民事裁判の主文(2006)113頁]が,請求の趣旨に関して,「建物を収去して目録記載の土地を明け渡せ」と書くべきところを,「収去して」の後に「,」(読点)を入れると,訴訟物に関する2個説のように読めるので,これを入れるべきでないとするのは,要件事実論者の本質(不親切の親切)がよく表れている。
この判決は,競売による土地の買受人に,建物収去(妨害排除)および土地明しを認めた判決である。しかし,建物収去の相手方が,建物の収去権を有している者(建物の現在の所有者B)ではなく,単にその建物の登記名義人である者(建物の売り主Y)であり,しかも,土地明渡しの相手方も,土地を全く占有していない者(Y)であり,Yに対して土地明渡しの判決を下しても,Yは,本件土地も建物も占有していないのであるから,何の執行もできない実現不能な判決である。
判決は,Xとの関係では,Yを土地所有者だと認定し,その理由を民法177条に求めている。しかし,民法177条は,不動産物権を取得しても,登記がなければ,第三者に対抗できないとする規定であり,反対に,登記を得ていれば,第三者に所有権の取得を対抗できるという,公信力を認めた規定ではない。
本件の適用条文は,所有権に基づく建物収去という,所有権に基づく妨害排除請求権(民法189条の類推),および,所有権に基づく土地の明渡しという,所有権に基づく返還請求権(民法200条の類推)に求められるべきであり,請求の相手方は,当該土地の所有権を妨害している者に対する妨害排除と返還請求である。本件の場合,被告となっているYは,土地を占有しているわけではなく,土地の上にある建物について,すでにその建物をBに譲渡したが,登記名義だけが残っているにすぎない者であり,妨害があるとすれば,Bに移転登記をすべき義務を負っているだけであり,これを実現するには,Bの協力が必要であるため,Xは,Aの権利に代位して,Bに対して登記の移転を受領すべき訴えを提起すべきであって,Yを相手方とする根拠はどこにも存在しない。
本判決は,訴訟の相手方の選択の誤りを,実体法の問題として解決しようとしたところにそもそもの誤りがあり,下された判決も,当事者を誤っているために,理論上は,執行不法の判決といわざるを得えない。
訴訟の相手方を誰にするかは,それ自体が困難な問題であるが,それは,すべての訴訟につきまとう問題であり,今回の事件は,原告が訴訟の相手方を誤った事件に過ぎず,最高裁は,1審,2審の判断を尊重すべきであったのを,公平の観点を持ち出して破棄したものであるが,結果は,惨憺たるものであり,無価値な判決である。
最高裁は,これに懲りることなく,駐車場に放置された自動車の妨害排除事件(車両撤去土地明渡事件)について,1審,2審の請求棄却判決を破棄し,自動車の所有名義人(クレジット会社)を相手方として,自動車の撤去を認める可能性を示唆する判決を下している(最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,金判1314号24頁)。
最三判平21・3・10民集63巻3号385頁,判タ1306号217頁,金法1882号78頁,金判1314号24頁
動産の購入代金を立替払した者が,立替金債務の担保として当該動産の所有権を留保する場合において,買主との契約上,期限の利益喪失による残債務全額の弁済期の到来前は当該動産を占有,使用する権原を有せず,その経過後は買主から当該動産の引渡しを受け,これを売却してその代金を残債務の弁済に充当することができるとされているときは,所有権を留保した者は,第三者の土地上に存在してその土地所有権の行使を妨害している当該動産について,上記弁済期が到来するまでは,特段の事情がない限り,撤去義務や不法行為責任を負うことはないが,上記弁済期が経過した後は,留保された所有権が担保権の性質を有するからといって撤去義務や不法行為責任を免れることはない。
もっとも,この事件の場合には,弁済期が経過した後は,相手方であるクレジット会社が目的物について処分権を有するに至るため,この事件については,所有名義人を妨害排除事件の相手方とすることが許される。しかし,その理由は,決して,クレジット会社が所有権留保によって所有名義を有していたからではない。所有権留保(実質的な譲渡担保)に基づく担保権が,実行可能な状態となることによって,クレジット会社に目的物の処分権限が生じたからに過ぎない。
すなわち,この判決の事案は,駐車場の所有者であるXが,駐車中の自動車について,同自動車の購入代金を立替払して同自動車の所有権を留保しているY(クレジット会社)に対し,同自動車の撤去と駐車場の明渡し等を求めたものであり,所有権に基づく請求権の相手方が,単なる所有名義人ではなく,目的物の処分権を有している点で,上記のリーディング・ケースの場合とは,事案が異なっており,具体的な妥当性を有するものとなっているのである。
これに対して,本件(最三判平6・2・8民集48巻2号373頁)の場合には,目的物について,Yには,何らの処分権限もないのであるから,所有名義があるからという理由だけで,建物収去(妨害排除請求),および,土地明渡請求のの相手方とすることは,無意味なのである。
Xの言い分私は,平成17年4月4日,甲土地を所有者であるAから代金1800万円で買い受けて現在所有しています。ところが,Yが勝手に甲土地全体を駐車場として常時使用して占有しています。Yには何らの占有権原もありませんし,もちろん私がこの土地を手放したりしたことはありません。このような勝手なことをされては困りますので,Yに対して甲土地の明渡しを求めます。 Yの言い分私は,平成17年9月9日,所有者であるXから代金2000万円で甲土地を買い受けて占有しています。ですから,現在は私が甲土地を所有しているわけで,今更Xが所有しているなどとは言えないはずです。
争点整理
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司法研修所の要件事実論によれば,本問では,Yは,甲土地全体を占有しているため,請求の趣旨は,所有権に基づく妨害排除請求ではなく,以下のように,所有権に基づく返還請求権としての土地明渡請求となる[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)56頁]。
被告は,原告に対し,甲土地を明け渡せ。 |
売買契約に基づいて甲土地の引渡を請求している場合には,「被告は,原告に対し,甲土地を引き渡せ」と表現されるのであれば,売買契約に基づく請求と,所有権に基づく請求とは区別されるので,旧訴訟物理論に立っても,この請求の趣旨でもよいことになる。しかし,明渡には,賃貸借の終了に基づく契約上の明渡請求もあることを考えると,厳密に訴訟物を区別する立場からは,請求の趣旨は,「原告は,被告に対し,所有権に基づき甲土地の明渡を求める」とするのが理論的であろう。
本問では,Xは,甲土地を「現在所有しています。」「Yに対して甲土地の明渡しを求めます。」と主張している。したがって,Xは,所有権に基づく物権的請求権を訴訟物として選択していることになる。
従来の通説によれば,民法には,所有権に基づく物権的請求権そのものの規定はないとされており,司法研修所の要件事実論もこの通説の見解に従っている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)56頁]。
しかし,先に述べたように,現行民法は,民法193条(盗品または遺失物の回復)で,所有権に基づく返還請求権を規定し,民法216条(土地所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権),233条1項(土地所有権に基づく竹木の妨害排除請求権),234条2項(土地所有権に基づく建築差止請求権)で,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権を規定しており,従来の学説は明らかな(条文において顕著な)誤りに陥っている。
もっとも,従来の学説も,占有権については占有訴権が認められており,これより強力な所有権についてこれに基づく請求権を認めることが相当であること,民法202条が占有の訴えのほかに本権の訴えを認めていることに照らし,所有権について物権的請求権が発生するものと解している。このため,わが国においても,所有権に基づく請求権が存在することを認めている点では,問題がない。
では,従来の学説には,どのような問題点が潜んでいるんであろうか。それは,わが国の通説が,わが国には物権的請求権に関する明文の規定がないという誤った認識の下に,所有権に基づく請求権について詳細な規定を有するドイツ民法(ドイツ民法第3編(物権)第3章(所有権)第4節(所有権に基づく請求権(985条〜1007条))の考え方をわが国の物権的請求権の規定をそのまま鵜呑みして利用している点にある。
しかし,わが国の民法は,ドイツ民法とは異なり,物権変動について,意思主義と対抗要件主義を採用することによって,登記ではなく,占有に権利適法の推定を与えている。決して,ドイツ民法のように,不動産所有権に基づく返還請求権について,占有者に正権限の抗弁を課す(ドイツ民法986条(占有者の抗弁))のではなく,所有者に占有者が正権限を有しないこと,すなわち,占有者が所有権侵奪を行っていることを要求している(民法193条)。
その唯一の根拠は,最高裁の昭和35年判決(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁)である。しかし,この事案は,後に詳しく述べるように,所有権に基づく返還請求権が行使されたのに対して,占有者が所有者である原告から使用借権を取得したかどうかが問題となった事案であって,一般的に,占有者に占有権原の立証責任を負わせているものではない。それにもかかわらず,司法研修所の要件事実論は,この判決を金科玉条のように扱い,すべての占有権原について,民法188条の法律上の推定規定を無視して,占有者に主張・立証責任を負わせるという,無謀な解釈を行っている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)60頁]。
