[Home Page]へ
一般的には,趣味といえば,その人の好きなことをいうであって,理屈では割り切れないものであるらしい。
ところが,私の趣味は,ほぼ理屈で説明できる。一言でいえば,「体によいこと」が私の趣味の基本であって,私の「菜食中心主義」という健康法と密接に関連している。
食事や料理は,正しい栄養を補給して,健康を維持するためであり,運動やスポーツは体力を維持するためであり,音楽・映画・美術鑑賞,旅行等は,心の健康を維持するためである。
したがって,健康を害するとわかっていることは,なるべく避けるようにしている。お酒もなるべく飲まないようにしており,お祝いの場合の乾杯とワイン,つきあいの場合のノンアルコールビール以外は口にしないようにしている。タバコはもちろん吸わないし,偏見とは思いつつ,タバコを飲む人は少数の例外を除いてどうしても好きになれない。
健康な生活は,「菜食」を中心とした食生活,適度な運動,精神を落ち着けるための多様なレジャーを行うことによって実現されるというのが,私の基本的な考え方である。精神的な安定のためには,仕事を快適にこなし,ストレスをため込まないことも必要である。
私の食事の特色は,菜食を中心とした食事である。厳密な菜食ではなく,牛乳,ヨーグルトはよく利用するし,放し飼いで育てられた鶏の卵は食べている。魚介類もよく食べる。食べないのは,肉である。
肉を食べないのは,別に宗教的な理由があるわけではない。理由は,なるべく「食べる直前まで生きていたものを丸ごと食べるのがよい」という信念(私なりの栄養学)に基づく。
野菜は,ほとんどの場合,丸ごと食べることができる。特に,穀物等の種子は,命を宿している。私の主食である玄米を水に浸してみると,数日で確実に発芽し,玄米のもやしができあがる。キッチンでこの発芽実験をすると,種子には,生命を宿すすべてのミネラルビタミンが含まれていることを実感することができる。白米では,こんな芸当はできない。
小魚も丸ごと食べることができる。これに対して,牛肉の場合,牛を丸ごと食べることはほぼ不可能である。そんなわけで,玄米と白米との関係と同様,私は,魚は食べるが肉は食べないということになる(肉の場合であっても,鶏や豚の丸焼きのように全体を食べるのは,頭の中ではよいことだと思っている)。
このようなわけで,余り厳密ではないけれども,私の食生活は,「料理直前まで生命を宿しているものをなるべく丸ごと食べる」という原則に則って行われている。白米を食べず,玄米を食べるのも,この原則の適用であり,菜食中心といいながら魚や地卵を食べ,肉を食べないのもこの原則の適用である。
厳密ではないと思うのは,乳製品について,バターは食べないのに,ヨーグルト,チーズはよく食べることである。これは,脂っこいものが嫌いという体質にも依存するが,多分に,脂肪の取りすぎを警告する最近の栄養学に影響されているからであろう。
栄養学というほど立派なものではないが,私の食品選択の基準は,健康に不可欠であるにもかかわらず,日本の食卓に不足しがちな「カルシウムが豊富に含まれているかどうか」を第1の基準にしている。そんなわけで,食卓に,海藻,ゴマを欠かしたことはない。
自分で作って,人に食べてもらうのが,料理の醍醐味であり,最大の喜びである。
健康で長生きをしている人をみると,ほとんど例外なしに,自分で工夫して料理をし,人に食べてもらっている。
結婚して以来,料理には一切タッチしなかった私であるが,妻の死後,半ば仕方なく,私の栄養学に従った料理を実行している。そして,上手にできた料理は,ゼミの学生達や親しい人に食べてもらうことにしている。
私の料理の種類は,駆け出しの新米であることもあって限定されており,玄米の炊き込みご飯と豆腐と野菜サラダ(キュウリの酢の物),手作りのライ麦パンを使ったサンドイッチと手作りヨーグルト,具のいっぱい入った蕎麦,野菜と魚介類の鍋物ぐらいのものである。
玄米炊き込みご飯と野菜サラダは,いつもの朝食としており,私の家を訪問してくれた人には,これを出して,一緒に食べることにしている。
