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作成:2006年6月20日
明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
一般不法行為の要件と効果を概観する。
不法行為とは,不法に(違法かつ有責に)他人の権利または法律上保護される利益(法益)を侵害して損害を加える行為である。民法は,不法行為の加害者はその行為によって生じた損害を賠償すべき責任を負うと定めている。
第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
不法行為は,契約(債務)不履行と並んで,損害賠償請求権の発生原因の一つである。不法行為法は,民法上わずか16箇条にすぎないが,実務上極めて重要な機能を営んでおり,契約法に劣らないほど裁判例の集積をみている。
民法条文(グループごと)の適用頻度 |
不法行為は同時に犯罪となる場合も少なくない(例えば,殺人,傷害,名誉毅損等)。その行為者に対して,刑事上は刑罰が科される(刑事責任),民事上は損害賠償義務が課せられる(民事責任)。
近代法は,この両責任を峻別する。犯罪に対する刑罰は,行為者に対する応報であるとともに,将来そのような害悪が発生することを防止しようとするものであって,行為者に対し,社会に対する責任(刑事責任)を問うものである。刑事責任の領域においては,犯罪の処罰と人権擁護とを調和させるため,罪刑法定主義を通じて犯罪の類型化を維持している。
犯罪の処罰を目的とする場合の類型論の意義 |
これに対して,不法行為に対する損害賠償は,被害者に生じた損害を填補することによって,加害者,被害者間の負担の公平を図るものであり,行為者に対し,被害者に対する責任(民事責任)を問うものである。ただし,最近では損害賠償の制裁的機能を重視すべきであるとの説もある(懲罰的損害賠償の導入の試みなど参照)。
フランス民法やこれにならって,類型論を超えた一般不法行為規定を持つわが国の民法の場合には,新しいタイプの不法行為が発生した場合でも,被害者の救済が可能となる。わが国の歴史を見ても,公害事件,製造物責任事件,悪徳商法事件,金融商品による被害事件など,新しい被害が生じた場合には,常に一般不法行為である民法709条によって被害救済の突破口が切り開かれ,被害者救済が実現されている。
個別的不法行為を超える一般不法行為法の利点 |
一般不法行為の存在にもかかわらず,特別不法行為類型が存在する意義 |
わが国の民法の特色は,一般不法行為規定を有していることである。しかし,そのほかに類型化された不法行為(特別不法行為と呼ばれる)もまた規定されている。それでは,一般不法行為のほかに特別不法行為がある意味はどこにあるのだろうか。
特別不法行為の要件を充たさない場合であっても,一般不法行為の要件を満たせた被害者の救済は可能である。そうであるとすれば,特別不法行為の類型をわざわざ規定するのは,一般不法行為の要件をより厳格にする必要があるか,または,一般不法行為の要件を緩和する必要があるためである。そのような観点から,民法の特別不法行為を見てみると,そのほとんどが,被害者救済のために,証明が困難な加害者の過失,または,因果関係の一部の証明責任を加害者に転換させるなどの方法で(民法714条〜民法718条),一般不法行為の要件を変更しようとするものであることがわかる。
例えば,使用者の責任を追及する場合,民法709条によって責任を追及することも可能であるが,その場合には,被害者は,使用者の過失を直接証明しなければならない。これに反して,民法715条を援用して責任を追及する場合には,被害者は,使用者の過失を証明する必要はない。被害者が,被用者が事業の執行に際して被害者に損害を与えたことを証明しさえすれば,使用者の方で,「被用者の選任および被用者の業務の監督について相当の注意をした」ということを証明しない限り責任を免れることはできない。
同様にして,たとえば,他人の飼い犬に咬まれて怪我をしたので,その飼い主の民事責任を追及しようとする場合,もちろん一般不法行為を規定する民法709条で責任追及が可能である。しかし,その場合には,加害者である飼い主の過失を被害者が証明しなければならない。これに反して,被害者が,民法718条の動物占有者責任を援用して犬の飼主の責任を追及する場合には,被害者は,犬の飼主の過失を証明する必要がない。むしろ,犬の飼主の方で,「動物の種類及び性質に従い相当の注意をもってその保管をなした」ということを証明しない限り責任を免れることはできないのである(以上のような,民法と刑法との本質的な違いについての詳細は,加賀山茂「構成要件と法律要件」を参照のこと)。
ところで,刑事責任は,行為者の悪性を追及するものであるから,行為者の主観(犯意)に重点をおいている。故意犯だけを罰するのが原則であり,過失犯を罰するのは例外である。結果が発生していない時点での未遂でも罰せられることがある。これに対して,民事責任は,現に生じた損害の損補に重きをおき,原則として,故意と過失を同列に取り扱い,責任の軽重を区別しない(債権侵害の場合には,過失では足らず,故意を必要とする等,例外がある)。また,現実の損害を生じない未遂は全く問題とならない。
民事責任と刑事責任とは,別個のものである。裁判の上でも,「民事裁判」と「刑事裁判」として,完全に分離されている。もっとも,旧刑事訴訟法当時は,フランスの制度にならい,検察官の公訴提起に附帯してなされる附帯私訴の制度が認められ,刑事裁判の中で犯罪被害者が被告人に損害の賠償を請求することができたが,現在では,このような制度は存在しない。
民事裁判と刑事裁判との完全な分離の結果,同一の行為に関し,民事裁判と刑事裁判で異なる判断がなされることが起こり得る。しかし,これは民事と刑事の責任を問う目的が異なることから生じるものであり,やむを得ないことである。例えば,刑事で無過失とされたのに,民事で有過失とされた例として,最一判和34・11・26民集13巻12号1573頁(いわゆる「刑事無罪・民事有罪」事件)がある。これとは反対に,刑事事件では,加害者に責任があるとして有罪判決が下ったにもかかわらず,民事事件では,加害者には責任がないとして被害者に対する損害賠償が認められないということも稀ではあるが存在する。刑事(強姦未遂)事件において,有罪が確定した者に対する被害者からの民事(損害賠償請求)事件において,その者は,犯人ではないとして請求が棄却された,いわゆる「刑事有罪・民事無罪」事件(浦和地判昭55・12・10判タ429号64頁)がその典型例である。
最一判和34・11・26民集13巻12号1573頁(いわゆる「刑事無罪・民事有罪」事件)
自動車運転者が業務上過失致死被告事件の判決で過失を否定された場合でも,不法行為に関する民事判決ではその過失を否定しなければならぬものではない。
浦和地判昭55・12・10判タ429号64頁(いわゆる「刑事有罪・民事無罪」事件)
強姦未遂被告事件で有罪が確定した者(34歳)に対する被害者(54歳)からの損害賠償請求事件において,右の者は犯人ではないとして請求が棄却された事例。
被告は,前記住居侵入・強姦未遂被告事件において有罪の判決を受け,その判決は確定したのであるが,右有罪判決は当裁判所の判断に何ら影響を及ぼすものでなく,当裁判所は,右有罪判決と対比し,採証の仕方において結論を異にするのである。
近代法は,個人の自由意思を尊重し,個人の自由な活動を保障する。したがって,個人の自由な活動の結果,他人に何ほどかの損失を与えてもやむを得ない(A商店の成功・繁盛によるB商店の失敗・倒産)。個人の活動が許された範囲を越えたときに,法は,はじめてそれを不法行為として,その結果生じた損害の賠償を命ずる。すなわち,人は,法の許す限界を守って行動すれば,不測の損害賠償責任を負うことはないのであり,その意味で,不法行為制度は,個人の活動の自由に対して最小限度の限界を画する制度であり,私的自治の原則を背後から支える制度として,近代市民法の基本構造の一翼を担うものといえるのである。そして,人の活動の向由に対する限界の基準として設けられたのが民法709条以下の規定である。民法709条は,過失責任主義(過失責任の原則)と自己責任の原則を採用している。
過失責任を基礎とする個人の活動の自由の保障は,人類の経済活動を活発なものとし,経済発展に大きな寄与をした。ところが,資本主義経済の発展に伴う企業の巨大化により,一方ではいくら注意しても防止できないような損害を発生させるとともに,他方において,過失責任主義では被害者を救済できない場合が出てきた。そこに過失責任主義に対する反省が生まれ,故意・過失がなくとも,自ら危険を作り出した者は,その結果について責任を負うべきであるとする危険責任論,利益をあげる過程で他人に損害を与えた者は,その利益のなかから損害を賠償すべきであるとする報償責任論などの無過失責任主義が台頭するに至った。
民法は,過失責任主義を原則とするが,危険責任や報償責任の思想に基づく規定も設けている(民法717条,715条)。過失責任についても,解釈上過失の一応の推定の理論が提唱され,無過失責任主義に近づける努力がされている。
過失の一応の推定とは,被害者が過失の存在を一応推認できる程度に立証すれば,加害者の方でこの推認を妨げる特別の事実を立証しない限り,過失の存在を認定することであり,法律上の制度として認められている例もあるが(特許法103),民法上も解釈として認められてきている(最判昭51・9・30民集30巻8号816頁,福岡地判昭52・10・5判時866号21頁,大阪地判平6・3・29判時1493号29頁など)。
最一判昭51・9・30民集30巻8号816頁
インフルエンザ予防接種を実施する医師が,接種対象者につき予防接種実施規則(昭和45年厚生省令第44号による改正前の昭和33年厚生省令第27号)4条の禁忌者を識別するための適切な問診を尽くさなかったためその識別を誤って接種をした場合に,その異常な副反応により対象者が死亡又は罹病したときは,右医師はその結果を予見しえたのに過誤により予見しなかったものと推定すべきである。
福岡地判昭53・11・14判時910号33頁(福岡スモン訴訟第一審判決)
キノホルム剤服用とスモン病との間には,法的因果関係の存在が肯認され,キノホルム説以外の病因論は,いずれも納得のいく説明がなされていないとされた事例
自ら業として製造,輸入又は販売した欠陥医薬品の服用によつて消費者の生命・身体に副作用被害を及ぼしたことだけで当該医薬品業者の過失が事実上強く推定され,右副作用の発現が医薬品業者に要求される高度かつ厳格な注意義務を尽くしても全く予見し得なかつたことを業者が立証しない限り右推定は覆えらないとされた事例
福岡地判昭52・10・5判時866号21頁(カネミ油症事件(慰謝料)第一審判決)
瑕疵ある食品を摂取したことによって人の身体生命に被害が及んだ場合にはそれだけで食品の製造販売業者の過失が事実上強く推定され,右瑕疵の発生存在につき高度かつ厳格な注意義務を尽くしても予見し得なかったことを立証しない限り右推定は覆えらないとされた事例
大阪地判平6・3・29判時1493号29頁(松下電器テレビ発火事故製造物責任訴訟判決)
テレビの発火事故について製品の欠陥を認め,過失の推認などの法理によって家電メーカーの製造物責任を認めた事例
大阪地判平9・9・18判タ992号166頁(製造物責任法(平成6年7月1日法律85号)施行以前に発生した事件)
テレビからの出火が原因と認定された火災による損害賠償請求事件において,テレビメーカーには消費者の通常の使用により危険な性状が生じ,それにより消費者等の生命,身体及び財産に損害を被らせることがないような安全を確保すべき高度の注意義務(安全性確保義務)があり,消費者は通常の使用によって事故が生じたこと及び当該商品の通常有すべき安全性が欠けていたことを立証すれば,安全性確保義務違反の過失があったと推定され,テレビメーカーにおいて,欠陥原因を解明するなどして右推定を覆さない以上その責任を免れないとした事例
東京地判平11・8・31判時1687号39頁(三洋電機冷凍庫発火事故製造物責任訴訟判決)
(製造物責任法(平成6年7月1日法律85号)施行以前の事件)
消費者が,冷凍庫本来の使用目的に従って使用していたのにもかかわらず,冷凍庫から発火したときは,その冷凍庫は,火災当時,通常有すべき安全性を欠いていたというべきであり,特段の事情の認められない限り,製品が流通に置かれた時点において,欠陥が存在していたものと推認することが相当であるとされた事例
安全性確保義務の性質上,流通に置かれた時点において,その製品について欠陥の存在が立証されれば,製造者に製品を設計,製造し,流通に置くに際し,安全性確保義務違反の過失があったものと推定することが相当であるとされた事例
火災による動産の滅失について,損害額の立証が極めて困難な場合に当たるとして,民事訴訟法248条により相当な損害額が認定された事例
最三判平8・1・23民集50巻1号1頁
医師が医薬品を使用するに当たって医薬品の添付文書(能書)に記載された使用上の注意事項に従わず,それによって医療事故が発生した場合には,これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り,当該医師の過失が推定される。
労働災害,鉱害,原子力損害,環境保護等については,特別法によって無過失責任主義が採用されている(労基法75条以下,鉱業法109条以下,原子力損害賠償法3条,大気汚染防止法25条,水質汚濁防止法19条,油濁損害賠償保障法3条)が,無過失責任論は,すべての不法行為に妥当すると主張されているわけではなく,過失責任主義によっては被害者の救済に不公平の生ずる場合に,補充的に不法行為責任を基礎づけようとするに止まる。自由主義を基本とする個人間の日常生活関係においては,依然として過失責任主義が最も合理的なものとされている。
なお,製造物責任法(平成6年法律第85号)は,欠陥商品に対する製造業者等の責任について,過失責任の原則を欠陥責任に変更している。欠陥責任は,過失を要しないので,無過失責任の一種であると考えられている。
製造物責任法 第2条(定義)
@この法律において「製造物」とは,製造又は加工された動産をいう。
