証明責任の基本的な考え方

新しい要件事実教育のために(その1) −要件事実教育批判−

作成:2004年10月20日

名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂


問題の所在


要件事実に関する講義は,契約法の講義の当初計画には含まれていなかった。しかし,新司法試験サンプル問題が公表されたことにより,司法試験に合格するためには,実体法としての契約法を理解するだけでは,不十分であり,要件事実に関する相当程度の知識が必要であることが明らかとなった。そこで,急遽,要件事実の基礎理論となっている「証明責任の基本的な考え方」を理解させるための講義を追加することにした。

新司法試験サンプル問題(民事系科目)の「短答式試問題」の〔第4問〕では,誤りのある選択肢として,以下のような文章が出題されている。

第4問〕 不動産賃貸借に関する次のアからエまでの記述のうち,正しいものはどれか。
ア 建物賃貸借において,賃借人が無断で建物を第三者に転貸したことを理由として,賃貸借人が賃貸借契約を解除した場合に,解除が有効と認められるためには,無断転貸が背信行為と認めるに足りる特段の事由を賃貸人〔正しくは,無断転貸が背信行為と認められるに足りない特段の事由を賃借人〕が主張立証することを要する。

もちろん,この問題は,最一判昭41・1・27民集20巻1号136頁(賃借地の無断転貸を賃貸人に対する背信行為と認めるに足りないとする特段の事情は、その存在を賃借人において主張・立証すべきである)の判旨を知っていれば解ける問題ではある。

しかし,証明責任に関する基礎的な知識がなければ,正しく理解することは困難であり,応用問題が出された場合には,正解はおぼつかないと思われる。例えば,次のような問題を考えてみよう(予想される司法研修所による解答としては,[加藤,細野・要件事実の考え方(2002)163-164頁]参照)。

【練習問題1】 Xは,Yに甲建物を賃貸したが,Yが甲建物を無断でAに転貸していた事実が判明した。そこで,Xは,民法612条2項に基づき,賃貸借契約を解除する意思表示をした上で,Yに対して甲建物の明け渡しを求める訴えを提起した。これに対して,Yは,無断転貸が背信行為と認めるに足りない特段の事由があるとして,解除の成否を争っている。そこで,Xは,無断転貸が背信行為と評価できる具体的事実を主張して,解除の正当性を補強した。
問1 Yが主張している,「無断転貸が背信行為と認めるに足りない特段の事由」は,否認か抗弁か。
問2 Xが主張している「無断転貸が背信行為と評価できる具体的事実」は,請求原因か,それとも,再抗弁か。
要件・効果の
表現方式
民法612条2項の論理的・目的的解釈 民法612条2項の文言解釈
実体法上の要件と証明責任とを
区別して表現する方法
実体法の要件を証明責任を
考慮して表現する方法
論理式

(a∧b∧c∧d)⇒R

x ⇒cが法律上推定される

(a∧b∧x∧d)⇒R

ただし ¬c⇒¬R
(ただし,¬(¬c)⇒¬(¬R)?)

・法律要件要素,および,推定の前提
 a:XY間での賃貸借契約の締結, b:XからYに対する目的物の引渡し, x:YからAへの無断転貸
 c:YのXに対する背信行為, d:XからYに対する解除の意思表示とその到達
・法律効果
 R:XのYに対する建物明渡請求
結論 (1)Yの「無断転貸が背信行為と認めるに足りない特段の事由」の証明は,推定の前提事実の証明によって法律上推定された「背信性」を否定するための反対事実の証明に該当する。したがって,Yの主張は,請求原因の否定に過ぎないが,証明責任が転換されているため,抗弁となる。
(2)Xの「無断転貸が背信行為と評価できる具体的事実」の主張は,請求原因である法律要件要素(c)の補充にすぎない。したがって,Xの主張は,請求原因の主張であって,再抗弁ではない
(1)Yが主張している「無断転貸が背信行為と認めるに足りない特段の事由」は,解除権の発生障害事由(非背信性)である。したがって,Yの主張(c)は抗弁である。
(2)Xが主張している「無断転貸が背信行為と評価できる具体的事実」は,解除権の発生障害事由(非背信性)を排斥するための評価障害事由である。したがって,抗弁の否認ではなく,再抗弁である[司法研修所・要件事実〔第2巻〕92頁]。

新司法試験サンプル問題(民事系科目)の「短答式試問題」に立ち返ると,さらに,〔第9問〕には,正解の選択肢として,以下のような文章が出題されている。

第9問〕 BのAに対する債務をCが保証し,AがCに弁済請求する場合に関する次の1から5までの記述のうち,誤っているものはどれか。
2.主債務も保証債務も商行為でない場合,保証債務の持つ附従性〔正しくは,補充性〕を奪って債権者の権利を強化するために保証契約に付された特約によって連帯保証債務が生じるとの見解に立つと,AC間の連帯の特約は,催告・検索の抗弁に対する再抗弁としてAに立証責任がある。

「付従性」と「補充性」とを間違えて出題していることから判断すると,このサンプル問題を作成したグループの実力を推し量れるというものであるが,ここで問題としなければならないことは,AがCに対して,特約に基づき連帯債務であるとの主張をすることが「再抗弁」であると断定している点にある。

問題文の作成者の論理は,以下の通りであろう。

  1. Aの請求原因
  2. Cの抗弁
  3. Aの再抗弁

しかし,AがCに対していかなる請求原因で弁済請求するかを考えた場合,連帯保証(連帯債務)に基づく弁済請求を請求原因と考えることが可能である。そうだとすると,以下のようなプロセスにより,連帯の請求原因によって,Cの催告・検索の抗弁は,最初から,抗弁として主張できないと考えることができる。

  1. Aの請求原因
  2. Bの抗弁

このように考えると,Aの連帯の主張は,再抗弁ではなく,請求原因ということになって,問題文は誤りということになっても,おかしくないことがわかる。

ところが,新司法試験のサンプル問題によると,選択肢2.は正解であるということになっており,これを争うことは,新司法試験に合格するためには,得策ではないということになりかねない。

しかし,試験問題の解答に対して,異議申し立てができないということになれば,国民の期待に応える法曹を養成するために設立され,法理論教育を中心としつつ,実務教育の導入部分(例えば,要件事実や事実認定に関する基礎的部分)をも併せて実施するという,法科大学院のあるべき姿は崩壊し,実務重視で理論教育を放棄し,試験合格のための予備校へと転落していくことになりかねない。これでは,筆者のように,法科大学院の理想を実現するために法科大学院の教師となった者は,その使命を果たすという目的が達せられないことになり,無責任といわれようとも,法科大学院の教師をやめるという道を選ばざるをえなくなってしまう。

