相当因果関係説を理解するための教材

名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂



T 浜上則雄『現代共同不法行為の研究』信山社(1993)288頁〜292頁

〔 〕内は、加賀山が補った。


12.2 相当因果関係

上に述べた必要条件的因果関係説〔いわゆる条件説〕によるときは、因果関係の範囲が広がり過ぎるとして、要請される責任制限を、〔帰責の領域ではなく〕因果関係の領域で既にしようとして、相当因果関係説が主張されたのである。私法の領域では、ドイツにおいてもわが国においても、相当因果関係説が通説の立場であることもいうまでもない。

相当因果関係説は、ドイツのクリース(J. von Kries)によって初めて主張された理論である。

クリースは、一方で、「具体的場合の関係だけに着目するときは、ある行為がなければ、侵害結果が発生していなかったであろうという意味においてのみ、その行為は、侵害結果の原因であることができる(注1)。」と述べて、事実的因果関係は、必要条件的因果関係によって決定されるものと考えている。

他方、クリースは、一定種類の行為はつねに損害を惹起するものではないが、しかし、通常、大なり小なりの場合にもたらすものである。したがって、ある行為は一定の結果をもたらすに適したものである観念、すなわち傾向をもったものである〔という〕観念が、通常の考察から生じる。したがって、法律学では、ある行為が「日常の経験則」に従えば一定の結果をもたらすものであるかどうかという観念で処理することができる。そして、その概念は確率の理論によって確固とした基礎が得られるという。

一定の行為が損害をもたらしている関係は、一定の行為が、損害発生の蓋然性を高めているときに認められるものである。上のことが認められる場合には、それは、一般的因果関係(ein genereller ursaechlicher Zuzammenhang)があるということができる。その一般的因果関係は、もし行為がなければ生じていないであろうという必要的因果関係の存否によって定まる具体的因果関係(konkrete Verursachung)とはまったく別のものである。上の具体的因果関係は、まだ刑法上の帰責に対する十分な根拠とはならず、帰責のためには、違法な行為が人間社会の一般的関係からしてそのような損害を惹起することに一般的に適したものであるということが付加されなければならない。その場合には、それは相当因果関係〔adaequante Verursachung〕があるということができる。それに対して、そのような一般的因果関係なしに、個々の場合についてのみ、結果は一定の行為がなければ生じなかったであろうということがいえるときは、それは非相当なすなわち偶然的因果関係ということができる。

一例を挙げれば、御者が不注意で、例えば居眠りをしていて、右側の道を間違えて左に行ったために、馬車に乗っていた乗客に雷が落ちて死亡したような場合が、偶然的因果関係である。この場合には、過失が、乗客の死亡を具体的には(in concrets)惹起している。すなわち、その事故は、正常な行為がなされていたならば生じなかったであろう。それにもかかわらず、御者の居眠りは、一般的には(im allgemein)、雷による死亡の可能性を増大させていないし、雷による死亡を惹起するのに一般的に適したものではないから、死亡事故は、御者に帰責されることはできないのである(注2)。クリースは、このように、相当因果関係を主張したのである。

クリースは、以下のように述べている。「具体的場合の関係だけに着目するときは、ある行為がなければ侵害結果が発生していなかったであろうという意味においてのみ、その行為は侵害結果の原因であるということができる。しかし、それとともに、まったく他の種類の関係として、一定種類の行為は、侵害結果を必ずしもつねにではないにしても、規則的により多くの場合にあるいはより少ない場合に、規則的にもたらしているということがしばしば認められるのである。ある行為は、一定の結果をもたらしているということがしばしば認められるのである。ある行為は一定の結果をもたらすのに適したものである、すなわち、傾向をもっているという概念は、日常の考察から、よく知られていることである(注3)。」