Aこの法律において「欠陥」とは,当該製造物の特性,その通常予見される使用形態,その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して,当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう。
Bこの法律において「製造業者等」とは,次のいずれかに該当する者をいう。
一 当該製造物を業として製造,加工又は輸入した者(以下単に「製造業者」という。)
二 自ら当該製造物の製造業者として当該製造物にその氏名,商号,商標その他の表示(以下「氏名等の表示」という。)をした者又は当該製造物にその製造業者と誤認させるような氏名等の表示をした者
三 前号に掲げる者のほか,当該製造物の製造,加工,輸入又は販売に係る形態その他の事情からみて,当該製造物にその実質的な製造業者と認めることができる氏名等の表示をした者
東京地判平11・8・31判時1687号39頁(三洋電機冷凍庫発火事故製造物責任訴訟判決)
(製造物責任法(平成6年7月1日法律85号)施行以前の事件 (製造物責任法が適用される場合には推認,推定の判断は不要となる点に注意すること))
消費者が,冷凍庫本来の使用目的に従って使用していたのにもかかわらず,冷凍庫から発火したときは,その冷凍庫は,火災当時,通常有すべき安全性を欠いていたというべきであり,特段の事情の認められない限り,製品が流通に置かれた時点において,欠陥が存在していたものと推認することが相当であるとされた事例
安全性確保義務の性質上,流通に置かれた時点において,その製品について欠陥の存在が立証されれば,製造者に製品を設計,製造し,流通に置くに際し,安全性確保義務違反の過失があったものと推定することが相当であるとされた事例
火災による動産の滅失について,損害額の立証が極めて困難な場合に当たるとして,民事訴訟法248条により相当な損害額が認定された事例
製造物責任法 第3条(製造物責任)
製造業者等は,その製造,加工,輸入又は前条第三項第二号若しくは第三号の氏名等の表示をした製造物であって,その引き渡したものの欠陥により他人の生命,身体又は財産を侵害したときは,これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし,その損害が当該製造物についてのみ生じたときは,この限りでない。
製造物責任法 第4条(免責事由)
前条の場合において,製造業者等は,次の各号に掲げる事項を証明したときは,同条に規定する賠償の責めに任じない。
一 当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては,当該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと。
二 当該製造物が他の製造物の部品又は原材料として使用された場合において,その欠陥が専ら当該他の製造物の製造業者が行った設計に関する指示に従ったことにより生じ,かつ,その欠陥が生じたことにつき過失がないこと。
これまでの箇所で,過失の法律上の推定,過失の事実上の推定,過失の一応の推定等,推定という用語が頻繁に用いられてきた。それぞれには,厳密な区別がなされているのであるが,一部には用語法の混乱も見られる。そこで,ここでは,推定の種類とそれぞれの意義を明らかにするとともに,過失の一応の推定,間接反証理論の曖昧さについて理解を深めることにする(有斐閣・法律学小辞典参照)。
民事訴訟法上,推定には事実上の推定と法律上の推定とがある。裁判官の自由心証主義の1作用として経験則に基づき行われ,証明責任を変動させないものを事実上の推定といい,法規の適用により行われ,証明責任の転換を伴うものを法律上の推定という。
法律上の推定はさらに2つに区別され,法律上の事実推定と法律上の権利推定がある。
法律上の事実推定は,「A事実があるときはB事実があるものと推定する」とし,B事実が他の法条の要件事実となっているものである〔例:民法186条2項(占有継続の法律上の推定:取得時効の要件),772条1項(父性の法律上の推定:相続の要件)等〕。
なお,法律上の事実推定の規定の中には,前提事実を定めない無条件の推定もある〔例:民186条1項〔占有の善意等の法律上の推定〕等〕。これはある規定の要件事実について証明責任の転換を図ることだけを目的とする立法技術であり,ただし書で規定するのと同じことになる(暫定真実と呼ばれる)。
これに対して,法律上の権利推定は,「A事実があるときはBの権利ありと推定する」と定めるものである〔例:民188条(占有による本権推定),229条(境界標等の共有(互有)推定),762条2項(夫婦財産の共有推定)等〕。
第186条(占有の態様等に関する推定)
@占有者は,所有の意思をもって,善意で,平穏に,かつ,公然と占有をするものと推定する。
A前後の両時点において占有をした証拠があるときは,占有は,その間継続したものと推定する。
第188条(占有物について行使する権利の適法の推定)
占有者が占有物について行使する権利は,適法に有するものと推定する。
第229条(境界標等の共有の推定1)
境界線上に設けた境界標,囲障,障壁,溝及び堀は,相隣者の共有に属するものと推定する。
第772条(嫡出の推定)
@妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。
A婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。
第774条(嫡出の否認)
第772条〔嫡出の推定〕の場合において,夫は,子が嫡出であることを否認することができる。
第775条(嫡出否認の訴え)
前条の規定による否認権は,子又は親権を行う母に対する嫡出否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは,家庭裁判所は,特別代理人を選任しなければならない。
ある事実Xの存在が証明されれば,これに伴って要証事実Yの存在が相当高度の蓋然性をもって判断される関係にあるとき,XY間には事実上の推定が働く。例えば,宝石盗難事件の発生したホテルで,事件直後に隣室の客がその宝石をスーツケースの奥にしまい込んでいた事実が証明されたとすれば,彼が窃取したのだという推定が可能であろう。
裁判の実際では,多数の間接証拠あるいは情況証拠から事実上の推定を繰り返すことによって心証を形成し,主要事実の存否の確定に至ることも多い。この場合,心証形成の仕方は一応裁判官の自由であるが(自由心証主義),しかし,それは経験則に合致した合理的なものでなければならない。
事実上の推定と区別されるものに法律上の事実推定がある。法律上の推定は,自由心証が尽きたときのみ,すなわち,真偽不明のときにのみに作用する点で事実上の推定とは異なる。具体的にいうと,法律上の推定は,X事実が立証されたときは,Y事実の存在が推定されるという形式において事実上の推定と似ているが,推定が法律に規定され,かつ,積極的反証が存在しない限りY事実の存在が認定される点,及びXY間の関連が高度のものとは限らない点で差異がある。
なお,利用される経験則が高度の蓋然(がいぜん)性を有する際の事実上の推定は一応の推定ともいわれ,その推定を覆す反証は間接反証と呼ばれることがある。
ある主要事実について挙証責任を負う者がそれを推認させるに十分な間接事実を証明した場合に,相手方がその間接事実と両立する別個の間接事実を証明し,これによって主要事実の推認を妨げる証明活動をいう。主要事実について真偽不明の状態にすれば足りる(反証)が,主要事実の推認を妨げる間接事実については実質的には相手方が挙証責任を負う(本証)ことになるので,主要事実についての挙証責任の分配を一部修正するものであるとの批判がある。
間接反証理論は,本来,立証責任が転換されるべき証明主題(因果関係の連鎖)を,主要事実ではなく間接事実とする(主要事実である@原因物質,A原因物質の生成・排出のメカニズム,B原因物質の被害者への到達を間接事実であると考える)ことによって,解釈による証明責任の転換を認めないまま,妥当な結論を導こうとするものである。しかし,その論理は,主要事実と間接事実との区別の点で破綻しており,そのような場合には,素直に,立証責任が転換されていることを認めることが重要であると思われる。
推定の大分類 | 根本原理 | 推定の小分類 | 具体例 | 推定を破る方法 |
法律上の推定 | 自由心証が尽きた場合,(真偽不明の場合)にも,「裁判を受ける権利」を確保するため発動される裁判規範 | 法律上の権利推定 | 占有による本権推定(民法186条1項) | 本権の証明 |
境界標等の共有(互有)推定(民法229条) | 専有の証明 | |||
夫婦財産の共有推定(民法762条2項) | 別産の証明 | |||
嫡出(婚姻による出生)推定(772条2項) | 嫡出否認の訴え 親子関係不存在確認の訴え |
|||
法律上の事実推定 | 占有継続の法律上の推定(民法186条2項) | 占有中断(反対事実)の証明 | ||
父性の法律上の推定(民法772条1項) | 海外出張,血液型,DNA鑑定等 | |||
事実上の推定 | 自由心証の範囲内で,裁判官の心証形成を助けるために経験則を活用するもの | 一応の推定 | 宝石盗難事件の発生したホテルで,事件直後に隣室の客が@その宝石をBスーツケースの奥にしまい込んでいた事実が証明されれば,A彼が窃取したのだという推定が可能である。 | 真犯人がその宝石を窃盗後,即座に隣室の客に売却していた等の事実の証明。 |
間接反証 | 公害事件における因果関係の証明に際して,@原因物質,A原因物質の生成・排出のメカニズム,B原因物質の被害者への到達のうち,@とBとの事実の証明があれば,Aの事実のないことが積極的に証明されない限り因果関係を認定してよい。 | Aについて,原因物質を排出しておらず(別の企業が排出していたなど),汚染源になりえないことの証明。 |
なお,間接反証理論については,以下のような批判がなされている(新堂幸司『民事訴訟法』〔第2版〕筑摩書房(1985)355-357頁)。
(参考)新潟地判昭46・9・29下民集22巻9・10号別冊1頁,判時642号96頁,判タ267号99頁
本件中毒症の原因
1 ところで,不法行為に基づく損害賠償事件においては,被害者の蒙つた損害の発生と加害行為との因果関係の立証責任は被害者にあるとされているところ,いわゆる公害事件(ここでは,便宜,公害対策基本法第2条にいう定義を用いる。以下同じ。)においては,被害者が公害に係る被害とその加害行為との因果関係について,因果の環の一つ一つにつき,逐次自然科学的な解明をすることは,極めて困難な場合が多いと考えられる。特に化学工業に関係する企業の事業活動により排出される化学物質によつて,多数の住民に疾患等を惹起させる公害(以下「化学公害」という。)などでは,後記のところから明らかなように,その争点のすべてにわたつて高度の自然科学上の知識を必須とするものである以上,被害者に右の科学的解明を要求することは,民事裁判による被害者救済の途を全く閉ざす結果になりかねない。
けだし,右の場合,因果関係論で問題となる点は,通常の場合,1 被害疾患の特性とその原因(病因)物質,2 原因物質が被害者に到達する経路(汚染経路),3 加害企業における原因物質の排出(生成・排出に至るまでのメカニズム)であると考えられる。
ところで,1については,被害者側において,臨床,病理,疫学等の医学関係の専門家の協力を得ることにより,これを医学的に解明することは可能であるとしても,前記一に認定したような熊本の水俣病の例が端的に示しているように,そのためには,相当数の患者が発生し,かつ,多くの犠牲者とこれが剖検例が得られなければ,明らかにならないことが多く,2については,企業からの排出物質が色とか臭いなどにより外観上確認できるものならばいざ知らず,化学物質には全く外観上確認できないものが多いため,当該企業関係者以外の者が排出物の種類,性質,量などを正確に知ることは至難であるばかりでなく,これが被害者に到達するまでには,自然現象その他の複雑な要因も関係してくるから,その汚染経路を被害者や第三者は,通常の場合,知り得ないといえよう(こうした目に見えない汚染に不特定多数の人が曝らされ,しらずしらずのうちに健康を蝕まれ,被害を受ける,というのが,むしろこの種公害の特質ともいえよう。)。そして,3にいたつては,加害企業の「企業秘密」の故をもつて全く対外的に公開されないのが通常であり,国などの行政機関においてすら企業側の全面的な協力が得られない限り,立入り調査をして試料採取することなどはできず,いわんや権力の一かけらももたない一般住民である被害者が,右立入り等をすることによりこれを科学的に解明することは,不可能に近いともいえよう。加えて,この種公害の被害者は,一般的にいつて加害者と交替できる立場にはなく,加害企業が「企業秘密」を解かぬ以上,その内容を永遠に解き得ない立場にある。一方,これに反し,加害企業は,多くの場合,極言すると,生成,排出のメカニズムにつき排他的独占的な知識を有しており,3については,企業内の技術者をもつて容易に立証し,その真実を明らかにすることができる立場にある。
以上からすると,本件のような化学公害事件においては,被害者に対し自然科学的な解明までを求めることは,不法行為制度の根幹をなしている衡平の見地からして相当ではなく,前記1,2については,その状況証拠の積み重ねにより,関係諸科学との関連においても矛盾なく説明ができれば,法的因果関係の面ではその証明があつたものと解すべきであり,右程度の1,2の立証がなされて,汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合,3については,むしろ企業側において,自己の工場が汚染源になり得ない所以を証明しない限り,その存在を事実上推認され,その結果すべての法的因果関係が立証されたものと解すべきである。
2 今,これを本件についてみると,本件中毒症は,すでに認定のような臨床,病理,動物実験等の研究結果により,水俣病と呼ばれる低級アルキル水銀中毒症であつて,その病因物質は低級アルキル水銀,特にメチル水銀であることは科学的にも明らかにされているから,前記1については立証はつくされており,