そこで,そのような最悪の結果を避けるために,私としては,できる限りの範囲で,証明責任に関する正しい知識を積極的に展開し,学生にそれを示すことによって,証明責任および要件事実に関する学生の理解度レベルを格段に向上させ,新司法試験問題を作成している委員と対決できるに十分な実力を付けさせたいと考え,それを実践することにした。

そして,近い将来,新司法試験問題を作成している委員がそのよりどころとしている要件事実教育とその理論基盤である証明責任論を徹底的に批判する書物を公刊し,新しい要件事実教育を実現するための新しい証明責任理論と,新しい要件事実教育の方法論を確立したいと考えている。

本講義は,その第一歩である。茨の道になるかもしれないが,くじけることなく歩み続けたいと思う。


基本的知識の整理


法律要件:一定の法律効果を生じるために必要な事実の集合のことを法律要件という。法規の論理構造は,「(a)⇒(R)」,すなわち,「もしも,ある事実(a)が存在するならば,一定の効果(R)が生じる」という形式をとることが多い。この前件命題(a)が法律効果(R)の法律要件である。

民法709条を例にとると,法律要件はaだけではなく,次に示すように,a(故意),b(過失),c(因果関係),d(損害発生),e(違法性)というように,複数の要素から成り立っている。このように要素が複数の場合には,法律要件とは,法律効果を発生させるための要件の全体をいい,a,b,c…等の個々の要素のことを,「法律要件要素」と呼んでいる。

民法709条は,確かに,法律要件要素として,「e(違法性)」ではなく,「x(権利または法律上保護される利益の侵害)」(以下,「x(権利侵害)」という)を掲げている。しかし,「x(権利侵害)」が真の法律要件要素でないことは,民法720条によって明らかにされている。なぜなら,「x(権利侵害)」があっても,「¬e(違法性阻却事由:正当防衛または緊急避難等)」によって「e(違法性)」が否定される場合には,法律要件としての「R(損害賠償責任)」が発生しないことが明文で規定されているからである。
法律要件要素とは,それらがすべて存在する場合には,必ず法律効果が発生するもののことであり,法律要件要素がすべて存在するにもかかわらず,法律効果が発生しない場合には,それらは,真の法律要件要素ではありえない。すなわち,「x(権利侵害)」があっても,「¬e(違法性阻却事由)」があると,法律効果(R(損害賠償責任))が発生しないという場合には,「x(権利侵害)」は真の法律要件ではないということになる。
確かに,「x(権利侵害)」は,真の法律要件要素ではないかもしれない。しかし,だからといって,法律の明文で規定されていない「e(違法性)」が,果たして,真の法律要件要素となりうるのであろうか。さらに突き詰めていえば,「x(権利侵害)」がなくても,「e(違法性)」があれば損害賠償責任は本当に発生するのだろうか。判例は,古くは,「x(権利侵害)」がなければ,不法行為は成立しないと考えていた(大判大3・7・4刑録20輯1360頁(雲右衛門事件))。しかし,その後,大審院の判決以来,「x(権利侵害)」といえない場合であっても,「e(違法性)」があれば,損害賠償責任は肯定されるとしており(大判大14・11・28大判大14・11・28民集4巻670頁(大学湯事件)),多くの学説(末川,我妻,加藤一郎等)も,このことを認めている。理論的にいっても,「e(違法性)」とは,加害者の侵害行為の態様と被害者の被侵害利益の程度とを相関的に判断してその存否が確定されるものであるとされており,「x(権利または法律上保護される利益の侵害)」の実質を十分に考慮できる概念である。したがって,相関的な利益衡量の後にその存否が確定される「e(違法性)」を法律要件要素として損害賠償責任の有無を判断することの方が,「x(権利または法律上保護された利益の侵害)」という一方当事者の事情のみで,損害賠償責任の有無を判断することよりも格段に衡平な判断を下すことができる。
このように考えるならば,民法709条の法律要件要素を,法律の文言解釈によって「x(権利または法律上保護される利益の侵害)」と考えるよりも,論理的かつ目的的解釈によって,「e(違法性)」を法律要件要素とする方が適切であることが理解できるであろう。

次に,個々の法律要件の要素は,「…でない(¬)」,「…そして(∧)…」,「…または…(∨)」という3つの記号によって相互に関連付づけられる。また,法律要件から法律効果(R(損害賠償責任の発生))を導く際に用いられる「…ならば(⇒)」という1つの記号の合計4つの記号によって論理演算が行われる。

民法709条の法律要件(a(故意),b(過失),c(因果関係),d(損害発生),e(違法性))と法律効果(R(損害賠償責任の発生))との関係は,以下の論理式で表現できる。

表1 一般不法行為の論理表現における権利侵害と違法性との取扱い

要件・効果の
表現方式
民法709,720条の論理的・目的的解釈 民法709,720条の文言解釈
実体法上の要件と証明責任とを
区別して表現する方法
実体法の要件を証明責任を
考慮して表現する方法
論理式

((a∨b)∧c∧d∧e)⇒R

x ⇒eが法律上推定される

((a∨b)∧c∧d∧x)⇒R

ただし ¬e⇒¬R

a:故意,b:過失,c:因果関係,d:損害発生,e:違法性,x:権利侵害,R:損害賠償責任の発生
特色 真の実体法の要件が何かが明確である。 真の実体法の要件が何かがわかりにくい。
コメント 「¬e(違法性阻却事由)」があれば,
損害賠償責任が発生しない(¬R)こと,
すなわち,(¬e⇒¬R)も,法律要件の
性質から,明快となっている。
違法性阻却事由が,損害賠償責任発生と
どのようにかかわっているのかが,ほとんど
不明である。このことが,発生障害事由という,
無意味な概念を生む契機となったと思われる。
709条に明文で示された「x(権利または法律上保護される利益の侵害)」という要件が,真の法律要件要素ではないとすると,「x(権利侵害)」という要件は,全く意味をなさないものになってしまうのであろうか。実は,そういうわけではない。むしろ,「x(権利侵害)」は,真の法律要件である「e(違法性)」を法律上推定する要件,すなわち,「法律上の推定の前提」として,証明責任に関して,重要な意味を持つことになる。
原告は,「e(違法性)」の要件を,加害行為の不法性と被侵害利益の重大性の相関関係から直接証明することもできる。しかし,それが困難なときにも,「x(権利侵害)」があったことを証明することによって,「e(違法性)」を証明することができることになる。前者の場合には,被告は,違法性を否認によって争うことができるが,後者の場合には,「e(違法性)」が法律上推定されているため,被告が「¬e(違法性阻却事由)」を証明しない限り,違法性の推定を破ることができない。このように,「x(権利侵害)」という要件は,訴訟実務上は,大きな意味を持っている。
以上の考察の結果を踏まえて,民法709〜713条,720〜724条で表現されている一般不法行為の論理構造を,リレー回路によって図式化してみよう。この図においては,原告が証明すべき事由と,被告が証明すべき事由とが明確に区別されており,否認と抗弁の区別を理解する上でも有効であろう。
図1 一般不法行為の論理をリレー回路を使って図式化したもの

