2004年4月20日
名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂
世間では,一般に,婚姻意思などという七面倒くさいことをいわずに,ともかく,結婚式を行い,婚姻届を出せば,法律上有効な婚姻が成立すると考えられている。しかし,法律上は,婚姻が有効に成立するためには,両当事者の婚姻の届出だけでなく,婚姻意思が必要であることについては,学説・判例ともに異論がない。
このことは,憲法24条1項が,「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定しており,また,民法742条(婚姻の無効)が,「婚姻は、左の場合に限り、無効とする。
一 人違その他の事由によつて当事者間に婚姻をする意思がないとき。
二 当事者が婚姻の届出をしないとき。但し、その届出が第739条第2項に掲げる条件を欠くだけであるときは、婚姻は、これがために、その効力を妨げられることがない。」と規定していることからも明らかである。
しかし,婚姻意思とは,どのような意思かを突き詰めて考えようとすると,婚姻の多様化(セックス・レス婚,週末婚等)が進行する現在においては,この問題は,意外に困難なものであることがわかる。
今回の講義で取り上げる最高裁の判例(最二判昭44・10・31民集23巻10号1894頁)によれば,婚姻が有効に成立するためには,「当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思」が必要であり,「たとえ婚姻の届出自体については当事者間に意思の合致があったとしても,それが単に他の目的を達するため(子の嫡出化を達するため)の便法として仮託されたものに過ぎないときは,婚姻は効力を生じない。」とされている。
ところが,何が「真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思」であるかについて知ろうとして,上記の判例を精読してみると,確かに,そこからヒントが得られるかもしれないが,判例によっても,明確な答えは与えられていないことがわかる。
むしろ,判例を読むにしたがって,以下のような疑問が次々と生じてくる。
婚姻意思の内容を理解するとともに,婚姻意思は,婚姻の成立時,婚姻の継続中,さらには,内縁・事実婚の場合にどのように扱われるのかという問題について理解を深めようというのが,今回の講義の目標である。
問1 最二判昭44・10・31民集23巻10号1894頁(今井利秀 vs. 今井富美江)を読んで事実を要約しなさい。
解答例
年月日 | 事実 | 争点 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
原告 | 被告 | |||
昭和27年 | Yは大阪市立浪速保健所に保健婦として勤務。 | |||
昭和28年8月 | 上司であったXの父方に下宿。 | |||
昭和28年9月 | 大阪大学工学部一年に在学中のXとの間に肉体関係ができ,二人は結婚を約束し合う仲となるが,Xの両親は結婚に反対したため実現できず。 | 両親の反対で結婚できないのはなぜか? | ||
昭和29年9月 | Yは,Xの父の家を出て,他に下宿 | |||
昭和29年9月〜 | なお二人の関係は続き、被告は3回にわたって妊娠中絶をした。 | |||
昭和32年3月 | Xは大学を卒業し,茨城県日立市の株式会社日立製作所に就職赴任。Y4度目の妊娠 | |||
昭和32年11月 | Y上京。東京都世田谷区三軒茶屋町にX名義で家を借りて生活。休日は,Xが日立市からYの下に来て,出産を励ます | 内縁(実質婚)の開始か? | ||
昭和32年12月20日 | Yが女子出産。Xが小夜美と命名。 | |||
Yは大阪に帰って再び保健所に勤務。Xが送金。 | ||||
昭和34年10月23日 | XがYとの過去の関係を清算するため日立市から大阪へ。Yは反対し,せめて子供だけでも入籍させたいと希望。Xも一旦Yとの婚姻届をして子供を入籍し、のちに離婚するという便宜的手続を認めざるを得なくなった。 | 内縁解消の請求か,内縁の不当破棄か?婚姻届について,婚姻意思が伴っていたか? | ||
昭和34年10月25日 | X,日立市に帰る。 | |||
昭和34年10月27日 | Yは,Yの弟にXの署名を代筆させて,婚姻届を提出。婚姻届受理 | 代署の瑕疵は受理によって治癒されるか? | ||
昭和34年10月28日 | Xが帰阪し,婚姻届の旧本籍を新本籍へと訂正記載させる。以後,XとYとは,戸籍のことで,書簡の交換を除いて,関係を絶ったままである。 | 内縁の解消か? | ||
昭和34年10月29日 | Xは別人との間で結婚式を挙行,以後その女と夫婦生活を営み,二児をもうけている。 | 新たな内縁の成立か? | ||
昭和35年 | Xが本件訴え(婚姻無効確認請求・本訴)を提起 | |||
昭和38年 | Yが反訴(慰謝料請求)を提起 | |||
