法学研究85巻3号(斎藤和夫先教授退職記念号)
訴訟実務に適合せず,理論的にも破綻している「司法研修所の要件事実論」は,解体が必要である。
それに代えて,判決の新様式に適合し,理論的にも矛盾のない「新しい要件事実論」を構築しなければならない。
法科大学院の教育は,「あるべき訴訟実務」に適合的な「新しい要件事実論」によって行われるべきである。
作成:2011年7月1日
明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
司法研修所において,司法修習生のための判決書作成の技術訓練として開始された要件事実教育は,司法研修所教官室の長年にわたる研究を通じて発展し,実務理論として定着し,「要件事実論」と呼ばれるようになっている(中野貞一郎『民事裁判入門』有斐閣(2010)67頁)。
実体法が,原告と被告との関係を捨象して,抽象的な「要件と効果」の組み合わせを規定しているに過ぎないのに対して,司法研修所の「要件事実論」の効用は,実体法が規定している要件について,原告が主張すべき要件(請求原因)と被告が主張すべき要件(抗弁)とに分類し直し,訴状・答弁書の書き方,判決の書き方に資するように,実体法の要件を再構成した点にある。この点は,要件事実論の最大の功績であり,したがって,要件事実論は,実体法と訴訟法とを架橋するものとして高く評価されてきた。
しかし,この要件事実論は,もともとが,現在の様式とは異なる古い判決書様式に適合するように構成されたものであり,しかも,司法研修所の教官室という,修習生の反論を許さず,学問的な批判にも晒されないという意味での権威主義的な空間ではぐくまれてきた。このため,この要件事実論は,今なお,古い判決様式にしか適合できないという非効率性を引きずっており,その効用を上回る重大な3つの欠陥(第1に,当事者の言い分を反映できない,第2に,新様式の判決書きに適合しない,第3に,法科大学院の教育としてふさわしくないという欠陥)を有している。
したがって,司法研修所の要件事実論が,司法研修所の手を離れ,法科大学院での教育課程に組み込まれた現在においては,「反論を許さない」という権威主義的な古い体質を打破し,根本的な解体作業を行うことが求められている。すなわち,「当事者の言い分を十分に反映させるため」にも,また,現在の「新しい判決様式に適合させるため」にも,さらには,学問の自由が保障されている「法科大学院の教育課程に適合させるため」にも,司法研修所の要件事実論に代わる「新しい要件事実論」を形成することが喫緊の課題となっているのである。
司法研修所の要件事実論は,立証責任を負う事実についてのみを主張すべきであるという厳格な主張責任の考え方を採用しているために,「当事者の言い分を十分に反映できない」という欠陥を有している。これが,司法研修所の要件事実論の第1の問題点である。
たとえば,原告の言い分が「被告に甲土地を引き渡したのに,被告は売買代金2000万円を支払ってくれない」という最も典型的な「売買代金支払請求」事件の例を取り上げてみよう(司法研修所『改訂問題研究要件事実−言い分方式による設例15題−』法曹会(2006年)1頁,および,その新版である司法研修所『新問題研究要件事実』法曹会(2011)1頁)。
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*図1 設例1[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)1頁,新問題研究要件事実(2011)1頁] |
この事例における原告の言い分の核心は,「土地を引き渡したのに,代金を払ってくれない」というものである。ところが,司法研修所の要件事実論によれば,第1に,原告は,売買代金請求の見返りとして「土地を引き渡した」ことを主張してはならないとされる。
その理由は,代金請求においては,原告が主張すべきことは,「原告は,被告に対して平成23年3月3日甲土地を代金2000万円で売った。よって,原告は被告に対し,代金200万円の支払を求める」[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)17頁,新問題研究要件事実(2011)15頁]というだけで十分であり,「原告が被告に土地を引き渡したかどうか」は,被告から同時履行の抗弁がなされた場合に限り,原告が次の段階で「再抗弁」として主張すべきだからだというのである(司法研修所『改訂・紛争類型別の要件事実−民事訴訟における攻撃防御の構造−』法曹会(2006)8頁 )。
さらに奇妙なことに,司法研修所の要件事実論によれば,第2に,原告の言い分である「被告は,売買代金2000万円を未だに支払っていない」という主張は,原告はしてはならないという。なぜなら,代金を支払ったかどうかは,被告による「弁済の抗弁」として,被告が主張すべきであるとされているからである[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)51頁,新問題研究要件事実(2011)49頁]。
確かに,「原告は,甲土地を2000万円で売った。よって,原告は,被告に対して2000万円の支払を求める」[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)17頁,新問題研究要件事実(2011)15頁]という司法研修所の要件事実論に基づく「簡潔な」事実記載例は,社会通念からいっても,「被告が代金2000万円支払っていないので」ということを当然に含意しており,わざわざ,「被告は,代金2000万円を払ってくれない」という主張をするまでもないと考えられるかもしれない。
しかし,問題は,それほど単純ではない。司法研修所の要件事実論によれば,この問題は,「被告は,代金2000万円を払ってくれない」といっても許されるが,「よけいなことまでいわなくても良い」というレベルの問題にはとどまらない,より深刻な問題である。なぜなら,主張責任と立証責任とが同一主体に帰属するという司法研修所の要件事実論の立場からは,「代金2000万円を支払ったかどうか」という問題は,「債務の消滅原因」の問題であり,したがって,「被告が主張・立証すべき問題」であって,原告が,「被告は,2000万円を未だ支払っていない」という主張を訴状に記載することは,理論的には許されないからである(*表2参照)。
ところで,ここで取り上げている売買代金請求訴訟の事例においては,被告は,「代金の折り合いがつかなかった」ので,売買契約をしていないというものであるため,被告が,「2000万円を支払った」という主張は,永久になされることはない。したがって,この設例において,「被告は代金2000万円を支払っていない」という主張は,原告は理論的に主張してはならず,被告は,2000万円を支払う意思はないのであるから,被告が反対事実を主張することもなく,結局のところ,訴状には,全く記載されないということになってしまう[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)17頁,新問題研究要件事実(2011)15頁]。
つまり,司法研修所の要件事実論によれば,設問で最も重要な争点である「被告は,未だに2000万円を支払っていない」ことについて,原告から主張することは許されず,また,被告からは,その反対事実である「被告は,2000万円を支払った」という主張がなされることもなく,結局,争点として主張することはないままに,訴訟が推移することになるのである。以上のことから,この問題が,当事者が「主張することは許されるが,主張するまでもない」という単純な問題ではなく,司法研修所の要件事実論の最初の躓きの問題であることが理解されるであろう。
1 請求原因 2 請求原因に対する認否 |