2については,患者らが阿賀野川河口に棲むメチル水銀で汚染された川魚を多量に摂食したことが原因であることは明らかにされたものの,その川魚汚染の原因については,科学的に充分解明されたとは解し得ないうらみがあるが,原告ら主張の工場排液説において,鹿瀬工場がアセトアルデヒド製造工程の廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けていたこと,鹿瀬工場アセトアルデヒド反応系施設および工場排水口付近の水苔からいずれもメチル水銀化合物ないしその可能性が極めて大きい物質が検出されたこと,食物連鎖による濃縮蓄積により,超稀薄濃度汚染から川魚に高濃度の汚染をもたらすことがありうること,上流の汚染有機物(浮遊物)等は,下流,特に河口感潮帯に沈積し易いともいえることなどが立証され,阿賀野川の時間的,場所的汚染態様との関係も,説明が容易でない現象も一部にはあるとしても,関係諸科学との関連においてもすべて矛盾なく説明できるのであるから,前記1に説示した程度の立証はあつたものと解すべきである。他方,被告主張の農薬説は,塩水楔による汚染経路の可能性しか残らないところ,それ自体にも科学的な疑問点が少なくないばかりではなく,関係諸科学との関連において,阿賀野川の時間的,場所的汚染態様と矛盾し,説明のつかない点もあり,また,農薬説で立証された事実も,工場排液説の成立を妨げるものではない。
そして,前記3については,被告は,鹿瀬工場におけるメチル水銀の生成,流出を否定することができなかつたばかりではなく,かえつてその生成,流出の理論的可能性は肯定され,あまつさえ,前記のとおり工場内および排水口付近の水苔よりメチル水銀化合物ないしはその可能性が極めて大きい物質が検出されたことが証明されているから,鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程において,メチル水銀化合物が生成,流出され,工場排水とともに阿賀野川に放出されていたものと推認せざるを得ない。
以上からして,被告が鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に生じた廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けたことと本件中毒症の発生とは,法的因果関係が存在するものと判断すべきである。
なお,前記因果関係論が加害企業に対して酷を強いるものでないことは,本件におけるつぎの指摘からみても明らかであろう。すなわち,すでに再三指摘したように,被告は,鹿瀬工場アセトアルデヒド製造工程関係の製造工程図を焼却し,反応系施設,反応液等から試料を採取する等して資料を保存することなく,プラントを完全に撤去してしまつている。被告が本件の因果関係の存否の立証に,一企業としては他に例を見ない程,人的,物的設備を動員し,これに莫大な費用を投じていることは,弁論の全趣旨から明らかである。
しかし,被告は前記資料を廃棄等する以前,すでに鹿瀬工場が本件中毒症の汚染源として疑われていることを承知していたのであるから,これが疑惑を解くため,前記資料等を保存してさえおけば(これが容易であることは多言を要しない),これを証拠資料として提出することができ,その場合は,前記因果関係論にしたがつても,3について容易に立証でき,もし真実が被告主張のとおりであるとすれば,右因果関係の存在をたやすく覆すことができたものと思われる。
3 要するに,本件中毒症は,被告鹿瀬工場の事業活動により継続的にメチル水銀を含んだ工場排水が阿賀野川に放出され,同川を汚染して同川に棲息している川魚を汚染し,この汚染川魚を多量に摂食した沿岸住民に惹起させたアルキル水銀中毒症であり,原因出所を含めた水俣病に類似するものとして,第二の水俣病と呼称するのも差し支えないといえる。
立法や解釈によリ不法行為責任が強化されると,その責任を負う者は,予期しない損害を負担する場合を生じ,自由活動を阻害される危険が大きくなり,何らかの自衛手段を講ずる必要を生じる。他方被害者は,加害者の賠償能力が欠如すると,不法行為責任が強化されても,実際には被害の損補を受けられない事態を生ずる。
そこで責任保険が必要となる。そして,被害者救済の要請が社会的に強い事故については,加害者の賠償能力を強化するため,不法行為責任を負う危険のある者に責任保険に強制加入させる制度が設けられるに至った(自賠法による自賠責保険,労災保険法による労災保険,原子力損害賠個法による原子力損害賠償責任保険等)。
なお,加害者が不明であるとか,判明していてもその者が無資力である場合などのため,事実上救済を受けられない被害者に対する救済制度として,犯罪被害者等給付金支給法,自動車事故損害賠償保障法72条,警察官の職務に協力援助した者の災害給付に関する法律,証人等の被害についての給付に関する法律などに基づく被害者補償制度がある。
不法行為による損害賠償責任と債務不履行による損害賠償責任(契約責任)とは,同じく違法な行為による責任として共通点を有する。しかし,債務不履行責任(契約責任)は,当事者間に契約関係が存在していることが必要であるが,不法行為責任では,通常は,赤の他人であった者どうしが不法行為により債権者(被害者),債務者(加害者)の関係に入るのであって,典型的な事例においては,両者は適用場面を異にする。ところが,例えば,借家人が失火で賃借家屋を焼失させた場合や賃貸借終了後の不法占拠の場合のように,不法行為責任を生じさせる行為が同時に債務不履行責任(契約責任)の要件をも充たす場合があり,その場合に,賃貸借契約上の責任の追及すなわち債務不履行に基づく損害賠償請求権と,所有権の侵害として不法行為に基づく損害賠償請求権との競合を認めるかどうかが問題となる。両者の競合を認める見解を請求権競合説と呼び,競合を否定する見解を法条競合説(請求権非競合説)と呼ぶ。
法条競合説は,契約責任法は不法行為責任法の特別法であると解し,両請求権が競合するようにみえる場合でも契約責任法のみが適用され一般法としての不法行為責任法は排除されるとする。契約責任法を適用した場合と不法行為責任法を適用した場合の主要な相違点は,過失の主張・証明責任の所在,消滅時効期間である。判例・通説は,請求権競合説にたつ(大連判明45・3・23民録18輯315頁,大判大15・2・23民集5巻104頁等)。
大連判明45・3・23民録18輯315頁
賃借人が失火して賃借家屋を焼失させた時は,不法行為になると同時に債務不履行となるが,債務不履行については失火責任法の過失に関する特例の適用はない。
同旨:最二判昭30・3・25民集9巻3号385頁
「失火ノ責任ニ関スル法律」は「民法第709条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス……」と規定するところであって,債務不履行による損害賠償請求の本件(賃借人に帰責事由がある場合の賃借工場の滅失事件)の本件に適用のないことは明らかである。
大判大15・2・23民集5巻104頁
運送人の過失で貨物が滅失したときは通常は債務不履行および不法行為となるから,荷送人が高価品運送に際し種類価額を告げなかったために運送人が債務不履行の責任を負わない場合にも,一般普通人の注意を怠って所有者に損害を生じさせた不法行為上の責任を免れえない。
最三判昭38・11・5民集17巻11号1510頁
運送品滅失,毀損の場合の運送取扱人ないし運送人に対する債務不履行に基づく損害賠償請求権と不法行為に基づく損害賠償請求権とが競合する場合であって,運送品の取扱上通常予想される事態ではなく,契約本来の目的範囲を著しく逸脱する態様において,運送品の滅失,毀損が生じた場合には,運送取扱人ないし運送人に対する債務不履行に基づく損害賠償請求権と不法行為に基づく損害賠償請求権との競合が認められる。
最二判昭44・10・17判時575号71頁
所論引用の当裁判所昭和38年11月5日第三小法廷判決は,「運送取扱人ないし運送人の責任に関し,運送取扱契約ないし運送契約の債務不履行に基づく賠償請求権と不法行為に基づく賠償請求権との競合を認めうることは,大審院判例(大正14年(オ)第954号,同15年2月23日判決,民集5巻108頁)の趣旨とするとおりであって,当裁判所もこれを認容するものである。」と判示し,右両請求権が当然競合することを肯定しているのであって,所論の如く,不法行為責任の成立するのを,運送品の取扱上通常予想される事態ではなく,契約本来の目的範囲を著しく逸脱する場合にだけ限定したものではない。
のみならず,荷役業者である上告人は,運送契約の当事者ではないから,運送委託者に対して直接契約上の義務を負うものではなく,運送人の運送契約上の債務不履行に基づく損害賠償義務のいかんは,直ちに荷役業者の右不法行為に基づく損害賠償義務の成否に影響を及ぼすものとはいえない。したがって,本件につき,これと同旨の見解のもとに両請求権が競合して成立するとしたうえ,被上告人の本訴請求を認容した原審の判断は,相当であって,論旨は理由がない。
国際海上物品運送法14条の規定は,商法における運送人の責任に関する規定と同様に,運送人の運送契約に基づく債務不履行責任に関するものであって,運送人または荷役業者に対する不法行為に因る損害賠償の請求については,その適用がない旨の原審の判断は,正当である。論旨は,これと異る見解に立って原判決を攻撃するものであって,採用できない。
東京地判昭50・11・25判時819号87頁 (運送業者の責任を免責し,従業員の不法行為責任についても,約款上の賠償限度額である3万円の限度でのみ責任を認めた事例)
商法578条が高価品について,種類及び価額の明告を要するとし,これがない場合運送人の免責を認めた趣旨は,高価品は滅失毀損の惧れが大きく,それにつき生ずることあるべき損害額が多額にのぼることから,運送人をして予めその取扱につき,その種類及び価額に応じた特別の配慮をなさしめるとともに,損害が生じた場合の最高限度額を右の告知額に限定して,その限度額を予め運送人に予知せしめ,もって運送人の営業を保護せんとしたものであると解されることはいうまでもない。そうだとすれば,運送品の滅失を理由に,不法行為による損害賠償の請求を受けた運送人としては,同法条適用の要件となる事実,すなわち,自己が商法上の運送人であること,荷送人が貨物の運送を委託したこと,右貨物が高価品であったこと,荷送人が右委託に際し貨物の種類及び価額を明告しなかったことの加重された要件を主張,立証することにより,同法条所定の運送人に特に認められた保護を受けることができるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるのに,本件貨物には別紙一覧表記載の商品が在中していたことを一応認めることができるので,主たる商品が高価品であるというべきであるから,右貨物はそれに該当し,その他の右各要件事実の存在については当事者間に争いがないから,被告会社は同法条により,本件貨物の紛失による損害賠償責任を免れ得るものというべきである。
商法 第577条【運送人の損害賠償責任】
運送人ハ自己若クハ運送取扱人又ハ其使用人其他運送ノ為メ使用シタル者カ運送品ノ受取,引渡,保管及ヒ運送ニ関シ注意ヲ怠ラサリシコトヲ証明スルニ非サレハ運送品ノ滅失,毀損又ハ延著ニ付キ損害賠償ノ責ヲ免ルルコトヲ得ス
商法 第578条【高価品に関する特則】
貨幣,有価証券其他ノ高価品ニ付テハ荷送人カ運送ヲ委託スルニ当タリ其種類及ヒ価額ヲ明告シタルニ非サレハ運送人ハ損害賠償ノ責ニ任セス
商法 第581条【損害賠償の額】
運送品カ運送人ノ悪意又ハ重大ナル過失ニ因リテ滅失,毀損又ハ延著シタルトキハ運送人ハ一切ノ損害ヲ賠償スル責ニ任ス
最一判平10・4・30判時1646号162頁
宅配便の荷物の紛失について荷受人が運送会社に対して運送契約上の責任限度額を超えて損害賠償することが信義則に反し許されないとされた事例
学説では,一時は,法条競合説(フランスでは,現在でも,さまざまな修正を施しつつ,通説・判例の地位を保っている)が有力に主張されたが,現在では,法条競合説を採る者はほとんどいなくなっている。なぜなら,法条競合説は,例えば,債務不履行(415条)と不法行為(709条)の関係について,債務不履行(415条)が不法行為(709条)の法特別法であるとするが,民法の体系上は,民法415条は債権総論に位置し,民法709条は,債権各論に位置するので,法条競合説とは逆に,民法415条が一般法であり,民法709条が特別法であるとも解釈できる。このように,法律上の確固とした根拠もないにもかかわらず,民法415条が民法709条の特別法であるという理由だけを根拠に,具体的な事案の解決を考慮することなく,民法415条のみを適用し,民法709条の適用を否定するという解釈論では,事案解決の具体的な妥当性が確保できないからである。
近時は,法条競合説に代わって,新たな視点に立って,請求権の競合ではなく,非競合を維持しつつ,具体的な妥当性を確保しようとする学説(規範統合説)が有力になっている。すなわち,両責任が競合するようにみえる場合には,あれかこれかの二者択一的な処理は硬直的であるとして,一つの社会的事実が複数の請求権規範の要件を充たすような場合には,その複数の規範の内容を調整・統合して,当該社会的事実に適合した解決を追求する立場である。この説(規範統合説)は,調整・統合の仕方によりさらにいくつかの説に分かれるが,代表的なものは,一つの統一的な要件からその効果として一つの請求権が発生するという基本的考え方に立って,要件と効果の両面において規範を統合し,実体法上,統一的な法術要件に対して一つの請求権が法律効果としてえられるとするもの(全請求権規範統合説(四宮和夫説)),法律要件は,不法行為による損害賠償請求権と契約責任上のそれとの二本立てを認め,単一の請求権の成立にはすぺての法現の構成要件的要素が同時に存在することを前提とするが,法律効果面では実体法上一本に統合されるとするもの(請求権規範競合説)などである。
明治憲法のもとでは,「国家は悪をなさず」という国家無答責の思想が支配的で,国又は公共[同体の賠償責任を定めた一般的法規はなかった。公務員個人についても,故意又は重過失ある場合の責任を認める個別的法規が例外的に存するにとどまった(いずれも改正前における公証人法6,戸籍法4,不動産登記法13)。判例は,国の私経済的活動と非権力的作用については不法行為責任を認めた(大判大5・6・1民録22輯1088頁)が,権力作用についてはこれを認めなかった。
日本国憲法17条は,被害者は法律の定めるところにより損害賠償を請求できる旨を定め,国家無答責の原則を放棄した。これを受けて国家賠償法(昭和22年法律第125号)が制定され,全面的に国の損害賠償責任(通常の民事事件として裁判上取り扱われる)が確立された。