このように,司法研修所の要件事実論は,わが国の民法188条によりも,ドイツ民法986条(占有者の抗弁)を優先しており,しかも,これに従って,所有権を主張する者が居住権者をいとも簡単に追い出せるように理論構成している。このことは,わが国の物権秩序全体を混乱させている点で大きな問題であり,今や,司法研修所の要件事実論は,効用よりも危険性が遙かに大きになっており,根本的な再検討を行うべき時代がきているといえよう。
所有権に基づく物権的請求権について,通説は,占有訴権における占有回収の訴え(民法200条),占有保持の訴え(同法198条)及び占有保全の訴え(同法199条)に対応して,@他人の占有によって物権が「奪われた」場合の返還請求権,A他人による占有侵奪以外の方法によって物権が「妨害」されている場合の妨害排除請求権,B物権「妨害のおそれ」がある場合の妨害予防請求権の3類型に分類している。
なお,司法研修所の要件事実論は,以下のように述べて,所有権の確認の訴えと,所有権に基づく請求とを区別しようとしている。
なお,所有権に基づく物権的請求権は,人に対する請求権であって,物に対する支配権である所有権そのもの(例えば,XがYに対して甲土地について所有権確認訴訟を提起する場合の訴訟物は甲土地の所有権です。)とは,訴訟物が異なる点に注意してください。。
しかし,このカッコ書きの内容も,司法研修所の要件事実論の誤解である。訴訟にあっては,すべての権利が,物権を含めて,原告から被告への「請求」として構成されるからである。
所有権確認の訴えの場合にも,所有権を有すると主張する原告が,それを争う被告に対して,「原告は,被告に対して,所有権の確認を求める」のであり,全人類を相手取って所有権そのものを確認できるわけではない。既判力も,原告と被告の間でしか生じないのは,この理由に基づいている。
つまり,所有権の確認の訴えも,その内容は,決して,所有権そのものの確認ではなく,所有権を争う人だけを相手にして,所有権を争うことは法的に所有権を妨害することになるから,その妨害の予防・排除を求めるという請求に過ぎないのである。所有権確認の訴えであれ,所有権に基づく返還請求であれ,所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求であれ,請求の性質は,請求権であって,決して,物権そのものということはあり得ないことに注意する必要がある。
Xは,「Yが勝手に甲土地全体を駐車場として常時使用して占有しています。」と主張しており,所有権の一部について単に「妨害」を受けている(この場合には所有権に基づく妨害排除・予防請求権の問題となる)のではなく,Yの占有によってXの所有権全体が「奪われている,または,侵奪されている」(いずれも民法200条の用語)のであるから,Xが選択した物権的請求権の法的性質は返還請求権ということになる。そうすると,本問の訴訟物は,所有権に基づく請求権のうち,返還請求権としての土地明渡請求権ということになる。
所有権に基づく物権的請求権が訴訟物である場合の訴訟物の個数は,侵害されている所有権の個数と所有権侵害の個数によって定まる。本問の場合,侵害されているのは甲土地1筆についてのXの所有権であり,侵害態様は甲土地全体をYが常時駐車場として使用することによるもので,1個の侵害ということができる。したがって,訴訟物の個数は1個となる。
しかし,本問では,Yの言い分として,「私は,平成17年9月9日,所有者であるXから代金2000万円で甲土地を買い受けて占有しています。ですから,現在は私が甲土地を所有している」と主張しており,現実の訴訟においては,Yの方から,「甲土地について,Yが所有権を有することの確認を求める」と請求するのが,むしろ自然の成り行きであろう。
もしも,Yが反訴を提起して,YがXに対して,甲土地の所有権の確認を求めたとすると,本問では,どのような展開となるであろうか。Yが所有権を取得するためには,まず,売買契約の時点でXに所有権があることの権利自白をすればよい。次に,YがXとの間で甲土地について売買契約を締結し,代金2000万円で甲土地を買い受けたことを立証すれば,本問における紛争は,そのほとんどが解決することになる。
したがって,本問においても,実質的には,Yの所有権確認の訴えが潜在的に前提とされていると考えることができる。すなわち,本問においても,潜在的な訴訟物は,2個と考えることができる。そう考えることによって,後に詳しく論じることになるYの「占有権原の抗弁」とは,実は,Xの所有権の喪失の抗弁(消滅の抗弁)と考えることができる。そして,その抗弁は,実は,Yの所有権確認の請求原因と同じであり,それらについて,Yが立証責任を負担することの真の理由を理解することができるであろう。
物権的請求権を行使する者は,どのような事実を主張・立証しなければならないか,これが,本問における中心的な課題である。
本問の事案は,*図1で示したとおりである。この場合,Xは,どのような事実を主張しなければならないのだろうか。
司法研修所の要件事実論によると,所有権に基づく返還請求権の発生要件は,以下の2つである。
これに対して,以下の要件は,請求者から返還を求められている占有者が抗弁として主張すべき発生障害要件であると解されている。
民法188条は,「占有者が占有物について行使する権利は,適法に有するものと推定する」と規定しているのであるから,占有者が正権原を有しているかどうかは,それを争う所有者の方で,占有者が所有権を権原なしに侵奪しているとか,妨害しているとかを立証すべきことになるはずである。
それでは,司法研修所の要件事実論は,なぜ,所有権に基づく返還請求権について,「相手方がその物に対する正当な占有権原を有していること」の立証責任を占有者に負わせているのであろうか。その根拠となるのは,「他人の不動産を占有する正権原があるとの主張については,その主張をする者に立証責任があると解すべきである」と判示した昭和35年最高裁判(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁)に全面的に依拠している。
●最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁(建物収去土地明渡等請求事件)
Xが本件土地を所有し(権利自白)かつその登記を経由していること,右土地上に訴外Aの所有する建物が存在し,Yがこれに居住してその敷地を占有していることは,いずれも原判決の確定するところであり,Yは,AがXから本件土地を使用貸借により借り受けてその地上に前記建物を建築し,Yがこれを賃借したと主張し,Xはこれを争つているのである。この場合,Yの前記正権原の主張については,Yに立証責任の存することは明らかであり,Yは占有者の権利推定を定めた民法188条の規定を援用して自己の正権原をXに対抗することはできないと解するのが相当である。さればYの前記主張を証拠上認め得ないとして排斥した原判決に所論の違法はなく,論旨は採用することができない。
本件の場合,土地の所有者Xがその土地に建築された建物に居住するYに対して,建物収去・土地明渡を請求しているが,Yは,Xの土地をAが使用貸借によって借り受けて本件建物を建築し,Yがその建物を借りて居住していると主張しているのである。この場合に,Yが建物に居住して本件土地を占有している以上,民法188条によって,Yの占有は正権原(たとえば,本件の場合使用貸借)によることが推定されているのであり,この権原があるかどうかが真偽不明になった場合には,Yの居住を認めるべきである。そして,XがYの権原がないことを証明できない限り,Xの安易な建物収去・土地明渡を認めるべきではない。
民法の明文の規定に反してまで,所有者を保護しようとするのはなぜなのか。司法研修所の要件事実論の解くところを見てみよう[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)59頁]。
これは,所有権の内容を完全に実現することが相手方の占有によって妨げられている場合には,所有者は,占有者に対して,所有権の内容の完全な実現を可能にするために,所有権に基づいてその物の返還を請求することができ,ただし,相手方が正当な占有権原を有する場合にはその請求ができないとの実体法の解釈に基づくものです。また,請求権者が「相手方がすべての占有権原を有していないこと」を主張立証するのは困難なことですから,相手方においてBを抗弁として主張立証することになる上記の考え方〔最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁〕は,主張立証責任の負担の公平という観点にもかなうところです。
しかし,「相手方が正当な占有権原を有する場合にはその請求ができないとの実体法の解釈に基づくものです」という部分には,明らかな嘘が含まれている。占有回収の訴えを規定した民法202条を見ても,相手方が占有を侵奪したことを要件としているし,また,所有権に基づく返還請求権を規定した民法193条を見ても,所有権が窃盗または横領によって侵奪されたことが要件となっており,立証責任に関しても,民法188条が,占有者に権利適法の法律上の推定を規定しているのであるから,占有者にその正権原の立証責任を負わせるという考え方は,たとえ「ドイツ民法986条の解釈に基づくもの」ではあっても,わが国の実体法の明文の規定(民法188条,193条,200条)に反している。
司法研修所の要件事実論は,民法188条の規定に反する解釈を正当化するために,以下のように述べている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)59-60頁]。