否認:否認とは,民事訴訟において,相手方が証明責任を負う事実を否定することをいう。

抗弁:抗弁とは,民事訴訟において,相手方が証明責任を負う事実を否認するのではなく,相手方の主張を排斥するために相容れない別個の事実を主張することをいう。「契約の成立は認めるが,弁済や時効によって,すでに契約上の債務は消滅している」という主張がその典型例である。抗弁事実の証明責任は,それを主張する者にある。

事実上の推定:事実上の推定とは,裁判官が,経験則を利用して,ある事実から他の事実を推定することによって心証を形成することをいう。法律上の推定の場合とは異なり,事実上の推定がうまく働く場合には,裁判官は心証を形成してしまうので,真偽不明とはならず,証明責任の問題は生じない。

表見証明:表見証明とは,事実上の推定に用いられる経験則が高度の蓋然性を持つ場合であり,前提事実の証明でもって,推定事実の心証が,一応,証明あり,とされる程度に近づく場合をいう。表見証明は,「一応の推定」ともいわれる。

法律上の推定:法律上の推定とは,「A事実があるときは,B事実があるものと推定する」という趣旨の明文の規定があるか,明文の規定がなくても,そのように解釈することができる場合をいう。この場合,B事実の存在が真偽不明のときは,証明責任の原則に反し,例外的に,B事実の属する法規の定める法律効果が認められることになる。もちろん,相手方は,A事実の存在にかかわらず,B事実の不存在(反対事実)を証明してその法律効果を妨げることが可能である。この点は,「A事実があるときは,B事実があるものとみなす」と規定し,反対事実の証明を許さない「みなし規定」とは異なる。

規範説(法律要件分類説):証明責任の分配は,衡平というようなあいまいで不確定な要素によって定まるのではなく,実体法の規範形式のみによって厳密に決定されるとする説。

表2 規範説の特色と規範説に対する批判

規範説の特色 規範説の理論的根拠 規範説に対する批判
証明責任の本質 実体法の法律要件要素の存否が証明できない(non liquet)ときには,実体法は適用できない。裁判を受ける権利を保障するためにそのときでも裁判を可能にするのが証明責任の規定である。 全く正しく,批判の余地はない。
実体法の法律要件要素の存否が証明できない(non liquet)ときには,常に,その法律要件要素は存在しないとみなすのが証明責任のルールである[ローゼンベルク・証明責任論(1972)23頁]。
例えば,「10年間(a)の自主占有(b)で時効取得する。ただし,悪意占有(¬c)の場合には,この限りでない。」というルールがあるとする。この場合,ルールは,以下の2つに分かれる。
 (1)a∧b⇒R
 (2)¬c⇒¬R
占有者の善意・悪意が真偽不明となった場合,取得時効が成立するのは,(1)のルールが適用され,(2)のルールが適用されないからである。
実体法の法律要件要素の存否が証明できない(non liquet)ときには,通常は,法律要件要素は存在しないと認定すべきであるが,法律上の推定がある場合等,特別の事情がある場合にはには,法律要件要素の存否が証明できない(non liquet)ときにも,当該法律要件要素の存在を肯定することができる(いわゆる証明責任の転換)。
Rosenbergの規範説の根本的な誤りは,この点を無視したことにある。Rosenbergの挙げた例は,実は,
 (1)a∧b∧c⇒R
 (2)b⇒cが法律上推定される
というルールと考えることができる。そのように考えると,このルールにおいては,善意(c)が真偽不明の場合でも,ルール(1)が適用可能であることが,明確に示されていることになる。
証明責任の配分法則 実体法の表現形式で決定できる 公平という概念は,各人によって異なり,明確な基準とはなりえない。したがって,証明責任の分配の法則も,法規に従うべきであり,特に,実体法規の表現形式の文理解釈によって一義的に決定すべきである。 実体法の表現形式の文理解釈によるならば,明確な基準を提示しうる。しかし,立法者がそのような明確な基準を意識していたかどうかは疑問である上に,立法者がしばしば過ちを犯すことは経験則上明らかである。そのために,常に法律の見直しと新しい視点からの解釈学が必要とされている。
発生要件と発生障害要件とを区別する 挙証責任の分配は,実体法規範を分析し,発生規範,発生障害規範,消滅規範,消滅障害規範とを区別することによって一義的に決定しうる。
例えば,10年間の取得時効の規定は,実体法の分析によって以下のように分類できる。
 (1)権利発生根拠規定:a∧b⇒R
 (2)権利発生障害規定:¬c⇒¬R
このような分類に基づいて,すべての法律要件は,原告が証明すべき主要事実,被告が証明すべき抗弁,原告が証明すべき再抗弁,被告が証明すべき再々抗弁,…というように,構造的に分類することができる。
私法における実体法の規範は,権利・義務の発生,変更,消滅を扱うものであるから,その規範を発生規範,消滅規範に分類することは可能である。しかし,発生規範と発生障害規範との区別は,証明責任がどちらにあるかが決定された後に決まる問題であって,実体法の規範の分析からは導き得ないものである。
例えば,Rosenbergが挙げた例は,実は,以下のような論理式で表現できる。
 (1)権利発生規定:a∧b∧c⇒R
 (2)証明責任規定:b⇒cが法律上推定される
わが国の民法は,左のようなドイツ民法の表現形式とは異なり,上のような表現形式を採用している。Rosenbergは,このような日本民法の規定は,立法の過誤だと非難するが[ローゼンベルク・証明責任論(1972)237頁],お門違いも甚だしいといわなければならない。
結論があって始めて区別できることを,あたかも,実体法の規範の構造分析によって区別できるとした点に,規範説のごまかしと,それを長年にわたって法曹に信じさせた点に規範説の罪の深さがある。
時代背景・思想背景 規範説の創始者である当時19歳のRosenbergは,ドイツの当時の通説であった公平説のあいまいさを突いて,証明責任の分配のための明確なルールを打ちたてようとした。
その背景には,裁判官に対して,証明責任の解釈に関する自由裁量を認めると,訴訟における法的安定性が害されるとの「裁判官不信」の思想が読み取れる。
もちろん,明確な基準を打ちたてようとすること自体は,非難されない。しかし,明確な基準を打ち立てることと,具体的な妥当性を確保することは,多くの場合に,トレードオフの関係にある。規範説は,具体的妥当性を完全に無視した硬直的な学説である。
ドイツでは,現在でも,規範説が有力であるが,製造物責任訴訟を通じて,解釈によって証明責任の転換を行うことが認められるに至っている(鶏ペスト事件(BGHZ51,91), レモネード・ビン判決(BGHZ104,323)など)。この点は,わが国との決定的な差である。
規範説は,証明責任を裁判官の自由な判断に任せたのでは,法的安定性が成り立たないという,裁判官不信がその根底にある。司法研修所や最高裁判所が要件事実教育に熱心なのは,個々の裁判官に対する不信感の現れであり,統一的な解釈を押し付けなけば,判決の水準が保てないとの危惧の念の現れである(法科大学院によって大量の法曹が養成されるようになると,ますますその危惧が大きくなるようである)。
しかし,わが国の裁判官は,非常に優秀であり,「その良心に従い,独立してその職権を行う」ことのできる存在である。社会的正義を実現するためには,硬直的な解釈を行うだけでは足りず,常に,裁判官は,創造的な解釈を行うことが期待されている。
それにもかかわらず,最高裁は,一貫して,証明責任を裁判官の解釈によって転換することを否定してきた(最二判平元・12・8民集43巻11号1259頁(石油カルテル損害賠償請求事件))。
社会的正義を実現すためにには,証明責任を裁判官が自由に解釈することが不可欠である。それにも,かかわらず,最高裁がその道を閉ざしているのは,奇妙というほかない。それが,国民のためでもなく,個々の裁判官のためでもないことが明らかであるとれば,最高裁による裁判官統制の意味しか持たないのではないだろうか。