国家賠償法の概要は,以下の通りである。
民法の規定する不法行為責任は,近代法の原理である過失責任を基礎とするものと,危険責任や報償責任等を基礎として過失責任の原則を修正するものとに分かれている。前者を一般不法行為と呼び,後者を特別不法行為と呼んでいる。
一般不法行為の成立要件は,以下の通りである。
一般不法行為の要件の図式化(リレー回路) |
これらの要件について,以下で,詳しく検討する。
かつての通説は,故意とは,自己の行為が違法な結果を生ずるであろうことを認識しながらあえてする心理状態であり,過失とは,不注意のため前記の事実を認識しないで行為する心理状態であるとして,心理状態(意思)を損害賠償責任の根拠として,これを意思主義の不法行為法における発現形態として把握した(心理状態説)。
しかし,近時,過失については,一定の状況の下で,一定の行為(作為・不作為)をすべきなのに,それをしなかったという一種の行為義務違反,つまり,加害者の行為と法の命ずる行為との間に齟齬あることが過失であるとする学説(行為義務違反説)が有力であり,もはや通説であるといってもよい。
これらの学説の争点は,過失を,意思の緊張の欠如としてとらえるか(心理状態説),それとも適切の行動パターンからの逸脱としてとらえるか(注意義務としての行為義務違反説)という問題である。
判例は,早くから,過失とはなすべき一定の行為をしないこと(行為義務違反)としていた(大判明32・12・7民録5輯32頁,大判大5・12・22民録22輯2474頁(大阪アルカリ事件))。
大判明32・12・7民録5輯32頁
行政官庁が,電気会社の施設が電気事業取締規則に適合するかどうかを判定して,その営業を許可したからといって,会社の危険予防設備不十分による損害賠償責任を免脱させるものではない。また,監督官庁がその施設を容認していても,電線架設のごとき危険の工事を施設する者は,その危険予防の設備が十分でないために損害を被らしめたときは,その者に対する賠償の責を免れることができない。
大判大5・12・22民録22輯2474頁(大阪アルカリ事件)
化学工業に従事する会社,其他の者が其目的たる事業に因りて生ずることあるべき損害を予防するが為め,右事業の性質に従ひ相当なる設備を施したる以上は,偶他人に損害を被らしめたるも之を以て不法行為者として其損害賠償の責に任ぜしむることを得ざるものとす。何となれば斯る場合に在りては,右工業に従事する者に民法第709条に所謂故意又は過失ありと云ふことを得ざればなり。
是を以て原裁判所が「控訴人(上告人)の如く,亜硫酸瓦斯を作り之を凝縮して硫酸を製造し銅を製煉する等,化学工業に従事する会社に在りては,其代理人たる取締役等が其製造したる亜硫酸並硫酸瓦斯が現に其設備より遁逃することを知らざる筈なく,又遁逃したる是等の瓦斯が附近の農作物其他人畜に害を及ぼすべきことを知らざる筈もなく,若し之を知らざりしとせば之れ其作業より生ずる結果に対する調査研究を不当に怠りたるものにして之を知らざるに付き過失あるものと認むるを相当とするが故に,控訴人が被控訴人の右損害に付き不法行為者として賠償の責任あるものとす。控訴人は硫煙の遁逃を防止するに付き今日技術者の為し得る最善の方法を尽せるが故に控訴人に責任なしと論すれども,控訴人の製造したる硫煙が被控訴人の農作物を害したる以上は,其硫煙の遁逃は控訴人の防止するを得ざりしものなると否とに拘らず,被控訴人の被害は控訴人の行為の結果なるが故に控訴人は之に対し責任を有することは多弁を要せず。」と判示し,以て上告会社に於て硫煙の遁逃を防止するに相当なる設備を為したるや否やを審究せずして,漫然,上告会社を不法行為者と断したるは右不法行為に関する法則に違背したるものにして原判決は到底破毀を免れず。
ところで,上記の判例は,一見,企業(大阪アルカリ株式会社)が排出する煤煙によって農作物に被害を与えた場合において,企業の過失が否定された事件のように読める。しかし,差戻後の控訴審判決において,以下のように,改めて企業の過失が認定され,不法行為責任が認められていることに留意しなければならない(民法判例百選U第77事件参照)。
差戻審(大阪控判大8・12・27新聞1659号11頁)では,まず,結果についての予見があったとし,さらに,ガスの噴出遁逃を防止するに付き当時技術者の為しうる適当な方法を尽くしたとはいえない−焚鉱炉設備の一部が老朽化し換気装置も付されておらず,また煙突の高さも独・米・日立鉱山の例と比較すると不十分だとする−と述べ,かかる営業を為すことは権利といえども,他人の収穫に損害を来たさないよう注意し,結果防止のため手段講ずべきは当然の理であるとしている。そして,原告等の請求の拡張により,賠償額も増額された。
近時の通説は,過失を心理状態ではなくして適切な行動パターンからの逸脱として捉えようとする(過失の客観化)。そして,注意義務は,結果の発生を予見して回避すべき義務であるので,結局のところ,過失を構成する要素は,予見できる結果についての「結果回避義務違反」として,すなわち,「結果回避義務違反」を中心として,以下のようにまとめることができる(@の予見義務はAの結果同避義務の手段的義務である)。
なお,従来,刑法では,故意・過失を区別する実益があるが,民法では,区別する実益はほとんどないとされてきた。しかし,最近では,間接損害(企業損害),慰籍料算定,債権侵害における不法行為の成否などを論ずる上で,両者を区別する実益があるとの有力な学説が台頭してきている。
過失に関しては,新薬開発における副作用の問題や,新しい科学技術の利用など,予見可能性の有無をめぐり,深刻かつ困難な問題となる場面が多々存する(最一判昭36・2・16民集15巻2号244頁(東大梅毒輸血事件))。
最一判昭36・2・16民集15巻2号244頁(東大梅毒輸血事件)
給血者がいわゆる職業的給血者で,血清反応陰性の検査証明書を持参し,健康診断および血液検査を経たことを証する血液斡旋所の会員証を所持していた場合でも,同人が医師から問われないためその後梅毒感染の危険のあったことを言わなかったにすぎないような場合,医師が,単に「身体は丈夫か」と尋ねただけで,梅毒感染の危険の有無を推知するに足る問診をせずに同人から採血して患者に輸血し,その患者に給血者の罹患していた梅毒を感染させるに至ったときは,同医師は右患者の梅毒感染につき過失の責を免れない。
結果の予見可能性がある場合には,結果の予見義務があり,結果を回避するための適切な行為をすべき義務が生じ,これが注意義務ということになる。その違反すなわち過失を判定する基準となる注意の程度は,通常人・一般人として要求される程度の注意である。いわゆる「善良な管理者の注意」(民法400条)といわれる基準と同一である。個々人の具体的事情を捨象するものであるため,抽象的過失と呼ばれる(客観的過失説)。
もっとも,通常人・一般人といっても,それは具体的な職業・地位,環境等を考慮に入れた通常人・一般人であり,登記官吏による登記行為その他高度な専門技術的行為については,それなりに高度な注意義務が課せられている(最判昭43・6・27民集22巻6号1339頁)。
医療事故の場合には,契約上の責任(債務不履行)の場合も含めて,「人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は,その業務の性質に照らし,危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求され」(前掲最判昭36・2・16(東大梅毒輸血事件)),最善の注意義務の内容については,判例は,当初は,「診療当時の医学知識に基づ」くとし(最一判昭44・2・6民集23巻2号195頁),いわゆる「学問としての医学水準」論を採っていた。
最一判昭44・2・6民集23巻2号195頁(水虫治療のためのレントゲン線照射事件)
(水虫の治療方法たるレントゲン線照射が皮膚癌発生の主要な原因となっているとされた事例について)人の生命および健康を管理する業務に従事する医師は,その業務の性質に照らし,危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるとすることは,すでに当裁判所の判例(当裁判所第一小法廷判決昭和31年(オ)第1065号,同36年2月16日民集15巻2号244頁参照)とするところであり,したがって,医師としては,患者の病状に十分注意しその治療方法の内容および程度等については診療当時の医学的知識にもとづきその効果と副作用などすべての事情を考慮し,万全の注意を払って,その治療を実施しなければならないことは,もとより当然である。
しかし,その後,態度を変更し,一連の未熟児網膜症事件に関して,右注意義務の基準が「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」であるとし(最三判昭57・3・30判時1039号66頁(日赤高山病院未熟児網膜症訴訟上告事件),最三判昭60・3・26民集39巻2号124頁,最一判昭63・3・31判時1296号46頁,最二判平4・6・8判時1450号70頁など),いわゆる「実践としての医療水準」論を採用するに至った。
最三判昭57・3・30判時1039号66頁(日赤高山病院未熟児網膜症訴訟上告事件)
昭和44年12月出生した未熟児の観護療養が行われた昭和45年初めにおいては,光凝固法は,未熟児網膜症についての先駆的研究家の間で漸く実験的に試みられ始めたという状況であって,光凝固治療を一般的に実施することができる状態ではなく,患児を光凝固治療の実施可能な医療施設へ転医させるにしても,転医の時期を的確に判断することを一般的に期待することは無理な状況であったなど,判示の事実関係のもとにおいては,右未熟児の観護療養を担当した眼科医師には光凝固治療についての説明指導義務及び転医指示義務はないとされた事例
最三判昭60・3・26民集39巻2号124頁
昭和51年2月に在胎34週体重1,200グラムで出生した極小未熟児が急激に進行する未熟児網膜症により失明した場合において,当該病院には当時未熟児網膜症の治療方法として一般的に認められるに至っていた光凝固等の手術のための医療機械がなく,また,同児の眼底検査を担当した眼科医が,未熟児網膜症についての診断治療の経験に乏しく,生後32日目にした1回目の検査とその1週間後にした2回目の検査により,眼底の状態に著しく高度の症状の進行を認めて異常を感じたにもかかわらず,直ちに同児に対し適切な他の専門医による診断治療を受けさせる措置をとらなかったため,同児が適期に光凝固等の手術を受ける機会を逸し失明するに至った等の判示の事実関係のあるときは,眼科医には右失明につき過失があるものというべきである。
最一判昭63・3・31判時1296号46頁
昭和46年2月出生した極小未熟児の保育管理を担当した産婦人科医に光凝固法を実施することを前提とした眼底検査を依頼する義務がないとされた事例
最二判平4・6・8判時1450号70頁
昭和47年9月に出生した未熟児が未熟児網膜症により失明したことを理由とする慰謝料の請求について,「本症に対する光凝固法は,当時の医療水準としてその治療法としての有効性が確立され,その知見が普及定着してはいなかったし,本症には他に有効な治療法もなかったというのであり,また,治療についての特別な合意をしたとの主張立証もないのであるから,A医師には,本症に対する有効な治療法の存在を前提とするち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき注意義務はなかったというべきであり,被上告人らが前記のようなあきらめ切れない心残り等の感情を抱くことがあったとしても,A医師に対し,一郎に光凝固法等の受療の機会を与えて失明を防止するための医療行為を期待する余地はなかったのである。しかるに,原判決が,同医師が本症に対する正確な診断と経過観察の機会を失わせたこと,一郎の眼症を白内障と誤診したこと等を指摘して,同医師が著しくずさんで正誠実な医療行為をしたと評価し,唯一の可能性であったかもしれない光凝固法受療の機会をとらえる余地さえ与えなかったとして,上告人の責任を肯認したのは,結局,本件医療契約の内容として,同医師に対し,医療水準を超えた医療行為を前提とした上で,ち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき注意義務を求め,その義務違反による法的責任を肯認したものといわざるを得ない」として,担当の眼科医師に注意義務違反を認めた判断を違法とした事例。
その後,さらに,この臨床医学の実践における医療水準は,全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく,診療に当たった当該医師の専門分野,所属する診療機関の性格(大学病院がどうかなど),その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるとした(最二判平7・6・9民集49巻6号1499頁(未熟児網膜症姫路日赤事件))。←確立した判例の立場といわれている(田中豊『最判解平7下563頁)。
最二判平7・6・9民集49巻6号1499頁(未熟児網膜症姫路日赤事件)
新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては,当該医療機関の性格,その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり,右治療法に関する知見が当該医療機関と類似の特性を備えた医療機関に相当程度普及しており,当該医療機関において右知見を有することを期待することが相当と認められる場合には,特段の事情がない限り,右知見は当該医療機関にとっての医療水準であるというべきである。