このようにして、クリースは、必要条件的因果関係によって決定される「具体的因果関係」と、ある行為が一定の結果をもたらすに適したものであるという一定の行為と一定の結果との間に存在する「一般的因果関係」とは別のものであり、「具体的因果関係」だけでは決して帰責のための十分な根拠とはならない。むしろ、違法な行為が、発生した結果と一般的因果関係に立つこと、すなわち、人間社会の一般的関係より、違法な行為が、そのような損害をもたらすことに一般的に適したものであるということが、つけ加えられねばならないというのである。

クリースのいう「具体的因果関係」は必要条件的因果関係のことであり、「一般的因果関係」とは、行為が一般に問題の結果もたらす蓋然性を持っていることに帰責の根拠を見出しているものと理解できるが、相当因果関係説は、いわゆる「具体的因果関係」と「一般的因果関係」とをともに要求する点で、因果関係が認められる範囲は非常に限定されているのである。因果関係が認められるためには、必要条件的因果関係と行為と結果発生との間に一定の蓋然性があるときであると考えるので、因果関係の範囲は非常に限定されたものとなる。

いずれにしても、相当因果関係説は、ある事象から他の事象が生ずる関係を「一般的因果関係」として因果関係の問題として考慮していることは、注目すべきことである。相当因果関係説は、必要条件的因果関係によって決定されると考える点で、救い難い誤りをもっている。因果関係が必要条件的因果関係によって決定されると考えるときは、例えば共同不法行為に見られるように、ある場合には狭すぎるし、ある場合には、非常に広がり過ぎるのである(注4)。すなわち、相当因果関係説は、事実的因果関係の存否について判断することと、事実的因果関係を法的に帰責の観点から制限することとはまったく別の問題であるのに、二つの問題を混同して理論構成しているという誤りを犯しているのである。しかも、相当因果関係説は、必要条件的因果関係説にしたがって、事実的因果関係の存否はまず必要条件的因果関係によって決定されるとしている点では、必要条件的因果関係説と同様の誤りを犯しているものである。

相当因果関係説は、クリースによって初めて主張されたが、その後、リューメリン(M.Ruemelin)およびトレーガー(L.Traeger)によって発展せしめられた。

クリース、リューメリン、トレーガーは、原因として問題となっている条件が、結果の発生を促進しているかどうかの評価を、一般的な基準にしたがってなしている点では共通している。しかし、この評価がなされる対象たる条件の範囲に関して、以下のように相違が存在している(注5)。

クリースは、行為が結果の発生を促進しているかどうかの評価を、条件の作出者に条件の発生の時点で事前的に(ex ante)個人的に知られていた、もしくは知ることができたすべての事情を基礎にして、事後的に(ex post)存在している一般的な経験上の知識を判断の基準としてなすべきであるとしている(注6)。

これに対して、リューメリンは、客観的な事後的な予測の理論を主張している。すなわち、結果発生の可能性の判断のために、人類のすべての経験上の知識ならびに、条件の発生の時点で存在しているすべての事情を、その事情が、たとえ最高度の洞察によってのみ認識しうるものであったり、あるいは問題の条件よりも後に生じた事象から事後的に認識しうるものであっても、考慮すべきであると主張する(注7)。

必要条件的因果関係説の不当な結果を確実に排除するためには、クリースの見解は、民事上の客観的危険責任や契約責任に関して、あまりにも狭すぎるのに対して、リューメリンの見解はあまりにも広過ぎるといわれる。

それ故、トレーガーは、クリースとリューメリンの見解の欠点を除去すべく、以下のような見解を主張した。ある出来事が、発生した種類の結果の客観的可能性を一般的にわずかでなく高めているときに、相当条件が存在するとトレーガーは考えたのである。そして、トレーガーは、そのような評価に際して、原因たるある事情と、条件の創造者がそれ以外に知っていた事情のみが、考慮されるべきであると考えた。トレーガーは、上のような事情の下で確定された事実関係を、評価の時点で使用することのできる人類のすべての経験上の知識を参考にして、それが損害の発生を重要な仕方で高めているか検討すべきであると主張したのである(注8)。

