第5回 婚姻の定義・実質要件

2004年4月20日

名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂


講義のねらい


民法は,婚姻の形式要件として婚姻届について規定するだけで,婚姻の実質的な要件については,ほとんど規定していない。

もっとも,民法742条は,当事者に婚姻する意思がないとき,例えば,国籍を得るためとか,判例によれば,「単に子に嫡出子としての地位を得させるための便法として仮託されたものに過ぎないとき」には,婚姻は無効としている(最判昭44・10・31民集23巻10号1894頁)。つまり,たとえ,当事者が婚姻届を出したとしても,それが仮装婚などのように,当事者の意思が婚姻意思を欠いている場合には,婚姻は無効となるとしている。

そこで,ここでは,婚姻の実質的要件に迫るために,従来から,婚姻とは,どのように定義されていたのかを,カントやヘーゲルの時代に遡って検討してみることにする。


演習


それでは,婚姻の実質要件である婚姻意思とはどのような意思であろうか。このことを念頭におきながら,以下の文章(毎日新聞社・生活家庭部編『ひとりで生きる−家族から個族の時代へ』エール出版社(2000)11-20頁)を読んで,次の問に答えなさい。


対談 二人のシングル主義者が語る「シングル社会の展望」

 エッセイスト 山口文憲さん,東京大学教授 上野千鶴子さん

上野さん 私たちの世代から,シングルであることと,セックスライフがないことが一致しなくなってきました。その要因としては,一つにコンビニなど生活関連の社会資本が整ってきたこと。たとえ家事能力がなくても,どんな人でもみじめなレベルではなく一人で暮らせるようになりました。もう一つは,セックスライフが婚姻と切り離された。これはとても大きい意味を持ちます。

山口さん 婚姻からだけでなく,もうカップルという制度からも切り離されつつあるのじゃないでしょうか。私たちの青春だった1970年代は,セックスライフの基盤が婚姻から恋人関係にまで拡大した時期ですが,あの当時はまだ固定的なカップルになることがその前提でした。今はそうではない人間関係からも供給できます。別に売買春という意味ではありませんが。

上野さん その通りです。婚姻は,自分の身体の性的使用権を排他的に相手に独占させるという契約です。しかもそれは終身契約です。第三者が使用した場合,財産権の侵害となる。でも,相手に自分の身体の使用権を完全に譲り渡すのは不気味ですよね。

山口さん ええ。民法上の賠償責任が生じるのですから,これこそまさに性のモノ化。そんな公序良俗に反する契約はとてもできないと思いました。

上野さん できない約束はしない。私もそのために結婚しなかったのです。私たちの方が愚直です。

山口さん それと私は気が小さいので,そういう恐怖の契約を相手に強いると,必ず裏切られるのではないかと。

問1 上野千鶴子が述べている婚姻の定義は,カントの結婚の定義に由来している。以下のカントの結婚の定義(カント(守口美都男・佐藤全弘訳)『人倫の形而上学』〔世界の名著39〕中央公論社(1979)408-409頁,§24,25)を読んで,上記の上野の定義と比較しなさい。

性的共同態(commercium sexuale)とは,或る人間が他の人間の生殖器および性的能力についてなす相互的な使用(usus membrorum et facultatum sexualium alterius)であって,…婚姻(matrimonium)は,性を異にする二人格の,彼らの性的特性を生涯にわたって相互的に占有するためになすところの結合である
一方の性の者が他方の性の者の生殖器についてなす自然的使用は,享楽であって,そのために一方は他方に身を任せる。この働きによって,人はみずからを物件とするのであって,こうしたことは彼自身の人格における人間性の権利に反する。この使用が可能であるのは,ただ次のような唯一の条件,すなわち,一方の人格が他方の人格によってさながら物件として取得されながら,前者は前者でまた逆に後者を通じて同じように取得するという条件のもとにおいてだけである。なぜなら,こうすることによって前者は再び自分自身を獲得し,その人格性を回復するからである。
ところが,人間の身体の一部を取得することは,人格の絶対的不可分性のゆえに,同時に全人格の取得である。その結果,一方の性の者が他方の性の者の享楽のために身を任せ,またその受諾をなすことは,単に婚姻という条件のもとで許されるというだけではなくて,さらにこの条件のもとだけ可能だといわなくてはならない。
だが,こうした対人的権利がしかも同時に物権的様相をもつということは,次のような理由に基づいている。すなわち,もし夫婦の一方が逃げさるとか或る他人の占有にみをゆだねるとかした場合,他方はその当人を,いつでも,かついや応なしに,まるで一つの物件のように,自分の支配力のもとへと連れ戻す権能をあたえられているということ,これである。

