民法現代語化の評価とその逸脱に対する批判

−民法典現代語研究会案からの逸脱を中心に−

作成:2005年3月14日

名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂



T 民法現代語化の肯定的評価と問題点の指摘


民法のうち,文語・カタカナ書きの財産法部分(第1編,第2編,第3編)を現代語化し,それに合わせて,家族法部分(第4編,第5編)の語句を修正するとともに,保証契約の内容の適正化の観点から保証人の保護を図るため,貸金等根保証契約について極度額,元本確定期日等に関する規定を新設すること,その他の保証債務に関する規定の整備を行うための「民法の一部を改正する法律案」が第161回臨時国会に提出された。この法案は,2004年11月25日に可決され,同年12月1日に平成16年法律第147号として公布され,2005年4月1日から施行されている。

民法を国民に理解しやすいものとするためその表記を現代用語化することは,筆者を含めた国民の念願であったから,今回の民法の現代語化は,大いに歓迎されるべきである。また,現代語化のための言い換え規則を作成して,用語の統一に尽力された立法担当者には敬意を表したい。

しかし,今回の現代語化において,詳しい理由が示されないままに,法律用語(取消し→撤回,抗弁権→抗弁)等の内容の変更が,整合性を欠く形で行われたことは,まことに残念であった。現代語化に際して,条文の番号まで変更することが必要であったかも,大いに疑問であろう(よく引用される4条→5条,12条→13条,20条→21条のほか,特に,377条→378条などのように,これまで抵当権消滅請求〔滌徐〕の条番号だったものが,代価弁済の条番号へと変更される場合には,混乱が予想される)。

これらの不都合は,民法典現代語化研究会(会長・星野英一)による[民法典現代語化案(1996)]の段階では発生していないことを考えると,現代語化から逸脱した部分の多くは,学者グループによる現代語化の完成から離れた時点で生じた立法担当官による改悪と思われる。民法典現代語化研究会のメンバー,条番号の変更による不都合や不適切な用語の言い換え等に対して厳しく批判すべきである。それにもかかわらず,民法典現代語化研究会のメンバーが,これらの改悪に異議を唱えず,改悪された現代語化を賞賛しているのは[中田(裕)・民法の現代語化(2005)97-99頁],[池田(真)・新民法解説(2005)13頁(池田真朗)],[星野,渡辺・民法典の現代語化をめぐって(2005)12-13頁],まことに不可解である。

現代語化に際しては,内容を変更することなく,まず,口語化に専念し,口語化した後に,広く国民の意見を集約して,内容の改正を行うべきであるというのが,筆者の長年の主張であった(読売新聞1992年5月9日号「論点:法改正に不可欠な口語化」)。

民法を口語化することは,法律に対する市民の理解を促進するばかりでなく,民法を時代の要請にしたがって絶えず改正していくためにも不可欠である。「せっかく改めるなら,条文も内容も一挙に改正しよう」などと欲を出したりせずに,民法のありのままを口語にして,その内容を国民の前にさらけ出し,その後,市民参加の精神にのっとって公開の場で,内容の改正を行なうべきであろう。

今回の民法改正は,先にも述べたように,現代語化という点からは,歓迎すべきものである。民法の一部を改正する法律案理由によれば,今回の民法改正の立法理由は,「保証契約の内容の適正化の観点から,保証人の保護を図るため,貸金等根保証契約について極度額,元本確定期日等に関する規定を新設することその他の保証債務に関する規定の整備を行うとともに,民法を国民に理解しやすいものとするためその表記を現代用語化する等の必要がある。これが,この法律案を提出する理由である。」とされている。そして,民法の一部を改正する法律案要綱によれば,今回の民法の一部改正のうち,現代語化に関しては,「第一編(総則),第二編(物権)及び第三編(債権)について,その表記を平仮名・口語体に改め,用語を平易なものに改める等の表記の現代用語化を行うとともに,これに伴い,第四編(親族)及び第五編(相続)を含む民法の全条文について,条見出し及び項番号を付し,表記の統一を図る等の整備をする」こととされている。

これだけを読むと,今回の民法改正は,民法の条文の改正とはいえ,保証の規定の改正のほかは,内容にかかわる改正は行わず,条文の表記の現代語化に徹しているようにみえる。しかし,改正法を新旧対照条文に従って,仔細に検討してみると,現代語化にとどまらない実質的な変更,すなわち,現代語化からの著しい逸脱が見られることがわかる。

つまり,今回の民法の現代語化においては,「口語化に徹するべきである」とした上記の筆者の見解は完全に無視され,現代語化に名を借りた実質的変更まで行われてしまった。確かに,現代語化された民法に関しては,好意的な評価がなされており[中田(裕)・民法の現代語化(2005)86頁],民法の現代語化による弊害については,ほとんど指摘されていないのが現状である。しかし,現代語化から逸脱してしまった今回の民法改正の結果は,筆者が危惧したように,条文の変更に一貫性がなく,中途半端に終わったもの,改正の結果が従来の規定に比較して具体的な妥当性を欠くものなど,以下のような問題点(立法の過誤を含む)が生じてしまっている。

  1. 体裁を整えるためだけの不必要な条番号の変更
    1. 枝番号,孫枝番号を解消するための不毛な条番号の変更
    2. 章・節・款の中途の条文の削除規定(欠番)を解消したり,章・節・款の最後に移したりするための不毛な条番号の変更
    3. 削除した条文の空白を埋めるための不毛な条番号の変更
  2. 用語の統一に名を借りた不適切・一貫性を欠く内容変更
    1. 「目的」から「目的物」への変更
    2. 「取消し」から「撤回」への変更
  3. 立証責任の明確化に名を借りた不適切な内容変更
    1. 表見代理における相手方の「悪意又は有過失」(109条)と「有過失」(112条)
    2. 弁済受領における弁済者の「善意・無過失」(478条)と弁済者の「悪意又は有過失」との関係

本稿では,以下において,今回の実質的な変更によって生じた以上のような問題点をあぶり出すことを通じて,今後に予想される民法の内容変更に際して,この後の改正作業において考慮されるべき指針を示すことを試みることにする。


U 民法現代語化に名を借りた逸脱行為に対する批判


1 現代語化に便乗した不毛・有害な条番号の変更

今回の民法改正は,現代語化という歓迎すべき面と,条番号の変更という余り歓迎したくない面とが入り混じった改正であり,手放しでは喜べないものとなっている。

特に,成年後見(制限行為能力)の研究者にとっては,使い慣れた3条〜20条のうち,6条〜11条を除いた部分が,4条〜21条へと,1条ずつ条番号がずれてしまったことに閉口しているはずである。さらに,担保物権の研究者にとっては,抵当権の効力に関する重要な条文である373条〜831条の条文の条番号が1条ずつずれてしまい,特に,抵当権消滅請求〔旧・滌徐〕を示すものとされていた378条という条番号が,今回の改正によって,従来377条とされていた代価弁済の条文へとシフトされたため,判例や文献を参照する場合に,逐一,民法の条番号の対照・読み替えをしなければならなくなったことに困惑を感じているはずである。

今回の改正によって生じた条番号の変更は,細かく見ていくと,70箇所にも及んでおり,当分の間は,条文番号の変更一覧[中田(裕)・民法の現代語化(2005)104頁],[池田(真)・新民法解説(2005)131-133頁]を手元において確認しないと,専門家であっても,思わぬ誤りを犯す危険性が生じている。現代語化は歓迎するが,上記のような不便が生じる条番号の変更まで本当に必要だったのかというのが,新たな条文を目の当たりにした研究者や学生たちの正直な感想であろう。

このように考えると,「現代語化とセットで国民に押し付けられた条番号の変更は,本当に必要不可欠だったのであろうか?」という疑問に真面目に取り組む必要がある。[民法典現代語化案(1996)]の段階では,条文番号の変更は全く考えられていなかったことも強調されてよい。

この疑問に答えるため,本稿では,条番号の変更理由を徹底的に究明することを通じて,実は,上記のような不都合をカバーするに足りる条番号の変更の理由は存在しなかったこと,すなわち,今回の改正に伴う,条番号の変更は,現代語化とは何の関係もない,全く取るに足りない理由に基づくものであり,条番号の変更の理由は,いかなる点からも正当化できるものではないことを論証することにする。今回の改正に伴う条番号の変更は,民法の現代語化を逸脱した不毛かつ有害なものであるというというのが,筆者の結論である。

A. 条番号の変更の理由

民法現代語化案補足説明〕,および,これを解説した[池田(真)・新民法解説(2005)28-30頁(吉田徹)]によると,今回の改正における条番号の変更に関する基本的方針が以下のように述べられている(なお,〔 〕内は,筆者が補足した見出しである)。