Rosenbergが提唱した規範説は,以下のようなスローガン[ローゼンベルク・証明責任論(1972)105頁]の下に,証明責任の分配を実定法の条文の表現形式によって判断するという,典型的な文理解釈学説である。

しかし,文理解釈は,法的安定性を実現できても,具体的妥当性を期し得ない。したがって,この学説に厳密にしたがっている学説は,現在では存在しない。しかし,現在でも,多くの訴訟学者は,この学説の根本精神(実体法の形式の重視)を受け継いでおり,唯一信じうるはずの実体法の表現形式が,わが国においては,あてにならないことが明らかになり始めると,自分たちの理論が破綻していることには全く気づかず,今度は,一転して,実体法の条文は,証明責任の分配が明らかになるように再構成されるべきであると主張しはじめる。

そして,具体的には,実体法の条文構造を,権利根拠規定(請求原因),権利発生障害規定,または,権利消滅規定(抗弁),権利発生障害規定,または,権利消滅規定の障害規定(再抗弁),権利発生障害規定の障害規定の障害規定,または,権利消滅規定の障害規定の障害規定(再々抗弁)…というように再構成し,訴訟上の主張,抗弁,最抗弁,再々抗弁,再々々抗弁…と一致させるように規定されるべきだと信じている。特に,司法研修所の教官といわれている人々は,このような考え方の信奉者であり,実体法学者がこのような考え方に従わないことを激しく非難している。このことが,本末転倒の議論であることは,上で述べた通りである。

衡平説:証明責任は,どちらの当事者に証明責任を負わせるのが社会的衡平にかなうかという政策考慮によって決定されるのであって,それは,規範説のような実体法の文言解釈ではなく,衡平の観点に基づく政策考慮から,論理的な解釈によって導かれるとする説。

衡平説のいう政策考慮とは,具体的には,どちらの当事者が証拠に近く,証拠の提出が容易か(どちらの当事者に証明責任を負わせた方が,証拠がより多く提出され,真実発見に資するか),そして,証明の難易・蓋然性を考慮した場合に,どちらに証明責任を負わせるのが社会秩序の維持に貢献するか(証明が容易な事実,または,蓋然性の低い事実を主張する方に証明責任を負わせる)という考慮のことをいう。衡平説においては,実体法の条文形式の分析という,画一的な方法ではなく,このような考慮事項を総合的に判断を通じて,どちらが証明責任を負うかが決定されるとする。

まとめ −規範説に基づかない新しい要件事実教育の必要性

社会に現れる現実は,しばしば立法者の意図を超える。紛争を具体的な妥当性を維持しつつ,法律に基づいて解決するためには,常に,創造的な解釈が要求される。最高裁も,実は,証明責任に関して,決して,硬直的な判断をしてきたわけではない。先に取り上げた,無断転貸に関する一連の最高裁判決は,民法612条の明文の規定には明らかに反しているにもかかわらず,賃貸人の利益と賃借人の利益を衡量し,無断転貸は,必ずしも,解除原因とはならないとして,賃貸人の横暴を制御するとともに,条文の根拠は全くないにもカかわず,「背信行為と認めるに足りないとする特段の事由」の証明を賃借人に課すことによって,バランスの取れた証明責任のルールを創設している(最一判昭41・1・27民集20巻1号136頁)。

このような柔軟な解釈は,実は,規範説では絶対に実現できないことを知るべきである。なぜなら,「背信行為と認めるに足りないとする特段の事由」はもちろんのこと,そもそも,「背信行為」なる要件自体が,実体法規定(民法612条)にはなく,判例を通じて,解釈によって成立したに過ぎないものだからである。ここにおいては,「背信行為」が法律要件であり,「無断譲渡・転貸」は,背信行為を推定する推定の前提であるのか(法律上の推定の解釈による創造),それとも,今なお,「無断譲渡・転貸」が解除権の「発生要件」であり,「背信行為と認めるに足りないとする特段の事由」が解除権の「障害要件」であるのか(障害要件の解釈による創設),そのいずれかを判断するための実体法上の明文の規定は,そもそも,存在しないからである。

