相殺

2000年12月20日

名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山茂


第505条 二人互ニ同種ノ目的ヲ有スル債務ヲ負担スル場合ニ於テ双方ノ債務カ弁済期ニ在ルトキハ各債務者ハ其対当額ニ付キ相殺ニ因リテ其債務ヲ免ルルコトヲ得但債務ノ性質カ之ヲ許ササルトキハ此限ニ在ラス
A 前項ノ規定ハ当事者カ反対ノ意思ヲ表示シタル場合ニハ之ヲ適用セス但其意思表示ハ之ヲ以テ善意ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス

第506条〔相殺の方法と遡及効〕
相殺ハ当事者ノ一方ヨリ其相手方ニ対スル意思表示ニ依リテ之ヲ為ス但其意思表示ニハ条件又ハ期限ヲ附スルコトヲ得ス
A前項ノ意思表示ハ双方ノ債務カ互ニ相殺ヲ為スニ適シタル始ニ遡リテ其効力ヲ生ス

第507条〔履行地の異なる債務の相殺〕
相殺ハ双方ノ債務ノ履行地カ異ナルトキト雖モ之ヲ為スコトヲ得但相殺ヲ為ス当事者ハ其相手方ニ対シ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スルコトヲ要ス

第508条〔時効消滅した債権による相殺〕
時効ニ因リテ消滅シタル債権カ其消滅以前ニ相殺ニ適シタル場合ニ於テハ其債権者ハ相殺ヲ為スコトヲ得

第509条〔不法行為債権を受働債権とする相殺の禁止〕
債務カ不法行為ニ因リテ生シタルトキハ其債務者ハ相殺ヲ以テ債権者ニ対抗スルコトヲ得ス

第510条〔差押禁止債権を受働債権とする相殺の禁止〕
債権カ差押ヲ禁シタルモノナルトキハ其債務者ハ相殺ヲ以テ債権者ニ対抗スルコトヲ得ス

第511条〔支払差止債権を受働債権とする相殺の禁止〕
支払ノ差止ヲ受ケタル第三債務者ハ其後ニ取得シタル債権ニ依リ相殺ヲ以テ差押債権者ニ対抗スルコトヲ得ス

第512条〔相殺充当〕
第四百八十八条乃至第四百九十一条〔弁済の充当〕ノ規定ハ相殺ニ之ヲ準用ス


相殺の要件と効果


相殺の意義

相殺とは,2人の者が互いに相手に対して同種の債権をもっている場合に,一方から相手方に対する意思表示によってその債務を対当額で消滅させることをいう(民法505条1項)。

例えば,AがB銀行に50万円預金をし,BがAに対して80万円貸し付けた場合に,A又はBが相殺の意思表示をすれば,AのBに対する50万円の債権が消滅し,AのBに対する30万円の債務が残ることになる。

なお,相殺をする側の債権を自働債権,される側の債権(反対債権)を受働債権という。例えば,先の例で,Aに対してBが50万円の貸金債権をもつBが,Aの80万円の預金債権に対して相殺する場合,貸金債権50万円が自働債権,預金債権80万円が受働債権である。

相殺の機能

相殺が認められるのは,A・B双方がその債権を別々に取り立てるという不便を除くためと公平のためであると説かれている。すなわち,Aが破産した場合を考えると,BはAに対し50万円全額支払わなければならないのに,Bの80万円の債権は,債権額に応じて配当されるにとどまって不公平であり,AB相互間に債権債務が成立した時から,対当額において債権が決済されたものとして取り扱うのが公平であるという。したがって,BはAの財産状態が悪化しても,50万円については相殺の意思表示をすれば,それだけで簡単に,かつ確実に他の債権者に先立って回収できるから,相殺は債権担保の役割も果たすことになる。

相殺の担保的効力

相殺の要件

相殺ができるのは,相殺適状にあるときである。相殺適状とは以下の場合をいう。

  1. 同種の債権(実際には金銭債権がほとんどである)が債権者・債務者間に相対立して存在すること。
  2. 双方の債権ともに弁済期にあるとき。ただし,相殺しようとする者は,相手方に対して負っている債務,すなわち相殺される債権(受働債権)についての期限の利益を放棄すれば相殺できるから,相殺する債権(自働債権)さえ弁済期にあれば相殺できることになる(民法505条1項)。

ただし,以下の場合には,相殺が許されない。

相殺の効果

相殺の意思表示は単独行為であり(民法506条1項),意思表示があれば,双方の債権は相殺適状の時にさかのぼって対当額で消滅する(民法506条2項)。


相殺の担保的機能


担保物権法の代表的な教科書である高木多喜男『担保物権法〔新版〕』有斐閣(1994)4頁によれば,非典型担保である譲渡担保,仮登記担保,所有権留保と並べて,「その他の物的担保」として「相殺・相殺予約」が以下のように紹介されている。