しかし,現在の訴訟手続においては,訴状の請求の原因欄においても,また,新様式の判決書においても,争点が明確となるように,「被告は現在に至るまで代金2000万円を支払わない」と書くことになっており([中野・民事裁判入門(2010)78頁],[岡口基一『要件事実マニュアル上巻』〔第2版〕(2007)47頁]),司法研修所の要件事実論は,代表的な教材の最初の設例を読むだけで,実務とは,完全に乖離していることがわかる。
後に詳しく述べるように,「新しい要件事実論」は,原告の主張を,単なる権利の「発生」原因と考えるのではなく,権利の「存在」原因と考えるため,原告は,「権利が発生した」ことでは足らず,「権利が発生し,かつ,権利が消滅していない」ことまで主張することが求められる。したがって,学生が,司法研修所の教材とは異なり,上記の設例の事実記載として「(3)被告は,現在も,代金2000万円を支払わない」という主張を付加したとしても,それを誤りであると非難するのは的外れである。
ところが,法科大学院の要件事実教育では,そのような的外れの教育が,現実に行われており,この設例において,「(3)被告は,現在も,代金2000万円を支払わない」という主張をすべきであると考える学生たちは,司法研修所の要件事実論に反するという理由で,こっぴどく叱られるはめに陥っている。
しかし,訴訟物として「権利主張」を行うべき原告は,権利の「発生」原因だけでなく,権利の「存在」原因(権利が発生し,かつ,消滅していないこと)を主張すべきである。したがって,原告は,被告が主張するであろう権利の「阻止」原因(同時履行の抗弁権),および,権利の「消滅」原因(弁済,免除,消滅時効等)を踏まえて,売買契約の成立だけでなく,原告がその言い分として述べていることを訴訟に反映すべきである。すなわち,司法研修所の要件事実論のように,原告が,「原告は,被告に甲土地を引き渡した」(被告の同時履行の抗弁権を踏まえた「せり上がり」),とか,「被告は,現在も,代金2000万円を支払わない」(被告の消滅の抗弁を踏まえた権利存続の主張)とかの権利の「存在」原因を主張することを拒むべきではない。なぜなら,そのような主張をしたからといって,訴訟の進行に支障が生じることはないどころか,むしろ,争点が明確となって,訴訟の進行をスムーズにする効用があるからである。
以上のように,司法研修所の要件事実論は,「主張責任と立証責任の同一性」にこだわる余り,当事者の言い分を訴訟に反映することに失敗している。これに対して,「新しい要件事実論」は,主張責任と立証責任とは,その起源を異にする全く別の制度であり,主張責任と立証責任とが同一主体に帰属するという根拠のない理論には荷担しない。「新しい要件事実論」は,司法研修所の要件事実論とは異なり,争点を明らかにすることを重視するため,当事者の言い分を無視することもなく,以下のように,当事者の言い分をすべて反映することができ,訴訟の争点を明らかにすることができる(*表3参照)。
1 請求原因(権利の存在・行使原因) 2 請求原因に対する認否 |
現在,法科大学院の要件事実教育においては,上記の『改訂・問題研究要件事実−言い分方式による設例15題−』法曹会(2006)が広く利用されている。しかし,そのサブタイトルとしての「言い分方式」とは,名ばかりで,当事者の「言い分を無視する方式」に堕しているというのが現実であろう(新版でサブタイトルが削除されたのは,このことが原因であろうか,それとも,単に,設例を15題から13題に減らしたために,サブタイトル自体を削除したのであろうか?)。いずれにせよ,司法改革の要請に応えて設立された法科大学院において,「当事者の言い分」を無視するという,官僚的で権威主義的な教育が行われているという現実を黙視してはならない。
司法研修所の要件事実論は,旧来の判決書の書き方を前提にして構成されており,新様式の判決書には適応していない。これが,司法研修所の要件事実論の第2の問題点である。
新様式の判決書においては,錯綜する争点をわかりやすくまとめて書くことになっている(民事訴訟法147条の2参照,[岡口・要件事実マニュアル上巻(2007)46-47頁])。ところが,司法研修所の要件事実論では,原告の言い分を,「要件事実,再抗弁,再々々抗弁…」,被告の言い分を「否認または抗弁,再々抗弁,再々々々抗弁…」というように,段階的に,かつ,無限に続くように分類しているため,当事者の主張の全体像がわかりにくく,口頭弁論が終わるまで争点が明確にならないという致命的な欠陥を有している。
*図2 司法研修所の要件事実論の特色(ブロック・ダイアグラム) [司法研修所・言い分方式設例15題(2006)20頁] 原告の請求(Kg),被告の抗弁(E),原告の再抗弁(R),被告の再々抗弁(D),原告の再々再抗弁(T)… というように,当事者の主張が,無限に後退していく。このため,全体像を把握することが困難となっている。 |
つまり,司法研修所の要件事実論に従って判決を書くと,当事者の言い分が反映されず,かつ,事実の全体像が見渡しにくくなるため,「骨皮筋右衛門判決」とか,「骸骨の裸踊り判決」だとか言われるような判決になってしまう。それだけでなく,「ごく簡単な事件でも,請求原因,それに対する答弁,抗弁,それに対する認否,再抗弁,それに対する認否,再々抗弁,というふうな組立てをしなければ判決が書けない」というように,判決書きの阻害要因となってきた。裁判官による以下の記述は,そのことを如実に語っている[ミニシンポジウム「民事判決書の新様式について」判タ741号(1991)6頁(岨野悌介大阪地裁判事)]。
従来型の判決は,徹底すれば,司法研修所における要件事実教育に基礎を置き,要件事実該当の事実だけを書いて判断をするということになろうと思います。私どもは,そのような教育を司法研修所で受けております。そういう判決を書きますと,骨と皮だけの判決,すなわちいわゆる骨皮筋右衛門判決だとか,骸骨の裸踊り判決だとかいうように酷評されるような判決になってしまうわけですが,われわれが司法研修所で修習しておりましたときに,教官から司法研修所にいる間だけは,そうした骨と皮だけの判決を書けばいいんだというふうにいわれた覚えがございます。私は,15期の司法修習生でございまして,司法研修所でかなり徹底した要件事実教育を受けたためかと思いますが,裁判官になってからも,要件事実にしばられて,判決を書くうえで窮屈な思いにとらわれることが,しばしばありました。もちろん,そういった骨皮筋右衛門の判決は,実際の裁判実務では,なかなか使えません。
裁判官になって以降,先輩から,実務においては骨皮筋右衛門判決にそれ相当の肉付けや修正をすることが必要であると教えられました。実際,実務で使われている判決は,文字どおりの骨皮筋右衛門判決などというのはまずなく,それに裁判官が個々に,いろいろな肉付けをしたり,また,たとえば主張責任の分配法則等についてもいろいろな修正を加えたりしながら,多少論理性を損なうことがあるにしても,なんとか読みやすい判決を書こうと心掛けていると思います。要件事実を極端なまでにこまかく充足させながら,主張責任を的確に分配して判決を書かなければならないとすると,ごく簡単な事件でも,請求原因,それに対する答弁,抗弁,それに対する認否,再抗弁,それに対する認否,再々抗弁,というふうな組立てをしなければ,判決が書けないことになってしまうでしょうが,現実には,そのような階段状に組み立てていく判決は,裁判官はまず書かないであろうと思います。要するに,これまでも,なにがしかの工夫を,われわれはしてきたわけでございます。
このため,判決書の様式が改善されることになり,現在の判決書の新しい様式においては,要件事実論によらないことが明らかとなっている[高橋宏志『重点講義 民事訴訟法上』有斐閣(2005)476頁]。また,判決書の書き方の新様式を提言する裁判官たちによっても,判決書作成に当たっては,以下のように,司法研修所の要件事実論を排除するということが確認されている[ミニシンポ・判決書の新様式(1991)7,8頁(岨野悌介大阪地裁判事)]。