〔1. 本来の改正における条番号変更の原則〕
今回の法改正は,第1編から第3編までの条文全部を一体として書き改めるものであるから,これまでの立法例に従えば,1条,2条,3条,……というように,順次,枝番号のない条番号を新たに付していくことになると考えられる(仮に,第4編及び第5編の条番号を動かさないという前提に立てば,724条以降の条文については,724条,724条の2,724条の3,……というように,この部分のみに枝番号を振って調整することになろうか)。
〔2. 今回の改正における代表的な条番号不変更の例外〕
しかし,民法中の根幹的な事項を規定する代表的な条文(例えば,90条,177条,415条,709条)については,その条番号自体が,その意味内容(公序良俗,対抗要件,債務不履行,不法行為等)のいわば代名詞として広く呼び慣わされており,一般にも定着しているところである。また,民法の制定以来,裁判例や文献の蓄積も膨大な量に及んでおり,これらを参照する場合に,逐一,民法の条番号の対照・読み替えをしなければならないことになると,煩瑣な作業が必要になって極めて非効率的であるばかりでなく,その取り違え等により混乱が生じることも懸念される。
〔3. 今回の改正における条番号の変更最小限の原則〕
そこで,今回の法改正に当たっては,現行法の条番号には,可能な限り変更を加えないという方針を採用した。ただし,これまでの数次にわたる改正により章・節・款の中途に削除された条文の欠番があったり,枝番号・孫枝番号のある条文があったりすることにより,全体の構成が未整理であってそのままでは分かりにくい印象を与える部分も存在する。そこで,各編の全条文を改正する第1編から第3編までについては,章・節・款の中途の欠番や枝番号・孫枝番号の解消等を目的として,必要最小限の条番号の整序を行っている。
例えば,旧1条ノ2を新2条に,旧1条ノ3及び旧2条を3条1項及び2項に改めるなどして,2条から5条までに枝番号のない新たな条番号を付している。この例にも表れているが,条番号の整序の過程で,2つの条文を1つにまとめているもの(旧1条ノ3及び旧2条→新3条)があり,逆に,1つの条文を2つに分割しているもの(旧373条→新373条及び新374条)もある。こうした過程において,あるいは,条文の内容を整理して書き改めたことに伴い,新たに項や号を新設・追加したり,逆に項や号を削除したりしたものもある。その詳細については,資料A「条番号等の変更一覧」の「条番号(項・号)の変更」欄を参照されるほか,その対応関係については,新旧対照条文の該当箇所にあたられたい。

コンピュータを利用すれば,枝番号や欠番の解消はいとも簡単に実行できる。改正後の民法の条文の数は,枝番号(60カ条)を加えると,全体で1104条であり,もしも,すべての欠番(5カ条)を解消させるとすると,全体で1099条となることが直ちに計算される。そして,枝番号と欠番とを完全に解消した場合には,民法のなかで裁判所による適用頻度が最も高い民法709条は737条へ,2番目に適用頻度が高い民法415条は440条へと変更されることになることも,直ちに示される。しかし,今回の改正においては,そこまでの割り切りをしないことを決定された。そして,条番号の変更に関する第1の原則は,代表的な条文(例えば,90条(→93条),177条(→182条),415条(→440条),709条(→737条,または,724条の14))について条番号の変更を行うと,大混乱が生じることが懸念されるという理由に基づき,条番号の変更は可能な限り行わないとの第2の例外措置がとられることが宣言されている。

しかし,今回の民法改正の主眼が,あくまで,文語・カタカナ表記で読みにくい民法を口語・ひらかな表記に改めることを原則とるものであるとすれば,第1原則は無視し,条番号を変更しないという第2原則をもって第1原則とすべきであった。

B. 条番号の変更による混乱の発生

[中田(裕)・民法の現代語化(2005)104頁],[池田(真)・新民法解説(2005)131-133頁]には,条番号が変更された条文の一覧が掲載されているが,その数は,第1編から第3編に限定しても,70箇所に及んでいる。その中には,民法を学習したことのある者であればよく知っている,以下のような条文も含まれている。

このような条文を変更した場合,従来の文献が意味を成さなくなるばかりでなく,例えば,代価弁済(新378条)と抵当権消滅請求(旧378条)のように,全く異なる性質を有する制度が,新旧で同一条文となってしまい,無用の混乱が生じる恐れがある。

しかも,上記の場合(民法374条〜381条)の条番号の変更理由は,民法381条〔旧・滌徐権者への抵当権実行の通知〕が削除されているため,その削除の条文を穴埋めするためという,技術的な理由に過ぎない。その方法も,抵当権の順位に関する旧373条を無理やり2つの条文に分割させ,その後の条番号を順送りすることによって,削除された民法381条を復活させるというものであった。このような全く取るに足りない理由に基づいて,抵当権の順位の変更,抵当権の被担保債権の範囲,抵当権の処分,抵当権の処分の対抗要件,代価弁済,抵当権消滅請求の条文がすべて,1条ずつ変更されてしまったのである。

民法381条が削除となっているのを埋めてしまいたいという体裁上の理由によって,抵当権の条文の中でも,非常に重要な条文であり,条番号を変えることによって,代価弁済と抵当権消滅請求とが混乱することが予想されるのに,あえて,条番号を変更した今回の改正は,まさに,現代語化からの逸脱を象徴しているものとして,批判されるべきである。

さらに,削除との関連では,破産法53条へと移設され,削除された民法621条を,削除の条文を章・節の最後に置きたいという,内容的には全く意味のない理由によって,民法621条を民法622条へと変更し,従来の民法622条〔使用貸借の規定の準用〕の規定を民法621条としたことも注目されてよい。破産との関係で,従来の文献によって盛んに論じられた民法621条は,今や,使用貸借の規定の準用の条文へと変化してしまった。従来の文献や判例を学習する場合に,混乱が生じることは必至である。

このように,実質的な理由がないにもかかわらず,全く技術的な理由によって条番号の変更が行われてしまったのは,今回の改正の原則が,条番号の変更を原則としていることに基因していると思われる。

C. 条番号の変更による目的の達成度と変更による混乱との利益衡量

以上の検討を通じて,第1に,今回の改正に付随する条番号の変更の主たる目的は,@章・節・款の途中に生じている枝番号・孫枝番号の解消,A削除規定(欠番)の章・節・款の最後への移動,B今回の改正によって削除した条文(欠番)の穴埋めをすることであることが明らかになった。

そして,第2に,その目的を達するために,2つの条文を1つにまとめたり,1つの条文を2つに分割したりするとともに,条番号の移動をおこなったこと,その結果,さまざまな箇所で不都合が生じていることも明らかになった。

そこで,以下においては,条番号の移動を通じて達成しようとされた目的(@章・節・款の途中に生じている枝番号・孫枝番号の解消,A削除規定(欠番)の章・節・款の最後への移動,B今回の改正によって削除した条文(欠番)の穴埋め)がどの程度実現されたのか,条番号の移動によって生じる不都合・混乱は,そのような目的達成の達成度との比較において,受忍せざるをえないものと考えるべきであるのかについて,比較衡量を行うことにする。

a) 条番号の変更によって枝番号は解消されたか

今回の改正によって条番号が変更された第1の理由は,章・節・款の途中の枝番号,孫枝番号の解消のためであった。この目的は,技術的には,見事に達成されている。

一見したところでは,民法83条ノ3(→84条の2)や84条ノ2(→84条の3)のように,条番号の変更によっても枝番号の解消には至っていないように見える。しかし,立法担当者の考え方は,あくまで,「章・節・款の途中」の枝番号の解消が目的であった。したがって,章・節・款の最後に発生した枝番号については,いくら枝番号が発生しようと,何の問題もないというのが立法担当者の考えのようである(後に詳しく分析するように,立法担当者は,1条ノ2〜5条までの枝番号の解消に際して,章・節・款の最後に発生した枝番号であっても解消するという暴挙に出ており,立法担当者の真意は不明である)。

確かに,「章・節・款の途中」の枝番号のみを解消しようという立法担当者の考え方にも一理はある。しかし,84条や98条の場合のように,従来,枝番号のついていなかった条文が,今回の改正によって84条の3や98条の2という枝番号の付いた条文に変更されているのを見て,滑稽だと感じるは,筆者だけではあるまい。むしろ,法律が生きている以上,枝番号や欠番が章・節・款に生じてもやむを得ないのであり,それよりも,条文の分割・統合による不都合や,条番号の変更による不都合を何とか回避して欲しいと願うのが国民の通常の意識であると思われる。章・節・款の最後に生じる枝番号については寛容であるのに対して,章・節・款の途中にある枝番号を解消するためには,条文の分割や統合をも辞さず,平気で条番号の変更も行うという立法担当者の考え方は,条番号の変更による不都合の回避を願う国民の意識とは,かけ離れているといわざるを得ない。

