性的パートナーの多数化と「貞操義務」の形骸化

2004年4月28日

名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂


はじめに


2004年4月27日,第7回目の家族法講義(婚姻の効力(契約的効力))において,私は,講義レジュメにしたがって,民法752条の同居義務と関連する貞操義務について論じ,浮気が日常化(男性の半数以上が経験している)している現状では,貞操義務は形骸化しており,貞操義務違反は,原則として不法行為となりえず,浮気をしないことを約束しているカップルの相手方に対する債務不履行となるに過ぎないということを論じた。

このときに利用した資料(2000年4月に『月刊現代』が行なった調査(年齢的に結婚・出産が可能な全世代の男女とし,有効回答総数は,男性が1,291人(平均年齢37.3歳),女性が1,977人(同29.3歳)で,合計3,268人(4月10日現在の集計)という大規模な調査))に関して,一学生から,以下のような要旨の鋭い反論が寄せられた。

「先生は,今日の講義で参照した浮気に関する統計資料を全面的に信頼しておられるようにお見受けしました。しかし,この統計資料の信憑性は疑問であり」,…(中略)…この「統計資料は信頼に値せず」,「『男は必ず浮気する』という先生の見解は,ひとつの考え方に過ぎないと考えます」

そこで,私としては,この点で誤解を解く必要に迫られた。もしも,学生の批判が正しいとすれば,私の家族法の講義は,「信憑性に疑問のある」,「信頼に値しない」資料に基づいて行われている,単におもしろ・おかしいだけの学問的でない講義であるとの印象を与えかねないからである。

ここでは,まず,学生の批判を詳しく紹介し,その後に,以下の2点について,私の回答を講義レジュメの補遺として展開することにする。

  1. 「先生の『男は必ず浮気をする』という見解には同調しかねます」という点について
  2. 「この統計資料の信憑性は疑問であり,信頼に値せず」という点について

学生の資料批判


私が家族法の第7回の講義レジュメで利用した浮気の統計資料に関して,4月27日,一学生によって,資料の信憑性に疑問があり,信頼に値しないとの意見が,Going Syllabusの掲示板に書き込まれた。その詳細は,以下の通りである。

先生は,今日の講義で参照した浮気に関する統計資料を全面的に信頼しておられるようにお見受けしました。しかし,この統計資料の信憑性は疑問であり,先生の「男は必ず浮気をする」という見解には同調しかねます。理由は以下の2点です。
@ まず,男にとって浮気をすることがステータスと見られる風潮があります。つまり,男にとって複数の女性と交際することは,「いい車に乗っている」「いい家に住んでいる」などと同じなのです。私はこのような価値観に否定的ですが,一般的な通説であることは否定できないと思われます。少なくとも,浮気を同性に語る行為が自慢話に属することは間違いのないところでしょう。
 とすれば,「浮気したことありますか?」などと聞かれれば,回答の検証が不可能に近いことも相まって,「もちろんあります」と見栄を張ってしまうのが悲しい男の性というべきです。予定もないのにクリスマスはバイトを休むのと同じレベルなのです。
A 次に,統計資料の有効回答について,男性はわずか669人の回答に過ぎず,この数字をして男性全体の傾向が推し量れるというのは,乱暴です。また,浮気のような私的事項について他人に教えたがるという時点で,かなり性向の偏った母集団と言わざるを得ません。さらに,この資料では「浮気で得られたものは何か」などの突っ込んだ質問もあることを考え合わせると,この種の質問に答えたがる心的傾向を有する母集団における浮気の統計と考えるのが素直です。
したがって,この統計資料は信頼に値せず,「男は必ず浮気する」という先生の見解は,ひとつの考え方に過ぎないと考えます。