主張責任の分配法則に従った要件事実による整理は判決の中ですることはあきらめようという点だけは,委員の意見は一致しております。
このように,判決書を書くに際して,従来の要件事実論は,抗弁,再抗弁,再々抗弁…という無限後退に陥るという点で障害となることはあっても,指針とはなり得ない。判決書きの観点からは,従来の要件事実論は,今や歴史的役割を終えており,実務にも使えない理論であって,現実には,理論と実務とを架橋するという法科大学院の教育目標にも適しない理論となっている。従来の要件事実論のデメリットは,それにとどまらない。従来の要件事実論では,すでに述べたように,当事者の言い分を訴状に正確に反映させることすらできないからである。
司法研修所の要件事実論は,訴訟に奉仕するために,実体法の要件を構造的に分類するという試みであった。しかし,現実は,その意図とは逆に,訴訟を分かりにくくするという皮肉な結果に陥っているのである。
司法研修所の要件事実論は,権威主義的な性質が強く,学問的な批判に全く対応できず,仲間内だけで通用するクローズドな理論となっており,学問の自由が重要な意味を持つ大学教育にとって適合的でない。これが,司法研修所の要件事実論の第3の問題点である。
要件事実論は,司法研修所の教官,主として,裁判官によって形成されてきた理論であり,学問の自由が保障されない状況の中で構成されてきたため,先に述べたように,「当事者の言い分を無視する」,「古い判決書きを模範とし,新しい判決書きに順応しない」という,権威的・官僚的な性質を有している。その特徴は,一言で言えば,「反対論を許さない」という点にある。
たとえば,司法研修所の要件事実論の第1の特色は,「主張責任と立証責任の帰属が常に同一主体となる」という点にある(司法研修所『増補・民事訴訟における要件事実〔第1巻〕』法曹会(1986)21頁,[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)9頁])。この点については,民事訴訟法学者によって強く批判されているにもかかわらず,司法研修所は,その批判をかたくなに拒絶してきた(ただし,新版[新問題研究要件事実(2011)8頁]では,「もっとも,この点については,主張責任と立証責任とは必ずしも一致しない場合があるとする考え方もあります」というように,絶対的な決めつけからのトーンダウンが見られる)。
しかし,「主張責任」と「立証責任」とは,本来その趣旨を異にしている。「主張責任」は,弁論主義の要請から生じるものであり,当事者の主張がない問題については,裁判の対象とすることができないという原則を反映したものである。これに対して,「立証責任」は,真偽不明の場合に国民の裁判を受ける権利を守るという観点から,裁判官に真偽不明の場合でも,要件事実が存在しないかのように(原則),または,要件事実があるかのように(例外,立証責任の転換)判断することを認めるものである。民事訴訟法の通説においても,以下のように,主張責任と立証責任とは異なるものであることが認められている。
弁論主義の下では,証明責任が問題とならない場合においても(例えば,公知の事実,証拠調べの結果心証を得た事実),当事者の主張の有無が問題となる点で,主張責任は,証明責任とは別個の概念として意味をもつ(金子宏ほか編『法律学小辞典〔第4版補訂版〕』有斐閣(2008))。
つまり,主張責任と立証責任との間には,必然的な関係はなく,主張責任の主体と立証責任の主体は異なることがあっても,訴訟当事者にとっては,何ら問題は生じない。問題が生じるとすれば,裁判官にとって,立証責任に即した画一的な訴訟指揮をすることが困難になるという点だけである。
しかし,国民のための裁判が求められている今日において,裁判官の都合だけで訴訟指揮をすることはできない。したがって,主張責任と立証責任とを異なるものとし,一方で,「主張責任」は,分かり易さを旨とし実体法の条文に忠実に構成し,他方で,「立証責任」は,実体法の条文を尊重しつつも,証明の難易,証拠からの距離などを考慮して,公平の観点から柔軟な解釈を行うことが求められているといえよう。
このように,現在の要件事実論は,第1に,その硬直性の故に当事者の言い分を十分に反映できず(当事者の言い分の無視),第2に,争点をまとめてわかりやすく記述するという新様式の判決書の作成にとっても弊害となっており(新しい実務に不適合),第3に,民事訴訟法の理論との整合性を欠いており,学問的にも大きな欠陥を有している。
司法研修所の要件事実論は,司法研修所による公刊物という権威によって尊重されており,特に,法科大学院の教育には欠かせない教科として,全国の法科大学院で教育が行われている。しかし,司法研修所の要件事実論は,上記のような欠陥を有しているため,法科大学院において,司法研修所の要件事実論を教材として教育することは,惨憺たる結果を生じさせている。すなわち,法科大学院において司法研修所の要件事実論を教材として教育を行うと,その理論的破綻を学生に押しつけることになるため,以下のように,学生を混乱に陥れる結果となっている。
司法研修所の要件事実論は,訴訟物とは何かについて,旧訴訟物理論によるとしながら,請求の趣旨の記載について,ドイツの通説である新訴訟物理論にしたがった記載方法を採用しており,論理的な誤りに陥っているように思われる。
わが国の実務は,旧訴訟物理論によっている。したがって,前記の設例[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)1頁,新問題研究要件事実(2011)1頁)]の場合,売買契約に基づく代金請求訴訟の訴訟物は,「売買代金請求権」である。しかし,学生が,請求の趣旨として,「被告は,原告に対して,売買代金2000万円を支払え」と書くと,実務の扱いとは異なるとして,誤りとされる。その根拠は,教科書に以下のように書かれているからであるという。
請求の趣旨は,「被告は,原告に対し,2000万円を支払え。」と記載します。「被告は,原告に対し,売買代金2000万円を支払え。」とはしません[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)2頁,新問題研究要件事実(2011)2頁)]。
しかし,この教科書では,売買契約に基づいて売買代金2000万円の支払いを求める請求と,不法行為に基づいて損害賠償として2000万円の支払を求める場合とでは訴訟物が異なるとされている。
訴訟物の理解については,いわゆる新訴訟物理論と旧訴訟物理論との対立がありますが,実務は旧訴訟物理論によっています。したがって,訴訟上の請求は,実体法上の個別的・具体的な請求権の主張であると解され,その特定,識別も,実体法上の個々の請求権を基準としてすることになります[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)3頁,新問題研究要件事実(2011)3頁)]。
そうだとすると,学生たちが,訴訟物を特定するものとしての「請求の趣旨」として「被告は,原告に対して,売買代金2000万円を支払え」と書いたからといって,それを誤りとしなければならない根拠はない。しかし,現実の法科大学院の教育においては,上記のような学生の答案を誤りとする取扱いがなされているという。
司法研修所の要件事実論は,先に述べたように,原告は,権利の「発生」だけを主張しているのではなく,権利の「存在」(権利が発生し,かつ,権利が消滅していないこと)の主張であることを理解していない。すなわち,司法研修所の要件事実論は,「権利の存在の主張」,および,その根拠としての「請求原因」とは,「権利が発生し,かつ,消滅していないこと」であるのに,単に「権利が発生していること」と誤解している。