「章・節・款の途中」の枝番号・孫枝番号を解消するという目的のために,立法者担当者によって,いかなる作業がなされたのかを詳細に検討してみると,以下のように分析することができる。

  1. 1条ノ2,1条ノ3という枝番号の解消のためのつじつま合わせ

    中途ではあるが,以上の検討に基づいて,今回の民法の現代語化に関して,立法の過誤を条文の対照表によって示すと,以下のようになる。

    現代語化の基本方針に従った場合のあるべき改正
    (下線は,改正前との相違点)
    改正後
    は立法の過誤)
    改正前
        第一編 総則     第一編 総則     第一編 総則
       第一章 通則    第一章 通則
    (基本原則)
    第一条 私権は,公共の福祉に適合しなければならない
     権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない
     権利の濫用は,これを許さない
    (基本原則)
    第一条 私権は,公共の福祉に適合しなければならない。
    2 権利の行使及び義務の履行は,信義に従い誠実に行わなければならない。
    3 権利の濫用は,これを許さない。
    第一条 私権ハ公共ノ福祉ニ遵フ
    A権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス
    B権利ノ濫用ハ之ヲ許サス
    (解釈の基準)
    第一条の二 この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。
    (解釈の基準)
     この法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として,解釈しなければならない。
    第一条ノ二 本法ハ個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等トヲ旨トシテ之ヲ解釈スヘシ
        人    第二章 人    第一章 人
      第一節 権利能力   第一節 権利能力   第一節 私権ノ享有
    (権利能力)
    第二条 私権の享有は,出生に始まる。
     外国人は,法令又は条約の規定により禁止される場合を除き,私権を享有する。
     私権の享有は,出生に始まる。
    2 外国人は,法令又は条約の規定により禁止される場合を除き,私権を享有する。
    第一条ノ三 私権ノ享有ハ出生ニ始マル
    第二条 外国人ハ法令又ハ条約ニ禁止アル場合ヲ除ク外私権ヲ享有ス
      第2節 行為能力   第2節 行為能力   第2節 能力
    (成年)
    第三条 年齢二十歳をもって,成年とする。
    (成年)
     年齢二十歳をもって,成年とする。
    第三条 満二十年ヲ以テ成年トス
    (未成年者の法律行為)
    第四条 未成年者が法律行為をするには,その法定代理人の同意を得なければならない。ただし,単に権利を得,又は義務を免れる法律行為については,この限りでない。
     前項の規定に反する法律行為は,取り消すことができる。
    (未成年者の法律行為)
     未成年者が法律行為をするには,その法定代理人の同意を得なければならない。ただし,単に権利を得,又は義務を免れる法律行為については,この限りでない。
    2 前項の規定に反する法律行為は,取り消すことができる。
     第1項の規定にかかわらず,法定代理人が目的を定めて処分を許した財産は,その目的の範囲内において,未成年者が自由に処分することができる。目的を定めないで処分を許した財産を処分するときも,同様とする。
    第四条 未成年者カ法律行為ヲ為スニハ其法定代理人ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス但単ニ権利ヲ得又ハ義務ヲ免ルヘキ行為ハ此限ニ在ラス
    A前項ノ規定ニ反スル行為ハ之ヲ取消スコトヲ得
    (処分を許された財産の処分)
    第五条 法定代理人が目的を定めて処分を許した財産は,その目的の範囲内において,未成年者が自由に処分することができる。目的を定めないで処分を許した財産を処分するときも,同様とする。
    第五条 法定代理人カ目的ヲ定メテ処分ヲ許シタル財産ハ其目的ノ範囲内ニ於テ未成年者随意ニ之ヲ処分スルコトヲ得目的ヲ定メスシテ処分ヲ許シタル財産ヲ処分スル亦同シ
  2. 11条ノ2という枝番号の解消のためのつじつま合わせ
  3. 34条ノ2という枝番号の解消のためのつじつま合わせ(→後に述べるように,削除した35条の埋め合わせのためと解することも可能)
  4. 83条ノ2,83条ノ3という枝番号の解消のためのつじつま合わせ
  5. 84条ノ2という枝番号の解消のためのつじつま合わせ
  6. 97条ノ2という枝番号の解消のためのつじつま合わせ
  7. 159条ノ2という枝番号の解消のためのつじつま合わせ(混乱が発生しなかった数少ない成功例
  8. 398条ノ10ノ2という孫枝番号の解消のためのつじつま合わせ
b) 章・節・款の途中にある欠番を章・節・款の最後に移す必要性があったか

今回の条番号の変更によって大きな混乱が生じたのは,民法381条という抵当権の消滅という節の途中に生じた欠番(民法381条)を解消するために行われた,373条の分割,373条から380条までの条番号を1条ずつ後にずらすという変更であろう。この結果,代価弁済の条番号と抵当権の消滅請求等の条番号に混乱が生じている。

  1. 381条〔滌徐権者への抵当権実行の通知→削除(平成15法134号)〕という欠番の解消のためのつじつま合わせ
  2. 621条〔賃借人破産による解約の申入→削除(平成16年法76)→破産法53条〕という欠番を節の最後に移すためのつじつま合わせ
c) 現代語化を逸脱して条文の削除を行った上に,その欠番を埋めるために条番号の変更をする必要性があったか

民法320条の削除のように,現代語化からは逸脱するが,条文の削除にほぼ異論がない場合であっても,その欠番を埋めるためだけのために,なぜ,民法321条から323条までの条番号を1つずつ前にずらす必要があったのかは大いに疑問である。結果は,むしろ,混乱を生じさせることになっただけではなかろうか。

  1. 削除した35条〔営利を目的とする社団法人〕の埋め合わせ
  2. 削除した320条〔公吏保証金の先取特権〕の埋め合わせ

以上の詳細な検討によって,今回の改正による条番号の変更は,現代語化という目的とは無縁の上,条番号の変更によって,12条から21条までの10カ条の条文がすべて1条ずつ後にずれてしまうというなど,多くの混乱を生じさせており,結果として,不毛な改正であったといわざるを得ない。

D. 枝番号と欠番とは歴史の尊重であり,「永久欠番」もあってよい

これまでの考察を通じて,今回の民法改正に伴う条番号の変更は,現代語化とは無関係であり,かつ,現代語化からの逸脱にほかならず,それによって生じる不都合は,条番号の変更によって達成しようとした「章・節・款の途中にある枝番号,孫枝番号,削除条文(欠番)を解消する」という全く技術的な目標によっては正当化できないことを論証した。

最後に,今回の改正によってもたらされた条番号の変更を正当化するために掲げられた「章・節・款の途中にある枝番号・孫枝番号の解消や削除条文(欠番)の解消」という目標そのものの是非について検討を加えることにする。そして,「章・節・款の途中にある枝番号・孫枝番号の解消や削除条文(欠番)の解消」という目標は,そもそも正当化できないのではないのかという問題の提起を行うことにする。

法律の歴史を尊重するという観点からは,枝番号の発生も,削除規定(欠番)の保存も,なくてはならないものである。枝番号が発生する理由が,従来の条文の条番号を変更しないという配慮に基づくものであるのと同様,削除による欠番を保持することは,比喩的にいえば,スポーツ選手の背番号における「永久欠番」と同様,歴史的な条文に対する畏敬の念,または,反省の念の表れである。

1999年の成年後見制度の新設自体は歓迎すべきことであるが,その際の起草者の見識によって,妻の無能力(民法旧14条〜18条)という削除規定が,永久欠番とならずに埋められてしまったことは,個人的には,残念なことであったと感じている。男が女をいかに差別してきたかという反省の意味をこめて,民法旧14条〜18条(妻の無能力)は,永久欠番とするのが,男の良心ではなかったかと考えるからである。

いずれにせよ,法律が生きており,時代の進展に即応していくためは,枝番号や孫枝番号が発生すること,および,削除による欠番が生じることは避けられない。むしろ,枝番号や欠番は,先にも述べたように,法律の歴史を示すものとして尊重されるべきものであり,なくすべきものと考えてはならない。枝番号を消したり,欠番を埋める努力は,その法律が「死に体」となり,全く新しく生まれ変わらせる場合にのみ許されると考えるべきであろう。

今後に予想される民法の部分改正においては,「章・節・款の途中」で枝番号や欠番が生じることが目に見えている。条文全体にわたる現代語化を行うからという理由で,今回に限って「章・節・款の途中」にある枝番号および欠番を解消するという目標を設定したこと自体が誤りであったというのが,筆者の結論である。