学生の批判に対する回答


上記の学生の批判に関する私の考え方は以下の通りである。

1.「先生の『男は必ず浮気をする』という見解には同調しかねます」という点について

2.「この統計資料は信頼に値せず」という点について

3.学生の資料批判の推論根拠についての再批判

(1)学生の推論の第1の理由について

(2)学生の推論の第2の理由について

以上のように,学生の批判は,統計資料の母集団の性質等の客観的な事実についても誤認に基づいて行われており,問題の資料の解説を読まずに,憶測だけで資料の信憑性を批判していると判断せざるを得ない。資料を読んだ上での再考を求めたい。


エイズ治療・研究開発センターが行った調査の概要


この調査(日本人のHIV/AIDS関連知識,性行動,性意識についての全国調査(HIV&SEX in Japan Survey))は,国レベルで行われた初の本格的調査(対象者5,000人,回答者3562人)であり,ここで問題としている浮気に関連する,以下のような調査項目が含まれている。

調査の概要は以下の通りである。なお,日本人の性行動・性意識調査の調査項目については,以下のURL(http://www.acc.go.jp/kenkyu/ekigaku/98ekigaku/eki_50/eki_50_04.htm)を参照のこと。

平成9-11年度「HIV感染症の疫学研究」総括研究報告
研究グループ 行動科学T
97-98年 (広瀬弘忠), 99年 (木原正博)
研究の目的・
スケジュール
HIV/STD予防対策の基礎的情報として,日本人の性行動の実態を明らかにするための研究。
1997-1998年:予備調査(3回)
1999年:わが国で初めての科学的性行動調査として,HIV&sex survey in Japanを実施。
主な研究成績
  1. 3回の予備調査で,実施可能性,謝礼,調査方法のマニュアル作成,標準調査票(MKBQ)の作成・修正,調査員のトレーニングを行った。
  2. 全国5000人を無作為抽出して,71.2%の回収率を得た。その結果,
    (1)STDやHIV検査など自分の感染防御に必要な知識の普及が遅れていること,
    (2)若者でセックスの早年化,パートナーの多数化,性行為の多様化が進んでおり,特に女性で変化が大きいこと,
    (3)ピルがHIV/STDの予防にならないことへの無理解が多く,ピル普及がコンドーム使用の減少を招く危険が大きいこと,
    (4)婚前交渉に関する規範はほぼ崩壊していること,
    (5)規範意識は男性で弱いこと,
    (6)決まった関係外の不誠実な性行為に対する規範意識はまだ根強いが,次第に弛緩しつつあること,
    (7)同性間セックスに対する認容が女性で急速に進んでいること,
    (8)日本人の性交頻度は欧米に比して低いこと,
    (9)男性の買春率は欧米に比しかなり高率で(日本14% vs. 欧米数%),特に若者で高く,売買春に対する規範意識が弛緩しつつあること,
    (10)同性間性的接触者の割合は欧米に比し低いこと,
などを示し,若者の性行動の問題点や,日本人の性行動に先進国の影響とアジア性が混在することを初めて明らかにした。

上記の調査によっても,18歳〜24歳までの年齢の男性においては,1年間のセックス・パートナーの人数は,1人よりも,複数人の割合の方が多く,5人以上のセックス・パートナーを持っている人も決して少なくないことが分かる。

私の講義レジュメでは扱わなかった原因でもあるが,先に述べたように,この調査の目的は,「有効なHIV/STD予防対策の計画立案に役立つエビデンスを提供すること」であって,浮気の調査が目的ではない。そのため,「過去1年間の性的パートナーの人数」の中には,同時に性的パートナーを複数人持っている,いわゆる浮気の場合のほかに,セックス・パートナーが次々と変わるだけで,浮気は1度もしていない人も含まれている可能性がある。しかし,1年間でセックスパートナーが複数回変わる場合には,その間に重複した関係としての浮気が発生することも多いものと思われる。

いずれにせよ,パートナーの多数化が進んでいることについては,いずれの統計資料によっても,疑いの余地がなく,パートナー同士の貞操義務の形骸化の進行に歯止めがかかるとは思われない。