民法188条は,「占有者が占有物について行使する権利は,適法に有するものと推定する。」と規定しています。この規定は,法律上の権利推定の規定と解されています(要件事実一巻26頁)から,同条が適用されるとすれば,原告が「被告に占有権原がないこと」を主張立証しなければなりません。
しかし,所有権に基づく返還請求権が行使されたのに対して,占有者が所有者である原告から使用借権を取得したかどうかが問題となった場合には,同条は適用されないと解されており(最判昭35・3・1集14巻3号327頁),他の占有権原についても同様と考えられます。これについては,同条の占有の権利推定は,その占有を伝来的に取得した前主に対しては効力を有しないとか,所有者から権利を取得したといって占有する者は,この所有者に対しては同条の推定を主張できないなどと説明されています。
しかし,すでに述べたように,昭和35年の最高裁判決は,民法188条を適用しないことについて,何らの説明を行っていない。建物居住者に対して,建物収去,土地明渡を請求するためには,建物居住者が不動産を侵奪したことを所有者が証明するべきであり,建物所有者が正当権原を有するかどうかが真偽不明となった場合には所有者は占有者に対して明渡を請求できないというのが,わが国の物権秩序の基本である。もしも,所有者は,建物居住者が不動産侵奪等,正当な権限を有していないことを証明できない場合でも,占有者を建物から追い出すことができるとしたら,法秩序は維持されないといってよい。
このような場合に,民法188条を適用することを否定すべき正当な理由は存在しないのであり,昭和35年最高裁判決は,民法の規定に反しており,効力を有しないと考えなければならない。
したがって,本問の請求原因は,司法研修所の要件事実論のいうように,@Xが甲土地を所有していること,AYが甲土地を占有していることという2つの事実だけで足りるのではなく,以下のように,3つの要件を満たさなければならない。
すなわち,Yが占有権原を有することが抗弁となるのではなく,民法188条が存在する以上,Yが占有権原を有しないことが請求原因となるのである。
所有権に基づく請求権の出発点は,所有権の存在である。しかし,所有権の存在証明は,悪魔の証明といわれており,ほぼ不可能であるとされている。特に不動産については,原始取得の範囲が大幅に狭められている。すなわち,不動産の場合には,動産とは異なり,無主物の先占(民法239条1項)が認められておらず,しかも,善意取得(民法192条)も認められていない。その上,証明の方法としても,所有権の登記は,わが国では,対抗要件に過ぎず,事実上の推定の効力を有するに過ぎない。
通常は,不動産の取得は,時効取得(占有だけが絶対的要件となる)を除いて,承継取得(一般承継としての相続,特定承継としての贈与,売買,交換)によってなされる。ところが,承継取得の場合には,前主が真の所有権を有していることが条件となるが,その証明も悪魔の証明となるのであるから,完全な証明は困難である。そうすると,買主(相続人,受贈者,交換取得者等)が自らの所有権を証明するために,売主(被相続人,贈与者,交換者等),その前主,その前々主…と所有権の由来を遡ってみたところで,いずれの所有権の証明も,悪魔の証明であることに変わりはなく,結局のところ,所有権の証明は完成しないのである。
そこで,所有権を証明する手段として,わが国では,登記ではなく,占有が重要な地位を占めることになる。1つは,占有の継続によって所有権を取得する方法(民法162条)であり(旧民法では,取得時効は,証拠編において,所有権存在の証拠方法として規定されていた),もう1つは,占有物について行使する権利の適法の推定(民法188条)である。
ドイツ民法が登記に公信力(ドイツ民法873条,925条)ととともに,権利適法の推定を認めている(ドイツ民法891条)のとは異なり,登記に対抗力と,事実上の推定力しか認めていない(最三判昭38・10・15民集17巻11号1497頁)わが国においては,占有のみが,所有権を所得する上でも,所有権を証明する上でも決定的な役割を果たしているのである。
所有権に関する悪魔の証明を打破するものとして,第1に,かつ,決定的な役割を果たしているのは,先に述べたように,取得時効(民法162条)である。民法162条によって,一定の期間の占有の継続が証明できると,その占有者は,本権としての所有権を取得するため,それが,所有権存在の証明となる。旧民法において,取得時効の制度は,財産取得編ではなく,証拠編(138条,140条,148条)において,所有権の存在を証明する絶対的な証拠方法として規定されていたのは,この理由に基づいている。
このようにして,所有権の証明において,悪魔の証明を打破する第1の方法は,一定期間の占有の継続であることを銘記すべきである。一定期間の占有の継続,または,民法187条によって占有の継承が認められることによって,買主は,売主,その前主等の占有をも併せて主張することによって,はじめて,完全な所有権の証明を獲得することができる。占有の継続に基づく,占有の効力を使うことなしには,相続,贈与,売買,交換等の承継取得の証明だけでは,所有権の証明は完結しないことに注意しなければならない。
所有権に関する悪魔の証明を打破するものとして,第2に,大きな役割を果たしているのは,占有物について行使する権利の適法の推定(民法188条)である。占有者は,自主占有の場合には,本権としての所有権の存在が法律上推定されており,他主占有の場合には,賃借権等の本権の存在が法律上推定される。
わが国の民法が,一定期間占有の継続によって取得時効を与え,占有状態に対して,権利適法の法律上の推定を認め,占有侵奪・占有妨害に対して,本権の訴えとは別に占有訴権を認めている理由は,現在の占有状態を保護することが,社会の秩序維持にとって不可欠のものと考えているからである。もちろん,所有権が侵奪された場合には,所有権に基づく返還請求権が認められる。しかし,所有権の証明は困難であるから,ひとまず,本権の判断とは別に占有訴権を認めて,占有秩序を元に戻し,本権の判断を後に下すというのが,民法202条の趣旨である。
所有権の証明にとって,後に述べる権利自白が利用的できる場合を除けば,占有を根拠とする取得時効によって所有権の完全な証明を行うか,または,占有に基づく権利適法の推定によって,所有権の証明を軽減するしか方法はないのである。
これに対して,登記に公信力を認めるドイツにおいては,わが国とは異なり,占有による権利適法の推定を動産に限定し(ドイツ民法1006条(動産占有者のための所有権の法律上の推定)),不動産については,所有権を主張するためには,登記が必須であり,その場合には登記に権利適法の推定が与えられれるため(ドイツ民法891条(不動産登記による権利適法の法律上の推定)),不動産の場合には,占有者の方が占有権原について立証責任を負わされている(ドイツ民法986条(占有者の抗弁))。ドイツ法の体系から見れば,このことは,極めて合理的といえる。
しかし,わが国においては,登記には公信力はなく,権利適法の推定も与えられていないため,不動産所有権を有すると主張する者が占有者に対して明渡を請求する場合に,占有者に権利適法の立証責任を負わせることとは,ドイツの場合と異なり,社会秩序の維持にとって非常に危険である。なぜなら,所有権を主張する者は,登記を得ている者とは限らない上,たとえ,登記を得ているとしても,その登記が真正なものかどうか,保証の限りではないからである。
占有と登記の効力に関する特色 | 権利適法の推定 | ||
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動産 | 不動産 | ||
日本民法 | 登記に公信力を認めず,占有を重視する。第1に,動産・不動産とも占有による時効取得を認める。第2に,占有による権利適法の推定に関しても,動産と不動産とを区別しない。これがわが国の民法の特色である。 | 民法188条(占有による権利適法の推定) 動産・不動産を区別せず,占有に権利適法の推定を認める。 |
|
ドイツ民法 | 不動産登記に公信力を認める。したがって,不動産については,占有を重視しない。第1に,不動産においては,登記による取得時効が認められている(ドイツ民法900条)。占有による取得時効は動産にしか認められていない(ドイツ民法937条)。第2に,不動産については,登記に権利適法の推定を認め(ドイツ民法891条),占有には認めない。このように,不動産(登記重視)と動産(占有重視)とを明確に区別するのがドイツ民法の特色である。 | ドイツ民法1006条(占有者のための所有権の推定)動産についてのみ,占有に権利適法の推定を認める。 | ドイツ民法891条(登記による権利適法の推定)不動産については,占有に権利適法の推定を認めない。 |
ドイツ民法986条(占有者の抗弁)不動産については,占有者が正権原を立証しなければならない。 | |||
司法研修所の要件事実論 | ドイツ民法と同じく,動産と不動産とを区別し,最高裁昭和35年判決(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁)を唯一の根拠として,不動産について,占有の権利適法の推定力を認めないとする(ドイツ民法986条には適合的であるが,民法188条の明文の規定に反している)。 | 動産の善意取得に民法188条を適用を認める(最一判昭41・6・9民集20巻5号1011頁)。 | 民法188条は適用できないとする(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁)。占有者が正権原を立証しなければならない。 |
