2004年6月29日
名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂
相続が開始すると,被相続人の財産は,一身専属の権利を除いて,すべて,相続人に帰属するが,相続人は,自らに帰属した権利・義務の承継を強制されることはない。
現行法は,すべての相続人に,相続を承認するか放棄するかの選択権を与えており,いずれを選ぶかの選択権とそのための熟慮期間(原則として3ヶ月)を設けている。
相続人が相続の単純承認をするか,または,民法915条1項の熟慮期間中に承認又は放棄の選択権を行使しない場合には,それぞれ,民法920条,民法921条の規定により,被相続人の権利義務は,一身専属の権利を除いて,原則どおり,相続人に包括承継される(民法896条)。しかし,相続人が,限定承認をすると,確かに,被相続人の権利義務が包括承継されるが,責任は,被相続人の積極財産に限定されるので(責任なき債務),相続人の固有財産に責任が及ぶことはない。さらに,相続人が相続を放棄すると,その相続人は,相続開始のときから相続人でなかったことになる(民法939条)。この場合には,代襲相続も生じない(民法887条2項)。
相続の放棄,限定承認は,本来,相続財産,特に,負債を相続したくないと思う相続人のための制度である。しかし,現実には,相続放棄は,長男等に単独相続をさせる手段として,他の相続人に強要されることがある。また,限定承認は,相続人の一人でも単純承認をすると行使できなってしまう(民法923条)。そして,限定承認は,手続が複雑なためもあって,実務上は,ほとんど使われていない。
相続の承認には,以下の2種類がある。
限定承認は,自己のために相続が開始したことを知ってから3カ月以内にしなければならない(民法915条)が,単純承認については,3カ月以内に相続人の積極的な意思表示がなくても,その期間の徒過や相続財産の全部又は一部の処分や隠匿などの事実があると,これによって当然単純承認したものとみなされる(民法921条)。
相続人が何の留保もつけずに相続の承認をすること(民法915〜921条)。
この結果,相続人は被相続人の債務についても無限責任を負うことになる(民法920条)。単純承認は必ずしも積極的な意思表示を必要とせず,自己のため相続の開始を知った後限定承認又は相続放棄をしないで3カ月を経過した場合や,相続財産を勝手に売却するなどの処分行為をするとか,これを隠匿してひそかに消費したり,悪意で財産目録に載せないなどの行為があったときは,単純承認をしたものとみなされる(民法921条)(法定単純承認)。
相続人が相続によって得た財産を責任の限度として被相続人の債務及び遺贈の義務を負担することを留保した上で,相続の承認をすること(民法922〜937条)。相続財産が明らかに負債超過の場合は,相続放棄をすれば足りるが,負債超過のおそれがあるという程度の場合には,限定承認をすれば,清算の結果,積極財産が残れば,これを取得できるので有利である。
限定承認をするには,自己のため相続の開始を知った時から3カ月以内に,財産目録を作成して家庭裁判所へ申述書を提出しなければならない(民法924条)。財産目録への記載を故意に脱漏すると,単純承認とみなされる(民法921条3号)。相続人が数人あるときは,全員でしなければならない(民法923条)。
限定承認をすると,相続財産について清算が開始される。まず相続人のうちから相続財産管理人が選任され(民法936条),一定の期間を定めて相続債権者及び受遺者に対し除斥の公告をする(民法927条)。そしてその期間経過後に,期間内に申し出た債権者,同受遺者の順で弁済していって(民法929〜931条),なお残余財産があれば期間経過後に申し出た債権者と受遺者に弁済し(民法935条),さらに残余財産があれば相続人間で分配する。清算手続の結果,完済されない債権が残っても,相続人の固有財産は強制執行を受けない。ただし,任意弁済は有効である。なお,換価を必要とするものは必ず民事執行法による競売の方法をとらなければならないが,相続人は,家庭裁判所の選任した鑑定人の評価に従い,その価額を弁済して,これを自分の手元に留保することができる(民法932条)。