昭和49年12月に出生した未熟児が未熟児網膜症にり患した場合につき,その診療に当たった甲病院においては,昭和48年10月ころから,光凝固法の存在を知っていた小児科医が中心になって,未熟児網膜症の発見と治療を意識して小児科と眼科とが連携する体制をとり,小児科医が患児の全身状態から眼科検診に耐え得ると判断した時期に眼科医に依頼して眼底検査を行い,その結果未熟児網膜症の発生が疑われる場合には,光凝固法を実施することのできる乙病院に転医をさせることにしていたなど判示の事実関係の下において,甲病院の医療機関としての性格,右未熟児が診療を受けた当時の甲病院の所在する県及びその周辺の各種医療機関における光凝固法に関する知見の普及の程度等の諸般の事情について十分に検討することなく,光凝固法の治療基準について一応の統一的な指針が得られたのが厚生省研究班の報告が医学雑誌に掲載された昭和50年8月以降であるということのみから,甲病院に当時の医療水準を前提とした注意義務違反があるとはいえないとした原審の判断には,診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準についての解釈適用を誤った違法がある。
しかし,医療水準は,医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから,平均的医師が現に行っている医師慣行とは必ずしも一致するものではなく,医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって,医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできないとして(最三判平8・1・23民集50巻1号1頁),医療水準=医療慣行論を否定し,いわゆる規範的医療水準論を採ることを表明した。
最三判平8・1・23民集50巻1号1頁(虫垂切除手術中の心停止による脳障害事件)
人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は,その業務の性質に照らし,危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和31年(オ)第1065号同36年2月16日第一小法廷判決・民集15巻2号244頁参照),具体的な個々の案件において,債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは,一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和54年(オ)第1386号同57年3月30日第三小法廷判決・裁判集民事135号563頁,最高裁昭和57年(オ)第1127号同63年1月19日第三小法廷判決・裁判集民事153号17頁参照)。そして,この臨床医学の実践における医療水準は,全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく,診療に当たった当該医師の専門分野,所属する診療機関の性格,その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが(最高裁平4年(オ)第200号同7年6月9日第二小法廷判決・民集49巻6号1499頁参照),医療水準は,医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから,平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく,医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって,医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。
ところで,本件麻酔剤の能書には,「副作用とその対策」の項に血圧対策として,麻酔剤注入前に1回,注入後は10ないし15分まで2分間隔に血圧を測定すべきであると記載されているところ,原判決は,能書の右記載にもかかわらず,昭和49年ころは,血圧については少なくとも5分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったとして,当時の医療水準を基準にする限り,被上告人鳥本に過失があったということはできない,という。しかしながら,医薬品の添付文書(能書)の記載事項は,当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が,投与を受ける患者の安全を確保するために,これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから,医師が医薬品を使用するに当たって右文書に記載された使用上の注意事項に従わず,それによって医療事故が発生した場合には,これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り,当該医師の過失が推定されるものというべきである。
そして,前示の事実に照らせば,本件麻酔剤を投与された患者は,ときにその副作用により急激な血圧低下を来し,心停止にまで至る腰麻ショックを起こすことがあり,このようなショックを防ぐために,麻酔剤注入後の頻回の血圧測定が必要となり,その趣旨で本件麻酔剤の能書には,昭和47年から前記の記載がなされていたということができ(鑑定人宮崎正夫によると,本件麻酔剤を投与し,体位変換後の午後4時35分の血圧が124ないし70,開腹時の同40分の血圧が122ないし72であったものが,同45分に最高血圧が50にまで低下することはあり得ることであり,ことに腰麻ショックというのはそのようにして起こることが多く,このような急激な血圧低下は,通常頻繁に,すなわち1ないし2分間隔で血圧を測定することにより発見し得るもので,このようなショックの発現は,「どの教科書にも頻回に血圧を測定し,心電図を観察し,脈拍数の変化に注意して発見すべしと書かれている」というのである),他面,2分間隔での血圧測定の実施は,何ら高度の知識や技術が要求されるものではなく,血圧測定を行い得る通常の看護婦を配置してさえおけば足りるものであって,本件でもこれを行うことに格別の支障があったわけではないのであるから被上告人鳥本が能書に記載された注意事項に従わなかったことにつき合理的な理由があったとはいえない。すなわち,昭和49年当時であっても,本件麻酔剤を使用する医師は,一般にその能書に記載された2分間隔での血圧測定を実施する注意義務があったというべきであり,仮に当時の一般開業医がこれに記載された注意事項を守らず,血圧の測定は5分間隔で行うのを常識とし,そのように実践していたとしても,それは平均的医師が現に行っていた当時の医療慣行であるというにすぎず,これに従った医療行為を行ったというだけでは,医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということはできない。
判例のように,「過失=行為義務違反」というとらえ方をした場合,その行為基準は,法の性質からして,当然一般標準人の行為となる。そうすれば,ある行為をする人と接触する他人は,その行為者が一般標準人として行為をするものと期待し信頼してよい。すなわち,相手方にも法の命ずる一般標準人としての行為基準があるのであり,行為者としては,相手方も一般標準人としての行為義務を守るであろうことを期待し信頼してよいことになる(注意義務の分配,危険の分配)。
このように,他人が一般標準人としての行為義務を守ることを信頼してよく,他人の行為義務違反の行為まで考慮する必要はないということを「信頼の原則」という。この原則は,特に交通事故に関して問題となり,刑事では判例の肯定するところとなっているが,民事では,被害者救済の観点から刑事事件ほどには容易に肯定されないのが現状である(最三判昭43・7・25判時530号37頁,最一判昭44・12・18判時584号75頁,最三判昭45・1・27民集24巻1号56頁など参照)。
最三判昭43・7・25判時530号37頁
被上告人の運転者垣内義治には本件事故について過失がなく,結局,被上告人は本件事故に関し自己および運転者が自動車の運行について注意を怠らなかったこと,第三者に過失があったこと,ならびに被上告人保有の自動車に構造上の欠陥または機能の障害のなかったことを証明したものであるとして,上告人に対し被上告人は自動車損害賠償保障法3条本文の規定による損害賠償義務を負わないとした原審の判断は当審も正当としてこれを是認することができる。
最一判昭44・12・18判時584号75頁
対向車両が進路の中央線を越えて自車の進行車道に進入したためこれと接触した事案につき,過失がないとして損害賠償請求が否定された事例
最三判昭45・1・27民集24巻1号56頁
車両等は,道路交通法42条にいう「交通整理の行われていない交差点で左右の見とおしのきかないもの」に進入しようとする場合においても,その通行する道路の幅員がこれと交差する道路の幅員よりも明らかに広いため,同法36条により優先通行権が認められているときは,徐行する義務を負わない。
なお,失火の場合は,失火者に重大な過失がある場合にだけ損害賠償責任を負う(失火責任法)。重大な過失とは,通常人に要求される程度の相当の注意をしないでも,わずかな注意さえすれば,たやすく違法な結果を予見することができたのに,漫然これをみすごしたような場合,要するに,「ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態」を指すと解されている(最三判昭32・7・9民集11巻7号1203頁)。
最三判昭32・7・9民集11巻7号1203頁
明治32年法律第40号「失火ノ責任ニ関スル法律」但書の規定する「重大ナル過失」とは,通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも,わずかの注意さえすれば,たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに,漫然これを見すごしたような,ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものとすべきである。(ただし,原審認定にかかる事情の下においては,被上告人にその注意義務を怠った過失はあるがその程度が右にいう重大な過失に達するものではなかったと判断するのが相当である。)
失火責任法は不法行為責任の特則を定めるものであって,債務不履行責任には適用されない。したがって,賃借人が軽過失で失火して賃借家屋を焼失させたときは,賃借人は賃貸人に対しては債務不履行責任を免れないが(最二判昭30・3・25民集9巻3号385頁),延焼した近隣の住民に対しては責任を負わないことになる。
損害賠償の請求をする被害者,訴訟における原告にある。しかし,それでは実際問題として被害者が救済されないことが多いので,一定の事実があるときは事実上加害者の過失が推定されることとし,結果においてある程度無過失責任に近づける努力が判例・学説によって試みられている(過失の一応の推定−最判昭51・9・30民集30巻8号816頁,最三判平8・1・23民集50巻1号1頁)。つまり,この過失の一応の推定論(ドイツの表見証明とほぼ同じ)は,事態の外形的経過の証明だけで十分であって,あとは高度の蓋然性を有する経験則によって過失の認定がなされることになる。
最一判昭51・9・30民集30巻8号816頁
インフルエンザ予防接種を実施する医師が,接種対象者につき予防接種実施規則(昭和45年厚生省令第44号による改正前の昭和33年厚生省令第27号)4条の禁忌者を識別するための適切な問診を尽くさなかったためその識別を誤って接種をした場合に,その異常な副反応により対象者が死亡又は罹病したときは,右医師はその結果を予見しえたのに過誤により予見しなかったものと推定すべきである。
最三判平8・1・23民集50巻1号1頁
医師が医薬品を使用するに当たって医薬品の添付文書(能書)に記載された使用上の注意事項に従わず,それによって医療事故が発生した場合には,これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り,当該医師の過失が推定される。
ただし,証明責任の転換に関しては,最高裁は,裁判所が証明責任の転換を解釈によって認めることをかたくなに否定している。不法行為の因果関係の立証責任に関してであるが,最高裁は,法律上の推定は,明文の規定がある場合に限定され,裁判官が解釈によって立証責任の分配を変更すること(立証責任の転換を解釈によって行うこと)を認めていない(最二判平1・12・8民集43巻11号1259頁(鶴岡灯油訴訟上告審判決))。
他人の行為については後に述べる特殊のもの以外は,責任を負わない。しかし,行為者の故意・過失と,これに基づく違法な事実との間に他人の行為が介在し,違法な事実が直接には他人の行為によって生ずる場合でも,行為者が他人の行為を手段として利用する場合には,不法行為が成立する。例えば責任無能力者を利用する行為,債権者が実体上の権利なくして仮差押・仮処分をした場合,実体上の権利がないのに確定判決に基づいて執行した場合などは,不法行為が成立する。
不法行為責任の成立要件として故意・過失が必要とされる以上,その当然の前提として,行為者には,行為の結果の発生を予見したり,回避したりするために必要な一定の知能ないし判断能力があることを要求される。
このような判断能力,すなわち,自己の行為から生ずる一定の結果が違法なものとして法律上非難されるものであることを弁識し得る精神能力を,責任能力という。責任能力のない者,すなわち,弁識能力のない未成年者(民法712条),心神喪失中の者(民法713条)は不法行為責任を負わない。
第712条(責任能力1) 未成年者は,他人に損害を加えた場合において,自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは,その行為について賠償の責任を負わない。
第713条〔責任能力2〕 精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は,その賠償の責任を負わない。ただし,故意又は過失によって一時的にその状態を招いたときは,この限りでない。
未成年老の弁識能力とは,自己の行為からなんらかの法的責任が発生することを認識できる能力を意味し,その基礎は,法律行為における意思能力と同一である(不法行為についての意思能力)。もっとも,責任能力は,行為の結果としての責任を弁識するという点から,一般に意思能力よりやや程度が高くなるといわれる。
判例も,受贈行為については7歳ないし9歳で意思能力を認めるが(大判昭12・10・13民集16巻1510頁),不法行為については,監督義務者責任(民法714条)を追及した事案で,12歳2月の少年に責任能力を否定している(大判大6・4・30民録23輯715頁(光清撃つぞ事件))。