2 用語の言い換え・統一に名を借りた不適切・中途半端な内容変更

民法現代語化の内容は,従来の民法における文語カタカナ書きの文体を口語ひらがな書きに改めることである。その内容は,@文体の口語化とA難解な用語を平易な用語えと言い換えることとに分かれる。

第1の点は,文語を口語に翻訳することであり,機械翻訳による方法もあるが[加賀山・民法財産編の口語化草案(1900)185以下],「言葉を機械的に置き換えるだけではニュアンスが落ちてしまう」等の理由で,今回の改正では,人間による翻訳という技法が採用された[星野,渡辺・民法典の現代語化をめぐって(2005)12頁]。

第2の点が,今回の改正の中心部分であり,立法担当者が最も苦心した点であると思われる[星野,渡辺・民法典の現代語化をめぐって(2005)9頁]。用語の言い換えの成果については,[中田(裕)・民法の現代語化(2005)93-94頁]に要領のよい解説がある。また,より詳しい分析のためには,立法担当者の努力の結晶である,「民法現代語化言い換え一覧」[中田(裕)・民法の現代語化(2005)104頁],[池田(真)・新民法解説(2005)129頁]にしたがって,逐一検討するのが効率的である。

しかし,本稿では,すべてにわたって検討することはせず,むしろ,上記の「現代語化言い換え一覧」からは漏れている問題(目的→目的物)と,立法担当者が用語の言い換えに過ぎないと軽く考えている問題(取消し→撤回)を取り上げることにする。

その理由は,現代語化の一環としての用語の書き換えと思われている作業の中に,実は,現代語化の範囲を超えており,内容の検討と変更なしには,適切な言い換えができない場合があり,そのような場合に,安易な用語の書き換えをしてしまうことは,非常に危険でること,そして,そのような問題については,現代語化とは切り離し,次のステップとしての実質的な内容の改正の場面で問題の解決を図ることが必要であることを強調するためである。

A. 囲繞地を「包囲地」とせず,「その土地を囲んでいる土地」としたのはなぜか

今回の民法の現代語化の目的の一つに,第一編(総則),第二編(物権)及び第三編(債権)について,その表記を平仮名・口語体に改め,用語を平易なものに改める等の表記の現代用語化を行うということが明記されており,その一環として,「現代では一般には用いられていない用語を他の適当なものに置き換える」という作業が行われた。

その代表的なものの一つに,「囲繞地」→「その土地を囲んでいる土地」がある。「囲繞地」という用語は,他の土地に囲まれて出口を失った状態の袋地の所有者が,その土地を取り囲んでいる土地(囲繞地)を通行できるという意味で,「袋地所有者の囲繞地通行権」という文脈で用いられてきた。

今回,囲繞地という用語は難解であるということで,「囲繞地」→「その土地を囲んでいる土地」と言い換えることになったのであるが,分かりやすいとはいえ,長ったらしくて,市民に使われる用語とはなりえないと思われる。

ワードプロセッサ→ワープロ,パーソナルコンピュータ→パソコン,携帯電話→ケイタイという4字程度に省略して用いる傾向から見ても,「その土地を囲んでいる土地」への変更には違和感を覚える人も多いことであろう。

B. 目的と目的物の混同は解消されたか

a) 目的と目的物の混同(立法上の過誤)の解消

今回の改正においては,立法者が過誤に陥っていると指摘されていた「債権の目的」と「債権の目的物」との混同について,以下のように解消されている。

しかし,立法者の過誤を訂正する方法としては,民法419条1項および422条に関して,402条2項の改正の場合と同様に,目的を目的物と変更し,以下のように改正することも可能だったはずである。現に,[民法典現代語化案(1996)135-136頁]では,そうなっていた。

今回の改正において「金銭を目的物とする債務」ではなく,「金銭の給付を目的とする債務」へと,また,「債権ノ目的物タル物又ハ権利」ではなく,「債権の目的である物又は権利の価額の全部の支払を受けたとき」と変更したことは,結果は正しいとしても,もう一つの選択肢を無視している点で,現代語化の範囲を逸脱しており,選択肢を示した上で,いずれに決定すべきかは,内容の改正という,次のステップで議論すべきであったと思われる。

そもそも,民法402条2項の「目的」を「目的物」と変更したり,民法419条1項の「金銭ヲ目的トスル」を「金銭の給付を目的とする」と変更したりしながら,「民法現代語化言い換え一覧」[中田(裕)・民法の現代語化(2005)104頁],[池田(真)・新民法解説(2005)129頁]のリストに掲載していないのは不可解である。なぜなら,402条1項・2項に関して,「特種ノ通貨」を「特別の種類の通貨」へと言い換えたことは,上記リストに示されているからである。また,[中田(裕)・民法の現代語化(2005)94頁]には,「債権の『目的』と『目的物』の語については,給付と給付の目的物とを区別する観点から,用語法が統一されている(402条2項,419条1項,422条)」との記述がなされており,上記リストに不備があることは明らかである。

上記のような明白な変更点について,「民法現代化言い換え一覧」から除外することは,特別の意図があったのではないかとの疑念を生じさせる。考えてみれば,「目的」と「目的物」の関係は,民法の根幹にかかわる問題であり,それだけで,研究書が何冊も書けるくらいに奥の深い問題である。今回のような拙速な改正では,十分な議論に基づく解決案の作成はそもそもできなかったのではなかろうか。そうだとすれば,目的と目的物に関して,一部の条文のみを改正するという中途半端な改正など行わず,次のステップへの架橋として,立法者の間違いを間違いとして指摘するだけで十分だったのではなかろうか。

b) 目的と目的物の混同(立法上の過誤)の放置

民法402条2項,民法419条1項,および,422条において,目的と目的物との混同を解消するための改正を行ったのであれば,本来ならば,同様にして,その他の箇所における目的と目的物の混同の解消がなされるべきである。

例えば,343条「質権は,譲り渡すことができない物をその目的とすることができない」→「目的物」とすべきであろう。なぜなら,次の条文である344条では,「質権の設定は,債権者にその目的物を引き渡すことによって,その効力を生ずる」として,民法343条の「目的」と同じ意味で,「目的物」という概念が用いられているからである。

このような「目的」と「目的物」との混同が随所で見られるが,今回の改正では,402条2項,419条1項,422条にみられるような改正は,全く行われていない。今回の改正において,用語の言い換えが一貫性を欠いている典型例として批判されるべき問題点であろう。

C. 「取消し」と「撤回」との混同は解消されたか

今回の改正における用語の言い換えで特筆すべきは,「取消し」と「撤回」とを区別し,民法が取消しと規定している条文について,「取消し」のままとするか,「撤回」と変更するかを判断したことである。

しかし,今回の改正において,「用語の言い換え」に分類されている,「取消し」から「撤回」への変更は,実は,立法担当者が考えているほどの容易なものではなかった。なぜなら,立法担当者の基準に従えば,「撤回」と言い換えるべき条文が「取消」のまま放置されたり,反対に,「撤回」と言い換えるべきでない条文が「撤回」とされたり,同じ性質を有する条文について,一方が「取消し」とされ,他方が「撤回」へと変更されるなど,「取消し」と「撤回」との区別に大きな混乱が生じているからである。

今回の改正によって,「取消し」と「撤回」との区別が誤りに陥った原因は,区別の基準に重大な欠陥が潜んでいるからである。今回の改正の基準として用いられた「取消し」の定義と「撤回」の定義との間には,大きな隙間があるに立法担当者は気づいていない。

そのためもあって,今回の改正で用いられた「取消し」と「撤回」の基準にに該当しない中間段階のもの(法律行為の効力は既に発生しているが,瑕疵がないにもかかわらず,事後的に法律行為の効力を消滅させる場合:夫婦間契約,書面によらない贈与契約)について,恣意的な分類がなされており(夫婦間契約→取消し,書面によらない贈与→撤回),条文の解釈をめぐって混乱が生じることが予想される。

本稿では,以上の点を詳しく論じるとともに,「取消し」と「撤回」との区別をめぐって生じている混乱を回避するため,今回の立法担当者の区別の基準に代わる合理的な「取消し」と「撤回」の定義の再構築を試みることにする。

a) 「取消し」と「撤回」の区別の基準

今回の民法改正において,取消しと撤回とを区別することにしたことは明らかであるが,問題は,その区別の基準である。立法担当者によれば,取消しと撤回は以下のように区別されるという[池田(真)・新民法解説(2005)32頁(吉田徹)]。

取消し
法律行為の効力が既に発生しているものにつき,瑕疵があることを理由として,事後的にその効力を消滅させる行為
撤回
法律行為の効力がいまだ発生していないものにつき,行為者自身がそれを欲しないことを理由として,その法律行為がなかったものとする行為