「背信行為と認めるに足りないとする特段の事由」を「賃借人が証明しなければならない」という結論を,理論的に説明するためには,第1に,背信行為に該当する事実が賃貸人が証明すべき請求原因事実であるが,無断譲渡・転貸がある場合には,背信行為であることが法律上推定されるのであり,賃借人は,抗弁事由として,「背信行為と認めるに足りないとする特段の事由」を証明しなければならないと考えることが可能である。しかし,この解釈方法は,法律上の推定は,法律の定めがある場合に限られるのであり,解釈によって創造することはできないという最高裁の判例法理(最二判平元・12・8民集43巻11号1259頁)に反することになり,実務理論としては採用できないはずである。

これに反して,「無断譲渡・転貸」が依然として解除権の発生要件であるが,「背信行為と認めるに足りないとする特段の事由」が解除権の発生障害事由であると解釈して,それが,抗弁事実となると解することも可能である。一見,この説は,規範説の学説に適合しているように見える。しかしながら,この解釈も,実体法の条文の根拠がないにもかかわらず,権利障害事由を創設すものであって,この結果を認めるのであれば,規範説自体が不要であることを意味し,規範説を根底を覆すことになってしまう。

このように考えると,民法612条の条文にないにもかかわらず,賃借人を保護するために,学説が創設し,最高裁が認めた「背信行為」という概念にしたがって,「背信行為と認められない特段の事由」について,賃借人が証明責任を負うということは,規範説によっては,絶対に説明できないのである。そして,規範説でできないことを最高裁が認めているということは,すでに,規範説は理論的に崩壊していることを意味しており,証明責任の転換は,法律上の明文の根拠を必要とするという理論も,実際には,崩壊していることを意味する。規範説を離れて,すなわち,従来の要件事実教育を離れて,柔軟な解釈を許す,新しい要件事実教育が必要とされる理由は,まさに,この点にあるといえよう。


挙証責任にしたがって法律要件を分類する基本的な考え方


証明責任の分配の大まかなルール

民事訴訟法は,民事紛争が生じた場合の紛争解決のための手続きを定めている。この手続きのうち,実体法である民法との関係で最も重要な問題と思われるのは,実体法の定める要件をどちらが証明しなければならないかという事実認定の基本ルールである。

一般的に,実体法上の要件について,その要件に該当する事実を原告と被告のうちのどちらが証明しなければならないかという証明責任の分配法則は,後に詳しく述べるように,個々の要件ごとに,どちらに証明責任を負わせるのが衡平かという考慮によって決定される。

しかし,ここでは,初心者のために,大まかではあるが,わかりやすい「慣性の法則」ともいうべき秩序維持のための現状肯定原則を紹介しておくことにしよう。

ここでいう証明責任における「慣性の法則」とは,静止した状態は証明がない限り永久に静止し続け,いったん変更した状況は証明がない限り永久に変更されたままとなるという原則である(この考え方は,占有状態の保護原則と呼ばれることもある)。この原則を使うと,次に述べる権利根拠事由,権利消滅事由に関する証明責任の分配も容易に説明できる。というのは,何もない状態から契約が成立したことを主張するためには,契約が成立するための要件事実が証明されなければならないし,いったん成立が証明されると契約は惰性で存在し続けると考えられるので,契約上の権利の消滅を主張する者は,消滅を根拠づける事実を証明しなければならないということになるからである。

主張,否認,抗弁の区別

訴訟においては,権利を主張する者は,原則として,その権利の主張(請求)を根拠づける要件(権利根拠事由)を主張し,証明しなければならない。

例えば,貸金請求訴訟の場合,原告は,被告にお金を貸したこと(被告が借りた金を返すという約束をして金銭を受け取ったこと)を借用証等に基づいて証明しなければならない(民法587条)。証拠が不十分であれば,そんなお金は借りていないとの被告の「否認」が効を奏することになる。

これとは反対に,すでに発生した権利が実は無効であるとか,権利が消滅したとか主張する者は,成立した権利の無効要件(いわゆる権利障害事由)や消滅を根拠づける要件(権利消滅事由)を主張し,証明しなければならない。

例えば,先の例で,原告がお金を貸したことを証明したときは,被告の方で,契約が錯誤で無効であるとか,免除をしてもらったとか,時効で消滅しているとか,借金はすでに返済している等の事実(「抗弁」事実)を証明しなければならなくなる。

つまり,相手の攻撃に対して防御する場合,自らが証明責任を負わない事実について反撃する場合である「否認」は比較的楽であるが,自らが証明責任を負う事実について反撃する「抗弁」は楽ではないということになる。

表3 契約上の債務の発生,無効,消滅の証明

 証明主題 証明責任を負う当事者 攻撃方法 防御方法
債権者 債務者 債権者の主張 債務者の主張
契約の成立・不成立 成立(一般) 請求原因 否認
不成立・無効
による返還請求
利得と損失とその関連性 請求原因 否認
法律上の原因の不存在 請求原因 否認
契約の有効・無効 無効(一般) 抗弁
無効 意思無能力 抗弁
心裡留保 抗弁
通謀虚偽表示 抗弁
錯誤 要素の錯誤 抗弁
表意者の重過失 再抗弁?
請求?
否認
公序良俗違反 抗弁
無権代理 抗弁
取消し 制限能力者 抗弁
詐欺 抗弁
強迫 抗弁
契約の履行・不履行 契約の終了(弁済,相殺,更改,免除,混同一般) 抗弁
不履行 同時履行の抗弁 相手方の不履行 抗弁
強制履行 強制に適する 請求原因 否認
解除 契約目的不達成 請求原因 否認
損害賠償 不履行 請求原因 否認
免責事由 抗弁

司法研修所の教官から実体法学者に対する攻撃としてなされる代表的なものは,請求原因と再抗弁との区別に関するものである。後に詳しく論じるように,再抗弁の存在を認めない筆者としては,このような攻撃は全く根拠のないものであり,無視すればよいと考えているが,あまりにも執拗な攻撃がなされているので,ここで,軽く,反撃しておくことにしよう。

司法研修所の教官から実体法学者に対する攻撃の典型例は,錯誤無効に関して,民法95条ただし書きの「表意者に重大な過失のない」という事実は,錯誤無効の抗弁に含まれるのか,それとも,「表意者に重大な過失がある」という事実が相手方の再抗弁となるかという問題についてである。