貸金返還請求事件の場合,原告の主張は,「貸したのに返してもらっていない」という債権の「存在」の主張であるから,その答弁として被告が,「借りていないか,または,借りたが返した」であれば論理的に正しい。しかし,司法研修所の要件事実論が以下のように述べて,「借りていないけれど返した」という主張が論理的に正しいとしているのは,明らかな「詭弁」であって,「権利の存在(請求原因)」とは何かを理解していない証左であると思われる(なお,新版[新問題研究要件事実(2011)]では,以下の引用部分のうち「例えば」以下の文章は,全部削除されるに至っている。しかし,「被告は,請求原因を否認した場合でも,抗弁を主張することができます」(22頁)という記述は残したままとなっており,本質的な誤りはなお改善されていいない)。
抗弁は,請求原因を否認した場合でも主張することができます。例えば,貸金請求の事例において,原告が請求原因として「被告に対して100万円を貸した。」と主張した場合,これに対し,被告が「自分は借りていないけれど返した。」と主張したとします。 「借りていないけれど返した。」などという主張は,日常生活では全く矛盾したおかしな主張です。しかし,要件事実として分類すれば,「借りていない」という主張は,原告の消費貸借契約の主張に対する否認であり,「返した」という主張は弁済の抗弁として位置付けられますから,論理的には,このような主張も成り立つことになります。[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)24頁]
司法研修所の要件事実論がこのような「詭弁」に陥っている理由は,権利の存在と権利の発生とを取り違えているからであるが,その真の原因は,司法研修所の要件事実論が,立証責任にこだわるあまり,原告が立証責任を負う「権利が発生した」ことだけを主張すべきであると解し,「権利が消滅していない」ことについては,その反対事実,例えば,弁済等によって「権利が消滅した」ことは,抗弁として被告が主張・立証すべきであると考えているからであろう。このことが,原告の言い分を十分に反映できなくなっている原因であることはすでに論じた。
そればかりではない。このように,「権利の発生」要件に該当する事実と「権利の消滅」要件に該当する事実とを切り離し,原告は「権利発生したことだけを主張すればよく,権利が消滅していないことは,原告が主張すべきではない」とすることは,上記の第1の売買契約における第1の設例においても,「被告は,未だに2000万円を支払わない」という主張ができないという欠陥を有していることを論じた。しかし,司法研修所の要件事実論の欠陥は,それだけにとどまらない。司法研修所の要件事実論は,特に,貸借型の訴訟類型において大きな問題を生じることになる。
司法研修所の要件事実論の特色として,「売買型」と「貸借型」とを厳格に区別することが挙げられるが,「貸借型」の特色は,権利の消滅要件にかかわる「弁済」期の合意が不可欠だという点にある[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)41-42頁](なお,弁済期(返還時期)の合意が不可欠であるという点については,新版[新問題研究要件事実(2011)40-46頁)]では,これを改説し,弁済期の合意は必ずしも必要ではないとしている。ただし,弁済期(返還時期)の到来したことについての考え方は変えていない)。したがって,「貸借型」の請求においては,原告は,「返還時期の合意」がある場合には,「返還時期が到来したこと」を主張・立証しなければならない。しかし,司法研修所の要件事実論は,「返還時期が到来した」ことを原告が主張・立証しなければならないとしながらも,それと密接不可分の関係にある「被告が返還したかどうか」は主張しなくてもよいとしている。なぜなら,「被告が弁済したかどうか」は,被告が主張・立証すべき問題であると考えているからである。
確かに,貸借型」とは異なる「売買型」の代金請求事件であれば,売買目的物が引き渡されたかどうかは,訴訟物が異なるのであるから,被告から同時履行の抗弁が提出してから「目的物の引渡し」を問題とすればよいというのであれば,まだ,理解が可能である。しかし,「貸借型」の場合には,目的物の「返還時期の到来」が要件事実であって,原告は,その主張・立証をしなければならないとしつつ,実際の「返還がなされたかどうか」は,原告が主張しなくてよいというのでは,訴訟の争点が定まらないことになる。
この問題については,原告の権利主張(訴訟物)は,「権利が発生した」(お金を貸した)という単純なものではなく「権利が発生し,かつ,消滅していない」(お金を貸したが,まだ,返してくれない)という,「権利の存在」の主張であることを再確認する必要がある。
原告の権利主張に対して,被告の主張は,「権利が発生していないか,または,権利が消滅している」(お金を借りていないか,借りたとしても返した(弁済した)か,または,免除,時効などによって消滅した)という主張であって,両当事者間で両立する主張は一つも含まれていない(*表4参照)。両立する主張が含まれていないからこそ,一方の主張と他方の主張とが噛み合い,訴訟では,どちらか一方が勝訴し,他方が敗訴するのである。
貸金返還請求事件の場合の原告の主張は,「金を貸したが,金を返さない」であり,被告の主張は,「金を借りていないか,又は,借りたが返したので債務が消滅した」というものであり,両当事者の主張が併存することはあり得ない。司法研修所の要件事実論が,「借りていないけれど返した」という主張が正しいというのは,権利の存在(発生しかつ消滅していない)の意味を理解していないというほかない。
原告の権利主張 | 当事者の主張責任 (原則として原告が負担する) |
当事者の立証責任 | ||
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原告 | 被告 | |||
(原則) 権利が発生し,かつ, 権利が消滅していない (貸金返還請求の場合) 貸した(発生した),のに, 返さない(消滅していない) |
貸金債権の発生 の有無 |
金銭の返還の合意 | ○ | − |
金銭の交付 | ○ | − | ||
弁済期の合意と到来 | ○ | − | ||
貸金債権の消滅 の有無 |
弁済など(弁済,相殺,更改) | − | ○ | |
免除など(免除,混同,消滅時効) | − | ○ |
現実の訴訟においては,原告は,権利の存在,すなわち,「権利が発生し,かつ,権利が消滅していないこと」を適用されるべき条文に基づいて主張している。これに対して,被告は,権利の不存在,すなわち,「権利は発生しないか,または,権利が発生したとしても消滅したこと」を主張している。つまり,両者の言い分は,真っ向から対立しているのであって,司法研修所の要件事実論とは異なり,決して,主張において併存・両立しているわけではない。
それでは,原告が「権利が発生し,かつ,消滅していないこと」を主張し,被告が「権利が発生していないか,または,権利が消滅していること」を主張するにもかかわらず,「権利が発生していること」に関する要件に該当する事実については,原告に立証責任があり,これに対して,「権利が消滅していること」に関する要件に該当する事実については,被告に立証責任があるのは,なぜなのだろうか。
その答えは,「新しい要件事実論」によれば,「発生した権利については,それが消滅したということが立証されない限り,存在するという,広い意味での「法律上の推定」が働いているからである。このこと自体は,司法研修所の要件事実論においても,以下のように,その結果を認めざるを得ない。
ある権利の発生原因事実が立証されたときは,消滅等の点について立証がない限り,その権利は存続しているものと扱われることになるのです[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)8頁]。