従来の民法において「取消」と表記されていた条文の中には,その意味が「撤回」であるにもかかわらず,「取消」の用語が使われていたものがある。したがって,今回の改正では,上記の基準に従って,「『撤回』の意味で用いられている『取消』の語(407条2項〔選択権の行使の取消〕,521条1項〔申込の取消〕等)を個々の条文上も『撤回』の語に改めることによって,『取消し』と『撤回』の概念の区別を法文上明確化することにした」というのが,立法担当者の見解である[池田(真)・新民法解説(2005)32頁(吉田徹)]。

b) 「取消し」と「撤回」の区別の不明確さ
i) 民法115条

「取消し」と「撤回」を厳しく区別している立法例は,ドイツ民法である。わが国の民法115条がドイツ民法草案に倣って規定されたことは,[民法修正案理由書(1896/1987)164-166頁]からも明らかである。両者を対比してみると,「取消し」と「撤回」の用語法が異なっているに過ぎないことがわかる。

このような判断基準に基づいた場合,民法115条に規定されている「取り消すことができる」という用語は,「撤回」と書き換えるべきであろうか,それとも,取消しのままにされるべきであろうか。

今回の民法改正において立法担当者が採用した上記の判断基準に基づけば,民法115条の場合,@民法113条にしたがって,「契約は,本人がその追認をしなければ,本人に対してその効力を生じない」。A契約を締結した当事者の一方である相手方がその効力を欲しない。したがって,この場合は,ドイツ民法178条が明らかにしているように,「撤回」と書き換えるのが正当であろう。

このように考えると,民法115条は,以下のように書き換えられるべきであった。

民法115条にいわゆる取消権が撤回権の意味であることは,古くから学説によって指摘されていた[末川・法学辞典(1974)734頁],[金子・法律学小辞典(2004)]。今回の改正が,民法115条に関して,取消しを撤回と書き換えなかった理由は,不明であり,不可解というほかない。

ii) 民法754条

「取消し」と「撤回」との区別に関する上記の定義の問題点は,第1に,夫婦間契約の取消し(民法754条)において顕在化する。なぜなら,夫婦間契約の取消しの場合,夫婦の一方は,理由なしに,契約を取り消すことができるのであるから,取消しの定義で述べられている「瑕疵があることを理由として」という要件は不要であるということになる。

この改正によって,取消しの定義にしたがい,たとえ,夫婦間契約においても,「瑕疵があることを理由として」のみ取消しができるという実質的な変更がなされたと解すべきであろうか。そこまでの変更は,確立した判例・学説によってもなされてはいないことからして,今回の改正において,立法担当者がそこまでの実質的な変更を企図していないと思われる。そうだとすると,民法754条を取消しのまま放置したことは,明らかに立法担当者の定義に反することになる。

反対に,夫婦間契約の場合と同様,「瑕疵があることを理由としない」場合であっても,取消しといいうるというのであれば,今回の改正で取消しから撤回へと改められた規定の中にも,以下に述べるように,取消しへと復帰させるべきものが,数多く存在することになる。

iii) 民法550条,407条,540条,919条,988条

例えば,今回,取消しから撤回へと変更された「書面によらない贈与」(民法550条)の場合も,「瑕疵があることを理由としない」で,法律行為の効力が既に発生しているものにつき,事後的にその効力を消滅させるのであるから,撤回ではなく,従来どおり,取消しと規定されるべきだということになる。

さらに,既に効力が発生しているものであって,瑕疵があることを理由としないで,事後的にその効力を消滅させるという行為には,今回の改正によって,取消しから撤回に改正された,選択権行使後,相手方の承諾を得て行う,選択権の撤回(民法407条2項)も含まれる。また,今回の改正によって,取消しから撤回へと改正された,解除権の撤回(民法540条2項)も同様である。いずれの場合も,撤回へと変更する必要はなかったことになる。

さらに,相続の承認及び放棄の撤回及び取消し(民法919条),および,遺贈の承認及び放棄の撤回及び取消し(民法988条)のように,取消しの前に,追加された撤回も,すでに,承認及び放棄の効力が発生した後の問題であるから,撤回ではなく,取消しが正しいということになる。つまり,この場合も,「取消し」のほかに,「撤回」を追加する必要はなかったことになる。

c) 「取消し」と「撤回」の区別の基準を法律行為とすることの非合理性

取消しを「法律行為の効力が既に発生しているものにつき,瑕疵があることを理由として,事後的にその効力を消滅させる行為」と定義することに対する第2の問題点は,効力の発生に関して,なぜ,法律行為のレベルで基準が設定されなければならないのかというものである。

ドイツ民法では,法律行為の効力発生のレベルではなく,意思表示の効力の発生のレベルにおいても,取消しと撤回との区別を行っている。

意思表示の効力発生のレベルで撤回と取消しを区別するメリットは,ドイツ民法130条がそうであるように,申込みが到達する前は常に撤回ができるが,申込みが到達した後は,相当の理由がなければ,申込みの取消しはできないというように,申込みの撤回と申込みの取消しを柔軟に使い分けることができる点にある。

今回の民法改正では,申込みは,法律行為ではないので,撤回しかありえないというような硬直的な考え方を採用しているが,そのような考え方を採用することは,「取消し」と「撤回」とを厳密に区別するドイツ民法の考え方に反するばかりでなく,以下に述べるように,契約法の国際的な基準からも遠く離れてしまうことになる。

そもそも,「申込み」の撤回や「申込み」の取消しを議論する場合に,なぜ,その到達点である法律行為である契約の効力のみを問題にしなければならないのか理解に苦しむ。例えば,申込みの効力が取り消されれば,契約は無効ではなく,契約が不成立となる。これに対して,契約が,例えば制限行為能力を理由に取り消された場合には,法律行為の効力が否定される。申込みの効力が失われた場合の効力は,契約の不成立であり,契約の効力が取り消された場合とは結果が異なる。したがって,申込みの撤回と申込みの取消しは,法律行為の取消しとは別の問題として考察する必要がある。申込みの効力は,法律行為全体から考えると常に撤回となるというのは正しいとしても,それは,法律行為(契約)の撤回の問題に過ぎないのであり,意思表示である申込みの撤回か申込みの取消しかは,意思表示の効力の問題として,法律行為の効力自体とは別に考えるべきである。

d) 申込みの「取消し」と申込みの「撤回」との両立可能性の否定の弊害
i) 申込みの「取消」から申込みの「撤回」への変更とグローバルスタンダードからの乖離

今回の民法改正で,最大の失敗は,国際的な基準では,申込みの撤回と申込みの取消しを区別しつつ,両者の存在を認めているにもかかわらず,これに反して,申込みの「取消し」をすべて申込みの「撤回」へと言い換えてしまった点にある。

その原因が,取消しを「法律行為の効力が既に発生しているものにつき,瑕疵があることを理由として,事後的にその効力を消滅させる行為」と定義したことによることはすでに述べた。

しかし,取消しと撤回の基準を「法律行為」の効力が既に発生しているかどうかにかからせることの根拠は薄弱である。取消しと撤回を区別するドイツ民法(130条)においても,また,国連国際動産売買条約(CISG)等においても,以下に示すように,法律行為(契約)の効力が発生したかどうかではなく,申込みの効力が発生したかどうかで,申込みの撤回と申込みの取消しを区別するというのが,国際的には,ほぼ一致した見解となっているからである。

わが国も,将来は,国連国際動産売買条約に加盟することになると思われる[星野,渡辺・民法典の現代語化をめぐって(2005)6頁参照]。その場合には,国内法との整合性の観点から,今回の民法改正によって申込みの「取消し」を「撤回」と言い換えたものを,すべて反故にして,「撤回」を「取消し」へと再度,改正せざるを得ない。まったく,無駄な改正を行ったものである。

ドイツ民法130条のみならず,現在の国際的な契約法の動向を全く無視した今回の改正は,不可解といわざるを得ない。

ii) 「取消し」と「撤回」に関する区別の基準の破綻

今回の取消しと撤回の区別の基準として,取消しを「法律行為の効力が既に発生しているものにつき,瑕疵があることを理由として,事後的にその効力を消滅させる行為」と定義していることは,既に述べた。