定評のある教科書においても,錯誤無効の要件として,「表意者に重大な過失がないこと」を挙げるものがある(四宮和夫=能見善久『民法総則〔第6版〕』222頁)。表意者であるYに重大な過失がある場合には,無効主張をすることができない(民法95条ただし書)からであるが,要件事実論においては,「表意者に重大な過失がある」という事実を主張することは,Xの反対主張(再抗弁)となることに注意すべきである(四宮=能見・前掲書の記述も,前に述べたように,民法の教科書では,民事訴訟の攻撃防御の構造という観点を織り込んで,要件が説明されていないという一例であるといえよう)[加藤,細野・要件事実の考え方(2002)29頁]。

加藤・細野説は,「表意者に重大な過失がある」という,実体法上の意味を全く理解していない。なぜなら,「重大な過失」は,「悪意」と同視するというのが,民法の基本的な立場だからであり(民法470条,697条参照 ),以下に示すように,「表意者に重大な過失がある」という主張は,「表意者には錯誤がない」と主張するのと同じことだからである。「表意者に錯誤がない」という主張は,まさに,「抗弁の否認」であって,「再抗弁」ではありえない。

このように,司法研修所の教官が主張する「要件事実教育」とは,証明責任に関する規範説という,誤った学説を基礎にして,上に述べた一例でもわかるように,実体法の理論を無視して積み上げられた空中楼閣にほかならない。

もちろん,筆者としても,Yからの錯誤の抗弁に対して,Xが「表意者に重大な過失がある」と主張した場合に,Xがその点について証明責任を負うことを全面的に否定するつもりはない。筆者が主張しているのは,Xに証明責任を負わせる理由が再抗弁だからという議論は,上に述べたように,完全に破綻していることを指摘したに過ぎない。実体法の解釈によって,「表意者に重大な過失がない」ということが,錯誤無効の要件であるとしても,衡平説の場合は,規範説とは異なり,直ちに,Yに証明責任があるというように断定はしない。場合によっては,抗弁事由に含まれる事実についても,Xに証明責任があると判断することがありうるからである。

訴訟上の攻撃・防御方法と実体法との関係

このように考えると,紛争解決手続きは,民法の要件事実を証明して法律効果の発生を主張する原告と,それを争う被告との攻防戦と見立てることができる。民事訴訟法も,原告と被告の主張方法を「攻撃または防御の方法」(Angriffs- und Verteidigungsmittel)」と呼んでいる(民事訴訟法137条,139条)。

原告は訴訟の開始に際して,要件事実に基づいて法律効果の発生を主張するが,この原告の主張のことを請求(Anspruch)といい,これが訴訟の対象としての訴訟物(Streitgegenstand)となる。

これに対して,被告は「否認」と「抗弁」によって,請求の存在を争うのであるが,訴訟法上の「抗弁」には,請求権を無効としたり,消滅させる永久的抗弁(Einwendung)と,一時的に権利の行使を妨げる延期的抗弁すなわち実体法上の抗弁権(Einrede)とが含まれている。

図2 訴訟上の攻撃方法と防御方法
(Vgl. D. Medicus, Buergerliches Recht, 17, Aufl. 1996, S. 549.)
 

四宮和夫『民法総則(第4版)』弘文堂(1986年)26頁は,「抗弁権は,民事訴訟法上の抗弁と混同してはならない」としつつも,抗弁権には,延期的抗弁権(同時履行の抗弁権,催告および検索の抗弁権)と永久的抗弁権(権利の失効から生ずる抗弁権,ドイツ民法の消滅時効の抗弁権)の2種類があるとしている。

しかし,わが国においては,延期的抗弁権は存在するが,永久的抗弁権という概念は実在せず,訴訟法上においてのみ永久的抗弁(無効の抗弁,および,弁済,消滅時効等の消滅の抗弁)が存在するに過ぎない。いずれにせよ,「永久的抗弁権」という記述は誤解を招きやすく,むしろ,図に従って,「訴訟法上の抗弁には,延期的抗弁と永久的抗弁との2種類がある。このうち,延期的抗弁は,実体法上は『抗弁権』と呼ばれている」と記述するのが正しい。


自由心証主義と証明の程度


わが国の訴訟法は,いかなる証拠を採用するか,証拠の証明力をどのように測定するかについて,特別の法的規制を設けず,裁判官の自由な判断に任せるという「自由心証主義」を採用している(民事訴訟法185条)。

これは,証拠方法や証明力について,法律によって細かな規定を置いて裁判官を拘束するよりも,裁判官の見識に信頼を置いて,裁判官の自由な判断に任せる方が,真実の発見に資すると立法者が判断したためである。

したがって,自由心証主義といっても,裁判官の恣意的な判断を認めるものではなく,裁判官は,事実認定につき,自然科学法則,経験則に従い,客観的根拠に基づいて合理的に判断しなければならない。

また,民事事件における証明とは,「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を検討し,高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るもので足りる」とされている(最二判昭50・10・24民集29巻9号1417頁(ルンバール施術・ショック事件))。

訴訟当事者の提出する証拠によって,裁判官が,証拠の真実性に確信を持った場合には,その証拠に従った事実が認定されることになり,事実が要件に当てはめられて法が適用されることになる。


証明責任の意義


もしも,裁判官が,証拠の真実性について確信が持てず,事実があるかないかを判断できない事態が生じた場合には,自由心証主義の下では,証拠にしたがった事実認定はできなくなる。「事実上の推定」や「表見証明」も,経験則によって裁判官の心証形成を助けるものであって,それによっても裁判官が心証を形成できない場合には,やはり,事実認定は壁に突き当たってしまう。

事実の存否が不明になった場合には,本来ならば,法の適用ができず,裁判は不能になるはずである。しかし,国民には裁判を受ける権利が保障されており(憲法32条),裁判官は,真偽が不明(non liquet:ノンリケット)だからといって裁判を放棄することは許されない。

そこで,自由心証主義の下で,事実の真偽が不明になった場合にも裁判を可能にするためには,事実があるとして法律を適用するのか,事実がないとして法律の適用をしないのかを決定する基準が必要となる。それが証明責任の規定(裁判規範)である。

事実の存否が不明になった場合,事実はなかったとして法律の適用をしないのが証明責任規定の原則である。これに対して,事実が存在するとして法律の適用を認めるのが「例外的な」証明責任規定であり,証明責任の転換規定とも呼ばれている。「法律上の推定」が,例外的な証明責任規定の典型例である。