ところで,「法律上の推定」がなされている場合には,法律要件要素の主張責任と立証責任とは常に食い違う。次に詳しく述べるが,例えば,短期取得時効(民法162条2項)の場合を考えてみよう。この場合には,ある人が目的物を10年間,所有の意思をもって,平穏かつ公然と占有し,占有の開始のときに善意かつ無過失であれば,その人は,目的物を時効取得する(民法162条)。そして,占有については,「所有の意思をもって,善意で,平穏に,かつ,公然と占有をするものであると推定する」(民法186条1項)という法律上の推定規定が存在する。この場合,原告の「主張責任」は,民法162条2項の条文に忠実に,「10年間,所有の意思をもって,善意で,平穏に,かつ,公然と占有し,占有開始の時に善意かつ無過失であった」ことのすべてに及ぶと考えるべきである。しかし,原告の「立証責任」は,民法186条1項の「法律上の推定」があるため,「10年間占有したこと,占有の開始時に無過失であったこと」のみである。司法研修所の要件事実論は,このような明らかな「主張責任と立証責任の分離」でさえ認めようとはせず,次に述べるように,民法186条1項の規定は,同条2項の規定とは異なり,「暫定真実(Interimswahrheit)」であって,「法律上の推定」ではないという無意味なこじつけを行っているために,あらゆる箇所で,自己矛盾に陥っている。
しかも,その矛盾を避けるために,以下のように,実体法の条文を書き換えるべきだという主張にまで及ぶことになる。
民法は,短期取得時効に関して「10年間,所有の意思をもって,平穏に,かつ,公然と他人の物を占有した者は,その占有の開始の時に,善意であり,かつ,過失がなかったときは,その所有権を取得する」(民法162条2項)と規定している。
第162条(所有権の取得時効)
A10年間,所有の意思をもって,平穏に,かつ,公然と他人の物を占有した者は,その占有の開始の時に,善意であり,かつ,過失がなかったときは,その所有権を取得する。
そして,民法162条2項の要件のうち,「所有の意思をもって,平穏に,かつ,公然と他人の物を占有した」かどうか,「占有の開始の時に,善意」であったかどうかに関しては,以下のように,それらの要件は,すべて,法律上の推定がなされている。
第186条(占有の態様等に関する推定)
@占有者は,所有の意思をもって,善意で,平穏に,かつ,公然と占有をするものと推定する。
したがって,民法182条1項の法律上の推定の下で民法162条2項が適用されると,原告が主張すべき上記の要件のうち,「占有の開始の時から10年が経過したこと」および,「占有の開始の時に,無過失であったこと」だけについて,原告に立証責任が負わされることになる。
この結果,原告の「主張責任」(占有開始の時から10年が経過し,原告が所有の意思をもって,平穏に,かつ,公然と他人の物を占有し,占有開始の時に無過失であったことすべてについて,原告が主張責任を負う)と原告の「立証責任」(占有開始の時から10年が経過したこと,および,占有開始の時に無過失であったことだけについて立証責任を負う)との間に明白な齟齬が生じることになる。
民法162条2項の 法律要件 |
主張責任 | 立証責任 | |||
---|---|---|---|---|---|
原告 | 原告 | 被告 | 被告が立証すべき反対事実 | ||
10年間 | 始期 | 10年間にわたって | ○ | − | |
継続 | − | ○ | 占有の中断があった,または, | ||
終期 | ○ | − | |||
自主占有 | 平穏かつ公然と, 善意で自主占有をし, |
− | ○ | 他主占有である,または, | |
平穏占有 | − | ○ | 強暴占有である,または, | ||
公然占有 | − | ○ | 隠秘占有である,または, | ||
善意占有 | − | ○ | 悪意占有である | ||
占有の開始時に無過失 | 占有開始時に無過失であった | ○ | − |
この結果を認めると,司法研修所の要件事実論の最も重要な部分である「主張責任と立証責任との帰属主体は常に一致する」[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)9頁]という大原則が破綻することになる。
そこで,司法研修所の要件事実論は,この矛盾を糊塗するため,以下のように,司法の権限を越えて,民法の条文を書き換え(読み替え)ることを提案するに至っている。
民法162条2項は,186条1項を併せて読むと,「不動産を10年間占有した者は,その占有の始めに過失がなかったときは,その不動産の所有権を取得する。ただし,所有の意思がなかったとき,強暴若しくは隠秘に占有したものであるとき又は占有の始めに悪意であったときは,この限りでない。」と読み替えることができるわけです[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)117頁]。
第162条(所有権の取得時効)の司法研修所による読み替え
A10年間,ある物を占有した者は,その占有の開始の時に,過失がなかったときは,その所有権を取得する。ただし,その者に所有の意思がなかったとき,強暴若しくは隠秘に占有したものであるとき又は占有の始めに悪意であったときは,この限りでない。
このように,法律上の推定があると,必然的に,主張責任と立証責任とはその帰属主体が異なることになり,司法研修所の要件事実論が破綻するため,司法研修所は,司法の「禁じ手」である条文の読み替えを行ってまで,「法律上の推定」による「不都合」を回避するため,民法162条と186条1項とを組み合わせた上で,民法162条を「本文とただし書き」という条文構造に変更することによって,主張責任と立証責任との同一性を確保しようとしているのである。
それを正当化する理論として,司法研修所の要件事実論は,民法186条の規定は,以下のように,法律上の推定とは異なる,暫定真実(Interimswahrheit)であるという兼子教授(兼子一「立証責任」『民事法研究 第3巻』酒井書店(1974)119頁〜148頁)を介してわが国に輸入されたドイツのローゼンベルクの理論を用いている。
この民法186条1項のような規定は暫定真実といわれています。暫定真実とは,条文の表現上はある法律効果の発生要件であるようにみえるものであっても,実は,その不一存在が法律効果の発生障害要件となることを示す一つの立法技術であり,ただし書に読み替えることができるものです(司法研修所『民事訴訟における要件事実〔第1巻〕』(1986)27頁)。
しかし,暫定的真実とは,「反対事実が立証されるまで,暫定的に真実であるとされる」という意味なのであるから(ローゼンベルク/倉田卓次(訳)『証明責任論』判例タイムズ社(1972)241頁),その機能は「法律上の推定」と何ら変わるところはないのであって,「暫定的真実」だから,「法律上の推定規定」を「本文とただし書き」の規定に書き換えなければならないという論理は成り立たない。
しかも,司法研修所の要件事実論が,法律上の推定の場合における理論的な破綻をなんとか回避しようとしてきたそれまでの努力も民法186条1項までである。民法186条2項(占有の始期と占有の終期の両時点での占有の証明がある場合には,その間の占有の継続が法律上推定される)の推定規定に至っては,ローゼンベルクも[ローゼンベルク・証明責任論(1972)250頁],また,司法研修所の要件事実論も,主張責任と立証責任が同一主体に帰属しないことを認めざるを得ない[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)117頁,新問題研究要件事実(2011)101頁]。
第186条(占有の態様等に関する推定)
A前後の両時点において占有をした証拠があるときは,占有は,その間継続したものと推定する。
