(東京地裁平13(ワ)19408号預金返還請求事件・請求認容・確定)
◆包括遺贈の遺言について遺言執行者がある場合は,遺言執行者は相続財産である預金につき払戻請求をする権限を有するとして,預金払戻請求の訴えにつき遺言執行者に原告適格があり,銀行はこれを拒絶できないとされた事例
【当事者】
原告 遺言者 亡乙田花子
遺言執行者 秋山泰雄
被告 株式会社三井住友銀行
代表者代表取締役 西川善文
訴訟代理人弁護士 海老原元彦 島田邦雄 富岡孝幸
1 被告は,原告に対し,金1,601万4,411円及びこれに対する平成13年9月19日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 この判決は仮に執行することができる。
主文同旨
1 前提となる事実(特記しない限り,当事者間に争いがない。)
(1)亡乙田花子(以下「花子」という。)は,平成13年2月8日付けで,財産全部を甲田太郎「以下「太郎」という。)に遺贈することを内容とする自筆証書遺言を作成した(《証拠略》)。
(2)花子は,平成13年5月28日死亡した(《証拠略》)。
(3)花子の死亡時の法定相続人は,花子の夫乙田一郎と両名間の二女の甲田良子(以下「良子」という。)の二名であり,太郎は,良子の長男である。
(4)花子の死後,良子から東京家庭裁判所に対し,遺言執行者選任の申立てがなされ,平成13年7月27日,同裁判所にて花子のなした本件遺言の執行者として原告を選任する旨の審判(同裁判所平成13年(家)第5353号遺言執行者選任申立事件)がなされた(当裁判所に顕著な事実)。
(6)被告は,預金の受け入れ,資金の貸し付け等を目的とする会社である(公知の事実) 。
(7)花子は,死亡時,被告大井町支店(以下「被告支店」という。)に,別紙預金目録《略》記載のとおり定期預金及び普通預金(以下「本件預金」という。)を有していたが,平成13年9月6日現在の預金の合計額は,金1,601万4,411円であった。
(8)原告は,平成13年8月3日に被告支店に赴き,検認済み遺言書と遺言執行者選任審判書を示して,本件預金の受遺者太郎への名義変更手続きを請求した。また,原告は,本訴状をもって預金契約を解約する意思表示をなし,同意思表示は同年9月19日被告に到達した。
(9)被告は,原告から本訴請求を受けて,法定相続人である夫乙田一郎,二女良子,受遺者である太郎に対し,訴訟告知をなした。
2 争点
(1)遺言執行者である原告は,本件預金の払戻請求につき当事者適格を有するか。
(被告の主張)
本案前の答弁
ア 本件遺言は,遺言者の相続財産全部についての包括遺贈(以下「本件遺贈」という。)をその内容とするところ,これにより遺言者の相続財産の全部は,本件遺贈の効力発生とともに何らの行為を要せずに直ちに受遺者に帰属する。
イ したがって,本件遺言においては,遺言執行者の職務は観念できないから,原告には,当事者適格がない。
ウ よって,本件訴えは却下されるべきである。
(原告の主張)
ア 遺言執行者は,「相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有する」とされ(民法第1012条1項),即時の権利移転効を生ずる場合であっても,遺言執行者は遺言の執行に必要な行為をなす権限を有する。
イ したがって,遺言執行者は,遺言の執行に必要な行為として,本件預金の払戻請求をなし得る。
(2)被告は,遺言執行者である原告から法定相続人の範囲,当該遺言について法定相続人間で紛議がないことにつき一応の根拠のある説明がなされない間は,払戻請求を拒絶することができるか。
(被告の主張)
ア 金融機関は,遺言執行者に法定相続人の範囲及び当該遺言について法定相続人間で紛議がないことにつき一応の根拠を示した説明がなされない間は遺言執行者からの払戻請求を拒絶でき,かかる説明をしないで行う払戻請求は適法なものとはいえない。
イ 特に,本件では,本件遺言書の字体が健常な意思能力者の筆記する字とは認めがたく,遺言者の印鑑届の字体とも明らかに同一性を欠くものであることからすれば,後日,本件遺言状について,遺言者の意思無能力または,遺言者のなりすまし等を理由とする紛議が生じることが合理的に懸念されるから,被告が本件遺言について法定相続人間で紛議が生じていないことを確認する必要性がある。
ウ かかる事情にもかかわらず,原告は,被告に対し,法定相続人の範囲及び本件遺言につき法定相続人間で紛議が生じているか否かについて,根拠を示した説明をしていない。
(原告の主張)
ア 被告は,預金債務者として,預金権利者からその払戻請求があったときは,払戻請求者がその権利者と認められる限り,これに応じる義務がある。
イ 遺言は,法定相続人の意向とは関係なしになされるものであり,法定相続人の範囲,紛議の有無,遺産分割の成否などは遺言による預金の権利移転の成否にとり直接の影響のない事項であるから,これらについての説明を求める理由も必要性もない。
ウ 本件遺言の字体に乱れがあったとしても,意思能力がないことにはならないだけでなく,一般には,文字を書くことができることは健常な意思能力があることを意味するから,文字の乱れは意思能力を疑うべき理由にはならない。
エ よって,原告は,被告に対し,本訴状をもって預金契約を解約する意思表示をなし,本件預金残高1,601万4,441円とこれに対する訴状送達日である平成13年9月19日から支払済みまで商事法定利率による年6分の割合による遅延損害金の支払を求める。