限定承認を撤回することは許されないが,無能力・詐欺・強迫などに基づく取消しは短期時効の下に認められる。その際,その旨を家庭裁判所に申述しなければならない(民法919条)。
相続が開始した場合に,相続債権者,受遺者,又は相続人の固有の債権者が,相続財産又は相続人の固有財産から優先的に弁済を受けられるように,両財産を分離して相続財産の清算を行う制度(民法941〜950条)。限定承認が相続人を保護するため財産の分離を図るのに対し,財産分離の制度は相続債権者と相続人の債権者の間の公平を図ることを目的とする。
財産分離は,債務超過と関連しているので,相続財産の破産,相続人の破産とも関連する。実務上は,財産分離よりも破産の手続の方がよく用いられている。
財産分離は,相続開始後3カ月以内又はその後でも両財産が混合しない間に,債権者又は受遺者から家庭裁判所に請求して行う(民法941条,950条)。請求者がだれであるかによって,以下の2種類がある。
いずれの場合も,家庭裁判所の財産分離を命ずる審判によって,相続財産について清算手続が開始され,債権者及び受遺者はその債権額の割合に応じて弁済を受けるが,相続債権者と受遺者の間では前者が優先する(民法947条,931条)。これらの者が相続財産から全部の弁済を受けることができなかったときは,相続人の固有財産から弁済を求めることができるが,この場合には相続人の固有の債権者に劣後することになる(民法948条,950条2項)。
相続が開始した後に相続人が相続の効果を拒否する意思表示(民法938〜940条)。相続財産が債務超過である場合には相続人が意に反して過大な債務を負わされるので,これを回避するために認められた制度である。しかし,わが国の実態は,むしろ共同相続人が家業を承継する者を除いて相続を放棄し,相続財産を1人に集中することによって農業資産や経営資産その他の家産の分割散逸を防ぐために利用されている。
相続放棄をするには,自己のため相続の開始を知った時から3カ月以内に家庭裁判所にその旨を申述しなければならない(民法938条・915条1項)。
相続放棄をした者は,初めから相続人とならなかったものとみなされ(民法939条),共同相続の場合は,他の相続人の相続分が増加する。また,相続放棄をした者については代襲相続は認められない(民法887条)。
相続放棄を撤回することは許されないが,一定期間内に無能力や詐欺・強迫などを理由として取消しをすることはできる。その際,その旨を家庭裁判所に申述しなければならない(民法919条)。
問1 最二判平10・2・13民集52巻1号38頁(服部佐知子 外一名 vs. 日本不動産クレジット株式会社)を読んで,事実を要約しなさい。なお,この判決の判決要旨は以下の通りである。
問2 前記の最高裁平成10年判決と以下の判決とはどのような関係にあるか。
問3 前記最高裁平成10年判決が,その判決要旨で,信義則を援用している理由は何か。民法931条,934条を参考にして論じなさい。
第931条【受遺者への弁済】
限定承認者は,前2条の規定によつて各債権者に弁済をした後でなければ,受遺者に弁済をすることができない。
第934条【不当弁済による限定承認の責任・求償権】
限定承認者が,第927条に定める公告若しくは催告をすることを怠り,又は同条第1項の期間内にある債権者若しくは受遺者に弁済をしたことによつて他の債権者若しくは受遺者に弁済をすることができなくなつたときは,これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。第929条乃至第931条の規定に違反して弁済をしたときも,同様である。
A 前項の規定は,情を知つて不当に弁済を受けた債権者又は受遺者に対する他の債権者又は受遺者の求償を妨げない。
B 第724条〔不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効〕の規定は,前2項の場合にも,これを適用する。
問4 民法931条との関係で,死因贈与と遺贈を同じように扱うことは適切か。
特に,高齢者の介護の対価として死因贈与がなされたというように,負担付死因贈与に類する場合の扱いについて論じなさい。