つまり,本文とただし書きによって読み替えることによって,法律上の推定の場合に必然的に生じる主張責任と立証責任との齟齬を,なんとか回避しようとしてきた努力が,民法186条2項における挫折によって,すべて徒労に帰したことが明らかとなったのである(この点を明らかにしたものとして,Dieter Leipold, Beweislastregeln und gesetzliche Vermutungen, Dunker & Humblot, 1966, S. 90ff. がある)。なぜなら,司法研修所の要件事実論は,その理論を一貫させるためといえども,以下のような読み替えをすることはできなかったのである。
第162条(所有権の取得時効)の徹底的な読み替え案(司法研修所も,さすがに,これを断念)
A10年間の前後の両時点においてある物を占有した者は,その所有権を取得する。ただし,その間の占有に中断が生じていたとき,その者に所有の意思がなかったとき,強暴若しくは隠秘に占有したものであるとき又は占有の始めに悪意であったときは,この限りでない。
上記の「徹底した読み替え」条文は,理論的には可能であるし,司法研修所の要件事実論を徹底すれば,むしろ,上記のような読み替えをしなければならないはずである。しかし,そのような読み替えをすると,民法162条は,立法者の意図とはかけ離れてしまい,取得時効の要件は,「10年間の始期と終期との占有」があればよいとの印象(いわゆる「キセル乗車的要件」)を与えることになってしまう。司法研修所は,そのような結果は,「要件事実」論という名に反することになりかねないため,ローゼンベルクの場合と同様,上記のような「徹底的な読み替え案」を提案することを断念したものと思われる。
さらに厳密に考えるならば,民法162条における「10年間(または20年間)の占有期間」の証明については,原告は,「10年間(または20年間)の占有の継続」を立証する方法を選ぶこともできるし,「占有の始期と終期」だけの占有の立証の方法を選ぶこともできる。前者の場合には,立証責任はすべて原告の負担となるのに対して,後者の場合には,占有の継続という要件事実について立証責任が転換され,被告の方で占有が継続していないこと(占有の中断)を立証しなければならなくなる。このような立証責任の帰属の多義性(ある事実,すなわち,ここでは,占有期間中の「前後の両時点での占有」が立証されるまでは,要件事実としての「10年間(または20年間)の占有期間」の立証責任は原告にあるが,その事実(前後の両時点での占有)が立証された時は,要件事実の立証責任が原告ら被告へと転換するというように,立証責任が,要件事実とは異なる事実の立証によって転換すること)は,司法研修所の要件事実論の想定を超えており,本文とただし書きによる書き換えによっては,立証責任を正確に分配することは不可能であることが明らかとなる(司法研修所の要件事実論の破綻)。その結果,全ての立証責任を正確に記述するためには,法律上の推定による記述が不可欠であることが明らかとなっているのである。
いずれにせよ,司法研修所の要件事実論が,民法162条について,主張責任と立証責任との不一致を認めたことは重要である。この例外を認める以上は,主張責任と立証責任との帰属主体が常に同一であるとする,司法研修所の要件事実論は,破綻していることが明らかだからである。
民法は,権利を行使できる時から起算して,「債権は,10年間行使しないときは,消滅する」(民法166条1項,民法167条1項)と規定している。
第166条(消滅時効の進行等)
@消滅時効は,権利を行使することができる時から進行する。
第167条(債権等の消滅時効)
@債権は,10年間行使しないときは,消滅する。
しかし,「債権者が権利を行使しないこと」の立証責任は,証明主題が否定形であって,債務者(被告)にとっては,証明が困難であるため,「債権者が権利を行使したこと(中断事由)」を債権者(原告)が立証した方が,立証の負担について公平を確保することになる。したがって,債権の消滅時効の立証責任は,債務者が,「債権者が権利を行使できる時から10年間が経過したこと」について立証責任を負い,これに対して,債権者が,「権利を行使できるときから10年間の間に,権利を行使した」ことを立証すると消滅時効が中断し,債権は消滅しないことになる。
第147条(時効の中断事由)
時効は,次に掲げる事由によって中断する。
一 請求
二 差押え,仮差押え又は仮処分
三 承認
この点については,争いがない。しかし,このことを認めたとたんに,民法167条1項のうち,「債権を行使することができる時から10年間が経過したこと」は債務者が立証責任を負い,「債権者が権利を行使しなかったこと」については,債権者がその反対事実を立証しなければならないことになる。
この結果は,債務者は,民法167条の要件について,条文通りに「債権を行使できる時から10年間,権利を行使しなかったため,その債権は消滅時効によって消滅している」と主張するが,そのうち,立証責任を負うのは,「債権を行使できる時から10年間が経過した」ことだけであり,残りの要件である「債権者がその間権利を行使しなかったこと」については,その反対事実である「その間に権利を行使したこと」を債権者が立証責任を負うことになる(*表6参照)。
民法167条の 法律要件 |
主張責任 | 立証責任 | |||
---|---|---|---|---|---|
被告 | 被告 | 原告 | 原告が立証すべき反対事実 | ||
10年間 | 始期 | 権利を行使できる時から | ○ | − | |
終期 | 10年間が経過した | ○ | − | ||
債権者が権利を行使していない | その間債権者は権利を行使していない | − | ○ | 債権者が権利を行使したか, 債務者が債務を承認したか, いずれかの中断事由がある |
しかし,これは,司法研修所の要件事実論が死守しようとしている「主張責任と立証責任の帰属主体は同一である」という原則に反することになる。
そこで,司法研修所の要件事実論は,民法167条1項を,民法162条2項(短期取得時効)で行ったのと同様に,つじつまを合わせざるをえない([司法研修所・要件事実〔第1巻〕(1986)8−9頁]参照)。その結果は,民法167条1項を以下のように読み替えたのと同じことになる。
民法167条1項の読み替え(司法研修所の考え方の代弁)
債権は10年間で消滅する。ただし,債権者がその間に権利行使をした場合はこの限りでない。
しかし,実体法の観点からは,このような読み替えは,時効制度の趣旨を歪めることになるので賛成できない。債権は,10年間で消滅するのではなく,10年間,債権者が権利行使をしないことによって消滅するのである。10年間の内に権利行使をすると,時効が中断し,その間の時間の経過は全く意味をなさなくなるのは,10年間という時の経過だけが重要なのではなく,10年間にわたって債権者が権利を行使しないことが重要な要件なのである。
実体法の条文に則した要件事実論を目指しているはずの司法研修所の要件事実論が,自らの矛盾を糊塗するために,条文自体の書き換えをすべきであるというのでは,立法を尊重すべき司法研修所としては,本末転倒も甚だしいといわなければならない。
民法は,占有者に対して「権利適法」の法律上の推定力を与えている(民法188条)。
第188条(占有物について行使する権利の適法の推定)
占有者が占有物について行使する権利は,適法に有するものと推定する。
したがって,所有者を名乗るXから不動産を占有するYがその不動産から立ち退きを求められた時には,占有者は,民法188条によって適法な権原を有することが推定されているのであるから,所有者を名乗るXが所有権を有することを主張・立証しなければならないはずである。ところが,司法研修所の要件事実論によると,このような場合,適法な権原を立証しなければならないのは,占有者であるYの方であるという。要件事実論を学んでいて,学生たちが納得できないという極めつけは,不動産明渡請求に関する以下のような司法研修所の立場(居住権を安易に奪うことに荷担する立場)だという。