わが国の判例は,先に述べたように,登記に権利適法の推定を認めていないが(最三判昭38・10・15民集17巻11号1497頁),事実上の推定力は認めている(最一判昭34・1・8民集13巻1号1頁),このため,もしも,不真正な登記に基づいて所有権が主張され,占有者に明渡が請求された場合には,判例(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁)によれば,占有者が占有権原の立証責任を負わせられることになるため,不当な明渡請求が認められる危険性が高くなる。
前記の昭和35年最高裁判決(最三判昭38・10・15民集17巻11号1497頁)も,事案を丁寧に読んでみると,所有者である賃貸人による賃借人に対する不当な追い出しに最高裁が荷担した事件であり,事案の解決としても,問題を残している。
したがって,このような最高裁の判断を一般化することは危険であるが,司法研修所の要件事実論は,このような最高裁の見解を,以下のように,さらに一般化して[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)59-60頁]して,ドイツ民法986条を民法188条に優先させ,民法188条を有名無実化しようとしている。
所有権に基づく返還請求権が行使されたのに対して,占有者が所有者である原告から使用借権を取得したかどうかが問題となった場合には,同条は適用されないと解されており(最判昭35・3・1集14巻3号327頁), 他の占有権原についても同様と考えられます。
これについては,同条の占有の権利推定は,その占有を伝来的に取得した前主に対しては効力を有しないとか,所有者から権利を取得したといって占有する者は,この所有者に対しては同条の推定を主張できないなどと説明されています。
しかし,占有者すべてに占有権原の立証責任を負わせていることは,登記が不完全であり,登記に公信力を認めず,対抗要件主義を採用しているわが国の実態に目をつぶり,登記の完全性を前提として,登記に公信力と法律上の権利適法の推定を認めているドイツ民法をわが国においても同様に適用しようとものに他ならず,わが国の実態を無視し,民法の明文の規定に反する暴挙といわざるを得ない。
最高裁は,民法162条2項の解釈においては,占有者の無過失は推定されないとしつつも,民法192条の解釈においては,取引の安全を優先して,占有者の無過失を法律上推定するため,民法188条の規定を根拠としている。この点でも,最高裁の判決は,動産と不動産とを区別せずに,占有に権利適法の推定を認めるわが国の民法(民法188条)よりも,動産と不動産とで占有の推定力を区別し,動産の場合には,占有に公信力と権利適法の推定を認めるが,不動産の場合には,占有ではなく,登記に,公信力と権利適法の推定を認めるドイツ民法をわが国の民法よりも優先していることが分かる。しかし,このことが,わが国の登記の実態を無視し,占有状態の保護によって物権秩序を安定させようとするわが国の民法に反することは明らかであろう。
所有権の証明を緩和する最後の手段は,民事訴訟法179条が「裁判において当事者が自白した事実…は,証明することを要しない」と規定していることを活用する方法である。民法188条の権利適法の推定の適用を極力制限しようとする司法研修所の要件事実論が頼る手段としては,これしかない。
本問のように,XもYも,甲土地について,Xに所有権があることを前提にしている場合には,Xの所有権の証明は,悪魔の証明を免れている。なぜなら,Yの主張は,X・Y間で。,甲土地の売買契約が成立し,所有権は,XからYへと移転したため,それ以後,Xは所有権を喪失したと主張しているのであるから,少なくとも売買契約の成立以前において,Xは甲土地について所有権を有していたことが,Yの自白によって確定しているからである。
司法研修所の要件事実論によれば,所有権に基づく返還請求権の要件事実は,@原告が目的物について所有権を取得したこと,A被告が目的物を占有していることの2つである。しかし,このことが民法の明文の規定に反し,誤った理解に基づくものであることは,既に述べた。ここでは,その要点のみを述べる。
第1に,所有権に基づく返還請求権は,わが国では,民法193条において,「被害者又は遺失者は,…占有者に対してその物の回復を請求することができる」と規定されている。また,占有訴権200条(占有回収の訴え)が,「占有者がその占有を奪われたときは,…その物の返還及び損害の賠償を請求することができる」と規定していることから,所有者は,目的物を奪われたとき(盗まれたときだけでなく,遺失物の返還を拒否されたときを含む),すなわち,目的物を侵奪された場合に,その返還を請求できるとしている。
上記の明文の規定からも明らかなように,目的物の侵奪の事実は,所有権の返還請求を求める原告が主張・立証しなければならない。このことは,所有権に基づく返還請求権の場合でも,権利の発生原因は,原告において主張・立証しなければならないという原則に合致する。
第2に,民法188条が,動産,不動産を問わず,占有者のために,権利適法の法律上の推定を規定していることから,所有権に基づいて目的物の返還を求める者は,現に目的物を占有する者が占有権原を有しないこと,すなわち,目的物を侵奪したことを主張・立証しなければならない。
以上の2つの明文上の根拠に基づき,所有権に基づく返還請求権の請求原因は,@原告が目的物について所有権を取得したこと,A被告が目的物を占有していることの2つでは足りず,B被告が目的物を侵奪したこと(占有権原を有していないこと)をも主張・立証しなければならない。
所有権に基づく返還請求権の請求原因の1つである「Yが甲土地を占有していること」に関し,Xは,Yが不動産を侵奪し,Yが現在(口頭弁論終結時)において当該不動産を占有していることを主張・立証しなければならない[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)66頁]。
ここで問題となっている占有は,民法198条以下の占有訴権において明確に規定されているように,占有を含む広い意味での「物権の妨害状態」を意味している。民法201条は,占有回収を含む,占有訴権のすべてについて,その要件を明確に述べている。
もしも,本問の請求権を妨害排除請求権であると考えているのであれば,「妨害の存在(現妨害)」,すなわち,「現占有」が要件事実となることは理解できる。したがって,司法研修所の要件事実論が,Yの現占有を要件事実であるとしているのは,それなりに理由があるといえる。
しかし,司法研修所の要件事実論においては,「Yが勝手に甲土地全体を…占有」していることを理由に,本問の請求権は,所有権に基づく妨害排除請求権ではなく,所有権に基づく返還請求権であるとしている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)57頁]。
そうすると,本問の要件事実は,「妨害の存在」,すなわち,「現占有(妨害)」ではなく,民法201条で規定されているように,「占有の侵奪」,すなわち,「ある時点での占有の侵奪」であり,「現占有」ではなく,「もと占有」でよいということになるはずである。原告の請求原因について,権利の「存在」(すなわち,権利が発生し,かつ,消滅してない)の主張を求める新しい要件事実論とは異なり,あくまで,権利の「発生」にこだわり,「発生」の主張・立証があれば,相手方が「消滅」したことを主張・立証すべきであるという点にこだわってきた司法研修所の要件事実論が,ここにいたって,突如として,「占有の侵奪」ではなく,「現占有妨害」,すなわち,「妨害状態の存在」が要件事実であると宗旨替えをしているのは,不可解である。
司法研修所の要件事実論は,所有権に基づく返還請求権の要件事実であるべき「全面的な妨害状態=占有侵奪」について,「元占有」では足りず,「現占有」の主張・立証が必要であるとし,その理由を以下のように述べている。重要な問題なので,[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)67頁]をそのまま引用する。
妨害状態であるYの占有は,いつの時点で必要でしょうか。この点については大きく分けて2つの考えが主張されています[司法研修所・要件事実〔第1巻〕(1986)57頁]。
(ア)現占有説 物権的請求権の法律要件として,口頭弁論終結時における占有が必要であるという見解です。すなわち,物権的請求権のうちの返還請求権は,物権の円満な実現が妨げられている現在の状況を排除するために認められるのですから,Yによる現在の妨害状況,すなわち現在の占有があって初めて発生するものであって,Yの現在の占有が必要であると考える見解です。
(イ) もと占有説 Yの占有状態は,Yの占有開始時又はそれより後の一定時点で足りるとし,その後のYの占有の喪失が抗弁となるという見解です。すなわち,Xの所有権取得原因事実が認められ,あるいは,Xの所有についてのYの権利自白が認められた時点以降の一定の時点におけるYの占有があれば,その時点で物権的請求権が認められ,消滅事由等が認められない限り,現在もその物権的請求権が存在していると考える見解です。
通説は,(ア)説であり,この説が妥当だと考えられます。
司法研修所の要件事実論は,このようにして,所有権返還請求権の要件事実としてのY占有に関しては,現占有説が妥当だとしているが,なぜ,「もと占有」説では,不都合が生じるのかについては,上記には説明がない。
そこで,司法研修所の要件事実論が現占有説を妥当だと考える理由を明らかにするために,[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)67頁]が引用している,[司法研修所・要件事実〔第1巻〕(1986)57頁]を参照してみよう。そこには,以下のような記述が見られる。
