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6/22 保証の神話と崩壊

【テロップ】
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【ノート】
連帯債務についてわが国の通説が理論的に破綻しているのと同様,保証についても,わが国の通説は矛盾に陥り,理論的に破綻しています。 通説は,保証は,主たる債務とは,別個・独立の「債務」だと考えています。■ すなわち,「保証債務は,主たる債務と別個独立の債務である〔独立性〕が,主たる債務にフジュウする〔フジュウ性〕」と,通説は考えています。 ■債権総論の代表的な教科書[おほ ふじお・債権総論(1972)254頁]が,このように記述しており,どの教科書も,似たり寄ったりの記述をしているのが現状です。■ しかし,別個・独立の債務のはずの保証債務が,主たる債務の消滅にフジュウして消えるというのでは,独立とは正反対の従属関係があることになり,矛盾が生じています。■ これに対して,私は,保証は,債務ではなく,債務を肩代わりして履行する責任,すなわち,保証は債務ではなく,「債務なき責任」に過ぎないと考えています。■ 通説が矛盾に陥っている原因は,保証のフジュウ性を認めつつも,「主たる債務と保証『債務』とは,別個・独立の債務である」と考えているからです。■ ■保証のフジュウ性は,根拠条文があり,保証のフジュウ性を認めない学説は存在しないのですから,別個・独立という前提が誤っているのです。 ■ここで教訓です。教訓1:「矛盾に陥ったら,前提を疑いましょう。」 ■教訓2:「おかしな結論に出会ったら,その問題の歴史をさかのぼりましょう。間違いの始まりに到達します。」 ■教訓1に従って,保証を債務と考えるという前提を疑うことができれば,矛盾を回避する方法が見つかります。 ■保証を主債務と同じような「債務」と考えるから,誤りに陥るのです。保証とは,一つしかない債務について,債務者に肩代わりして弁済する責任を負うことだと考えれば,問題は解決します。 ■第1に,一つしかない債務を債務者本人が弁済すれば,債務が消滅し,それを肩代わりして弁済する責任も消滅するからです。これがフジュウ性の唯一の矛盾のない説明です。 ■第2に,一つしかない債務を保証人が肩代わりして弁済した場合には,利害関係を有する第三者による弁済ですから,求償権が生じ,それを確保するために,債権は消滅せず,保証人が債権者に代位して求償することができるのです。 6.通説においても,民法369条に規定されている「物上保証」は,「債務なき責任」であることを認めています。 ■さらに一歩を進めて,保証も,債務なき責任であると考えて見ましょう。 ■もっとも,物上保証が差し出した物に限定した有限責任であるのに対して,保証の場合は,債務額について,全財産を引き当てにした無限責任を負担すると考えるべきなのです。 ■このように考えることによって,保証に関する矛盾は回避され,保証が無償の無限責任であることから,保証人の保護が必要となることもよく理解できるのです。 ■蛇足になるので,この後の説明は,聞き流していただいて結構です。 ■私は,「例外は一つだけ許す,矛盾は認めない」との基準を立てて,新しい民法の体系の構築を目指しています。 ■そして,2009年に,シンザン社から704頁の著書『現代民法 担保法』を出版し,人的保証,物的保証(担保物権)を含む,担保法全体について,矛盾のない担保法の理論を構築することができました。この内容は,毎回の講義の終わりに参考文献で紹介している『債権担保法講義』日本評論社(2011年)にわかりやすくまとめています。 ■その結論を圧縮していえば, ■第1に,「保証債務という債務は存在しない。保証とは債務ではなく,一つしかない債務を債務者に肩代わりして弁済するという責任に過ぎない」。 ■第2に,「債権とは別個・独立に担保物権という物権が存在するわけではない。担保物権とは,債権にもともと備わっているカクシュリョクが,優先弁済権へと強化されたものに過ぎない」というものです。■ ■私の結論は,「保証債務という債務も,担保物権という物権も存在しない」という過激な思想なので,私は,これを「担保法革命」と呼んでいますが,内容は,いたってシンプルです。 ■ごまかしを許さないという一貫した態度で民法に向き合えば,誰でも到達できる結論にすぎないと,私は考えています。