2004年4月6日
名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂
日本の家族を知るために,どんな本を読めばよいかと尋ねられたら,私は躊躇することなく,ルース・ベネディクト『菊と刀』(Ruth Benedict, "The Chrysanthemum and the Sword - Patterns of Japanese Culture",1946)を読むことを薦める。戦前の日本の家族の実態が,文化人類学的な観点から,「報恩」,「義理」,「人情」等のキーワードを通じて徹底的に分析されており,今なお,日本人のものの考え方の源流を最もよく理解できる最高級の書物だからである。その第3章に,日本の家族を知る上で,最も重要な手がかりとなる,以下のような記述(59-60頁)が見られる。
アメリカでは,われわれがわれわれの家族のふところに戻ってきた時には,形式的な礼儀は一切脱ぎ捨ててしまう。ところが,日本では礼儀作法が学ばれ,細心の注意をもって履行されるのは,まさに家庭においてである。
母親は,嬰児を背中に縛りつけて歩いているうちから,自分の手で嬰児の頭を下げさせておじぎをすることを教える。そして,子供がよちよち歩きするころに,まず最初に教えられることは,父親や兄に対する礼儀を守ることである。妻は夫に頭を下げ,子供は父親に頭を下げ,弟は兄に頭を下げ,女の子は年齢を問わずその男兄弟のすべてに頭を下げる。
それは決して無内容な身振りではない。それは,頭を下げる人間が,本当は自分で勝手に処理したいと考える事柄において,相手が意のままふるまう権利を承認し,受礼者の方は受礼者の方でまた,その地位に当然ふりかかってくる何らかの責任を承認することを意味する。性別と世代の区別と長子相続権とに立脚した階層制度が家庭生活の根幹になっている。
戦前の日本の家庭で以上のような躾が行われていた真の意味は,明治31年(1898年)民法に,以下のように,家督相続の順位として,明文で規定されていた。
第970条 被相続人ノ家族タル直系卑属ハ左ノ規定ニ従ヒ家督相続人ト為ル
一 親等ノ異ナリタル者ノ間ニ在リテハ其近キ者ヲ先ニス
二 親等ノ同シキ者ノ問ニ在リテハ男ヲ先ニス
三 親等ノ同シキ男又ハ女ノ間ニ在リテハ嫡出子ヲ先ニス
四 親等ノ同シキ者ノ間ニ在リテハ女ト雖モ嫡出子及ヒ庶子ヲ先ニス〔昭和17法7本号改正〕
<昭和一七法七による改正前の条文>
四 親等ノ同シキ嫡出子、庶子及ヒ私生子ノ間ニ在リテハ嫡出子及ヒ庶子ハ女ト雖モ之ヲ私生子ヨリ先ニス
五 前四号ニ掲ケタル事項ニ付キ相同シキ者ノ間ニ在リテハ年長者ヲ先ニス
2 第836条〔準正〕ノ規定ニ依リ又ハ養子縁組ニ因リテ嫡出子タル身分ヲ取得シタル者ハ家督相続ニ付テハ其嫡出子タル身分ヲ取得シタル時ニ生マレタルモノト看倣ス
戦後,民法が改正されて,家制度が廃止され,家督相続も廃止されたにもかかわらず,今なお,少なからぬ家庭で,男性優先・年長者優先の礼儀作法が躾として実施されている。
したがって,日本の家族を知ろうとすれば,「家」制度が廃止されたたために「家族」の定義自体を欠くにいたった現行民法ではなく,「家族」の定義を有していた明治民法にさかのぼってその内容を知る必要がある。明治民法を理解することによって,はじめて,日本の社会に今なお根強く残っている,男女差別,年長者優遇,非嫡出子差別等のいわれのない差別の源や,今なお結婚式や結婚披露宴で使われている「ご両家」という言葉の意味を知ることができるのである。
日本の家族は,明治31年(1898年)民法を通じて,戸主(家長)による統制的な組織へと変容した。明治31年民法の特色は,以下の通りである。
家制度の概要は,以下の通りである。この制度に基づいて,婚姻,離婚,その他の家族制度が構成されていた。
家制度の下で,婚姻・離婚は,以下のようにコントロールされており,婚姻によって妻となった女は財産権のほとんどを収奪されるばかりでなく,原則として相続権も認められず,過酷な義務のみが課せられていた。
家制度の下では,親子は,以下のように,支配・従属の関係にあり,子の権利は認められず,子の間で,男女・年齢等による差別が制度化されていた。