しかし,この区別は,取消しの最も代表的な場面とされる詐欺・強迫による取消し(民法96条)においても,維持し得ないものであることを述べておくことにしよう。

例えば,Aが承諾期間を定めた申込みをBに対して手紙で行ったが,その申込みが,相手方Bの詐欺によってなされたとする。この場合,申込みと撤回の判断基準を意思表示に置くと,意思表示の効力は,申込みの効力の発生のとき(民法97条)となるから,Aは,申込みが到達するするまでは,電話,ファックス,メール等を用いて,申込みの撤回をすることができる。また,申込みがBに到達した後は,民法521条1項の規定により,Aは,承諾期間が過ぎるまでは申込みの撤回(取消しが正しい)をすることができない。しかし,民法96条によれば,詐欺を理由に,申込みを取り消すことができる。

ところが,今回の改正の基準に従うと,Aの申込みがBに到達した後から承諾期間が経過するまで,Aは,申込みの撤回をすることができないばかりか,Bの承諾がなされるまでは,法律行為の効力は発生していないのであるから,法律行為の効力が発生した後に,はじめて利用できるに過ぎない取消しの制度(民法96条)も利用できないことになってしまう。

このことがおかしいとは誰でも気づくことであるが,法律行為を基準にするという理論を貫くのであれば,この場合には,申込みは,撤回もできないし,法律行為の効力も発生していないのであるから,取消しもできないといわざるを得ないのである。

申込みの撤回と取消しの区別を意思表示の効力の発生のレベルで考えておけば,このような矛盾は生じない。

D. 「取消し」と「撤回」との区別基準の欠陥が原因で生じた立法の過誤

今回の民法現代語化に際して,逸脱行為としてなされた「取消し」と「撤回」の区別の基準は,基準として使い物にならない欠陥を有していることを論じた。その原因は,この基準に該当しないものが多すぎるからである。それを再度列挙すれば以下の通りである。

a) 改正基準によれば,「撤回」に該当するにもかかわらず,「取消し」と分類されているもの

契約の効力がいまだ発生していない無権代理による契約(民法113条)につき,行為者(契約当事者である相手方)自身がそれを欲しないことを理由として,その契約がなかったものとする行為(民法115条)

b) 改正基準によれば,「取消し」に該当しないにもかかわらず,「取消し」と分類されているもの
i) 「法律行為の効力が既に発生しているもの」ではあるが,「瑕疵があることを理由として」には該当しないもの
ii) 「法律行為の効力が発生しているもの」とは限らないにもかかわらず,「取消し」と分類されているもの
c) 改正基準によれば,「撤回」に該当しないにもかかわらず,「撤回」と分類されているもの

撤回の基準である「法律行為の効力がいまだ発生していないもの」ではなく,取消しの基準である「法律行為の効力が既に発生しているもの」であり,改正をせず,取消しのままにすべきであった事例

d) 「申込み」の「効力が既に発生しているもの」であるため,「撤回」ではなく,「取消し」と分類されるべきであったもの

意思表示(申込み)の効力がすでに発生しているものであるが,当該行為がなかったものとする行為

e) 「取消」から「撤回」への変更がなされ,それが適切であったもの

このように考えると,今回の改正によって,取消しを撤回と書き換えることが適切であったと思われるのは,民法第5編,第7条,第5節(遺言の撤回及び取消し)),ならびに,今回の改正においては,取消しから撤回への書き換えが行われなかった民法115条の無権代理行為の取消しのみが,撤回として書き換えられるべきであったということになる。つまり,その他の取消しから撤回への書き換えは,すべて誤りだったということになる。

E. 「取消し」と「撤回」の再定義に基づく再改正の必要性

上記の取消しと撤回との区別における混乱の原因は,今回の改正の基準として用いられた取消しの定義と撤回の定義との間に,大きな隙間があることに基因する。そして,今回の改正で用いられた取消しと撤回の基準にに該当しない中間段階のもの(法律行為の効力は既に発生しているが,瑕疵がないにもかかわらず,事後的に法律行為の効力を消滅させる場合:夫婦間契約,書面によらない贈与契約)について,恣意的な分類がなされたこと(夫婦間契約→取消し,書面によらない贈与→撤回)が混乱を拡大することになった。

このような立法の過誤を回避するためには,取消しを法律行為の効力が発生したことを前提とするという硬直的な考え方を排除し,以下のように,意思表示の効力が発生した後にも,また,瑕疵があることを理由としない場合にも,取消しという用語を用いることを認めるべきであった。

以上の基準にしたがって,「法律行為や意思表示につき,その効力が発生した後に,事後的にその効力を消滅させる行為」について,「取消し」の用語を用い,「法律行為や意思表示の効力がいまだ発生していないものにつき,その法律行為がなかったものとする行為」について,「撤回」の用語を用いることにすれば,今回の改正における恣意的な分類(例えば,夫婦間契約→取消し,書面によらない贈与→撤回)を回避することができる上に,用語の言い換えを最小限に抑えることも可能となる。将来,民法の内容改正を行う場合には,以上の基準を参考にして,今回の改正の誤りを改めるべきであろう。

3 内容変更における善意・無過失の立証責任に関する不整合

条番号の変更やいわゆる用語の統一の次元でさえ,以上に述べたような不都合,立法の過誤が生じるのであるから,内容の変更をしない方がよいことは目に見えている。内容の変更は,現代語化の後に,現代語化とは切り離して取り込むべき問題だからである。それにもかかわらず,今回の改正が,あえて,内容の変更をも行うことにしたのは,無謀であったといえよう。

今回の内容の変更に関しては,すでに,さまざまな見解が表明されている[中田(裕)・民法の現代語化(2005)95-96頁(注)22-25参照]。本稿では,立証責任との関係で実質的な変更が行われた表見代理,表見弁済受領者に関する「善意・無過失」の問題を取り上げて,今回の改正における実質的な内容変更の問題点を指摘するにとどめる。

A. 表見代理における善意・無過失の立証責任

民法109条(代理権授与の表示による表見代理)の改正に関して,立法担当者は,以下のように述べている[池田(真)・新民法解説(2005)32-33頁(吉田徹)]。

109条は,他人に代理権を授与した旨表示した者は,その代理権の範囲内において,その他人が第三者との間でした行為について責任を負う旨を規定するものであるが,これまでの条文は第三者の主観的態様については触れるところがなかった。しかし,表見代理の制度は相手方を保護するためのものであり,本条においても,その他人に代理権がないことについて第三者が悪意であるとき又は過失によって知らなかったときに,本人が責任を負わないことについては,判例(最判昭和41・4・22民集20巻4号752頁)・通説として確立していることから,これを条文に明示するものとした。なお,第三者が悪意又は重過失であることについて,本人に立証責任があること(前記判例参照)が条文上も明らかになるよう,ただし書きを付加する構成をとっている。
a) 改正前と改正後の規定の対比

今回の改正の是非を論じる前に,表見代理にかかわる主要な条文について,改正される前の条文と改正される条文の対比をしておくのがよいであろう。

b) 改正後の表見代理に関する法律要件の齟齬

改正された民法109条を単独で見た場合には問題はなさそうに見える。しかし,民法109条を,民法112条との対比で検討してみると,以下に述べるような問題点が浮かび上がってくる。

i) 改正前の表見代理の法律要件(善意・無過失に関しては,民法112条のみが規定)

改正前の規定では,善意・無過失に関して規定しているのは,112条のみであったので,表見代理全体の規定を統一的に規定するということになれば,民法112条の規定を中心に全体を整理するのが妥当だということになる。

改正前の民法112条においては,本文で,表見代理の要件を善意の相手方とし,ただし書きで,善意の第三者に過失がある場合には,表見代理が成立しないとしている。これについて,立証責任における規範説的な説明をすると,表見代理について,相手方の善意が成立要件,相手方の過失が成立障害要件となる。

ii) 改正後の表見代理の法律要件における統一性の破壊(民法109条と112条における要件の齟齬)

これに対して,改正後では,民法112条は従来通りとしたが,民法109条に関しては,「第三者が悪意又は重過失であることについて,本人に立証責任があること(前記判例〔最判昭和41・4・22民集20巻4号752頁〕参照)が条文上も明らかになるよう,ただし書きを付加する構成」へと改正を行ったとされている。

しかし,これでは,表見代理として統一的に把握されるべき民法の規定に関して,改正後の民法109条と112条との法律要件を詳細に重大な相違を設けることになってしまう。

なぜなら,改正後の民法109条においては,表見代理の成立要件として,相手方の善意も相手方の無過失も成立要件とはなっていない。ただし書きで,相手方が悪意又は相手方に過失がある場合には,表見代理が成立しないとしているからである。これを,立証責任の規範説的な説明をすると,相手方の善意・無過失は,両者ともに成立要件からは脱落し,相手方の悪意又相手方の過失が成立障害要件となる。

iii) 改正後の表見代理の法律要件の不統一に関する評価

以上のことから明らかなように,表見代理の法律要件に関して,民法112条では,相手方の善意が成立要件,相手方の過失が抗弁事由となって,立証責任の配分がバランスが取れているのに対して,改正後の民法109条では,相手方の善意・無過失がともに成立要件から脱落し,相手方の悪意又は相手方の過失が抗弁事由となってしまっている。このような齟齬が,立証責任を含めて,表見代理の統一的な要件をめざす今回の改正の目的が達成されていないことは明らかである。