昭和39年2月1日 | 第1審判決。本訴認容,反訴却下 | 婚姻無効の訴えの反訴として,内縁または婚姻予約の不当破棄を理由とする損害賠償請求を併合することは許されないか? | ||
昭和42年6月26日 | 第2審判決。本訴控訴棄却。反訴取消(一部認容) | |||
昭和44年10月31日 | 最高裁判決。上告棄却・確定 |
問2 自分の苗字(氏)が嫌いな人Aが,苗字を変えたいという一心だけで,自分の好きな苗字の人Bとの間で婚姻することにし,婚姻届を出して改姓した。その後,Aは,もっと素敵な苗字で性格も合う相手Cにめぐり合い,Bと別れて婚姻をしたいと思うようになった。BはAが気に入って婚姻を継続したいと願っている場合に,AはBとの婚姻の無効を主張して,Cと婚姻することは可能か。
問3 Dは,身体に障害を持つ人Eの世話をするのに,同居した方が便利であり,同居の目的をいちいち説明するのが面倒なため,結婚する意思が全くないのに,同居・協力の目的のみでEとの婚姻届を出した。Eがその気になって離婚に応じない場合,DはEとの婚姻の無効を主張して,両親の決めた許婚Fと法律上の婚姻をすることは可能か。
問4 未成年者Gは,成年の資格を得たいという目的のためのみでHとの婚姻届を出したが,成年になってから知り合ったIと結婚したくなった。Hが離婚に応じないので,Hとの婚姻の無効を主張して,Iと婚姻することは可能か。
問5 契約を守りたくないJは,婚姻する意思は全くないのに,よく契約を締結する相手Kと,契約取消権を取得するという目的だけで婚姻届けを出した。Kが離婚に応じない場合,JはKとの婚姻の無効を主張して,他の人Lと婚姻することは可能か。
問6 Mは,Nの財産を相続するためだけの目的で婚姻届を出したが,もっと財産のある人Oが見つかった。そこで,Mは,Nと別れることにした。Nが離婚に応じない場合,Mは,Nとの婚姻の無効を主張して,Oと婚姻することは可能か。
問7 富豪の息子Pは,大学で知り合ったQと付き合っていたが,就職も決まり,卒業を間近に控えた頃,QがPの子を妊娠していることがわかった。ところが,当時Pは,両親の勧めで郷里出身のRと見合いをし,Rと結婚することに決めていた。Pは,子どもがかわいそうなので,嫡出子にするためだけの目的でQと婚姻することにし婚姻届を出した。その後,Qが離婚に応じない場合,PはQとの婚姻の無効を主張して,Rと婚姻することができるか。
問8 最二判昭44・10・31民集23巻10号1894頁(今井利秀 vs. 今井富美江)事件において,最高裁が「婚姻する意思」の内容として説示した「当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思」とは,どのような意思か。
問9 最二判昭44・10・31民集23巻10号1894頁(今井利秀 vs. 今井富美江)において,控訴審で,今井富美江の処女性が論点となり,大阪高裁は,今井俊秀と付き合うようになった当時,今井富美江は処女であったと認定している。今井富美江が処女の場合と処女でない場合で,控訴審の結論に影響があると思われるか。
問10 最二判昭44・10・31民集23巻10号1894頁(今井利秀 vs. 今井富美江)事件において,最高裁は,上告理由で引用された最一判決昭38・11・28民集17巻11号1469頁について,「事案を異にし、本件に適切でない」と述べている。本件と引用判例とは,どの点で事案を異にし,引用判例はどのような理由で本件に適切でないのか説明しなさい。
第750条〔夫婦の氏〕
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
第751条〔生存配偶者の復氏,祭具等の継承〕夫婦の一方が死亡したときは、生存配偶者は、婚姻前の氏に復することができる。
2 第七百六十九条の規定は、前項及び第七百二十八条第二項の場合にこれを準用する。
第752条〔同居・協力・扶助義務〕
夫婦は同居し、互に協力し扶助しなければならない。
第770条〔離婚原因〕 夫婦の一方は、左の場合に限り、離婚の訴を提起することができる。
一 配偶者に不貞な行為があつたとき。
二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
三 配偶者の生死が三年以上明かでないとき。
四 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込がないとき。
五 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
2 裁判所は、前項第一号乃至第四号の事由があるときでも、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。
第753条〔婚姻による成年化〕
未成年者が婚姻をしたときは、これによつて成年に達したものとみなす。
第754条〔夫婦間の契約取消権〕
夫婦間で契約をしたときは、その契約は、婚姻中、何時でも、夫婦の一方からこれを取り消すことができる。但し、第三者の権利を害することができない。