要件事実の時的要素について解釈が分かれる特別な場合として,物上〔物権的〕請求権の発生要件の一つである妨害状態がある。例えば,甲所有の土地を乙が占有している場合,乙の右妨害状態は甲の右土地所有権に基づく妨害排除請求権の発生要件事実の一つであるが,それは,(A)乙の妨害状態は,乙の占有開始時あるいはそれより後の一定時点(ただし,口頭弁論終結前)の土地の占有であり,その後の乙の右占有の喪失は乙の抗弁事実とみるか,それとも,(B)乙の妨害状態は,口頭弁論終結時における乙の右土地の占有であり,乙が口頭弁論終結時には同土地を占有していないことは右占有の否認であるかは見解が分かれる。
[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)67頁]が引用している司法研修の要件事実論のバイブルともいえる[司法研修所・要件事実〔第1巻〕(1986)]の上記の引用箇所をよく読むと,実は,本問における所有権に基づく返還請求権に関する記述ではなく,所有権に基づく妨害排除請求権に関する「もと占有説」と「現占有説」との対立についての記述であることが分かる。
先に述べたように,民法201条においても,妨害請求の場合と返還請求とでは,その法律要件要素が「妨害の存在」と「侵奪」というように明確に区別されており,要件事実を異にするといわなければならない。
以下に検討するように,確かに,妨害排除請求権の場合には,妨害が存する限り,妨害排除請求権が発生するのであり,妨害排除の発生の事実ではなく,妨害の存在が重要な要素となる。したがって,現占有説が妥当である。しかし,本問のような返還請求権の場合には,侵奪された占有の回復が問題となるのであり,侵奪は1度しか起こらないのであるから,ある時点での侵奪の事実が重要な要素となる。本問の場合に,[司法研修所・要件事実〔第1巻〕(1986)57頁]を安易に引用することは,議論を混乱させるだけであり,[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)67頁]の引用は,不適切であり,引用に頼るのではなく,本問に応じた検討をきちんと行うべきであった。
さて,[司法研修所・要件事実〔第1巻〕(1986)57頁]にもどって,「もと」占有説と「現」占有説の優劣の検討の続きを見てみよう。
「もと」占有説は,物上請求権も一般の権利と同様に過去における権利の発生を主張立証すれば足り,その消滅は相手方が抗弁として主張立証すべきであるとの考え方を前提とするが,妨害状態は過去の一定時点で存在しさえすれば足り,必ずしも妨害状態が最初に発生した時点に限らないとするから,例えば,売買代金請求権の発生のために売買契約の締結を主張しなければならないことと比較すれば,要件事実の時的要素の点でやや異なる扱いを認めることになる(これは,妨害状態が最初に発生した時点に限定するときは,主張立証が困難な場合があり,その不都合を避けるための配慮であろう。)。さらに,「もと」占有説は,物上請求権は妨害状態の存する限り当該物権から不断に発生するものであるとの実体法的認識と整合性を持つかも問題となる。
これに対して,「現」占有説は,右のような実体法的認識をそのまま攻撃防御方法に反映させて,口頭弁論終結時をもって妨害状態の存在という.要件事実の時的要素とする。この説の場合,訴えの提起時の物上請求権,口頭弁論終結時の物上請求権及び強制執行時の物上請求権は,それぞれ時的要素を異にする点が理論上は問題となるが,「現」占有説の立場からは,妨害状態が継続している限り,右各請求権は同一の物上請求権として観念することができると説明することになろう。
このように,妨害排除請求権の要件事実は,民法201条によれば,「妨害の存する間」,すなわち,「無権限占有の存続」であるため,「現」占有説が妥当であるということになる。しかし,本問のように,返還請求権が問題となる場合には,その要件事実は,民法193条,および,201条によれば,「占有侵奪」である。この場合には,侵奪は継続して起こるものではなく,いつ侵奪が生じたかが,請求権の存続にとっても決定的に重要であり,「もと」占有説が妥当であるということになる。
このように,物権的請求権の要件事実を考察する場合には,わが国の民法の規定を十分に検討し,妨害排除・予防請求権の場合と,返還請求権の場合とを区別して考察することが重要である。
[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)6l7頁]は,このような重要な区別をすることなく,所有権に基づく妨害排除請求権に関する司法研修所の要件事実論を安易に引用し,所有権に基づく返還請求権の特色を無視して,理由を示すことなく「現占有説」が「妥当だと考えられます」という結論だけを示しているのは,問題であるといえよう。
もっとも,本間においては,Xは,「Yが・・・駐車場として常時使用して占有しています。」と主張している。他方,Yは,「私は,‥・甲土地を‥・占有しています。」と主張して,自らが甲土地を占有していること自体については争っていない。したがって,Yの現在の占有について自白が成立しているため,Yが甲土地を駐車場として常時使用しているなどというYの所持についての具体的事実を摘示する必要はないということになる。
以上のことから,本問の場合,所有権に基づく土地明渡請求の請求原因は,以下の通りとなる。
1 原告は,平成17年9月9日当時,甲土地を所有していた。 |
以上の点を抽象的に表現すると,所有権に基づく土地明渡請求権の発生要件は,@原告が土地を所有していること,A被告が土地の占有を侵奪したこと,B被告が土地を占有していることの3つである。
@,Aについては,所有権の証明は悪魔の証明であるため,第1に,占有保護の制度を活用することが有用である。たとえば,原告が相手方の占有侵奪の事実によって,原告が目的物の返還を請求できる正当性があること(民法193条,200条参照)を立証できれば,原告は有利な立場を保持することができる。第2に,権利自白の制度を活用することが有用である。たとえば,原告が「原告の現所有」,「原告のもと所有」(本問の場合)又は「原告の前主のもと所有,および,原告の前主からの所有権取得原因事実」のいずれかを摘示することによって,それらのいずれかの時点で被告が原告側の所有権を認めると,権利自白によって,悪魔の証明としての所有権証明の困難を回避することができる。Bについては,原告が,現在もなお,被告が目的物を占有していることを原告が立証しなければならない。
これに対して,司法研修所の要件事実論[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)68-69頁]は,本問の場合,所有権に基づく土地明渡請求の請求原因は,@「原告は,平成17年9月9日当時,甲土地を所有していた」,B「被告は,甲土地を占有している。」の2つでよいとして,A原告が主張する必要がなく,被告に占有権原があることが被告の抗弁となるとしている。しかし,これでは,Xの言い分が何かを知ることができないし,民法188条の明文の規定に反している。
本問において,Xは,「Yが占有権原なしにXの所有する甲土地を不法に占拠している」と主張しているのであり,そのような言い分は,上記のように,Aの要件について言及していることが明らかであり,Aを含めた3つの要件が主張されていると考えるべきであり,3つの要件が必要であるとする本稿の立場は,まさに,原告の言い分にも即しているということができる。
司法研修所の要件事実論によると,Yの言い分に照して,Yは,請求原因の1及び3は,いずれも認めるということになる。そして,請求原因2については,占有権原を有することについて,Yが主張・立証すべきであるとしている。いわゆる所有権の喪失の抗弁である[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)69頁]。
しかし,新しい要件事実論においては,請求原因に対するYの認否としては,1および3については,いずれも認めるが,3については,これを否認するということになる。その理由は,YがXから占有の移転を受けたのは,売買契約に基づく正当な占有の移転であるから,Xの主張のように,YがXから甲土地を侵奪したことにはならない。すなわち,Xの所有権に基づく返還請求権は,そもそも発生しないからである。したがって,本問の場合,請求原因対する認否は,以下のようになる。
1. 請求原因1は認める。 2. 請求原因2は,否認する。 Yは,甲土地を侵奪していない。 Yは,X・Y間の売買契約に基づいて,甲土地の占有をXから承継した。 したがって,XはYに対して,そもそも,甲土地の返還請求権を有しない。 3. 請求原因3は認める。 |
司法研修所の要件事実論によれば,Yが占有権原を有することは,Yが主張・立証しなければならないという[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)69頁]。その理由は,所有権に基づく返還請求権が行使されたのに対して,占有者が所有者である原告から使用借権を取得したかどうかが問題となった場合につき,民法188条は適用されないとした最高裁昭和35年判決(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁)を根拠としている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)60頁]。しかし,この判決の事案は,占有権原が所有権とは異なる使用貸借が問題となった場合であり,売買契約によってXから所有権および占有権を取得したYに対しても,民法188条が適用されないかどうかは,この判決の射程外である。財産権の移転を目的とする売買契約が問題となる場合に,民法188条が適用されないという根拠は,どこにも存在しないからである。