おわりに


私の講義の目的は,「講義のねらい」にも書いたように,「貞操義務違反は不法行為を構成するか?それとも,債務不履行を構成するだけか?」である。そして,貞操義務が形骸化していることを示すために,以下のような講義展開を行った。

  1. 統計資料を利用して,男性の半数以上は浮気をしていることを示す。
  2. 浮気の原因・目的を分析し,男の浮気と女の浮気の違いを明らかにする。
  3. 現在は,男の浮気が多いが,男女平等が実現されるにしたがって,男と女の浮気の割合は近似していく。つまり,女性も,社会的な地位が男性に近づけば,男性同様,半数以上が,+αを求めて,浮気をするようになる。
  4. (結論)浮気をする人々が全体の半数を超える現状では,貞操義務は形骸化しており,浮気を不法行為と考えること自体に疑問をもつべきである。

次に,浮気が日常化している社会では,パートナーの選択において,浮気をしないことを重視し,浮気をしない相手を選ぼうとするすることは,かえって惨めな結末を招くだけであるということを以下の順序で伝えたつもりである。

  1. 浮気は上記のように,2つの原因から成り立っている。−αを埋めるための浮気は,未然に防止しうる。しかし,+αを求める浮気は,相手方の努力で防止しうるものではない。
  2. 浮気にとらわれず,自分の尊敬できる,一緒にいて気分が落ち着く,一緒にいないと空白感が生じるような相手を選んでパートナーシップを形成すべきである。
  3. 互いに尊敬しあって共同生活をすることができれば,−αの浮気は防止できる。+αの浮気は,防ぎようがないが,お互いが余りに自由な時間をもてないよう,家事を平等に負担したり,時には,ルーティン・ワークを離れて,旅行や共通の趣味を実行するなど,さまざまな工夫をするほかない。
  4. 人を好きになることを止めることはできない。また,好きな人とセックスをしたいと思う感情と衝動をとめることは困難である。基本的には,既婚者・未婚者を問わず,愛し合うもの同士が合意の上でセックスをすることは,社会的には何ら非難されるべき問題ではない。それを非難できるのは,排他的な愛を約束しあったそのパートナーだけである。
  5. しかしながら,浮気をしないことを重視して,堅物やもてない人物をパートナーや結婚相手として選んだところで,そのような相手が浮気をしないとは限らない。そのような相手に浮気をされたときのダメージは計り知れない。
  6. (結論)パートナーの選択基準に浮気をするかどうかを考慮することはばかげている。パートナーの選択は,あくまで,お互いに尊敬できる関係を築けるかどうか,いっしょにいると落ち着ける,一緒にいないと淋しいほどに気の合う相手かどうかを基準にして選択すればよい。そして,パートナーが浮気をした場合には,一方的に分かれる,または,離婚する権利があることを常に相手方に宣言しつつ,実際に離婚するか,許すかは,その他の事情をも考慮して,その場で判断すればよい。

家族法の講義では,法律的なものの考え方だけに留まらず,法律が前提としている社会慣習や社会思想についても,理解を深めてほしいとの思いから,愛とは何か,婚姻とは何か,家族とは何かという,哲学上の根本問題についても,問題提起を行っている。講師の性格ゆえ,過激な発言が多く,学生の中には,反発があることは実感している。しかし,学生がどのような感想を持っているのかは,講義では具体的には把握できない。したがって,このように,講義に対する批判を掲示板に書き込んでもらえると,学生の反応が良く理解できて,ありがたい。

今回の掲示板の書き込みは,非常に鋭く,かつ,講師の講義の評価を左右しかねないものであるため,異例の厳しい反論をせざるを得なかった。しかし,心の中では,この書き込みをしていただいた学生に対しては,深く感謝している。私の講義のレジュメについて,追加すべき点がよく分かっただけでなく,講義で発するメッセージについても,その展開方法に改善すべき点をいくつも発見することができたからである。