大判大6・4・30民録23輯715頁(「光清撃つぞ」事件)
〔事故発生当時,加害者(秀麿)は満12歳2カ月に満たない年少者であった場合につき,〕原院が加害者山本秀麿に於て本件行為の責任を弁識するに足る知能を有せざるものと認定したるは単に同人の年齢のみに依るにあらず。又単に一般社会上の通念のみに依るにもあらず。被上告人の提出に係る甲第二号証一般社会上の通念及び原院の認定したる本件行為の情況即ち「秀麿が被控訴人(被上告人)外数名の子供と遊戯中被控訴人に対し「光清撃つぞ」と言いつつ銃口を被控訴人に向け居たる際被控訴人が危険たから止めよと制止したるも秀麿の手遂に引金に触れ発砲するに至り弾丸被控訴人顔部に的中し之が為め同人の左眼全然失明したる事実」等に依り之を為した事案につき,原院が法律上の責任と称するは損害賠償の責任と解すべきにあらず。而して民法第712条に「行為の責任を弁識するに足るべき知能」と謂うは固より道徳上不正の行為たることを弁識する知能の意にあらず。加害行為の法律上の責任を弁識するに足るべき知能を指すものと解するを相当とすと判示した事例。
もっとも使用者責任(民法715条)を追及する事案では,11歳11月の少年に責任能力を認めている(大判大4・5・12民録21輯692頁(少年店員豊太郎事件)。
大4・5・12民録21輯692頁(少年店員豊太郎事件)
責任能力を判示するには,責任能力のある事実について特にその判断を明示する必要はなく,判決文記載の事実からそれが確認されればよい。満11歳1か月の営業使用人が,印刷用インキを背負い主用のために自転車に乗り往来を通行していた旨を判示したときは,責任能力を具備していた事実は,容易にうかがうことができる。
未成年者の監督義務者責任については監督義務者責任を問う事案なので,少年に責任能力がないとしないと被害者を救済できず,使用者責任の事案では,使用者責任を問うものなので,少年に責任能力があるとしないと被害者の救済ができないため,このように一見相矛盾するような判決がなされたものだと解されている。つまり,責任能力の有無は,年齢,知能の発達状態からのみ理論的に決められるわけではなく,被害者救済の必要性がかなり考慮されているといえよう。
心神喪失も,その者の知能ないし判断能力が,未成年者が弁識能力を欠くのと同程度の場合を意味する。不法行為の時に心神喪失であればよいので,成年被後見人のように「事理を弁識する能力を欠く常況にある」(民法7条)にある必要はない。成年被後見人でも,不法行為のときに正常に復していれば,不法行為責任を負う。故意・過失により一時の心神喪失を招いた場合には免責されない「原因において自由な行為」(民法713条但し書き))。
709条の「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した」との規定に関しては,立法当時から活発な論議がされていたところであるが,判例は,当初これを文字通り厳格に解し,権利といえるだけ確固としたものでない利益を侵害しても不法行為は成立しないとしていた(大判大3・7・4刑録20輯1360頁(桃中軒雲右衛門浪曲レコード事件))。
大判大3・7・4刑録20輯1360頁(桃中軒雲右衛門浪曲レコード事件)
即興的音楽の演奏で純然たる瞬間創作に属するものは,演奏者の主観においてその旋律が確定する場合または演奏者が特に楽譜を作ってこれを固定させた場合の外は,音楽的著作物として著作権法の保護を受けることはできない。たとい正義の観念に反する行為でも権利の侵害とならなければ不法行為ではない。
しかし,このように「権利」の意味を厳格に解することについては,正義,公平に反するとの批判がなされ,判例も,「709条は故意又は過失に困りて法規違反の行為に出でもって他人を侵害したる者は之に困りて生じたる損害を賠償する責めに任すと云うが如き広汎なる意味に外ならず」とし,「他人の権利とあるの故をもって必ずやこれをその具体的権利の場合と同様の意味における権利の義なりと解し,およそ不法行為ありというときは先ずその侵害せられたるは何権なりやとのせんさくに腐心し吾人の法律観念に照らして大局の土より考察するの用意を忘れ,求めて自ら不法行為の救済を局限するが如きは思わざるもまた甚し」と判示して,「権利」といえなくても,「法律上保護されるべき利益を違法に侵害」したときには,不法行為が成立するものとした(大判大14・11・28民集4巻670頁(大学湯事件))。そして,この判決は,709条の権利侵害とは違法性を意味することを明らかにしたリーディング・ケースと評価されている。
大判大14・11・28民集4巻670頁(大学湯事件)
民法709条・710条に「他人ノ権利」とあるからといって,不法行為があるというためには何権と呼ばれるものの存在が必要なのではなく,法律観念上その侵害に対し不法行為に基づく救済を与える必要があると考えられる利益があればよい。
賃借人が大学湯という老舗を有していたのに,賃貸人が賃貸借の解除に際して営業に補償を払わず,家屋を他人に賃貸して湯屋を営ませているのは,法規違反の行為によって賃借人の得べかりし利益を失わせたもので,不法行為である。
判例の動きに合わせ,学説も「『権利侵害』から『違法性』へ」と展開し,「権利侵害」は違法行為の徴表にすぎず,厳楴な意味での「権利侵害」がなくても,保護に値する他人の利益を違法に侵害したという違法性があれば不法行為が成立するとの理論が支配的となった。
そして違法性の判断は,「被侵害利益の性質・種類」と「侵害行為の態様」との相関関係,例えば,被侵害利益が重大であれば侵害行為の不法性が軽くても違法性があり,逆に,被侵害利益が軽微なものでも,侵害行為が重大であれば違法性があるとする考え方(相関関係説)によってなされるとされた。
この相関関係説は,わが国の通説となったが,近時,権利の意味を広く解すれば違法性を論ずる必要がない(権利拡大説)とか,権利侵害の要件が拡大された以上違法性論は機能を果たして存在理由を失い,ドイツ民法上の意味における違法性を含む高度の政策的価値判断を示す概念である過失へと転化した(新過失論)とか,過失を結果回避義務違反としたうえ,過失を違法性に統合して理解すべきである(違法性一元論)とか,異質的な種々の不法行為を類型化して考察処理すべきである(類型論)など,種々の有力な見解が提唱され,過失論と違法性論を統合し,不法行為の一般的成立要件を再構成しようとする立場から相関関係説への批判が強くなっている。しかし,いずれの説も未だ通説としての相関関係説にとってかわるに至っていない。
なお,一般不法行為の要件について,「権利・法益侵害」が法律要件要素なのか(権利侵害説),又は,「違法性」が法律要件要素なのか(違法性説)についても,議論をしておく必要がある。民法709条の法律要件要素は,違法性ではなく,権利・法益侵害であるとの考え方「権利侵害説」については,以下のような論理的な問題が存在すると思われる。
法律要件要素は,それを含めた全体としての法律要件が充足した場合には,必ず,法律効果が発生すべきものである。ところが,権利・法益の侵害という要件は,その他の要件とともにそれが充足されたとしても,民法720条によって違法性が阻却されると法律効果が発生しない。このことは,権利・法益侵害ではなく,違法性が法律要件要素であるとの考え方を正当化する。
特に,従来,「権利ヲ侵害シタル」とされていた文言が,「権利又は法律上保護される利益を侵害した」と修正された現行法の下では,権利・法益侵害と違法性との区別はほどんどなくなってきており,そうであれば,権利・法益侵害ではなく,違法性を法律要件要素とする方が論理的であるだけでなく,わかりやすい。なぜなら,たとえ権利・法益侵害といえない場合であっても,違法性がある場合には不法行為が成立し,たとえ権利・法益侵害がある場合であっても,違法性がない場合には不法行為は成立しないということができるからである。
なお,社会共同生活上,通常人として当然受忍すべき程度の臭気,煤煙,音響,振動,日光の遮蔽(それらが所有権の円滑な行使を妨げるものであるのか,あるいは人格権的な利益の侵害あるいは生活妨害とみるべきものであるのかについては,争いがある)は,原則として違法性を欠く。
しかし,権利の濫用(所有権行使の濫用など)と認められる場合はもとより,妨害が祉会通念ないし良識に照らして,被害者に社会共同生活上受忍すべきであると考えられる限度(受忍限度)を超えると,違法となり,損害賠償義務を生じる(大判大8・3・3民録25輯356頁(信玄公旗掛松事件),最三判昭47・6・27民集26巻5号1067頁(世田谷区砧町日照妨害事件))など)。実際にどの程度までの侵害が受忍すべきものとして違法性がないとすべきかについて,一般的な基準を定めることは困難であり,具体的場合に即して社会生活上の良識によって決定するほかはない。
大判大8・3・3民録25輯356頁(信玄公旗掛松事件)
権利の行使が社会観念上被害者において認容することができないものと一般に認められる程度を超えたときは,権利行使の適当な範囲でないから不法行為となるものと解すのが相当である。
鉄道沿線にある松の木が他の樹木よりも甚しく煤煙の害を被るべき位置にあり,かつ,その害を予防すべき方法があるにもかかわらず鉄道業者が煤煙予防の方法を施さず煙害の生ずるに任せて枯死させたのは,社会観念上,一般に認容すべきものと認められる範囲を超えたものであって,権利行使に関する適当な方法を行わないものと解するのが相当である。
最三判昭47・6・27民集26巻5号1067頁(世田谷区砧町日照妨害事件)
居宅の日照,通風は,快適で健康な生活に必要な生活利益であって,法的な保護の対象にならないものではなく,南側隣家の2階増築が,北側居宅の日照,通風を妨げた場合において,右増築が,建築基準法に違反するばかりでなく,東京都知事の工事施行停止命令などを無視して強行されたものであり,他方,被害者においては,住宅地域内にありながら,日照,通風をいちじるしく妨げられ,その受けた損害が,社会生活上一般的に忍容するのを相当とする程度を越えるものであるなど判示の事情があるときは,右2階増築の行為は,社会観念上妥当な権利行使としての範囲を逸脱し,不法行為の責任を生ぜしめるものと解すべきである。
公害の分野でも,違法性の判断枠組の理論として受忍限度論が主張される。受忍限度論は,被侵害利益の重大性と加害行為の態様とを相関的に衡量し,被害が受忍すべき限度を越えたときに加害行為を違法と評価しようとするもので,相関関係説の公害における変型といえる。そこで,公害による侵害も,社会生活上受忍すべきものと考えられる程度内のものは違法性がないことになる。これに関連して,公害発生地域への転入の場合において,危険の認識,容認があったときは,そのほかの諸事情と相まって,被害者において受忍すべきものであり,加害者の行為に違法慌がないとして免責が認められることがある(危険への接近の理論)。
判例も,いわゆる大阪国際空港公害事件判決において,この理論を認め,転入に際して航空機騒音による被害の容認があり,かつ,その被害が騒音による精神的苦痛ないし生活妨害のごときもので直接生命,身体にかかわるものでない場合には,大阪国際空港の公共性をも参酌すると,特段の事情のない限り右被害は被害者において受忍すべきものであるとした(最大判昭和56・12・16民集35巻10号1369頁)。
最大判昭和56・12・16民集35巻10号1369頁
当該空港に離着陸する航空機の騒音がその頻度及び大きさにおいて一定の程度に達しており,また,空港周辺住民の一部により右騒音を原因とする空港供用差止請求等の訴訟が提起され,主要日刊新聞紙上に当該空港周辺における騒音問題が頻々として報道されていたなど,判示のような状況のもとに空港周辺地域に転入した者が空港の設置・管理者たる国に対し右騒音による被害について慰藉料の支払を求めたのに対し,特段の事情の存在を確定することなく,転入当時右の者は航空機騒音が問題になっている事情ないしは航空機騒音の存在の事実をよく知らなかったものとし,右請求を排斥すべき理由はないとした原審の認定判断には,経験則違背等の違法がある。(補足意見及び反対意見がある。)
営造物の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りはその施設に危害を生ぜしめる危険性がなくても,これを超える利用によって利用者又は第三者に対して危害を生ぜしめる危険性がある状況にある場合には,そのような利用に供される限りにおいて右営造物につき国家賠償法2条1項にいう設置又は管理の瑕疵があるものというべきである。(補足意見,意見及び反対意見がある。)
被侵害利益は,財産権と人格権とに大別して考えることができる。
大判大4・3・10刑録21輯279頁
債権者の委任を受けて山林の売却に当る者と通謀して不当に廉価で買受けた者は,債権者の権利行使を妨げて債権者に損害を生ぜしめたものである。
第三者が故意過失によって債務の履行を不能にしたときは,債権侵害として,不法行為の損害賠償義務を負う。
民法710条は,財産権の侵害でなくても,身体,自由,名誉の侵害が不法行為になることを示しているが,これは限定的列挙でなく例示的なものであり,これ以外に貞操,氏名,肖像なども広く不法行為制度の保護対象と解されている。
なお,通説は,「人格権」概念を否定し,人格的利益の違法な侵害があれば不法行為が成立するとするが,近時は,プライバシーをも含めてこれらを「一般的人格権」として保護していこうとする考え方が有力になっている(判例については,最判昭和63・6・1民集42巻5号277頁,最判平元・12・21民集43巻12号2252頁参照)。
最大判昭和63・6・1民集42巻5号277頁
原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは,これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。
したがって,死去した配偶者の追慕,慰霊等に関して私人がした宗教上の行為によって信仰生活の静謐が害されたとしても,それが信教の自由の侵害に当たり,その態様,程度が社会的に許容し得る限度を超える場合でない限り,法的利益が侵害されたとはいえない。(補足意見,意見及び反対意見がある。)
最判平元・12・21民集43巻12号2252頁