所有権の証明は「悪魔の証明」であり,その証明を緩和しなければ所有権の証明はほとんど不可能である。そこで,民法は,真の権利者である所有者を保護するために,民法188条において,占有者に権利適法の法律上の推定を与え,さらには,民法162条において,一定期間占有を継続する者に対して,所有権の取得を認めているのである。もしも,所有権者を保護するためにある民法188条の規定を,売買契約によって占有を取得したと主張するYに適用できないとしたら,民法188条の存在意義をなくすことになり,根拠のない解釈だといわざるを得ない。
このような解釈は,登記に公信力と権利適法の推定を認めており,所有権者(登記を有することが前提となっている)が占有者に返還請求する場合に,占有者が占有権原を抗弁として主張しなければならないことを明文で規定する(ドイツ民法986条)ドイツの場合であれば,通用するかもしれない。しかし,登記に対抗力を与えるのみで,公信力を与えず,かつ,権利適法の推定をも与えていないわが民法の解釈において,登記も有しない場合であっても,所有者からの返還請求に対して,占有者に占有権原の立証責任を負わせるというのは,わが国の現状を無視した暴論であろう。
司法研修所の要件事実論[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)69-70頁]は,占有者がなすべき主張・立証を「所有権喪失の抗弁」という名をつけて,「消滅の抗弁」であるかのように見せかけ,占有者が占有権原の主張・立証をしなければならないことを正当化しようとしている。しかし,このことは2つの点で誤っている。
第1は,Xの主張は,Xの所有権の主張ではなく,所有権に基づく返還請求権である。司法研修所の要件事実論が本問において,Yの主張について,Xの返還請求権が発生するかどうかの問題ではなく,Xの所有権そのものの喪失の問題,すなわち,Yの所有権の喪失の抗弁へと誘導しているのは,不可解である。
第2は,第1点と関連するが,本問が所有権の存否そのものの問題ではなく,所有権に基づく返還請求権の問題であるとすれば,まず,所有権に基づく返還請求権の発生要件を問題にすべきであって,所有権に基づく返還請求権が発生するかどうかを吟味することなく,いきなり,所有権に基づく返還請求権の消滅について議論するのは,論理に飛躍がある。
所有権に基づく返還請求権は,所有権権が存在すれば,必ず発生するものでもないし,所有権が消滅しなければ,必ず存続するという性質のものでもない。なぜなら,所有権に基づく返還請求権は,占有が侵奪された場合のように,正当な権原なしに移転した場合にのみ発生するものであり,占有が侵奪されたのではない場合には,所有権があるからといって所有権に基づく返還請求権が発生するわけではない。また,所有権に基づく請求権は,234条の明文の規定によっても明らかなように,1年間の除斥期間に服するというように,所有権があるから消滅しないというものでもないのであるから,所有権が消滅していないからといって,返還請求権が消滅しないともいえない。
このようにして,所有権に基づく返還請求権の存否は,必ずしも,所有権の存否と連動しないのであるから,所有権に基づく返還請求権の存否は,所有権の存否の要件事実とは,一応切り離して判断する必要がある。本問で問題とすべきなのは,Xの所有権に基づくYに対する返還請求権が発生するかどうかを検討すべきである。
わが国おける所有権に基づく返還請求権を規定した条文は,民法193条であり,また,所有権に基づく返還請求権を考える上で,常に参照すべき占有回収の訴え(民法200条)についても,返還請求権の発生原因は,目的物の占有の侵奪であるとしている。したがって,もしも,占有が契約等の正権原に基づいて移転している場合には,そもそも返還請求権は発生しない。
本件の場合,返還請求権が発生しているかどうかについて,その要件であるYが目的物を侵奪したこと(Yが占有権原なしに占有を有していること)は,Xにおいて主張・立証すべきであり,それがない場合には,Xの返還請求権は発生しないと考えるべきである。権利の発生原因は,原告が主張・立証するのが原則である上に,わが国では,民法188条により,甲不動産を占有するYの権原は法律上推定されているのであるから,本問においても,返還請求権の発生原因であるYに占有権原がないことをXにおいて主張・立証すべきであることについては,説得的な理由が存在する。そのような理由を覆すためには,それ以上の説得的な理由が必要であろう。
司法研修所の要件事実論は,Yが「所有者であるXから代金2000万円で甲土地を買い受けて占有しています」と主張しているため,YがXの所有権について権利自白をしていることをもって,Xの返還請求権が発生しているかのように考え,YがXの返還請求権の消滅を「所有権喪失の抗弁」として,Yがその主張・立証責任を負担すると考えている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)69-70頁]。
しかし,XのYに対する返還請求権が発生しているというためには,YがXの甲不動産を侵奪していることを主張・立証しなければならないはずである。司法研修所の要件事実論[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)70頁]は,以下のように,所有権に基づく請求権が発生するかどうかの議論を欠いたまま,Xの所有権が喪失するかどうかの議論に終始している。
Yは,「Xから‥・甲土地を買い受け・・・現在は私が甲土地を所有しているわけで,今更Xが所有しているなどとは言えないはずです。」と主張しています。これは,過去の一定時点においてXが甲土地を所有していたことを前提として,その後のX以外の者の所有権取得原因事実を主張するものです。X以外の者(Yである必要はありません。)が所有権を取得することにより,Xが不動産の所有権を喪失するという実体法的効果が発生しますから,この主張が抗弁として機能することになります。したがって,このような抗弁を「所有権喪失の抗弁」と呼んでいます。
本問は,Xが所有権を有するか,Xが所有権を喪失したかが問題となっているわけではない。XがYに対して所有権に基づく返還請求権を有しているかどうかが問題となっているのである。このことは,司法研修所の要件事実論も,明確に述べている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)56頁]。したがって,XがYに対して所有権に基づく返還請求権を有しているかどうかを吟味するのであれば,まず,XのYに対する返還請求権が発生しているかどうかを問うべきである。その議論をすることなく,XのYに対する返還請求権が消滅するかどうかを問題とすることは無意味である。
司法研修所の要件事実論は,Xの所有権に基づく返還請求権の主張に対して,Yは,X・Y間の売買契約の締結をもって,所有権喪失の抗弁を主張すべきであるとしている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)70頁]。
しかし,これは,民法188条の明文の規定に反して,立証責任の分配を誤っているといわざるを得ない。確かに,Yが自らの所有権の確認を求めて訴えを提起しているであれば,Yは,自らの所有権を立証するために,X・Y間の売買契約を主張・立証しなければならないかもしれない。しかし,本問は,Yの所有権の確認の訴えでも,Xの所有権の確認の訴えでもない。問題は,Xの所有権に基づく返還請求権の存否の問題である。したがって,Xは,返還請求権の発生原因を主張・立証しなければならないのであり,Yは,その発生原因を否認すれば足りる。つまり,Yは,甲土地の占有が侵奪に基づいていないことを主張するだけで十分である。すなわち,いわゆる積極否認,または,理由付き否認(民事訴訟法規則79条3項)で十分である[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)17頁参照]。Yは,その占有がX・Y間の売買契約に基づいていることを理由付き否認として主張すればよいのであり,否認を飛ばして,いきなり,抗弁を主張する必要はない。
司法研修所の要件事実論[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)70頁]は,以下のように述べて,X・Y間の売買契約の締結をもって,「所有権喪失の抗弁」とし,これをYの抗弁事由としている。
売主の所有する特定物の売買については,売買契約の締結によって原則として買主への所有権移転の効力が生じます(最判昭33・6・20民集12巻10号1585頁)から,Yは,所有権喪失の抗弁として,XとYが甲土地の売買契約を締結したことのみを主張すれば足り,代金の支払まで主張する必要はありません。売買契約の要件事実については,第1間5(1)を参照してください。
しかし,この見解は,Yの言い分である「理由付き否認」を「抗弁」と取り違えている点で完全に誤っている。
YがX・Y間で売買契約が締結されたことを主張しているのは,Xの所有権に基づく返還請求権が,そもそも発生しない理由を述べているに過ぎず,理由付き否認に他ならない。なぜなら,Xが所有権に基づく返還請求権が発生しているというためには,民法193条,200条からも明らかなように,Yの占有が侵奪によってなされたことを主張・立証しなければならないからである。
つまり,Yが「所有者であるXから代金2000万円で甲土地を買い受けて占有しています」と主張しているのは,Yの占有が,侵奪ではなく,正当な権原に基づいていることを通じて,そもそも,Xの返還請求権が発生しないこと,すなわち,Xの請求原因を否認しているのであって,Xの返還請求権がいったん発生した後,Xの所有権の喪失によって消滅したという抗弁を主張しているのではない。なぜなら,Yが売買によって甲土地の所有権を取得したのであれば,Xの所有権に基づく返還請求権は,発生することすらないからである。