債権者と債務者が相対立する債権を有する場合の最も簡便な回収方法は,相殺である。この相殺が,担保の実行という効果をもたらしている。たとえば,Aに対して50万円の債務を負っているBが,Aに100万円融資した場合には,Bは相殺によって50万円は回収しうる。しかも,Aの債権者CがAのBに対する債権を差し押さえても,判例(最大判昭45・6・24民集24巻6号587頁)は,民法511条の解釈として,BのAに対する債権が,差押え以前に取得したものであれば,BはCに対して相殺をもって対抗しうるとしている。AのBに対する債権については,B,Cとも債権の効力として平等に掴取力をもっているはずであるが,上記のごとき相殺によって,BはCに優先して回収しうるわけであり,したがって,AのBに対する債権が,Aにとっては担保財産となっており,相殺が担保実行の方法となっているわけである。銀行のごとき金融機関は,預金をしている者に融資したり,融資の一部を預金させたり(歩積み・両建て)するのが通常であるが,かかる場合には,そのような意味で,預金が担保財産となっているのである。
なお,預金者の債権者が預金を差し押えた場合に,銀行が相殺をもって対抗しうるための要件として,銀行の貸金債権(自働債権)に弁済期が到来していることを要するかがかつて論争されたが,銀行は,これに備えて,銀行取引約款(5条)により預金の差押え等,債務者に信用不安が生じた場合に貸金債権は当然にまたは銀行の請求によって弁済期が到来するものとし,差引計算(相殺)を行う(7条)としている。これを相殺予約といっている。これも預金を担保財産化することを狙いとしているが,上述の判例は,かかる予約が預金の差押債権者に対しても効力を有することを認めており,相殺予約に一種の質権設定のごとき効果を与えている。

定期預金における相殺予約

銀行が貸金を行なう際には,債務者に相応する金額の預金を求めるのが普通であり,少なくとも,貸金を当初は,その銀行に預金させることを貸金の条件とすることが多いとされている。

銀行としては,貸金と同額の預金を預かっていれば,それは,まさに,預金を質にとって入るようなものであり,いざという時は,優先的に貸金の返済に充当しようと考えたとしても,それほど不思議ではない。

最高裁は,当初は,甲(C)が乙(A)の丙(B)に対する債権を差し押えた場合において、丙(B)が差押前に取得した乙(A)に対する債権の弁済期が差押時より後であるが、被差押債権の弁済期より前に到来する関係にあるときは、丙(B)は右両債権の差押後の相殺をもって甲(C)に対抗することができるが、右両債権の弁済期の前後が逆であるときは、丙(B)は右相殺をもって甲(C)に対抗することはできないものと解すべきであるとしていた(最大判昭39・12・23民集18巻10号2217頁)。

しかし,昭和45年,最高裁は,従来の判例を変更して,「銀行の貸付債権について、債務者の信用を悪化させる一定の客観的事情が発生した場合には、債務者のために存する右貸付金の期限の利益を喪失せしめ、同人の銀行に対する預金等の債権につき銀行において期限の利益を放棄し、直ちに相殺適状を生ぜしめる旨の合意は、右預金等の債権を差し押えた債権者に対しても効力を有する」として,相殺予約の効力を認めた上で,「債権が差し押えられた場合において、第三債務者が債務者に対して反対債権を有していたときは、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、右債権および被差押債権の弁済期の前後を問わず、両者が相殺適状に達しさえすれば、第三債務者は、差押後においても、右反対債権を自働債権として、被差押債権と相殺することができる」として,相殺の担保的効力を認めるに至っている(最大判昭45・6・24民集24巻6号587頁)。

振込み指定

「振込み指定」とは,債務者Aに対して債権者である金融機関Bが有する債権を担保するため,Aが第三債務者Cに対して有する債権の弁済方法として,AがBに開設した口座にCに振り込ませ,その振込金に対するAの預金返還請求権に対して,金融機関BがAに対して有する債権でもって相殺することである。

これも,相殺の担保的効力を応用したものであり,実質的には,CからのAに対する振込をもって,Aに対するBの債権の優先的な弁済にあてることになる。

名古屋高判昭58・3・31判時1077号79頁は,銀行融資の返済に充てるため退職金を預金することを約束した者が破産宣告を受けた場合につき、その後退職金の振込によって銀行が負担した預金債務は破産法104条二号但書の「前ニ生ジタル原因」に基づく債務であるとして,相殺の担保的効力を認めている。

敷金と相殺

賃貸人は,賃借人の債務不履行に備えて,賃借人から一定の金額を差し出させるのが通常である。これを敷金という。この敷金に対しては,賃貸借契約の終了時に賃借人の損害賠償額を差し引いた額について賃借人が返還請求権を有する。

この返還請求権(将来債権)を賃借人の債権者が差押えた場合に,賃貸人は,賃借人に対する損害賠償請求権を自働債権として,敷金返還請求権を相殺することができるかどうかが問題となる。

敷金の法的性質をどのように考えるかで理論構成は異なる。まず,敷金の返還請求権は,損害賠償額を控除した後の額についてのみ発生するとすると,賃貸人は,相殺の抗弁を出すまでもなく,損害賠償額について敷金から優先的に充当を受けることができることになる。また,先に発生した損害賠償請求権と賃借物件を明渡した後に発生する資金返還請求権とが並立して存在すると考えた場合にも,賃貸人は両債権を対等額で相殺することができると考えることができ,この相殺は,賃借人の債権者による敷金返還請求権の差押えに対抗できることになろう。