また,手作りのライ麦パンを使ったサンドイッチは,毎日,お弁当に持っていっているし,ゼミのある日は,このサンドイッチをたくさん作って,ゼミ終了後,学生達と一緒に食べることにしている。
夕食は,サンドイッチの残りか,蕎麦か,玄米の炊き込みご飯と鍋物にしている。
いくら食事に気をつけていても,適度の体操をしないと健康を維持することは困難である。特に,ストレッチと,筋力トレーニングは,老化の防止に効果がある。
ストレッチと筋力トレーニングは,自宅でもやっているが,専門家の指導を仰ぐために,スポーツクラブにも通っている。
スポーツは,競争の要素が入るので,やりすぎる危険があり,私は,控えめにするようにしている。
私に栄養学の基本を教えてくれたイアン・ローズ『世界記録を生んだ栄養学』の著者がローマオリンピックと東京オリンピックで連続して金メダルを受賞したローズ選手の父親であったこともあって,全身運動としての水泳には,とても親しみを感じている。
学生の頃は,夏になると,毎日プールで1Kmは欠かさず泳いでいた。現在は,余り泳がないが,そのうち,プールのあるスポーツクラブに入って,水泳を楽しみたいと思っている。
スキーはお金がかかるため,貧乏学生であった私は,スケートで我慢していた。しかし,就職してお金を稼ぐようになってからは,以前から誘っていてくれた友人と一緒にスキーに出かけ,スキーの魅力にとりつかれている。
スキーは,基本と応用との関係を知る上でとても教訓的なスポーツである。急斜面で転がり落ちて初めて,基本の大切さを痛感できるし,緩斜面でいくら基本を勉強しても,実際の急斜面に行ってみなければ応用力はつかないことも体験できる。
それに,スキーには,レジャー,旅行の要素も含まれており,民宿でのふれあいもとても楽しい。今では,スキーをしながら学問や人生のことを考えるのが無上の喜びとなっている。
小学生の時に私はピアノを習っていた。途中でやめたが,楽譜が読めるので,童謡やクラシック音楽には,親しみを感じる。また,小学校の時に合唱団に入ってコーラスの楽しさを知ったので,今でも,デュエットが楽しめる。ポピュラーソングもデュエットのものが好きだ。
書道は好きだったが,絵はからっきしダメだった。そんなわけで,絵は見るだけである。見るだけなので,音楽の場合と違ってこだわりはなく,気楽に好きな絵だけを見て楽しんでいる。
映画は,現実では実現困難なことを,あたかも実現できてくれるように見せてくれる夢のある作品が好きである。たとえば,"Back to the future"のような夢とロマンのある作品が大好きである。
日常から解放されて,見知らぬ地で,美しい景色を見て,その土地の料理を食べ,スポーツや出会いを楽しむ。
これほど,心安らぐレジャーはないと思う。ただし,見知らぬ地だけに,危険と隣り合わせなので,計画段階でいろいろな危険の防止策を綿密に練っておくことが大切である。
最近の旅行先としては,モンゴルのウランバートルがある。名古屋大学のAP基金によって,アジア法整備支援の一環としてモンゴル調査旅行に参加したのであるが,見聞を広めることができた。
私自身,一般の人とはかなり変わった生活をしていることを自覚している。特に,玄米・菜食を中心とした食生活をしているというと,それだけで多くの人が敬遠してくれる。気の合わない人とのつきあいは得意ではないので,この点,気楽である。
変わった食生活を実行してみて感じるのは,世間一般に信じられている常識とか通説というのがいかに当てにならないかということである。
私は,現在の職業である学者としても,通説に従わず,異説を主張することが多い。その傾向は,高校生時代から,その当時の栄養学に反発して,自分にあった食生活を実行してみて実感した「世間の常識は当てにならないし,理由なしにそれに従う必要はない」という基本的な考え方につながっているように思われる。
趣味は生き方を映すというのは,多分,そういう意味で当たっているのかもしれない。