もっとも,人間の内心の問題(善意・悪意)の証明は,いずれの当事者にとっても困難であり,実際の訴訟の場合には,相手方に過失があったかなかったかが,決定的に重要な問題となる。今回の改正の場合,最も重要な過失の立証責任は,改正後の民法109条と民法112条で食い違うところがないため,重大な不都合は生じないかもしれない。

しかし,立法技術的には,民法109条と民法112条とは,表見代理という共通ルールに従う規定であり,立法上,両者の立証責任に差を設ける理由は存在しない。内心の問題については,その当事者に証明を課すのが合理的であり,本人に相手方の悪意を証明させるのは,酷に過ぎる。むしろ,相手方自身が,自分の内心の問題である善意を証明すべきであり,善意が証明されて場合には,本人が,相手方に過失があることを証明するというのが,立証責任の分配としてもバランスが取れているといえよう。善意・悪意という内心の態様とは異なり,過失・無過失の判断は,より客観的な判断であり,本人に,相手方の過失に関する立証責任を課したからといって問題が生じるわけではない。

c) 民法の実質的な改正に向けた再改正の提案

内容の変更をなるべく限定すべきであるとの現代語化の方針に従うのであれば,民法112条はそのままにして,改正を行うことになった民法109条の要件を民法112条の要件と整合的に改正するのが適切であったと思われる。すなわち,民法109条は,以下のように改正すべきであった。

B. 表見弁済受領者(債権の準占有者及び受取証書持参人)に対する弁済における善意・無過失の立証責任

民法478条(債権の準占有者に対する弁済)の改正に関して,立法担当者は,以下のように述べている[池田(真)・新民法解説(2005)35頁(吉田徹)]。

478条は,債権の準占有者(自己のためにする意思をもって債権の行使をする者)じ対する弁済が有効となる場合について規定するものであるが,これまでの条文では,その要件として弁済者が善意であることのみを掲げており,その過失の有無についての言及がなかった。しかし,本条は,債権者としての外観を信頼して弁済した者を保護する趣旨の規定であるところ,弁済者に過失のある場合にまで真実の権利者の犠牲において弁済者を保護することは行き過ぎであるとして,弁済者が無過失であることを弁済の有効要件とするのが判例(最判昭和37・8・21民集16巻9号1809頁)・通説として確立した解釈であることから,その旨を条文でも明示することにしたものである。なお,無過失であることは,弁済が有効であるための積極要件であり,一般に,債権の消滅を主張する弁済者・債務者の側に立証責任があると解されていることから,本条においても,こうした解釈に即して,無過失を善意と並ぶ要件として併記しているものである。
a) 改正前と改正後の規定の対比

今回の改正の是非を論じる前に,表見代理にかかわる主要な条文について,改正される前の条文と改正される条文の対比をしておくのがよいであろう。

b) 改正後の表見弁済受領者に関する法律要件の齟齬
i) 改正前の表見弁済受領者の法律要件

改正前の規定では,478条は,善意のみを要件としている。これに対して,480条は,規範説的に説明すると,悪意又は有過失を障害要件としているが,実体法上の観点,すなわち,立証責任を無視して考えると,善意・無過失を要件としているということができる。

この点は,表見代理に関して,善意・無過失の要件が全く規定されていなかった109条と,善意・無過失の要件が規定されていた112条とを整合的に規定しなおす場合とは別の考慮が必要となる。

478条(善意のみが成立要件)と480条(善意・無過失が要件)の規定をともに尊重しつつ,表見弁済受領者に関する共通規定へと変更するためには,まず,478条の善意の要件に無過失の要件を付加する必要がある。

今回の改正は,478条が善意のみを成立要件としているのに対して,単純に,善意・無過失を成立要件として課すことにしている。しかし,これは,弁済者に無過失という立証困難な証明を課すものであり,本来,善意の証明だけでよかった弁済者に過酷な証明を課すものであり,妥当ではない。

弁済者に無過失の立証を要求するよりも,民法112条の規定と同様に,改正前の民法の規定と同じく,弁済者には,善意のみの立証責任を課し,債権者の側で,弁済者の過失を証明した場合に,弁済を無効とするのが穏当である。

改正前の民法480条においては,すでに,弁済者の善意・無過失が実体法上の要件と規定されており,この規定をそのまま活かすのが,現代語化の本来の姿である。

しかし,民法478条について,善意のほかに無過失を要件とすることを決定するのであれば,事情は異なる。民法478条と民法480条とで,要件に差異を認める根拠は存在しないからである。

そうだとすれば,民法480条は,民法478条と同様,善意を成立要件とし,無過失という証明困難な要件については,弁済の無効を主張する債権者の方に,弁済者の過失を立証させるのが,穏当である。

ii) 改正後の表見弁済受領者の法律要件における弁済者の地位の低下

これに対して,今回の改正では,民法478条と民法480条の規定につき,一見したところでは,両者について,善意・無過失という統一的な要件を課したように見えるため,問題はないように思われるかもしれない。

しかし,立証責任の観点から見ると,両者は全く異なる規定となっている。今回の改定の問題点は,先にも述べたように,これまでの民法478条によれば,善意を証明するだけで有効な弁済をなしたとして免責された弁済者につき,善意および無過失を要求するという,過酷な責任を負わせている点にある。民法480条の場合,実体法上の要件としては,民法478条と同様,善意・無過失が要件とされて入るが,立証責任の観点からは,債権者に対して,弁済者の悪意又は過失の立証責任を負わせて,弁済者の保護を図っているのとは,対極の関係にある。

今回の改正における立法担当者によれば,民法478条について,善意だけでなく,無過失についても弁済者に立証責任を負わせる形式の条文にしたかという問題に関して,以下のような説明を行っている[池田(真)・新民法解説(2005)35頁(吉田徹)]。

確かに,弁済が有効であるための積極要件は,一般には,債権の消滅を主張する弁済者・債務者の側に立証責任がある。しかし,478条と480条の場合には,債権者の帰責事由に基づき,弁済受領者の側に,弁済受領権限があるかのような外観があり,それ故に,弁済者を保護する必要があり,そのために置かれた規定であるという特別の事情を見逃してはならない。

今回の民法改正における立法担当者の見解は,民法478条と民法480条とが,ともに,外観法理を踏まえた,弁済者・債務者側の保護の規定であり,立証責任も,当然に,弁済者・債務者側に有利に分配されるべきであるという点を看過しており,結果的に,民法478条と民法480条とのバランスを著しく損なうものとなっている。

iii) 改正後の表見弁済受領者の法律要件の不統一に関する評価

以上のことから明らかなように,表見弁済受領者に関する民法478条の改正は,同様の規定である民法480条との対比において,弁済者に過酷な立証責任を課するものであり,表見弁済受領者に対する弁済の効力に関して,用語の統一の延長上において,判例・学説によって指摘されてきた要件の統一をめざすという目的を損なうものであることは明らかである。

今回の改正は,まさに,現代語化に名を借りて,弁済者・債務者の責任を過酷なものとし,弁済者・債務者の地位を貶めるものにほかならず,行き過ぎた改正であるといわざるを得ない。

d) 民法の実質的な改正に向けた再改正の提案

内容の変更をなるべく限定すべきであるとの現代語化の方針に従うのであれば,民法780条はそのままにして(A案),改正を行うことになった民法478条の要件について,従来の民法478条になるべく変更を加えない形で改正するのが適切であったと思われる。すなわち,民法478条は,以下のように改正すべきであった。

もっとも,民法109条の改正に関して述べたように,立証責任の分配としては,内心の問題(善意・悪意)に関しては,当該当事者自身に証明させるのが穏当である。したがって,民法480条を含めて統一的な改正をめざすのであれば,弁済者に要求される善意については,弁済者が立証責任を負い,客観的に判断できる過失については,相手方が立証責任を負うというのが,立証責任の分配としては優れていると思われる。そこで,実質的な改正を極力控えるという今回の改正では不必要であるが,将来の実質的な民法改正に備えて,480条を改正する場合の改正のあり方を,B案として提示している。

なお,今回の改正に関しては,上に述べたように,立証責任に関する十分な検討がなされなかったのではないかとの疑念が生じているが,そもそも,実体法と訴訟法の区別について明確な基準が作成されていないのではないかとの疑いもぬぐいきれずに残っている。