Aから不動産(甲土地)をYが平成22年2月2日に買い受けた(第1売買)後に,Xが平成22年4月4日にAから甲土地を二重に買い受けた(第2売買)という不動産の二重譲渡の事案について,XからYに対する所有権に基づく土地明渡請求(返還請求)がなされると,登記も占有もない第2買主Xからの甲土地の返還請求について,第1買主で甲不動産を占有しているYがその占有権原について抗弁として主張・立証責任を負う[司法研修所・改訂問題研究15題(2006)79-80頁,新問題研究要件事実(2011)73-75頁]。
学生たちは,非常識この上ない第2買主Xの請求原因を容認し,第1買主のYに立証責任を負わせる司法研修所の要件事実論の説明に納得できないという。なぜなら,民法188条は,占有者に権利適法の推定を認めているのだから(民法188条),登記も占有も有しないXから土地の明渡しを求められても,明渡請求権の発生原因とされる第2売買では,Xが所有権を所得できないことは当然であり,Yとしては,Xの請求原因を否認(理由付き否認)すれば済む話のはずだからである。
ところが,実務家教員は,学生たちに対して,民法188条は,最高裁昭和35年判決(最三判昭35・3・1民集14巻3号327頁(占有権原が土地の使用貸借によって生じたかどうかが問題となった事案))によって適用できないのだと説明するばかりであるという。その理由は,司法研修所の要件事実論が,以下のように,事案として不適切な唯一の判例を使って,民法188条の条文を無視した記述を行っているからである。
民法188条は,「占有者が占有物について行使する権利は,適法に有するものと推定する。」と規定しています。この規定は,法律上の権利推定の規定と解されています[司法研修所・要件事実〔第1巻〕(1986)26頁]から,同条が適用されるとすれば,原告が「被告に占有権原がないこと」を主張立証しなければなりません。 しかし,所有権に基づく返還請求権が行使されたのに対して,占有者が所有者である原告から使用借権を取得したかどうかが問題となった場合には,同条は適用されないと解されており(最判昭35・3・1民集14巻3号327頁),他の占有権原についても同様と考えられます。これについては,同条の占有の権利推定は,その占有を伝来的に取得した前主に対しては効力を有しないとか,所有者から権利を取得したといって占有する者は,この所有者に対しては同条の推定を主張できないなどと説明されています([司法研修所・言い分方式設例15題(2006)59-60頁],[新問題研究要件事実(2011)58-59頁]も同旨)。
しかし,最高裁昭和35年判決は,本問のような二重譲渡の事案とは全く異なる事案についての判断であり(この点を踏まえて,民法188条不要論を批判する学説として,(船越隆司『実体法秩序と証明責任』尚学社(1996)290頁]がある),これによって,本問のような場合にも,民法188条が適用できないということにはならないはずだというのが学生たちの疑問である。
確かに,ドイツの学説に大きな影響を受けて成立した司法研修所の要件事実論が範とするドイツ民法では,不動産の所有権者が目的物の返還を請求する場合,占有者の方で,占有権原を抗弁として主張・立証しなければならないとされている(ドイツ民法986条)。
ドイツ民法 第985条(所有権に基づく返還請求権)
所有者は,物の占有者に対しその返還を請求することができる。
ドイツ民法 第986条(占有者の抗弁)
占有者(間接占有者を含む)が所有者に対し占有する権利を有するときは,占有者は物の引渡しを拒絶することができる。
…(以下略)…
しかし,この規定(占有者の抗弁)が正当化される前提として,ドイツ民法では,わが国の民法とは異なり,不動産の所有権は,登記なしには取得できず(ドイツ民法925条),所有権の主張には登記が必要であり(登記は効力要件である),しかも,登記には,権利適法の推定が認められている(ドイツ民法891条)。したがって,ドイツにおいては,登記を有する(権利適法の推定を受ける)所有権者からの返還請求に対しては,占有者が占有権原を抗弁として主張・立証しなければならないのであって(ドイツ民法986条),このような規定は,ドイツ民法に特有の前提(登記の公信力,および,登記の権利適法の法律上の推定力)があるからこそ,まさに合理的なのである。
しかし,わが国においては,不動産登記は,効力要件ではなく,対抗要件に過ぎない。このため不動産登記には,権利取得機能も,権利適法の推定機能も与えられていない(最三判昭38・10・15民集17巻11号1497頁)。むしろ,動産・不動産を通じて,占有にこそ,権利取得機能(民法162条),および,権利適法の推定力(民法188条)が与えられている。したがって,わが国おいて,占有者に占有権原について,抗弁として主張・立証責任があるという考え方には,合理性がない(表7参照。なお,司法研修所の要件事実論は,先に述べた暫定的真実(Interimswahrheit)に関する議論と同様,ドイツの法制度の背景を吟味せずに,結論だけを無批判に取り入れている箇所が多い)。
所有権に基づく返還請求権の 法律要件(民法200条の類推) |
主張責任 | 立証責任 | |||
---|---|---|---|---|---|
原告 | 原告 | 被告 | 被告が積極否認することができる事実 | ||
所有権の侵奪 | 所有権の存在 | 目的物に対して所有権を取得した | ○ | − | 原告は,所有権を取得していないか, すでに所有権を喪失している |
所有物の侵奪 | 目的物を侵奪された | ○ | − | 原告は,法律上の原因(売買,賃貸等) に基づいて,他人に占有を移転した |
|
占有者に権原がない | 侵奪者による目的物の占有 | 侵奪者が目的物を占有している | ○ | − | − |
侵奪者以外の占有の場合 占有者に権原がない |
侵奪者の承継人が占有している しかし,占有者には権原がない |
○ | − | 目的物を法律上の原因(売買,賃貸等) に基づいて占有している |
不動産の二重譲渡の問題に関して,どちらの買主も登記を得ていない場合のXとYとの利益状況を考慮してみれば,登記も占有も有しない第2買主Xと,占有まで有する第1買主Yとの関係では,明らかに占有を有する第1買主Yに保護の必要がある。所有権の取得原因すら不十分なXの主張に対して,Yが占有権原を主張・立証しなければならないという法的根拠は,全く存在しないといってよい。
したがって,司法研修所の要件事実論が,占有者に占有権原の主張・立証責任を課しているからといって,学生がその通りに答案を作成しなければならないということにはならない。ましてや,Xの請求に対して,Yは,抗弁として占有権原を主張・立証しなければならないのではなく,「登記も占有も有しない第2買主Xの主張は,請求原因としても失当である」とする学生の答案を不合格答案とすることは許されないというべきである。
確かに,法科大学院には,司法研修所の教育の一部を肩代わりする役割が与えられている。しかし,その教育においても,大学教育としての理念と目標を見失ってはならない。「司法研修所の見解に反するから,間違い」だとか,「理解できないなら,試験に合格するために,覚えなさい」というのでは,大学における教育とはいえないだろう。
以上の考察を通じて,司法研修所の要件事実論は,実体法の要件を原告が立証すべきものと,被告が立証すべきものへと分類し,実体法を訴訟に応用する上で,大きな功績を挙げてきた。しかし,司法研修所の要件事実の効用は,そこまでである。
司法研修所の要件事実論は,主張責任を裁判官の専属にかかる立証責任に従属させるべきであるという,裁判官本位の考え方に基づいているため,原告と被告の主張を,その立証責任にしたがって,権利の発生(請求原因),権利の発生障害要件(抗弁),権利の阻止要件の不存在(原告の再抗弁),権利の消滅要件(被告の再々抗弁),権利の消滅障害要件(原告の再々々抗弁)…というように,お互いの主張を無限に後退するように構造化してしまった。