上記の「売買契約の要件事実については,第1間5(1)を参照してください」[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)]という指示にしたがって,売買契約の認否についての司法研修所の見解を再検討してみよう。
[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)] の第1問(売買代金支払請求)において,Yが,「甲土地を売買することについては,両者とも異論がなかったのですが,結局,代金の折り合いがつきませんでした」と主張している点について,司法研修所の要件事実論[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)16-17頁]では,このYの言い分を以下のように解していた。
これは,代金額が折り合わなかったために,結局,売買をしなかったということですので,売買契約成立とは両立せず,売買契約の単純な否認ということになります。「代金の折り合わなかった」というYの言い分は,売買契約を否認する理由に当たり,積極否認または理由付き否認と呼ばれています(民訴規則79条3項参照)。
本問の場合も,これと同様である。Yが「所有者であるXから代金2000万円で甲土地を買い受けて占有しています」と主張しているのは,Yの占有が侵奪ではなく,売買という正当な権原に基づいているという主張であるから,Xの所有権に基づく返還請求権(民法193条,200条)の発生要件とは両立せず,Xの返還請求権の否認(積極否認または理由付き否認)ということになる。
司法研修所の要件事実論[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)70頁]は,本問のYのなすべき主張を「所有権喪失の抗弁」として位置づけた上で,その要件事実として,「原告は,被告に対し,平成17年9月9日,甲土地を代金2000万円で売った」と主張すべきであるとしている。
しかし,既に述べたように,この主張は,抗弁ではなく,Xの所有権に基づく返還請求権について,所有権を有しないXは,そもそもYに対して,返還請求権が発生するはずもないことを理由づける「理由付き否認」の主張である。
司法研修所の要件事実論は,所有権の喪失の抗弁について,以下のようにまとめているが,ここでも,所有権に基づく返還請求権の発生原因と消滅原因とを取り違えるという誤りを犯しており,結果的に,否認と抗弁との区別において誤りを犯している。
請求原因において原告の所有について争いのない時点以降に原告以外の者が所有権を取得した事実は,所有権に基づく物権的請求の請求原因に対して所有権喪失の抗弁として機能する。原告以外の者が売買により原告から所有権を承継取得する場合,所有権は,売買契約の締結によって移転するから,抗弁としては,原告との間の売買契約の締結のみを主張すれば足りる。
上記の文章は,正しく表現すると以下のようになる。
請求原因において原告の所有について争いのない時点以降に原告以外の者が所有権を取得した事実は,所有権に基づく物権的請求の請求原因に対してその発生原因を否定する理由付き否認として機能する。原告以外の者が売買により原告から所有権を承継取得する場合,所有権は,売買契約の締結によって移転するから,被告は,占有につき正権原を有しており,原告から被告に対する所有権に基づく物権的請求権はは,そもそも発生しない。被告は,理由付き否認として,原告との間の売買契約の締結のみを主張すれば足りる。
このように,司法研修所の要件事実論は,民法に規定されている所有権に基づく返還請求権の発生原因(民法193条,200条)を検討することを怠っている。すなわち,,要件事実論の初歩である発生原因から検討を始めるべきであるとの原則を無視し,突如として所有権に基づく返還請求権の消滅原因として,「所有権喪失の抗弁」を持ち出している。しかし,売買契約によって所有権が喪失するのであれば,売買契約に基づいてXからYに占有が移転した甲土地について,XのYに対する所有権に基づく返還請求権が発生しないことは誰の目にも明らかであろう。
売買契約の締結による所有権の移転は,決して,原告の返還請求権の消滅の抗弁ではない。被告は,売買契約に基づいて,原告から占有の移転を受けたのであるから,原告から被告に対する返還請求権は,最初から,発生していないのであり,被告の売買契約の主張は,原告の返還請求権の発生の否認である。
被告の占有の開始時点では,すでに,売買契約が成立し,原告の所有権は喪失しているのであるから,被告の占有の開始時点で,そもそも,原告の所有権は存在していない。存在しない所有権に基づいて原告が被告に返還を請求しているのであれば,被告の主張は,返還請求権の発生を認めた上で,その消滅を主張しているのでないことは明らかであろう。被告の占有の開始時点で,原告の所有権が既に失われているにもかあ割らず,被告の主張を否認でなく,返還請求権の発生を前提とした上での,消滅の抗弁であると考えるというのであれば,司法研修所の要件事実論は,否認と抗弁の区別さえできていない理論であるということになる。
司法研修所の要件事実論は,本問の最終段階として,Xの「この土地を手放したりしたことはありません。」とい主張からすると,抗弁に対する認否は,「抗弁は否認する」となるとしている[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)71頁] 。
しかし,これは,Yの抗弁に対するXの認否とはなっていない。Yは,「私は,…所有者であるXから代金2000万円で甲土地を買い受けて占有しています」と主張しており,これは,自らの占有権原が売買契約に基づいているものであるという主張なのであるから,Xとしては,所有権に基づく返還請求権の発生原因として,Yが甲土地を侵奪したことを主張・立証しなければならない。
したがって,Xが「この土地を手放したことはありません」と主張しているとしても,それは,Yの抗弁に対する認否ではなく,Yに占有権原がないこと,すなわち,Yが甲土地を侵奪していることを意味しているのであり,Xが所有権に基づく返還請求権の発生原因を主張しているにすぎない。
[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)71頁]は,本問の言い分に関して,事実記載例をまとめている。この事実記載の問題点を明らかにするために,新しい要件事実論に基づく事実記載例とを対比することにする。
従来の要件事実論 | 新しい要件事実論 | ||
---|---|---|---|
1 請求原因 | 1 請求原因 | ||
(1) 原告は,平成17年9月9日当時,甲土地を所有していた。 | (1) 原告は,平成17年9月9日当時,甲土地を所有していた。 | ||
(2) 被告は,甲土地を占有している。 | (2) 被告は,平成17年9月9日,甲土地を侵奪した。 | ||
よって,原告は,被告に対し,所有権に基づき,甲土地の明渡しを求める。 | (3) 被告は,甲土地を占有している。 | ||
よって,原告は,被告に対し,所有権に基づき,甲土地の明渡しを求める。 | |||
2 請求原因に対する認否 | 2 請求原因に対する認否 | ||
請求原因(1),(2)は認める。 | (1) 請求原因(1),(3)は認める。 | ||
(2)
請求原因(2)は否認する。 被告は,平成17年9月9日,原告から甲土地を2000万円で買い受けた。 よって,被告に対して原告が主張する甲土地の明渡請求権は,発生していない。 |
|||
3 抗弁 所有権喪失−売買 | − | ||
原告は,被告に対し,平成17年9月9日,甲土地を代金2000万円で売った。 | − | ||
4 抗弁に対する認否 | − | ||
抗弁は否認する | − |
上の対照表によって,司法研修所の要件事実論は,所有権に基づく返還請求権は,所有者以外の他の人が目的物を占有している場合には,常に発生し,所有権が喪失するまで存続するという前提に立っていることが明らかである。
しかし,それは,不動産について登記を所有権の取得原因とし,かつ,登記に権利適法の推定を認めているドイツ民法の下でのみ成立する考え方に過ぎない。登記を不動産物権変動の対抗要件とし,登記に権利適法の推定を与えず,民法188条により,動産・不動産を通じて,占有に権利適法の推定を与えているわが国の民法では通用しない考え方といわざるを得ない。
司法研修所の要件事実論は,ブロック・ダイアグラムにおけるKg(請求原因),E(抗弁),R(再抗弁),D(再々抗弁),T(再々再抗弁)の記号に見られるように,ドイツの証明責任論に影響を受けて構築された理論である。その過程で,日本民法よりも,ドイツ民法を優先するという選択を行っている。そのことによる弊害が端的に表れているのが,物権に関する要件事実論である。
ドイツ民法では,土地所有者が所有権に基づく返還請求権を行使する場合,登記を有していることが不可欠の前提となっており(ドイツ民法873条,925条),かつ,登記には権利適法の推定が与えられている(ドイツ民法891条)。したがって,土地所有者が占有者に対して返還請求権を行使する場合,ドイツ民法986条が,占有者に占有権原を抗弁として立証させることは,理にかなっている。
しかし,わが国の民法は,ドイツ民法とは異なり,不動産登記を不動産物権の取得原因としておらず,かつ,不動産登記に権利適法の推定を与えていない。したがって,ドイツ民法986条の場合とは異なり,所有権者が占有者に対して目的物の返還を請求する場合には,所有者の方で,占有が侵奪されたこと,すなわち,権利適法の推定を受けている占有者に占有権原がないことを立証しなければならないのである。
わが国の物権法の体系ばかりか,民法の明文の規定を無視し,わが国の民法よりもドイツ民法を優先する司法研修所の要件事実論は,全面的に修正されるべきである。少なくとも,物権に関する部分は,直ちに破棄されるべきであろう。