1946年に成立した日本国憲法の第24条により,婚姻・離婚等の家族に関する法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されるべきことが示された。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
(2) 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
これに基づいて改正された現行民法は,明治時代以来の「家」制度を廃止して,個人を基礎に置き,男女の平等を徹底して実現しようとするものであった。
しかし,この改正は,ごく短期間で行われたため,今から見ると,不十分な箇所が随所に見られる。例えば,婚姻適齢,婚姻禁止期間における男女間の不平等が残ったままであり,主婦の場合,家族財産に対する共有も認められていない。また,非嫡出子の相続分が嫡出子の2分の1とする婚外子差別は,依然として残存している。さらに,別姓夫婦など,家族の多様性を認める制度も存在しない。
そこで,現行民法の親族・相続編の制定から50年を経過しようとする頃から,家族法の改正が論議されるようになった。
1996年2月26日に法制審議会が答申した民法改正要綱案は,女性の自立化の傾向を踏まえた上で,現行民法が,その第1条の2で掲げた「個人の尊厳と両性の本質的平等」の理想にさらに近づこうとする試みである。その特色は,以下の4点にある。
この民法改正要綱案は,将来の民法のあり方を明確に示すものであり,重要な意味を有している。しかしながら,この改正案については,選択的夫婦別氏の導入をめぐって論議が起こり,選択的でも夫婦別氏を認めることは,「家族の崩壊を招く」とか,「家族の一体感が損なわれる」として強硬な反対にあって,いまだに実現されていない。
民法改正要綱案は,現行民法の親族・相続編(家族法)が憲法24条を十分に反映したものとなっていないことの反省の上に立って,国民の人生観・価値観の多様化を促進し,女子差別の撤廃,婚外子の相続分差別の撤廃などを目標として作成されたものである。
しかしながら,民法改正要綱案は,女だけに課せられた婚姻禁止期間を180日から100日に短縮はしたものの,結果的に女子差別を温存するなど,不徹底な側面を有している。また,家制度の残滓である戸籍を廃止し,個人登録簿へと変更するというような,個人の尊厳とプライバシーを尊重する提案にはなっていない。
明治民法の家制度を廃止し,個人の尊厳と両性の本質的平等を実現するという目標で改正された現行民法には,「家族」という用語は存在しない。「家」制度という封建的な制度を廃止するために,民法旧規定には存在した「戸主及ヒ家族」という章を用語を含めてすべて抹消してしまったため,家族に関する規定を欠いたままなのである。そして,民法改正要綱にも,家族をどのように定義するかの展望は示されていない。
確かに,「家」制度におけるような「戸主(家長)」と「家族」という封建的な関係は否定されるべきである。しかし,夫婦を核として,未成熟子を養育する目的を併せもったグループとしての「家族」という概念は,過去のものとして日本人の頭から消えてしまったわけではない。というのも,「国のかたち」を決めた憲法にも,日本の今後の社会形成に重要な意味をもつ男女共同参画社会基本法にも,さらには,臓器の移植に関する法律にも,「家族」という用語が,定義されることなく使われているからである。その点から見ても,民法が,「家」制度を廃止するためとはいえ,「家族」という言葉をその法文から抹殺してしまったことは,不幸なことであった。
現段階において,家族をどのようなものとして定義するかについて見解の統一が見られないとしても,出生した子が無差別・無条件の愛に包まれて最初の人格形成を行う場として家族という集団が必要であり,さらに,家族を通じて成長・自立した人間同士が,無差別・無条件の愛に目覚め,心も体も全人格が肯定的に受け入れられる場として,家族という集団が再構築されているということについては,共通の理解が得られるのではないかと思われる。
いずれにしても,家族概念の再構築に際しては,人間が生まれたときに,プラスやマイナスが評価されることなく,何の差別もなしに,全人格が肯定的に受容される人間関係の場が家族であったこと,そして,家族によって育てられ,やがて,自立できるようになった次世代の二人が,同じく,プラスやマイナスを問うことなく,また,あらゆる障害を乗り越えて,離れずに一緒にいることが幸せと感じ,二人の心と体がともに癒される場として家族を再構築しているということに思いをいたすべきであろう。