表4 証明に基づく裁判と証明責任に基づく裁判の相違

  aの存在の
証明あり
aの存在が
真偽不明
aの不存在の
証明あり
実体法のルール a⇒R
(aならばRである)
Rである ?
判断不能
Rでない
証明責任のルール 原則
(真偽不明は「ない」とみなす)
Rである Rでない Rでない
例外(証明責任の転換)
(真偽不明は「ある」とみなす)
Rである Rである Rでない

真偽が不明の場合に,例外的とはいえ,事実が存在するかのように判断するということは,「疑わしきは罰せず」という原則に反するように思われるかもしれない。しかし,刑事事件とは異なり,民事事件においては,使用者責任(民法715条),土地工作物に関する占有者の責任(民法717条),動物占有者責任(718条)のように,被害者救済等の観点から,過失に該当する事実が真偽不明の場合には,加害者に過失があったかのように判断されることになっている場合が少なくない。


4) 証明責任の分配法則


概説

証明責任はいかなる基準によって各当事者に分配されるのであろうか。概略については,すでに,証明責任における「慣性の法則」として紹介した(22頁参照)。しかし,証明責任の分配に関する厳密な基準については,実体法の規範形式によって決定されるとする「規範説」(ドイツのローゼンベルク(Rosenberg)が提唱し,わが国でも通説とされてきた説)と,証明責任は,どちらの当事者に証明責任を負わせるのが社会的衡平にかなうかという政策考慮によって決定されるのであって,それは,規範説のような実体法の文言解釈ではなく,衡平の観点に基づく政策考慮から,論理的な解釈によって導かれるとする「衡平説」とが対立している(新堂幸司『民事訴訟法[第2版]』筑摩書房(1985年)351頁参照)。

「衡平説」が主張されるようになった根拠は,実体法は必ずしも証明責任を反映させるように立法されているわけではないため(表 4参照),条文の規範構造によって一義的に証明責任の分配を決定すると,衡平な結果が保証されないという点にある。

表5 条文の形式と証明責任の分配との齟齬

現行民法 現代語化民法 証明責任を明確にした民法の修正案 根拠判例
民法92条
(任意規定と異なる慣習)
法令中ノ公ノ秩序ニ関セサル規定ニ異ナリタル慣習アル場合ニ於テ法律行為ノ当事者カ之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムヘキトキハ其慣習ニ従フ 法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において,法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは,その慣習に従う。 法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合には,その慣習に従う。ただし,法律行為の当事者がその慣習による意思を有しないものと認められないときは,この限りでない。 大判大10・6・2民録27輯1038頁(民法判例百選T〔第5版〕第16事件)
民法415条
(債務不履行による損害賠償)
債務者カ其債務ノ本旨ニ従ヒタル履行ヲ為ササルトキハ債権者ハ其損害ノ賠償ヲ請求スルコトヲ得債務者ノ責ニ帰スヘキ事由ニ因リテ履行ヲ為スコト能ハサルニ至リタルトキ亦同シ 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも,同様とする。 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者が履行をすることができなくなったときも,同様とする。ただし,債務の不履行が,債務者の責めに帰すべき事由によって生じたのではないときは,この限りでない。 大判大14・2・27民集4巻97頁
民法478条
(債権の準占有者に対する弁済)
債権ノ準占有者ニ為シタル弁済ハ弁済者ノ善意ナリシトキニ限リ其効力ヲ有ス 債権の準占有者に対してした弁済は,その弁済をした者が善意であり,かつ,過失がなかったときに限り,その効力を有する。 債権の準占有者に対してした弁済は,弁済としての効力を生じる。ただし,弁済をした者がその権限がないことを知っていたとき,又は過失によって知らなかったときは,この限りでない。 最判昭和37・8・21民集20巻921頁
民法480条
(受取証書の持参人に対する弁済)
受取証書ノ持参人ハ弁済受領ノ権限アルモノト看做ス但弁済者カ其権限ナキコトヲ知リタルトキ又ハ過失ニ因リテ之ヲ知ラサリシトキハ此限ニ在ラス 受取証書の持参人は,弁済を受領する権限があるものとみなす。ただし,弁済をした者がその権限がないことを知っていたとき,又は過失によって知らなかったときは,この限りでない。 受取証書の持参人に対する弁済は,弁済としての効力を生じる。ただし,弁済をした者がその権限がないことを知っていたとき,又は過失によって知らなかったときは,この限りでない。

また,「衡平説」のいう政策考慮とは,具体的には,どちらの当事者が証拠に近く,証拠の提出が容易か(どちらの当事者に証明責任を負わせた方が,証拠がより多く提出され,真実発見に資するか),そして,証明の難易・蓋然性を考慮した場合に,どちらに証明責任を負わせるのが社会秩序の維持に貢献するか(証明が容易な事実,または,蓋然性の低い事実を主張する方に証明責任を負わせる)という考慮であり,このような考慮事項を総合的に判断して,どちらが証明責任を負うかが決定されるとする。

もちろん,「衡平説」も,実体法のルールが証明責任を考慮して作成されている場合には,最初にそれを考慮すべきであるとするが,これは,解釈に当たって立法者意思を考慮すべきであるという当然の解釈原則によるものであって,それ以上の意味を持つものではない。

「規範説」は,証明責任の分配を実体法ルールの規定形式によって一義的に決定しようとする文言解釈学説であり,「衡平説」は,証明責任を立法者意思,証拠からの距離,法秩序の維持等を総合的に考慮して決定しようとする目的論的解釈学説である。本書では,後者の立場に立って説明している。

証明責任分配の具体例

10年の取得時効(民法162条2項)の証明責任

ローゼンベルクの提唱する規範説によれば,10年間の(短期)取得時効の要件は,10年間の自主占有のみであり,「善意」は要件ではないとする。そして,善意ではなく,「悪意」こそが取得時効の障害事由(抗弁事由)であり,相手方が占有者の悪意を証明した場合には,取得時効の効果が否定されるとする。

そして,ローゼンベルクは,日本民法(民法162条,186条)と同様の規定を持つオーストリア一般民法およびスイス民法のように,善意を短期取得時効の権利発生要件としつつ,占有において善意を推定するとする立法は,権利発生事由と権利障害事由とを混同するものであって,証明責任の理論からは誤りであると指摘する(ローゼンベルク(倉田卓二訳)『証明責任論』判例タイムズ社(1980年)237-238頁)。

