12Joint&Several2
10/33 負担部分の範囲内の弁済と負担部分を超える弁済との区別

【テロップ】
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【ノート】
連帯債務については,あらゆる面で矛盾に陥り,大混乱に陥っている通説・判例が,意外にも,求償の要件の点で,多くのヒトの支持を得ている理由は,通説・判例が,民法465条の反対解釈という一見したところ,もっともらしい切り札を持っているからです。■ 連帯債務の求償の要件については,民法442条(連帯債務者間の求償権)▲第1項が以下のように規定しています。■ 民法442条▲1項■連帯債務者の1人が弁済をし,その他自己の財産をもって共同の免責を得たときは,その連帯債務者は,他の連帯債務者に対し,各自の負担部分について求償権を有する。 ■ これに対して,共同保証人カンの求償の要件については,民法465条(共同保証人カンの求償権)が以下のように規定しています。■ 民法465条▲1項■第442条…の規定は,…各保証人が全額を弁済すべき旨の特約があるため,その全額又は自己の負担部分を超える額を弁済したときについて準用する。 ■このように,現行民法においては,連帯債務が求償に関する原則を民法442条で規定し,保証の求償の要件に関する民法465条は,特則として,原則である民法442条の規定を準用するという仕組みになっています。 ■現行民法においては,特則としての共同保証の求償の要件(民法465条1項)には,「自己の負担部分を超える額を弁済したとき」という制限がついていますが,原則としての連帯債務の求償の要件(民法442条1項)には,その制限がついていません。■ したがって,民法465条の反対解釈として,原則としての連帯債務の求償の場合には,「自己の負担部分を超える額を弁済していなくても,他の連帯債務者に対して,各自の負担部分について求償権を有する」という解釈が可能となるというわけです。 ■しかし,連帯債務の構造と本質を明らかにしている相互保証理論の立場に立つと,連帯債務が原則で,保証が特則であるという関係は,実は,誤った逆転関係であることに気づきます。 ■なぜなら,連帯債務とは,本来の債務としての負担部分と,連帯債務者間でそれぞれの負担部分を相互に連帯保証するという保証部分との結合であり,求償関係は,それぞれの連帯債務者が,「共同の免責を受けたとき」,すなわち,負担部分を超えて弁済等によって共同の免責を受けたときに限られるのです。 ■つまり,求償の要件は,保証人としての弁済が,その根拠となるのであり,求償の根拠は,債務者としての弁済では生じることがなく,保証人としての弁済等の場合に限定されるからです。 ■民法465条の反対解釈というもっともらしい説明をする通説・判例が理論的に不都合であることは,セツレイにおいて,Y1 ▲が600万円を支払ったとき,300万円を支払ったとき,そして,6円を支払ったときのことを考えてみればわかります。 ■Y1 ▲が600万円を支払ったときには,判例・通説と,相互保証理論とで,求償の範囲に違いは生じません。しかし,Y1 ▲が,300万円を支払ったときには,相互保証理論では,すべて,負担部分の弁済として,債務の消滅とフジュウ性による絶対的効力が生じるだけで,求償の問題は生じません。しかし,判例・通説によれば,300万円を支払ったY1 ▲は,Y2 ▲に対して,100万円を求償することができるし,Y3 ▲に対しては,50万円の求償ができることになります。しかし,この結果は,300万円支払っても,自己の債務は,150万円分しか消滅しないことになり,負担部分としての300万円を支払ったY1 ▲の通常の意図とは異なる結果が生じることになります。 ■「おかしいなと思ったら,歴史をたどってみよう。そうすると,おかしいことの原因が究明される」というのが,すべての問題解決の出発点です。 ■そこで,現行民法の立法過程を遡ってみることにしましょう。 ■そうすると,現行民法は,旧民法▲債権担保編における人的担保(保証と連帯債務)の規定を,多数当事者の債権・債務関係へと移動させた上で,その一部を修正したものであることがわかります。 ■旧民法▲債権担保編は,相互保証理論の立場に立つボワソナードによって起草されており,規定の順序は,まず,保証があり,その応用として,連帯債務が,そのつぎに規定されていたのです。 ■そこで,ボワソナードの相互保証理論に立ち返って,連帯債務の求償の要件の条文と共同保証の求償の要件の条文の順序を入れ替えて, 旧民法の起草当時の状態に戻して考察してみましょう。■ そうすると,民法465条(共同保証人の求償権)が原則として,さきに規定されることになります。■ 民法465条が原則となるため,条文の内容を変更しないまま,最後の文言についてのみ,「について準用する」を,「他の保証人に対し,各自の負担部分について求償権を有する。」と変更します。■ つぎに,民法442条(連帯債務者間の求償権)を,民法465条(共同保証人の求償権)の特則として,準用規定へと後退させます。■ そして,民法442条(連帯債務者間の求償権)の内容を変更しないままで, 最後の文言についてのみ,「その連帯債務者は,他の連帯債務者に対し,各自の負担部分について求償権を有する。」を,「第465条の規定を準用する。」として,特則としての準用規定へと,順序を入れ替えます。■ このような条文の順序の入れ替えを行うと,民法442条について,反対解釈をすることができなくなります。連帯債務の求償の要件は,共同保証の求償の要件である原則に服することになるからです。■ このようにして,準用関係は,条文の順序を変えると,意味が違ってしまう場合があるので,反対解釈をしてよいかどうかは,慎重に判断する必要があります。 ■このような作業をしてみると,民法442条の求償の要件として,軽く考えられてきた,「共同の免責を得たときは」という意味が,実は,「自己の負担部分を超える額を弁済したとき」と同じ意味であり,現行民法442条においても,求償ができるのは,負担部分を超えて弁済をしたときのみであることが理解できるようになると思います。 ■連帯債務の定義,その構造,その本質,連帯債務の全額が弁済されたときの求償の意味など,すべてについて,誤っている通説・判例が,一部弁済のときだけ,正解に達するということはありえません。 ■連帯債務に関する通説・判例は,その理論的な面については,初めから終わりまで,すべて誤っているのです。 ■何度も繰り返しますが,このような破綻した通説・判例が民法学を支配していることが,わが国の民法学の悲劇なのです。 ■以上の議論は,非常に重要なので,最後に,連帯債務の求償の要件は,共同保証における求償の要件と同じであることの理由を,まとめておくことにします。■ ■通説・判例は,連帯債務者の求償の要件について,保証の場合には,民法465条(共同保証人カンの求償権)が,求償の要件として,「自己の負担部分を超える額を弁済したとき」と規定しているのに対して,民法442条(連帯債務者間の求償権)は,そのような文言がないことを理由として,すなわち,民法465条の「反対解釈」をして,「自己の負担部分を超える弁済をしなくても(例えば,1円を弁済した場合であっても」),「他の連帯債務者に対し,各自の負担部分について求償権を有する」と解釈しています。 ■このような通説・判例の解釈が誤りであることは,上記のように,現行民法の制定の歴史に遡ることによって明らかとなります。すなわち,民法442条が求償の要件として,「共同の免責を得たとき」と規定している意味は,民法465条の「自己の負担部分を超える額を弁済したとき」と同じ意味であり,連帯債務者であれ,共同保証人であれ,自己の負担部分を超えない範囲の弁済は,自分のための弁済であって,共同の免責を得るものではないため,他の者に対して求償をすることはできないということをしっかりと認識すべきです。 ■このあとは,さらに,別の視点(すなわち,一部弁済における弁済の充当,および,比較法の視点)から,通説・判例が誤りに陥っていることを明らかにすることにします。