このため,訴訟の全体像を見えにくくさせてしまい,早期に争点を決定するという,現代における民事訴訟との理想からかけ離れてしまった。また,このような請求原因,抗弁,再抗弁,再々抗弁,再々々抗弁…という考え方は,裁判官が判決を書く上でも大きな障害となり,新方式の判決様式では,司法研修所の要件事実論は,採用されないことになっている。
このように,司法研修所において司法修習生のための判決書作成の技術訓練として開始された要件事実教育は,今や,その歴史的役割を負え,新しい民事訴訟実務に適合する,「新しい要件事実論」が求められている。
ところが,司法研修所の要件事実論に代わる「新しい要件事実論」が未だに完成していないために,法科大学院では,古い判決様式に適合するように構成された司法研修所の要件事実論が,教材と利用されている。しかし,先に述べたように,司法研修所の要件事実論を教えられている学生からは,理論的に考えると疑問に突き当たり,教員に質問すると,勉強が足りないと叱られる,真剣に勉強すると理解ができなくなるので,暗記に頼るほかないとの悲鳴に似た叫びが聞こえてくる。
法科大学院の学生たちは,現実の訴訟実務に適合しない理論を押しつけられた上,その理論的な破綻を免れるためだけに,実体法の法律要件をねじ曲げる理論(条文の読み替え(民法162条),条文の無視(民法188条)など)を,その理由を理解できないまま,試験対策として暗記させられている。
例えば,先にも述べたように,学生たちは,民法186条1項の「法律上の推定」は,実は,法律上の推定ではなく,「暫定真実(Interimswahrheit)」だと教えられる([司法研修所・要件事実〔第1巻〕(1986)27頁],[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)117頁],[新問題研究要件事実(2011)100-101頁])。確かに,暫定的真実とは,ローゼンベルク等のドイツの教科書に載っていたものであるが,推定の具体的な前提を欠く推定規定(民法186条1項など)は,「法律上の推定ではなく,暫定真実である」という考え方は,現在のドイツでは,ライポルト等の批判によって,誤りであったことが明らかになっており,条文通りに,「法律上の推定」でよいことが認められている。しかし,法科大学院では,そのような現状が明らかにされることはない。学生たちは,わけが分からないまま,司法研修所の教材に従って,民法162条の条文は,誤りであって,暫定的真実に適合するように,読み替えなければならないということを暗記するにとどまっている。
さらに,司法研修所の要件事実論によれば,登記を備えていない所有者を名乗る者から,土地・建物を占有する者が訴えられた場合,土地・建物を占有する者が,占有権原を主張・立証しなければならず,その証明に失敗すれば,占有者はその土地を所有権を主張する者に明け渡さなければならないという[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)55頁以下],[新問題研究要件事実(2011)53頁以下]。この結論は,明らかに,民法188条に反しており,居住権をないがしろにすることになりかねない危険な理論であるが,先に述べたように,法科大学院では,これが通説として教えられている。
これらは,ほんの一例に過ぎない。先に述べたように,「借りていないが返した」すなわち,「請求を否認した場合でも,抗弁を主張することができる」は,論理的に正しいとか[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)24頁],売買契約の意思表示に錯誤がある場合,代金請求権は「発生するが,発生しない」は,論理的に正しいとか[司法研修所・言い分方式設例15題(2006)24頁],論理学の専門家でなくても失笑するような誤りが,法科大学院の教育現場ではまかり通っており,学生たちの反論は,司法研修所の権威によって押さえ込まれている。
法律学が他の学問に比して独特の性質を有しているとしても,「発生しているが発生していない」とか,「借りていないが返した」とかいう命題が,論理的に正しいということにはならない。そのような「社会通念に反する」教育は,司法研修所では許されていたかもしれないが,学問の自由が確保されている法科大学院では,徹底的な批判と検証に晒されるべきである。
司法研修所の要件事実論は,これまで述べてきたように,その効用よりも,弊害が大きすぎる。だからといって,理論と実務を架橋するものとしての要件事実教育を全否定することにはならない。要件事実の効用である実体法上の要件を原告が立証すべき要件と,被告が立証すべき要件とに分類し,実体法と訴訟法を架橋するという重要な効用は活かされるべきである。そうだとすれば,残された道は,一つである。それは,要件事実論の効用を活かしつつ,要件事実論の弊害を徹底的に減少させることにあるのであって,そのことを実現することが,法科大学院教育の緊急の課題となっているのである。
司法研修所の要件事実論の誤りは,弁論主義の要請に基づく「主張責任」と国民の裁判を受ける権利から必要とされる「立証責任」とを同一人に帰属させたことにある。このことによって,実体法の条文とはかけ離れ,例えば,これまで述べてきたように,当事者の言い分を十分に反映できない事態を招くことになった。
「新しい要件事実論」は,訴訟物,すなわち,原告の「権利主張」,および,その根拠としての「請求原因」は,「権利の発生」の主張ではなく,「権利の存在の主張」であるという,根本的な考え方から出発すべきである。
司法研修所の要件事実論の根本的誤りは,原告の権利主張を「権利の発生」と誤解したこと,そして,「権利の消滅」は,原告の主張とは併存する別の主張であると考えたことに起因する。
しかし,原告の「権利主張(請求原因)」とは,原告の権利が「発生し,かつ,消滅していない」という権利の「存在」の主張である。被告の主張は,これを否定する「権利が発生しないか,発生したとしても,その権利は消滅している」という主張であって,両当事者の主張において,両立する点は微塵もない。
両者の主張が真っ向から対立し,矛盾するからこそ,どちらか一方の当事者が勝訴するのである。同時履行の抗弁権のように,両者の主張が,訴訟物を異にするために,併存する主張である場合には,一方の勝訴判決,他方の敗訴判決ではなく,両者の痛み分けとなる「引換給付判決」が下されることになるのである。
このように,原告の「権利主張(請求原因)」が,「権利の存在」の主張であり,「権利が発生し,かつ,権利が消滅していない」ことの主張であることが明らかになれば,原告の主張責任と立証責任とが必然的に異なることも明らかとなる。なぜならば,原告が「権利が発生していること」を立証すると,権利が発生している以上,その権利は,消滅が証明されるまで,存続していることが「法律上推定される」。したがって,「権利が消滅していないこと」については,その反対事実である「権利が消滅していること」について,被告が立証責任を負うことになる。すなわち,原告の主張のうち,「権利が発生している」ことは,原告が立証しなければならないが,「権利が消滅していない」ことについては,「法律上の推定」が働くため,被告が,権利が発生したとしても,「すでに消滅している」ことを立証しなければならないのである。
このようにして,原告の権利主張が「権利が発生し,かつ,消滅していないこと」であることを理解するならば,主張責任と立証責任とは,一致しないのがむしろ原則であるということも,容易に理解できる。「新しい要件事実論」は,この点を出発点として,司法研修所の要件事実論とは,全く異なる道を歩むことになるのである。しかし,その道に,大きな障害物は存在しない。なぜなら,「新しい要件事実論」は,「実体法の規定」の素直な解釈によって行われるのであり,司法研修所の要件事実論のような無理な「読み替え」など不要だからである。