公立小学校教師の氏名・住所・電話番号等を記載し,かつ,有害無能な教職員等の表現を用いた大量のビラを繁華街等で配布した場合において,右ビラの内容が,一般市民の間でも大きな関心事になっていた通知表の交付をめぐる混乱についての批判,論評を主題とする意見表明であって,専ら公益を図る目的に出たものに当たらないとはいえず,その前提としている客観的事実の主要な点につき真実の証明があり,論評としての域を逸脱したものでないなど判示の事実関係の下においては,右配布行為は,名誉侵害としての違法性を欠く。
ただし,本件配布行為に起因して私生活の平穏などの人格的利益を違法に侵害されたものというべきであり,右ビラの配布者は,これにつき不法行為責任を免れないといわざるを得ない。
第710条(財産以外の損害の賠償)
他人の身体,自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず,前条の規定により損害賠償の責任を負う者は,財産以外の損害に対しても,その賠償をしなければならない。
人の生命は,最も基本的な法益であるから,生命侵害がそれ自体として違法性を帯びることは当然のことである。生命侵害の場合,@生命を奪われた者自身に対する不法行為と,Aその者の父母,配偶者,子など一定の近親者に対する不法行為とが考えられる。
第1に,間接被害者については,711条が被害者の父母,配偶者,子はその財産権を害されないときでも損害賠償請求をすることができる旨明定している(近親老固有の慰謝料請求権)。問題は,711条列挙以外の近親者,例えば孫,兄弟姉妹,内縁の配偶者等も損害賠償の請求をできるかである。財産的損害については,709条によって賠償請求権が認められる。
第711条(近親者に対する損害の賠償)
他人の生命を侵害した者は,被害者の父母,配偶者及び子に対しては,その財産権が侵害されなかった場合においても,損害の賠償をしなければならない。
慰謝料請求権については,711条の反対解釈によって否定する考え方が有力であるが,判例は,「711条所定の者と実質的に同視しうべき身分関係があり,被害者の死亡により甚大な精神的苦痛を受けた者」は,711条の類推適用により損害賠償の請求をできるとしている(最三判昭49・12・17民集28巻10号2040頁)。
最三判昭49・12・17民集28巻10号2040頁
不法行為により死亡した被害者の夫の妹であっても,この者が,跛行顕著な身体障害者であるため,長年にわたり被害者と同居してその庇護のもとに生活を維持し,将来もその継続を期待しており,被害者の死亡により甚大な精神的苦痛を受けた等判示の事実関係があるときには,民法711条の類推適用により加害者に対し慰謝料を請求しうる。
第2に,生命を奪われた被害者自身について,まず財産的損害については,死亡によって被害者は権利主体ではなくなるので,その者に「死亡による損害」の賠償請求権が発生すると考えることは背理のようでもある(大判昭3・3・1O民集7巻152頁(被害者の妻が被害者の死亡(即死)によって生ずべき損害を請求し場合に,それを生前被ったものとし,遺産相続による承継として認めたのは,理由不備の違法がある)の指摘する「死前に死あり若しくは死後に死あり」の矛盾問題)。
この点について,死亡によって生じた損害賠償請求権を否定すると傷害の場合との釣合がとれないことから,判例・学説は,即死の場合でも,被害者は致命傷を与えられたときに死亡による損害賠償請求権を取得し,これが死亡によって相続人に移転するものであり,その間には理論上あるいは実際上多少の時間的間隔があるとする説(時間的間隔説,大判大15・2・16民集5巻150頁(重太郎即死事件)),大判昭16・12・27民集20巻1479頁),生命侵害は身体傷害の極限概念であるとする説(極限概念説),賠償請求のみの範囲において被害者はなお法律観念上の権利主体とみなされるべきであるとする説(死者人格存続説),相続は権利の承継というよりも人格の承継ないし法律上の地位の承継であり,被害者の地位が相続人に承継されるので死亡そのものの損害に対する賠償を相続人が請求しうるとする説(同一人格承継説)などにより,死亡による損害の賠償講求権がまず被害者に発生し,それが相続人に承継されるとする。これらの説は,いずれも相続を肯定するもの(相続肯定説)である。
大判大15・2・16民集5巻150頁(重太郎即死事件)
他人に対し即死を引起すべき傷害を加へたる場合にありても,其の傷害は被害者が通常生存し得べき期間に獲得し得べかりし財産上の利益享受の途を絶止し損害を生ぜしむるものなれば,右傷害の瞬時に於て被害者に之が賠償請求権発生し,其の相続人は該権利を承継するものと解するを相当なりとせざるべからず。
所論の如く被害者即死したるときは,傷害と同時に人格消滅し,損害賠償請求権発生するに由なしと為すときは,傷害の程度小なる不法行為に責任を科するに反し,即死を引起すが如き絶大の加害行為に対し不法行為の責任を免除するの不当なる結果に陥るべく,立法の趣旨茲に存するものと為すを得ざる所なり。然れば,原審が即死の場合に於ても傷害と死亡との間に観念上時間の間隔ありと為し,被上告人先代に付,損害賠償請求権発生したるものと認定したるは結局相当なるを以て論旨は何れも理由なし。
大判昭16・12・27民集20巻1479頁
即死による被害者の賠償請求権はいったん被害者に発生し,ひとつの財産権として相続財産に属し,即時相続によって家督相続人に承継される。
これに対して,近時は,生命権侵害の不法行為損害賠償請求は,権利能力をもたない死亡者には発生帰属し得ないとして,相続人あるいは死亡者に扶養されていた遺族が相続期待権の侵害ないし扶養請求権の侵害を理由に,加害者に対して固有の被害の賠償を請求すべきものとする説(相続否定=固有被害(相続期待権侵害・扶養侵害)説)が通説となっており,相続説をとる裁判実務と対立している。
次に精神的損害に対する慰謝料請求権の相続性についても,問題が多い。当初,判例は,慰謝料請求権の一身専属性を強調し,被害者が慰謝料請求権を行使する意思(請求の意思)を表明しないときは相続の対象とならないが,被害者が死亡前に慰謝料請求権を行使する意思を表明したときは相続の対象となるとした(大判昭和2・5・30新聞2702号5頁(残念事件))。
この立場では,何が請求の意思表示となるのかが問題となり,判例は,被害者が「残念残念」(前掲大判昭和2・5・30)とか,「向うが悪い向うが悪い」(大判昭12・8・6判決全集4輯15号10頁)と叫んだのは請求権を行使する意思を表明したことになるが,「助けて呉れ」(東京控判昭和8・5・26新聞3568号5頁)ではそれに当たらないとした。
大判昭和2・5・30新聞2702号5頁(「残念」事件)
身体傷害による慰謝料請求権は被害者の請求の意思表示のない限り,相続人に移転しないが,請求の意思表示は被害者が加害者に対してその意思を表白すればよく,到達を必要としないから,残念残念と叫びながら死亡したのは,請求の意思を表示したものである。
大判昭12・8・6判決全集4輯15号10頁(「向こうが悪い」事件)
被害者が「向うが悪い,向うが悪い,止める余裕があったのに止めなかったのだ」との意思を表示するのは,加害者に対し慰謝料の請求をする意思を表示したもので,相続人は慰謝料請求権を相続する。
東京控判昭和8・5・26新聞3568号5頁(「助けて呉れ」事件)
慰謝料請求権は被害者の一身に専属し,その請求の意思を表示した場合でなければ,相続人に承継されない。
他人の不法行為に因る慰藉料請求権は被害者の一身に専属する権利なれば,原則として被害者の死亡と共に消滅し相続人と雖之を承継し得ざるを原則とし,只被害者が加害者に対し慰藉料請求の意思を表示したる場合にのみ移転性を有するに至るものとす。然るに,本件に在りては被害者たるタメが慰藉料を請求する意思を表示したることを認めしむるに足る証拠なし。右証人杉浦伊三郎の証言に依れば,右タメは,元丸の顛覆したる際,水中より手を出し,「助けて呉れ」と叫びたることを認め得れども,右はタメが其身に迫れる危害を免がれんが為め救助を求めたるものにして,自己に加へられたる危害に付き加害者に対し慰藉料を請求したるものに非ざるものと認むるを相当とす。従て原告は其主張の如き慰藉料請求権を相続するに由なきものとす。
しかし,このような理由づけでは,即死や人事不省の場合,相続人は慰謝料請求権を相続しえないこととなり,著しく権衡を失するとして学説(当然相続説=当時の通説)から激しい批判をあび,判例は,これら学説の批判に応えて,その後,請求の意思表明がなくても,特別の事情がない限り,慰謝料請求権も当然相続される旨態度を変更した(最大判昭和42・11・1民集21巻9号2249頁)。
最大判昭和42・11・1民集21巻9号2249頁
不法行為による慰謝料請求権は,被害者が生前に請求の意思を表明しなくても,相続の対象となる。(補足意見及び反対意見がある。)
ある者が他人の故意過失によって財産以外の損害を被った場合には,その者は,財産上の損害を被った場合と同様,損害の発生と同時にその賠償を請求する権利すなわち慰藉料請求権を取得し,右請求権を放棄したものと解しうる特別の事情がないかぎり,これを行使することができ,その損害の賠償を請求する意思を表明するなど格別の行為をすることを必要とするものではない。そして,当該被害者が死亡したときは,その相続人は当然に慰藉料請求権を相続するものと解するのが相当である。
けだし,損害賠償請求権発生の時点について,民法は,その損害が財産上のものであるか,財産以外のものであるかによって,別異の取扱いをしていないし,慰藉料請求権が発生する場合における被害法益は当該被害者の一身に専属するものであるけれども,これを侵害したことによって生ずる慰藉料請求権そのものは,財産上の損害賠償請求権と同様,単純な金銭債権であり,相続の対象となりえないものと解すべき法的根拠はなく,民法711条によれば,生命を害された被害者と一定の身分関係にある者は,被害者の取得する慰藉料請求権とは別に,固有の慰藉料請求権を取得しうるが,この両者の請求権は被害法益を異にし,併存しうるものであり,かつ,被害者の相続人は,必ずしも,同条の規定により慰藉料請求権を取得しうるものとは限らないのであるから,同条があるからといって,慰藉料請求権が相続の対象となりえないものと解すべきではないからである。
しからば,右と異なった見解に立ち,慰藉料請求権は,被害者がこれを行使する意思を表明し,またはこれを表明したものと同視すべき状況にあったとき,はじめて相続の対象となるとした原判決は,慰藉料請求権の性質およびその相続に関する民法の規定の解釈を誤ったものというべきで,この違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。
しかし,学説は,この問題でも財産的損害の場合と同様の理由,すなわち,死による苦痛が発生すべきときはそれを感ずべき法主体が存在しないことを理由に,生存中の苦痛に対する慰謝料請求権は被害者本人に発生するが,受傷後死亡であれ即死であれ死亡自体についての慰謝料請求権は遺族にのみ発生するとして,慰籍料請求権の相続性を否定し,即死であれ受傷後死亡であれ,遺族は,固有の慰籍料請求権を有するだけと解すべしとする立場(相続否定説)が通説化している。
人の身体も基本的な法益であるから,身体傷害が違法となることは当然である。身体傷害の場合,傷害を受けた者が損害賠償を請求できることは当然であるが,ここでも生命侵害の場合と同様に,被害者の父母,配偶者,子などに慰謝料請求権が認められるか否かが問題となる。
かつては,民法711条の反対解釈として否定するのが一般であったが,現在では,民法711条所定の場合に類する「被害者が生命を害された場合にも比肩すべき,又はこれに比して著しく劣らない程度の精神的苦痛」を受けた近親者は,民法709条,710条に基づいて固有の慰籍料請求権を取得するとの判例理論が確立している(最三判昭33・8・5民集12巻12号1901頁(一枝顔面負傷事件),最二判昭39・1・24民集18巻1号121頁,最三判昭42・1・31民集21巻1号61頁)。
最三判昭33・8・5民集12巻12号1901頁(一枝顔面負傷事件)
不法行為により身体を害された者の母は,そのために被害者が生命を害されたときにも比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合,自己の権利として慰謝料を請求しうるものと解するのが相当である。
最二判昭39・1・24民集18巻1号121頁
12歳の娘が不法行為により身体の傷害を受け,右受傷の部位程度,治癒後の創痕などが原判示のごとくであるところから,同女が世間なみの幸福な結婚生活にはいることができるかどうかを危惧するなど,人の親として相当の精神的苦痛を味っている場合においては,右父母は,民法709条,710条に基づいて自己の権利として加害者に対し慰謝料の請求ができる。
最三判昭42・1・31民集21巻1号61頁
満7年2月の男児が自動車事故によって重傷を受け,通算約11月にわたる入院,約10回に及ぶ手術等の加療の結果,両足切断は免れたが,現になお判示のような身体障害をのこしている等判示事情のもとで父母が被った精神的苦痛は,右事故によって同児の生命が侵害された場合に比し著しく劣るものでなく,父母は,右苦痛による慰謝料を請求することができる。
ただし,慰謝料否定例として最三判昭42・5・30民集21巻4号961頁,最三判昭42・6・13民集21巻6号1447頁がある。
最三判昭42・5・30民集21巻4号961頁
原審が,その認定した上告人南部文二の負傷および後遺症の程度その他諸般の事実に鑑みると,本件事故により被害者の妻である上告人南部利子の被った精神的苦痛は,いまだ同上告人自身の権利として慰藉料請求権を認めなければならない程重大なものとはいえないとして同上告人の請求を排斥した判断は,正当として首肯できる。原判決に所論の法令解釈の違背があるものとはなしえず,論旨も採用することができない。
最三判昭42・6・13民集21巻6号1447頁
被害者が,不法行為によって,全治まで1年以上を要する左大腿部骨折等の重傷をこうむり,手術等の治療をうけたが,現在においても,左下肢が約30度外旋位をとって約3.5センチメートル短縮し,大腿囲,下腿囲とも狭少となり,股,膝間節の運動領域に障害を残し,正座は不能で,歩行も約1キロメートル以上は苦痛のため不可能な状態である等原審認定の事実関係のもとにおいては,まだ被害者の配偶者および子は,自己の権利として慰謝料を請求することができるものとはいえない。