問2 カントの考え方に対しては,ヘーゲルが以下のような批判を行った後,自ら,婚姻の定義を行っている(ヘーゲル(藤野渉・赤沢正敏訳『法の哲学』〔世界の名著44〕中央公論社(1987)388-393頁,§161,§162,§164)。両者の婚姻の定義を比較して,検討しなさい。

婚姻は本質的に,一つの倫理的関係である。以前には婚姻は,とくにたいていの自然法においては,ただ肉体的な面に焦点を合わせて,婚姻が自然的にそうであるところに従って見られたにすぎない。婚姻はこのようにただ性的関係としてのみ考察され,婚姻のその他の諸規定に到達する道はことごとく閉ざされたままであった。
しかしまた,婚姻をたんに市民的契約として理解することも,同時に未熟な考え方であって,これはカントにおいてもなお見いだされる考え方である。じっさいカントにあっては,相互の恣意が双方の個体にかんして契約を結び,婚姻は契約による相互の使用という形式におとされる。
同じようにしりぞけなくてはならない第三の考え方は,婚姻の本質を愛にしかおかない考え方である。というのは,愛は感情であるから,あらゆる点で偶然性が入りこむのを許すが,偶然性は倫理的なものがとってはならない形態であるからである。
以上のことからして婚姻は,より正確には,法的に倫理的な愛である,というふうに規定されなければならない。これによって婚姻のうつろいやすい面,気まぐれな面,たんに主観的な面が,婚姻から消えうせるのである。
婚姻の客観的な出発点は,両人格の自由な同意,詳しくいえば,自分たちの自然で個別的な人格性を一体性において放棄して一人格を成そうとすることの同意である。
婚姻という倫理的な絆を結ぶことの同意を儀式的に宣言し,これに応じて家族と地方自治団体がこの絆を承認し確認することが,婚姻の正式の締結と現実性をなす。…じっさい倫理的結合は,愛し合い助け合うことだけに尽きるわけである。

問3 結婚においては,結婚式が行われるのが通例である。結婚式では,当事者はお互いの誠実な愛を誓うことが多い。その内容は,宗教,宗派によってさまざまであるが,広く知られている神前や教会での結婚式における誓いの言葉を紹介する。この言葉を読んで,結婚の内容について検討しなさい。

神前結婚式

誓詞
此の良き日を選び○○神宮の大前に 謹んで婚姻の誓いを申し上げます。
ここに夫婦(みおと)の契りを結びました私達は 変わらぬ愛情で苦楽を共にし 健全なる家庭を築いて参ります
幾久しく御守護り御導き賜りますよう お願い申し上げます
年 月 日

教会結婚式

牧師 「あなたは神のみ心によって夫婦となろうとしています。あなたはその健やかな時も,病む時も,これを愛し,これを敬い,これを慰め,これを助け,その命の限り,堅く節操を守ることを約束しますか」
新郎 「はい,約束します。」
新婦 「はい,約束します。」

問4 婚姻が契約の一種であるとすると,その契約は,双務契約であると思われるが,契約の目的と内容はどのようなものか。

問5 もしも,カントがいうように,婚姻契約の内容が,ある人間が他の人間の生殖器および性的能力についてなす,生涯にわたる相互的な使用のための契約であるとすると,それは,公序良俗に違反する無効の契約とならないか。

問6 もしも,婚姻が,ヘーゲルのいうように,二人が個別的な人格性を放棄して一人格をなそうとする合意であるとしたら,そのような契約も公序良俗に違反して無効とならないだろうか。