民法旧規定の歴史を振り返りながら,憲法や男女共同参画社会基本法に謳われた「家族」という概念を,全く新しい観点から再構築することが今後の課題である。
第243条 戸主トハ一家ノ長ヲ謂ヒ 家族トハ戸主ノ配偶者及ヒ其家ニ在ル親族、姻族ヲ謂フ
2 戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス
第732条 戸主ノ親族ニシテ其家ニ在ル者及ヒ其配偶者ハ之ヲ家族トス
2 戸主ノ変更アリタル場合ニ於テハ旧戸主及ヒ其家族ハ新戸主ノ家族トス
第970条 被相続人ノ家族タル直系卑属ハ左ノ規定ニ従ヒ家督相続人ト為ル
一 親等ノ異ナリタル者ノ間ニ在リテハ其近キ者ヲ先ニス
二 親等ノ同シキ者ノ問ニ在リテハ男ヲ先ニス
三 親等ノ同シキ男又ハ女ノ間ニ在リテハ嫡出子ヲ先ニス
四 親等ノ同シキ者ノ間ニ在リテハ女ト雖モ嫡出子及ヒ庶子ヲ先ニス〔昭和17法7本号改正〕
<昭和一七法七による改正前の条文>
四 親等ノ同シキ嫡出子、庶子及ヒ私生子ノ間ニ在リテハ嫡出子及ヒ庶子ハ女ト雖モ之ヲ私生子ヨリ先ニス
五 前四号ニ掲ケタル事項ニ付キ相同シキ者ノ間ニ在リテハ年長者ヲ先ニス
2 第836条〔準正〕ノ規定ニ依リ又ハ養子縁組ニ因リテ嫡出子タル身分ヲ取得シタル者ハ家督相続ニ付テハ其嫡出子タル身分ヲ取得シタル時ニ生マレタルモノト看倣ス
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
現行民法は,家制度を廃止するため,親族編の第2章「戸主及ヒ家族」,相続編の第1章「家督相続」の条文をすべて削除してしまった。
(家庭生活における活動と他の活動の両立)
第6条 男女共同参画社会の形成は、家族を構成する男女が、相互の協力と社会の支援の下に、子の養育、家族の介護その他の家庭生活における活動について家族の一員としての役割を円滑に果たし、かつ、当該活動以外の活動を行うことができるようにすることを旨として、行われなければならない。
(臓器の摘出)
第6条 医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
2 前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。
3 臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。
4 臓器の摘出に係る第二項の判定は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師(当該判定がなされた場合に当該脳死した者の身体から臓器を摘出し、又は当該臓器を使用した移植術を行うこととなる医師を除く。)の一般に認められている医学的知見に基づき厚生労働省令で定めるところにより行う判断の一致によって、行われるものとする。
5 前項の規定により第二項の判定を行った医師は、厚生労働省令で定めるところにより、直ちに、当該判定が的確に行われたことを証する書面を作成しなければならない。6臓器の摘出に係る第二項の判定に基づいて脳死した者の身体から臓器を摘出しようとする医師は、あらかじめ、当該脳死した者の身体に係る前項の書面の交付を受けなければならない。
(平一一法一六〇・一部改正)
「『臓器の移植に関する法律』の適用に関する指針(ガイドライン)」(1997年10月8日)
- 臓器の提出の承諾に関して法に規定する「遺族」の範囲については,一般的,類型的に決まるものではなく,死亡した者の近親者の中から,個々の事案に即し,慣習や家族構成等に応じて判断すべきものであるが,原則として,配偶者,子,父母,孫,祖父母及び同居の親族の承諾を得るものとし,喪主又は祭祀主宰者となるべき者において,前記の「遺族」の総意を取りまとめるものとするのが適当である。ただし,前記の範囲以外の親族から臓器提供に対する異論が提出された場合には,その状況等を把握し,慎重に判断すること。
- 脳死の判定を行うことの承諾に関して法に規定する「家族」の範囲についても,上記「遺族」についての考え方に準じた取扱いを行うこと。