表 5 取得時効の証明責任をめぐる規範説と衡平説との対立

規範説
(証明責任の分配原則の根拠を
実体法の表現形式に根拠を求める説)
衡平説
(証明責任の分配原理の根拠を
証拠からの距離,証明力の格差等
衡平の原理に求める説)
実体法の
ルール
論理式 (1) a∧b ⇒ R
(2) ¬c ⇒ ¬R
(1) a∧b∧c ⇒ R
論理式の
説明
(1) 10年間の自主占有によって取得時効が完成する(権利根拠規定)。
(2) ただし,占有が悪意で開始された場合はこの限りでない(権利障害規定)。
10年間の自主占有が善意で開始された場合には,取得時効が完成する。
(a,b,cは,いずれも権利発生要件であるが,cについては,推定によって証明責任が転換されているに過ぎない)
訴訟法の
ルール
論理式 (2) b ⇒ c が法律上推定される
論理式の
説明
占有には善意が推定される

a:10年間 b:自主占有 c:善意 ¬c:悪意 ∧:かつ ⇒:ならば R:取得時効が完成する ¬R:取得時効が完成しない

しかし,善意と悪意は,証明主題としては同一であり,善意の否定が悪意であるに過ぎない。10年間の自主占有のみを権利発生事由とし,悪意を権利障害事由とする考え方と,10年間の自主占有と占有開始のときに善意であることを10年の取得時効の要件とし,善意については占有の善意推定に基づき法律上推定されると考えることは,実体法的には,全く同一である。

むしろ,権利発生事由と権利障害事由の区別は,実体法的に導かれるものではなく,どちらに証明責任を負わせるかという政策考慮によってのみ導かれる解釈上の問題である。ローゼンベルクの規範説は,本末を転倒した議論であるというほかない。

一般不法行為と特別不法行為の証明責任

不法行為に基づく損害賠償請求事件の場合,加害者の故意または過失は,原則として被害者が証明しなければならない(民法709条)。したがって,過失に該当する事実が証明できない場合は,被害者が敗訴する。

しかし,例えば,動物が他人に損害を加えた場合には,被害者を保護するとともに,動物に対する復讐から動物を保護するために,被害者救済を一般の不法行為の場合よりも容易にすることとし,過失の証明責任を転換している。すなわち,動物が事故を起こした場合には,動物占有者の過失が推定され,動物の占有者である加害者は,相当の注意をして動物の保管をしていたこと,すなわち,過失がないことを証明しない限り,被害者が勝訴することになっている(民法718条)。

このような場合について,過失(権利発生事由)の証明は原則に従って被害者が負うが,過失とは矛盾しない権利発生障害事由(抗弁事由)である「相当の注意をもってする保管」については加害者が証明責任を負う。したがって,加害者が「相当の注意をもってする保管」をしたことを証明できない場合には,加害者が敗訴するという見解も存在する。

しかし,「過失(保管に相当の注意を怠ること)」と「相当の注意をもって保管すること」とは,同一命題の肯定と否定に過ぎず,「過失」については,被害者が証明責任を負うと同時に,「相当の注意をもって保管すること」の証明責任は加害者が負うということは,論理的な矛盾であって,成り立ちえない。

証明責任に関する規範説によると,違法性と正当防衛(民法720条)に関しても,違法性の事実については被害者が証明責任を負い,正当防衛の事実については,加害者が証明責任を負うとしている。しかし,違法性の証明と違法性の阻却事由である正当防衛とは,同一命題の肯定と否定とに過ぎず,権利侵害がある場合には違法性が推定されるのであり,被害者は権利侵害の事実さえ証明できれば,違法性に関する事実を証明する必要はない。違法性に関しては,それがないこと(正当防衛・緊急避難)の証明を加害者が負担するのである。

表7 過失責任主義,過失の証明責任の転換,無過失責任主義の相違

過失の証明あり 真偽不明 無過失の証明あり
民法709条
(過失責任)
× ×
民法718条
(過失の証明責任の転換)
×
製造物責任法3条
(無過失責任)
×

○:被害者勝訴   ×:加害者勝訴

このように考えると,証明責任に関する規範説は,衡平の観点と具体的妥当性を無視した硬直的な考え方であり,克服されるべき説であると思われる。

訴訟法学者は,一般的に,訴訟秩序の維持という観点から,柔軟な解釈を嫌う傾向がある。規範説が証明責任における通説の地位を長く保ってきたのも,この傾向と無縁ではないと思われる。しかし,そのこと自体は,別に責められるべき問題ではない。問題は,むしろ,証明責任の問題について,実体法の要件ごとに証明責任をどのように分配するかについて議論を深めず,訴訟法学者に頼ってきた実体法学者の側の怠慢にあったといえよう。

しかしながら,訴訟法学者や司法研修所の教官が,実体法としての民法の研究を深めることなく,形式的な表現形式を重視して,証明責任の分配を行っていることに対して,無関心でいることは許されない。

そもそも,実体法としての民法は,権利・義務の発生,変更,消滅を論じるものであるから,権利の存否とは,以下のような論理として実現されている。したがって,発生規定と消滅規定とを区別することは,正当であり,論理的にも何の問題も生じない。

このように,実体法上は,発生規定と消滅規定とに分類することは可能である。これに反して,発生規定と発生障害規定とは,肯定と否定の関係に過ぎず,論理学的には,それを2つの規定とすることに意味を見出すことはできないし,発生規定と発生障害規定とを区別することは,結果的に,破綻するし,これを,強行しようとすれば,混乱を生じるのみである。

法律要件分類説は,実体法の法律要件を分類しているものではなく,実体法の問題とは別次元の挙証責任の配分を,実体法の規範分析によって体系化できるという仮説に基づき,その仮説が通用しない場面においても,実体法の表現形式から挙証責任の配分を強引に貫徹しようとした学説であり,具体的妥当性のない,硬直的で危険な学説であるといわざるをえない。

司法研修所で行われている現在の要件事実教育は,このような破綻した学問に基づいて,抗弁,再抗弁,再々抗弁…という壮大な誤りを積み重ねている。しかし,先にも述べたように,実は,否認と抗弁とを実体法の論理で区別することは出来なのであり,ましてや,再抗弁と請求原因,または,抗弁の否認とを区別することを論理的に説明することはできない。したがって,再抗弁,最再抗弁…という連鎖は,最終的には,必ず破綻することが目に見えている。理論と実務を架橋すべき法科大学院においては,学問的に破綻した現在の法律要件分類説を採用すべきではなく,破綻しない理論に基づく,新しい要件事実教育を創造しつつ,新たな法曹教育をめざさなければならない。


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