そして、ライヒ裁判所(注9)の判例ならびにドイツ連邦最高裁判所(注10)の判例は、トレーガーの見解に従っているのである。ドイツの判例の文言によれば、相当因果関係は「ある事実が、通常(im allgemein)ある結果の惹起に適したものであったときに、したがって、単に特別に個性的な蓋然性のないそして通常の事象経過からすれば考慮の外に置くことができる事情の下でのみ、結果の惹起に適したものでないときに(注11)」存在するとされているのである。

相当因果関係説は、因果関係の存否の判断はまず「侵害結果がある行為がなければ生じていなかったであろうという意味で」決定されるとした上で(注12)、その因果関係を「相当性」の観点から制限している理論である。相当因果関係説のいう「一般的因果関係」をもって、c.s.q.n. 〔conditio sine qua non:あれなければこれなし〕 の理論でもって決定される事実的因果関係を帰責の観点から制限する理論であると考えるときには、その限りでは、トレーガーの説が妥当な見解と思われるが、その場合にも、事実的因果関係がまずc.s.q.n.の理論で決定されると考える点では、相当因果関係説も、必要条件的因果関係説と同様に誤りを犯していることになって、いずれにしても、相当因果関係説は理論を一貫することができないのである。相当因果関係説の功績は、「一般的因果関係」という名の下に相当性という客観的帰責の基準を提起した点にあると考えられるのである。しかし、相当性という客観的帰責の基準は確率論を基礎とするものであるから、相当性に、状況によって客観的となるような数値を示す方向で、実用性のある理論に再構成されなければならないと思われるが、いずれにしても、結果に対して法的責任を負うことは法規範の趣意によってのみ根拠づけることができるのに、相当性の概念には、かかる規範的連結点が欠けているので、客観的帰責の基準としても、相当性は十分なものではないのである(注13)。

c.s.q.n.の理論が、因果関係の存否の独立した判断基準となり得ないことが証明されたので、c.s.q.n.の理論を前提としている相当因果関係説も、事実的因果関係の理論としては、必要条件的因果関係説と同様、もはや、その存在意義をほとんど失っているということができる。

クリースが主張した「一般的因果関係」とエンギィシュによって初めて主張された「科学法則に適合した条件の定式」の理論における「一般的因果関係」とは、全く内容を異にする別のものであるので注意されたい。

原注

(1) J. von Kries, Ueber die Begriffe der Wahrscheinlichkeit und Moeglichkeit und ihre Bedeutung im Strafrecht, ZStW Bd. 9 (1889) S. 531.

(2) J. von Kries, a.a.O. (note 1) S. 531f.

(3) J. von Kries, a.a.O. (note 1) S. 531f.

(4) 刑法学者によってよく挙げられる例は、子供が謀殺を犯したときは、その両親が謀殺者を生んだことも、謀殺と因果関係があることになる。Vgl. A. Schroeder-H. Schroeder, Strafgesetzbuch, Komm.(24. Aufl. 1991) Vorbem §§13 ff. RdNr 84 (Th. Lenckner).

(5) Vgl. F.Lindenmaier, Adaequate Ursache und naechste Ursache, Zeitschrift fuer das gesamte Handelsrecht und Konkursrecht, Bd. 113(1949), S. 222 ff.

(6) F.Lindenmaier, a.a.O. (note 5) S.223は、クリースの見解をそのようにまとめている。

(7) M.Ruemelin, Die Verwendung der Causalbegriff im Straf-und Civilrecht, AcP Bd.90(1900) S. 189 ff., 216 ff.

(8) L.. Traeger, Der Kausalbegriff im Straf- und Zivilrecht (1904) S. 159.

(9) RGZ 133,126 ; 135,154 ; 148,163 ; 152,49 ; 158,38 ; 168,88 ; 169,91.

(10) BGHZ 3,261.

(11) RGZ 133,126(127) ; BGHZ 3,261(267).

(12) J. von Kries, a.a.O. (note 1) S.531.

(13) Vgl. A.Schoenke -H.Schroeder, a.a.O., Vorbem §§13 ff. RdNr 88 (Th.Lenckner).