司法研修所の要件事実論によると,第6問の旧ブロック・ダイアグラムは,以下のようになる。請求原因と抗弁とは,いずれも,甲土地の所有権の存否についての争いとして表現されている。
*図2 第6問の旧・ブロック・ダイアグラム(誤) |
しかし,第6問における争点は,XのYに対する甲土地の返還請求権の存否である。したがって,旧・ブロック・ダイヤグラムを作成するとしても,争点は,XのYに対する甲土地の返還請求権の発生原因に焦点を当てて作成されるべきである。
所有権に基づく返還請求権の請求原因は,@原告の目的物に対する所有権の存在,A被告による占有侵奪,B現占有の3つであり,本問では,被告が,「平成17年9月9日,所有者であるXから代金2000万円で甲土地を買い受けて占有しています」と主張しているので,これは,原告のA占有侵奪の主張に対する理由付き否認であると考えられる。したがって,第6問の旧・ブロック・ダイアグラムは,以下のようになる。
*図3 第6問の旧・ブロック・ダイアグラム(正) |
いずれにしても,旧・ブロック・ダイアグラムは,当事者の言い分(事実関係と争点)を表示するのに十分ではない。新・ブロック・ダイアグラムによれば,第6問の事実関係と争点は,以下のように明らかとなる。
*表6 第6問の新ブロック・ダイアグラム 原告の主張 被告の主張 訴訟物
(請求の趣旨)本訴請求 被告は,原告が所有する甲土地の占有を解き,原告に対して,甲土地を明け渡せ。 被告は,原告の請求を棄却するとの判決を求める。 仮定的な反訴請求 被告は,原告の反訴請求を棄却するとの判決を求める。 被告は,原告に対して,甲土地の所有権が被告にあることの確認を求める。 要件事実
(請求原因)発生事由,
発生障害事由請求原因(1)
原告は,平成17年9月9日当時,甲土地を所有していた。請求原因(1)に対する認否
請求原因(1)は認める。請求原因(2)
被告は,平成17年9月9日,甲土地を侵奪した(被告は,甲土地の占有権原を有しない)。請求原因(2)に対する認否
請求原因(2)は否認する。被告は,平成17年9月9日,原告から甲土地を2000万円で購入した。請求原因(3)
被告は,甲土地を占有している。請求原因(3)に対する認否
請求原因(3)は認める。阻止事由
(潜在的な
所有権確認の
反訴)反訴請求原因(1)に対する認否
反訴請求原因(1)は否認する。反訴請求原因(1)
被告は,平成17年9月9日,甲土地を甲から代金2000万円で買い受け,甲土地の所有権を取得した。(予備的な)
消滅事由,
消滅障害事由所有権喪失の抗弁に対する認否
抗弁(1)は否認する。(予備的)所有権喪失の抗弁
原告は,被告に対し,平成17年9月9日,甲土地を代金2000万円で売却し,甲土地の所有権を喪失した。
よって,原告は,被告に対する所有権に基づく返還請求権としての甲土地の明渡請求権を喪失した。
以上の新・ブロック・ダイアグラムによれば,第1に,原告が所有権に基づいて甲土地の返還を請求する場合の被告の立場と,第2に,被告の方から反訴として所有権確認の訴えを提起する場合,または,被告が原告の所有権に基づく返還請求権の消滅を主張する場合とで,立証責任が異なることが理解できる。
第1の本訴請求の場合には,被告は,原告の請求原因を否認することで足りる。被告は,自らの所有権の存在を主張する必要はなく,被告が甲土地を侵奪していないこと,すなわち,たとえば,原告から,または,原告以外の所有者から甲土地を購入したこと,または,所有者から甲土地を使用貸借・賃貸借していること等を主張すれば足りる。被告が甲不動産を権原なく占有していること,すなわち,甲不動産を侵奪していることは,原告が,主張・立証しなければならない。
第2の反訴請求の場合には,被告の方で,所有権の取得原因,たとえば,甲不動産を時効取得したこと,または,原告,もしくは,他の所有者から購入したことを主張・立証しなければならない。
このように,新・ブロック・ダイアグラムによれば,原告の訴訟物と請求原因を必ず記入しなければならないため,旧・ブロック・ダイアグラムの場合と異なり,所有権に基づく返還請求権の発生原因が脱落するといった危険性を回避することができる。
不動産物権変動の対抗要件としての登記の効力について,登記手続等の問題を扱う前に,実体法の考察を行う。
@物権変動に関する意思主義と対抗要件主義(フランス民法がその代表)を,形式主義(ドイツ民法がその代表)と対比し,わが国の民法が,ドイツ民法の立場を採用せず,フランス民法の立場を採用した理由を説明することができる。
A登記を重視するドイツ民法は,動産と不動産とを厳格に区別し,動産の場合には,占有に取得時効(ドイツ民法937条)と権利適法の推定(ドイツ民法1006条)を認めるが,不動産物権の場合には,登記のみに取得時効(ドイツ民法900条)と権利適法の推定の効力を認め(ドイツ民法891条),占有には,取得時効も,権利適法の推定も認めていない。したがって,ドイツ民法の下では,所有権に基づく返還請求権に対して,占有者に対して占有権原の立証責任を課している(ドイツ民法986条)。これに対して,わが国の民法は,動産と不動産とを区別せず,占有に時効取得の効力(民法162条)と権利適法の推定力(民法188条)を認めている。このようなわが国の民法の立場は,所有権者から返還を請求される占有者(特に居住者)を保護する上でも重要な意味を有する。ところが,わが国の判例(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁)は,所有者から不動産の明渡を求められた居住者に対して,民法188条の適用を否定している。その理由は何なのかを探求し,判例の立場を批判的に検討することができる。
B民法177条の適用の結果,第2買主が登記を先に具備すると,第1売買は有効な売買であるにもかかわらず,第1買主は物権を取得できないのはなぜか(売買契約が有効にもかかわらず,その効果としての財産権の移転が実現されない)という問題を題材として,物権行為の独白性・無因性をめぐる議論について,対立する考え方(物権行為の独自性を認める考え方(その中に債権行為と物権行為の無因性を認める学説と認めない学説の対立がある)を理解し,それぞれの議論の問題点を説明することができる。
C物権変動が生ずる時期について,判例(最二判昭33・6・20民集12巻10号1585頁(民法判例百選T第48事件))・学説(契約成立時説,財産権移転の合意時説,段階的物権変動説)の考え方の対立とその問題点を説明することができる。
D所有権の移転時期を確定することが,自己の物の売買と他人物売買(民法560条〜564条)を区別することなどを例に挙げて,どのような意味を持つかをめぐる議論の対立を理解し,その問題点を説明することができる。
E民法177条の対抗要件主義とはどのような制度かを,物権変動の意思主義(民法176条)との関係を含めて,具体例に即して説明することができる。
F所有権の二重譲渡が行われた場合に,民法177条に基づき,第二譲受人が所有権を取得することができるのはなぜかをめぐる議論(不完全物権変動説,否認権説,公信力説)を理解し,第一譲受人も第二譲受人も登記を得ていない場合に,どちらが所有権を取得できるのかという問題を含めて,それぞれの説の問題点を説明することができる。
G民法177条が,どのような原因に基づく物権変動に適用されるかをめぐる議論(法律行為限定説,無制限説(大連判明41・12・14民録14輯1301頁(民法判例百選T第50事件)))の対立を理解し,その問題点を具体例に即して説明することができる。
H解除(最三判昭35・11・29民集14巻13号2869頁(民法判例百選T第52事件))や取消し(大判昭17・930民集21巻911頁(民法判例百選T第51事件))の場合に,民法177条が適用されるかどうかをめぐる議論を,解除や取消しの法律効果と関連させて理解し,その問題点を説明することができる。
I所有者の死亡を契機として物権の変動が生ずる共同相続(最二判昭38・2・22民集17巻1号235頁(民法判例百選T第54事件)),遺産分割(最三判昭46・1・26民集25巻1号90頁(民法判例百選T第55事件))等の場合において,どのような場面で民法177条の適用が認められるかをめぐる議論の対立を理解し,その問題点を説明することができる。
J取得時効による物権の取得を第三者に対抗するために登記の具備が必要とする考え方(最二判昭46・11・5民集25巻8号1087頁(民法判例百選T第53事件))とその問題点について,具体例に即して説明することができる。
K物権の取得者は,どのような第三者(一般承継人,特定承継人,一般債権者,差押債権者,不法占拠者)に対する関係において,物権取得を対抗するために登記を備えていることが必要であるかをめぐる議論(最三判昭25・12・19民集4巻12号660頁(民法判例百選T第58事件))の対立を理解し,その問題点を具体例に即して説明することができる。
L民法177条の第三者の主観的要件について,いわゆる背信的悪意者排除の法理(最三判平18・1・17民集60巻1号27頁(民法判例百選T第56事件))がどのような考え方であるかを,背信的悪意者からの転得者が問題となる場合(最三判平8・10・29民集50巻9号2506頁(民法判例百選T第57事件))を含めて,具体例に即して説明することができる。
M民法177条において,背信的悪意者排除の法理が適用されないのはどのような場合か,その適用が認められない根拠は何かを,具体例(最二判平10・2・13民集52巻1号65頁(民法判例百選T第59事件))に即して説明することができる。
N不動産取引において,民法94条2項の適用・類推適用(最三判昭45・9・22民集24巻10号1424頁(民法判例百選T第21事件))がどのような意味を持つかを,具体側に即して説明することができる。