実体法上の抗弁権と,訴訟法上の抗弁との区別がその一例であるが,今回の改正では,実体法上の権利である同時履行の抗弁権,催告の抗弁権,検索の抗弁権について,その見出しが,催告の抗弁(民法452条,454条),検索の抗弁(民法453条),同時履行の抗弁(民法533条)とされている。これは,実体法上の抗弁権と訴訟上の抗弁とを混同しており,立法上の過誤であると思われる。


V 民法現代語化から内容改正への展望


1 現代語化を逸脱した変更のやり直しの必要性

今回の民法改正は,現代語化の範囲では非常に優れた改正であった。しかし,現代語化を逸脱した点,すなわち,枝番号を解消するための条番号の変更,内容の変更に等しい用語の書き換え(たとえば,目的から目的物への変更,取消しから撤回への変更,立証責任を考慮した条文の変更など)については,先に検討したように,ほとんどが中途半端なものに終わっているばかりではく,さまざまな立法上の過誤を犯していると思われる。

確かに,現代語化に徹することは,実際は困難なことである。現代語化を実現するために,どうしても内容の変更を伴わざるを得ない問題もありうる。しかし,内容の変更を極力避けるという方針の下で,現代語化のみに専念していれば,このような過誤は避けられたと思われる。

いずれにせよ,枝番号の解消を目的とした条番号の変更は失敗に終わったことが明らかであるから,速やかに,元の条番号に復帰させることが望ましい。このような変更は,早ければ,早いほど実害が少ない。早急に措置を講じるべきである。

内容の変更を伴う,中途半端な用語の書き換え(特に,撤回とすべき箇所を取消しのままに放置したり,撤回とすべきでない箇所を撤回と変更した箇所)も,早急に元に戻すべきである。

内容の改正にわたる改正については,十分な議論をせずに改正を急いだためもあって,立証責任のことまで考慮したという割には,立証責任の分配の根拠が薄弱な上,規定間の統一が取れておらず,中途半端な改定となってしまったといわざるを得ない。この問題は,今後の内容に関する改正作業へと引き継いでいくべきであろう。

2 内容改正のための議論の場(電子掲示板)の構築

今回の改正の最大の問題点は,改正のプロセスが公開されず,しかも,パブリック・コメントの期間が,2004年8月4日〜9月3日のわずか1ヶ月で締め切られ,極端に短すぎたことにであろう。筆者自身も,わずか1ヶ月の期間では,本稿のような根本的な検討をする余裕がなかった。わが国の民法制定から100年以上を経て始めての全体に関する改正であったにもかかわらず,これほどの短い期間しか公開の議論の場が与えられなかったことは残念としかいいようがない。

大きな問題を残しながらも,われわれの念願であった民法の現代語化が完成したこと自体は評価されるべきである。しかし,これは,筆者が長年主張してきたように,ほんの出発点に過ぎない。今後は,先ず,現代語化から逸脱した内容の改正部分について,誤りを訂正し,その後は,わが国が,国連国際動産売買条約(CISG)に加盟した場合や,ヨーロッパ契約法が完成した場合等を想定し,世界的な契約法の流れを見極めながら,民法の内容の再検討を開始しなければならない。

その際に,今回のようにパブリック・コメントの期間をわずか1ヶ月に限定するというような失敗を繰り返すべきではない。誰でもが常時参加でき,それらの考え方が立法担当者に影響を与えうるようにするためには,今後の民法改正のためには,立法担当部局が,常設の電子掲示板を公的機関が開設し,かつ,責任をもって適切な運営を行うべきである。

3 立法における「透明・公正」の原則の確保

コンピュータのプログラムを駆使して,民法財産編の口語化を行った[加賀山・民法財産編の口語化草案(1900)185頁以下]という経験を持つ筆者から見ると,上記のように,今回の民法の現代語化における数々の失敗例を発見することができる。

問題は,そのような失敗例,例えば,枝番号を解消するためとしながら,通常の条番号を枝番号にするという失敗例について,立法担当者がそれらを明らかにしていないという点にある。[池田(真)・新民法解説(2005)29頁(吉田徹)]は,枝番号が解消された例だけを紹介し,枝番号が解消されなかったことや,かえって枝番号が追加されたことについては,全く解説をせず,「その詳細については,資料A「条番号等の変更一覧」の「条番号(項・号)の変更」欄を参照されるほか,その対応関係については,新旧対照条文の該当箇所にあたられたい。」として,失敗例に触れることを避けている。しかし,立法担当者としては,立法に関与した人々,そして,何よりも国民に対して,「枝番号を解消することに努め,多くの枝番号を解消し,孫枝番号の解消には成功した。しかし,残念ながら,枝番号が残ってしまった箇所がある上に,枝番号のない条文について,枝番号を追加してしまうという不都合が生じてしまった」ということを率直に解説すべきであった。

このような解説がなされていれば,条番号の整理は,「技術的な問題に過ぎない」とか,「一種の美学の問題に過ぎない」といって済まされる問題ではないことが明らかとなるであろう。条番号の変更によって,これまでの貴重な文献や判例を読む場合に,「逐一,民法の条番号の対照・読み替えをしなければならないことになる」という「煩瑣な作業が必要になって極めて非効率的であるばかりでなく,その取り違え等により混乱が生じる」[池田(真)・新民法解説(2005)29頁(吉田徹)]という弊害が生じてしまうからである。もしも,枝番号と欠番の解消を目的としてなされた条番号の変更が,実は,所期の目的を果たしていないことが,事前に詳しく報告されていたならば,今回の条番号の変更という不毛な結果を回避できたかもしれない。少なくとも,立法責任者や国民の代表者である国会議員にとって,今回の条番号の整理が上記の不都合を上回って余りあるものであるかどうかの利益衡量を行うことが極めて容易となったに違いない。

さらに,立法担当者が作成した民法現代語化言い換え一覧([中田(裕)・民法の現代語化(2005)104頁],[池田(真)・新民法解説(2005)124頁以下])に,「目的→目的物」のように,変更された用語の一部が掲載されていないことも問題である。都合の悪いことは解説から省く,一覧表からも除外するというのでは,立法担当者の誠意が疑われても仕方がないであろう。立派な成果だけを誇るのではなく,都合の悪い点も含めて,偏ることなく解説することが,立法を担当した人々に求められているのであり,都合のよいことだけ解説し,後は,新旧対照条文を参照しろというのでは,誠実な解説とはいえないであろう。

立法,および,その解説は,「透明かつ公正」なものでなければならない。今回の民法改正において,このことが十分に実現されなかったという事実を踏まえて,今後の民法の実質的な改正作業は,「透明かつ公正」を重視して遂行されるべきである。


参考文献


[民法現代語化案補足説明]
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[法務省・民法現代語化案の意見募集結果(2004)]
http://www.moj.go.jp/PUBLIC/MINJI50/result_minji50.html
[民法現代語化法律案要綱(2004)]
http://www.moj.go.jp/HOUAN/MINPO3/refer01.html
[民法現代語化/法律案(2004)]
http://www.moj.go.jp/HOUAN/MINPO3/refer02.html
[民法現代語化/理由(2004)]
http://www.moj.go.jp/HOUAN/MINPO3/refer03.html
[民法現代語化/新旧対象条文(2004)]
http://www.moj.go.jp/HOUAN/MINPO3/refer04-000.html
[民法修正案理由書(1896/1987)]
広中俊雄編著『民法修正案(前三編)の理由書』有斐閣(1987)
[末川・法学辞典(1974)]
末川博編『全訂・法学辞典』〔増補版〕日本評論社(1974)
[加賀山・民法財産編の口語化草案(1990)]
加賀山茂「民法財産編の口語化草案(私案)(1)(2・完)阪大法学155号(1990)185-244頁,156号(1900)495-574頁
[民法典現代語化案(1996)]
民法現代語化研究会「民法典現代語化案(1996)」ジュリスト1283号(2005)108-155頁
[金子・法律学小辞典(2004)]
金子宏他編『法律学小辞典』〔第4版〕有斐閣(2004)
[近江・新民法条文(2005)]
近江幸治編『新しい民法全条文―現代語化と保証制度改正』三省堂(2005)
[中田(裕)・民法の現代語化(2005)]
中田裕康「民法の現代語化」ジュリスト1283号(2005)86-155頁
[池田(真)・新民法解説(2005)]
池田真朗編『新しい民法 現代語化の経緯と解説』有斐閣(2005)
[星野,渡辺・民法典の現代語化をめぐって(2005)]
星野英一,渡辺真紀「<インタビュー>星野英一先生に聞く『民法典の現代語化をめぐって』」法学教室294号(2005)4-15頁