U 浜上『現代共同不法行為の研究』をはじめて読む人のために


1. 教材について

A. 浜上則雄『現代共同不法行為の研究』について

この書物は,共同不法行為を新しい類型によって再構成し,体系化するものである。そして,それを支える理論として,sine qua nonに代わる十分条件的因果関係論の提唱,部分的因果関係と連帯責任を結びつける相互保証理論の再構成を行っている。この研究を通じて,部分的因果関係に関する浜上理論が完成されたといってよい。学生が読むには,かなり,難解であるが,大学院の学生には,一読をお勧めする。
本書の書評としては、加藤雅信ほか監修『民法学説百年史』592頁以下、6-16浜上則雄「損害賠償法における『保証理論』と『部分的因果関係の理論』」(1)(2・完)民商法雑誌66巻4・5号(1972年)を参照されたい。

2. 条件説,事実的因果関係,相当因果関係説との関係

B. 必要条件的因果関係説

因果関係を「あれなければ、これなし」で判定する説。一般にいう「条件説(Bedingungstheorie)」のことである。しかし、条件には十分条件と必要条件とがあり、「条件説」のいう条件とは、必要条件のことである。著者(浜上則雄)は、十分条件的因果関係説についても論じているため、両者を区別する必要上、いわゆる「条件説」のことを、あえて、必要条件的因果関係説という用語を用いているのである。

C. 事実的因果関係

因果関係とは,ある事実が,それに先行する他の事実に起因するという関係のことである。例えば,aという事実によってbという事実が生じたことが,ある法律効果発生の要件とされている場合に,ab間に存在する関係をいう。この関係は,事実の問題であるが,その認定は,極めて困難な場合が多く,実務では,aとbとの間に因果関係があるかどうかを判断するには,判断が容易かつ明快な,aという事実がなかったならばbという事実も生じなかったであろうと考えられる関係(「あれなければこれなし」(sine qua non)の関係)があれば,両者の間に因果関係が存在するとされてきた。
しかし,厳密にいうと,「あれからこれが生じた」という推論と,「あれなければこれなし」という推論は,全く別の推論(裏または逆の関係の推論)であり,かつ,「あれなければこれなし」という推論は,ある事実があるにもかかわらず,それがなかった場合にどうなるかを判断するという仮定的かつ評価を含んだ問題であって,事実認定の枠を超える問題である。
それにもかかわらず,因果関係の存否の判断は法律的判断の問題ではなく,事実認定の問題であるとされてきた。その理由は,「あれなければこれなし」という推論が極めて容易であるため,事実とは異なる仮定的な推論であるにもかかわらず,事実認定の問題とされ,名称も,事実的因果関係として定着してきたのである。
事実的因果関係とは,結局は,「あれなければこれなし(sine qua non)」のテストによって判断される因果関係のことであり,内容からいえば,条件説による因果関係,より正確に表現すれば,必要条件的因果関係説に基づく因果関係というべきであろう。

D. 民法における相当因果関係説と刑法における相当因果関係説の地位

相当因果関係説は,ドイツのクリースによって,刑法の領域で形成された理論である。わが国においては,私法の領域では,民法416条との親和性の故に,通説および判例の立場となっている。これに対して,わが国の刑法の領域では,学説は相当因果関係説が支配的であるものの,判例はなお条件説を捨てていないとされている。もっとも,相当因果関係説によったとみられる裁判も存在する(最決昭和42・10・24刑集21巻8号1116頁)。

なお,事実的因果関係,相当因果関係,民法416条との関係は,以下の表のようにまとめることができよう。

条件説による説明 相当因果関係説による説明 英米法の法理
Hadley v.Baxendale(1854)
(民法416条)
事実的因果関係あり
(sine qua nonによって判断する)
相当因果関係あり 普通損害 通常事情による
通常損害
通常損害(general damages)
予見可能性を要しない
(民法416条1項)
特別事情による
通常損害
特別損害(special damages)
予見可能性を要する
(民法416条2項)
相当因果関係なし 特別損害
(偶然的損害)
損害賠償責任の範囲外