1 争点1について
(1)本件遺贈は,遺言者の財産全部を受遺者たる太郎に与える旨の遺贈であり,いわゆる包括遺贈である。遺贈は,遺言の効力が発生すると,受遺者は,遺贈があったことを知ると否とにかかわりなく,遺贈された割合の権利義務を取得する。また,包括受遺者は,相続人と同一の権利義務を有する(民法990条)。
(2)被告は,この遺贈の受遺者への即時権利移転効をもって,遺言執行者の職務執行行為を観念することができないと主張する。
(3)しかしながら,遺言執行者がある場合には,相続人は,相続財産の処分その他遺言の執行を妨げる行為をすることができない(同法1013条)。相続人と同視される包括受遺者も処分権を制限される。そして,遺言執行者は相続人の代理人とみなされ(同法1015条),相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有する(同法1012条)。これが民法の規定する遺言執行行為の原則である。
(4)被告の引用する最高裁平成11年12月16日判決(民集53巻9号1989頁)は,特定の不動産を特定の相続人に「相続させる」旨の遺言がなされた事例について,「相続させる旨の遺言の性質は,特段の事情がない限り,即時の権利移転効を伴う遺産分割の指定であるが,即時の権利移転効を有するからといって,当該遺言の内容を具体的に実現するための執行行為が当然に不要となるものではない」といい,「相続させる遺言については不動産登記法27条により当該相続人が単独で登記申請できるから,当該不動産が被相続人名義である限り,遺言執行者の職務は顕在化」しない旨判示したものであるが,この判決の趣旨を包括受遺者が遺贈により取得した銀行預金の場合まで敷衍して,「遺言執行者の職務を観念できない」と解することは困難である。すなわち,遺贈による登記は,不動産登記法27条の適用がなく,包括受遺者が単独で登記申請をすることは出来ず,包括遺贈であれ,特定遺贈であれ,登記権利者たる受遺者と登記義務者たる遺言執行者の共同申請によらなければならない。また,相続人は,相続による不動産取得を第三者に対抗するためには登記を必要としないが,包括受遺者は,登記がない限り,第三者(表見相続人からの譲受人など)に,その不動産の取得を対抗できない。これらの相違は,遺贈は相続と違って遺言者の意思による処分であることに起因する。また,預金債権についても,同様に名義変更などの手続をしないと包括受遺者は,第三者(表見相続人の債権者による差押など)に対抗できず,(指名債権が特定遺贈された場合,遺贈義務者の債務者に対する通知または債務者の承諾がなければ,受遺者は,遺贈による債権の取得を債務者に対抗することができない(最高裁昭和49年3月7日民集28巻2号174頁)が,これは包括遺贈についても同様である。),ここに遺言執行者の執行行為の職務が顕在化する。
遺言執行者が,銀行に対し遺産である預金の受遺者への名義変更を求めたり,または払戻を受けてこれを受遺者に交付する行為は,まさに遺言の内容を具体的に実現するための執行行為そのものである。
(5)よって,包括遺贈の遺言について,遺言執行者がある場合には,相続人と同じく受遺者も相続財産の処分その他の執行を妨げる行為をすることができず,遺言執行者は,受遺者の代理人とみなされるから,遺言執行者は,遺言執行行為として銀行に対し,預金の払戻請求をなす権限を有する。
(6)よって,被告の本案前の答弁は理由がない。
2 争点2について
(1)遺言執行者に,本件預金の払戻請求権があることは,前記1記載のとおりであるから,遺言執行者が,有効な遺言がなされたこと及び自らが遺言執行者として適法に選任されていることの根拠を示して,遺言執行としての預金の払戻請求をなした場合には,銀行は払戻請求を拒むことはできない。
(2)被告は,金融機関は,遺言執行者に法定相続人の範囲及び当該遺言について法定相続人間で紛議がないことにつき一応の根拠を示した説明がなされない間は遺言執行者からの払戻請求を拒絶できる旨主張するが,遺言執行者は包括受遺者を含む全相続人の代理人であるから,法定相続人の範囲や法定相続人間の紛議の有無に関わりなく,銀行に対し預金の払戻請求をなしうるし,銀行は遺言執行者の請求に応じて払戻をすれば,包括受遺者を含む全相続人との関係において免責される。したがって,被告の前記主張は理由がない。
(3)被告は,本件遺言書の字体が健常な意思能力者の筆記する字とは認めがたく,遺言者の印鑑届の字体とも明らかに同一性を欠くものであることからすれば,後日,本件遺言状について,遺言者の意思無能力または,遺言者のなりすまし等を理由とする紛議が生じることが合理的に懸念されると主張するが,本件遺言書は,確かに字体に乱れがあり,遺言書作成者の手の運動機能に問題があることは推測されるものの,全文が同じような筆跡の自筆遺言証書であること,文言の意味は明瞭に理解できること(《証拠略》)によれば,この遺言書作成者の意志能力に合理的な懸念を抱くものとまでは認められない。
(4)そして,原告が,平成13年8月3日に被告支店に赴き,検認済み遺言書と遺言執行者選任審判書を示して,本件預金の受遺者太郎への名義変更手続きを請求したことは,当事者間に争いがない事実であるから,本来,被告は,原告の同請求を拒むことはできなかったものというべきである。
3 以上の事実によると,原告の本訴請求は,理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。
(裁判官 柴田秀)