被害者の死傷により,企業自体が収益の減少という経営上の損害(企業損害)を蒙った場合,企業が損害賠償を請求できるかという,間接波及損害の問題について,判例は,いわゆる個人会社などの場合に限って,これを肯定する(最二判昭和43・11・15民集22巻12号2614頁(真明堂主人負傷事件))。
最二判昭和43・11・15民集22巻12号2614頁(真明堂主人負傷事件)
甲が交通事故により乙会社の代表者丙を負傷させた場合において,乙会社がいわゆる個人会社で,丙に乙会社の機関としての代替性がなく,丙と乙会社とが経済的に一体をなす等判示の事実関係があるときは,乙会社は,丙の負傷のため利益を逸失したことによる損害の賠償を甲に請求することができる。
妻に対する強姦は妻本人に対する不法行為であるばかりでなく,夫に対する不法行為でもある。また,配偶者の一方との情交関係も他方の配偶者に対する不法行為となる(最二判昭41・4・1裁集民83号17頁,最二判昭和54・3・30民集33巻2号303頁。ただし婚姻関係が既に破綻しているときは,特段の事情のない限り不法行為が成立しないことにつき最三判平8・3・26民集50巻4号993頁)。
最二判昭41・4・1裁集民83号17頁
甲女が乙の妻であることを知りながら,丙が甲女と情交同棲関係に入ったことによって,甲乙間の婚姻生活を破壊し,乙をして,右婚姻の解消を決意させた場合には,丙は故意に乙の夫権を侵害したものというべく,これによって蒙った乙の精神上の苦痛を慰藉すべき義務がある。
最二判昭和54・3・30民集33巻2号303頁
夫婦の一方の配偶者と肉体関係を持った第三者は,故意又は過失がある限り,右配偶者を誘惑するなどして肉体関係を持つに至らせたかどうか,両名の関係が自然の愛情によって生じたかどうかにかかわらず,他方の配偶者の夫又は妻としての権利を侵害し,その行為は違法性を帯び,右他方の配偶者の被った精神上の苦痛を慰謝すべき義務があるというべきである。
最三判平8・3・26民集50巻4号993頁
甲の配偶者乙と第三者丙が肉体関係を持った場合において,甲と乙との婚姻関係がその当時既に破綻していたときは,特段の事情のない限り,丙は,甲に対して不法行為責任を負わない。
学説には,これらの場合,他方の配偶者の精神的平和をみたすことに違法性があるとするものや,夫婦間の貞操要求権の侵害として一種の親族権の侵害とするものなどがあるが,判例は,他方の者の「配偶者としての権利」を侵害するから違法となる旨判示する(大判大15・7・20民集5巻318頁,前掲最判昭和54・3・30民集33巻2号303頁)。
大判大15・7・20民集5巻318頁
夫もまた妻に対して貞操を守る義務を負うのであり,夫が自ら家を出て他の女と内縁関係を結び妻を顧みないのは,夫が妻に対して負担する貞操義務に違背する。したがって,夫はその結果に対して責に任ずべくこれがために生じた損害を妻に賠償する義務がある。
しかし,当人同志の自然な愛情にもとづくものであれば,不法行為の成立を否定すべきであるとの学説も有力である。内縁関係にある者の一方と情交関係をもった場合についても,学説は,法律上の夫婦の場合と同様に解すべきであるとするが,古い判例は,婚姻請求権を侵害するから違法となると判示する(大判大8・5・12民録25輯760頁)。
大判大8・5・12民録25輯760頁
第三者が故意過失によって債務の履行を不能にしたときは,債権侵害として,不法行為の損害賠償義務を負う。
婚姻の予約をし事実上の夫婦生活持続中の女と私通し婚姻をすることができないようにしたときは,予約者の一方の権利を侵害したものであるから,その有形無形の損害を賠償しなければならない。
なお,妻及び未成年の子のある男と肉体関係をもった女が妻子のもとを去った右男と同棲するに至った結果,その子が日常生活において父親から愛情を注がれ,その監護,教育を受けることができなくなったとしても,その女が害意をもって父親の子に対する監護等を積極的に阻止するなど特段の事情のない限り,右女の行為は未成年の子に対して不法行為を構成するものではない(前掲最二判昭和54・3・30民集33巻2号303頁,最二判昭和54・3・30家月31巻8号35頁)。
最二判昭和54・3・30民集33巻2号303頁
妻及び未成年の子のある男性が他の女性と肉体関係を持ち,妻子のもとを去って右女性と同棲するに至った結果,右未成年の子が日常生活において父親から愛情を注がれ,その監護,教育を受けることができなくなったとしても,右女性の行為は,特段の事情のない限り,未成年の子に対して不法行為を構成するものではない。(補足意見及び反対意見がある。)
最二判昭和54・3・30家月31巻8号35頁
夫及び未成年の子のある女性と肉体関係を持った男性が夫や子のもとを去った右女性と同棲するに至った結果,その子が日常生活において母親から愛情を注がれ,その監護,教育を受けることができなくなったとしても,その男性が害意をもって母親の子に対する監護等を積極的に阻止するなど特段の事情のない限り,右男性の行為は,未成年の子に対して不法行為を構成するものではない。
最高裁の判決を原告・被告の組み合わせに着目して分類し,表にまとめると以下のようになる。
損害賠償請求の当事者 | 不法行為 の成立 |
判決(年代順) | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
原告 | 被告 | ||||
配 偶 者 の 家 族 |
夫 | 第三者(男) | 肯定 | [1] 最二判昭41・4・1裁集民83号17頁 | 妻と第三者との不貞行為によって婚姻関係が破綻 |
妻 | 第三者(女) | 肯定 | [2] 最二判昭54・3・30民集33巻2号303頁 | 夫と第三者との不貞行為によって婚姻関係が破綻 | |
夫の子 | 否定 | ||||
妻の子 | 第三者(男) | 否定 | [3] 最二判昭54・3・30家月31巻8号35 | 妻と第三者との不貞行為によって婚姻関係が破綻 | |
妻 | 第三者(女) | 否定 | [4] 最三判平8・3・26民集50巻4号993頁 | 不貞行為の当時,夫婦関係がすでに破綻していた | |
妻 | 第三者(女) | 否定 | [5] 最三判平8・6・18家月48巻12号39頁 | 妻が第三者に「夫と離婚するつもりである」と話していた |
離婚の場合も,有責配偶者は,共同生活を違法に破壊したものとして不法行為による損害賠償責任を負うとするのが判例・多数説である(最判昭37・3・15集民59号229頁)。
内縁の不当破棄については,判例は,かつて婚姻予約不履行として債務不履行の構成をとっていたが(大連判大4・1・26民録21輯49頁),最高裁は,内縁が準婚関係であり,保護されるべき生活関係であることを理由に,不法行為責任を認めるに至った(最二判昭和33・4・11民集12巻5号789頁)。
大連判大4・1・26民録21輯49頁
婚姻予約は適法有効であり,法律上これにより婚姻することを強制することはできないが,正当の理由なく婚姻予約に違反し婚姻をなすことを拒絶した者は,被害者である相手方に対し有形無形の損害を賠償する責任がある。
婚姻の予約を履行しないことによって生じた損害の賠償は,違約を原因として請求することを要し,不法行為を原因として請求すべきものではない。
最二判昭和33・4・11民集12巻5号789頁
内縁を不当に破棄された者は,相手方に対し不法行為を理由として損害の賠償を求めることができる。民法760条日常の家事に関する債務の連帯責任)の規定は,内縁に準用されるものと解すべきである。
強姦は当然に不法行為となる。妻ある男と知りながら女が情交関係を結んだ場合,判例は,かつては,708条の精神にかんがみ,女に対する不法行為は成立しないとしていたが(大判昭和15・7・6民集19巻1143頁),最高裁は,それが主として男の詐術,地位利用などの不法手段によるなど男の側の違法性が著しく大きいときは,男は女の貞操等を侵害したものとして不法行為責任を負うとする(最二判昭和44・9・26民集23巻9号1727頁)。
大判昭和15・7・6民集19巻1143頁
甲女が乙男に妻丙のあるのを承知して事実上の夫婦関係を結んだ場合には,たとい丙が他の男子と姦通して出奔し離婚手続の準備中であって,乙はこれを口実と して,真実甲と婚姻する意思がないのにあるように装って甲をだましたときでも,甲は乙に対し貞操侵害を理由として損害賠償を請求することは許されない。
最二判昭和44・9・26民集23巻9号1727頁
女性が,男性に妻のあることを知りながら情交関係を結んだとしても,情交の動機が主として男性の詐言を信じたことに原因している場合で,男性側の情交関係を結んだ動機,詐言の内容程度およびその内容についての女性の認識等諸般の事情を斟酌し,女性側における動機に内在する不法の程度に比し,男性側における違法性が著しく大きいものと評価できるときには,貞操等の侵害を理由とする女性の男性に対する慰謝料請求は,許される。
いわゆるセクシュアル・ハラスメントについては,@性的自由ないし性的自己決定権という人格権ないし人格的利益(代償型セクシュアル・ハラスメント),A職場においていたずらに性的不快感を与えられずに働く利益(環境型セクシュアル・ハラスメント)を侵害するものとして,行為者につき不法行為責任を認める裁判例がある(静岡地沼津文判平2・12・20判タ745号238頁(宿泊施設勤務の女性に対する上司のセクシュアル・ハラスメントについての損害賠償として110万円が認容された事例),福岡地判平4・4・16判時1426号49頁(部下の女性との対立関係に関連してその女性の異性関係をめぐる行状や性向についての悪評を流す等した上司の行為について,不法行為責任が認められ,右上司の行為に対する適切な対処を怠った会社幹部について,被用者のために働きやすい職場環境を維持するよう調整する義務への違反が存するとして,会社の使用者責任が認められた事例),大阪地判平7・8・29判タ893字203頁(自己の雇用する女子事務員に対する性的嫌がらせ行為につき,不法行為に基づく損害賠償責任が認められた事例),奈良地判平7・9・6判タ903号163頁(社団法人に勤務する女性に対する上司のセクシュアル・ハラスメントについての損害賠償として110万円が認容された事例),東京地八王子支判平8・4・15判時1577号100頁(小学校の校長の女性教師に対する卑猥な行為(セクシャル・ハラスメント)について50万円の慰謝料の支払が命じられた事例),仙台高秋田支判平10・5・26判時1681号112頁(出張先のホテル内において大学教授に強制わいせつ行為をされたとする研究補助員の女性の右教授に対する損害賠償請求が認容された事例(秋田県立農業短期大学事件),仙台地判平11・5・24判時1705号135頁(大学助教授の大学院生に対する言動が,教育上の支配従属関係を濫用したもので性的自由等の人格権の侵害に当たり,不法行為を構成するとし,人格権侵害に対する慰謝料として750万円の損害賠償の支払を命じた事例(東北大学大学院セクシュアル・ハラスメント訴訟判決)),名古屋高判平12・1・26判タ1057号199頁(国立大学の助教授が女子学生に対し,コンパの二次会のカラオケの席上,馬乗りになるなどしたことが,社会通念上許容される範囲を逸脱する行為と評価することができ,違法であるとして,同助教授の不法行為責任が認められた事例))など)。
なお,名誉権,プライバシーの権利の侵害等については,特別不法行為の箇所で論じる。
被侵害利益の軽重を問題にするまでもなく,違法性がある。
行政上の目的から一定の行為を禁止したり命じたりする規定を取締法規というが,取締法規の目的が一般私人の利益の保護を図ることにあるときは,その規定に違反して当該保護利益を侵害すると,その行為は違法性を帯びる(大判明45・5・6民録18輯454頁)。
大判明45・5・6民録18輯454頁
銀行の取締役・監査役が過失によって貸借対照表公告義務に関する規定に反する虚偽の公告をし,預金者に損害を与えた場合には,不法行為の責に任じなければならない。
一般の公衆は貸借対照表の公告によって会社の財産状況を知り,それによって定まる会社の信用声価等に頼って会社と取引するのが通常であるから,銀行の預金者が当初預金をするのは,銀行の貸借対照表の公告と上のような因果関係があると推定すべきで,因果関係がないと主張する者に立証責任がある。
具体的場合に応じて,社会の良識により違法性を決定するほかはない(大連判昭和18・11・2民集22巻1179頁(不法な訴訟提起))。
大連判昭和18・11・2民集22巻1179頁
訴の提起が公序良俗に反し不法行為を構成する場合に,被告が弁護士に委任して応訴したことが相当であれば,その弁護士に支払った相当額の費用の賠償を請求することができる。
不法な訴に応訴するため弁護士に支払った費用中,相当範囲の報酬および手数料その他の費用は,該訴により通常生ずべき損害として賠償を請求することができる。
権利を行使することは原則として自由であり,違法性はない。しかし権利といえども,その存在の社会的意義に従い適当な制限を受けるのであるから,この制限を超えて行使することは,その濫用として違法性を帯び,不法行為となる(大判大8・3・3民録25輯356頁(信玄公旗掛松事件),最三判昭47・6・27民集26巻5号1067頁(世田谷区砧町日照妨害事件))。
侵害行為には作為のみならず不作為も含まれる(最一判昭62・1・22民集41巻1号17頁)。
最一判昭62・1・22民集41巻1号17頁(京阪電車置石転覆事件)
中学生のいたずらによりレール上に置石がされたため生じた電車の脱線転覆事故について,甲が,自らは置石行為をせず,また,置石をした乙と共同の認識ないし共謀がなくても,事故現場において事前に,乙を含めて仲間とその動機となった話合いをしたばかりでなく,その直後並行した他の軌道のレール上に石が置かれるのを現認していたものであって,事故の原因となった置石の存在を知ることができ,これによる脱線転覆事故の発生を予見すること及び置石の除去等事故回避の措置をとることが可能であった場合には,甲は,当該措置をとるべき義務を負い,これを尽くさなかったために生じた事故につき過失責任を免れない。
第720条(正当防衛及び緊急避難)
@他人の不法行為に対し,自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため,やむを得ず加害行為をした者は,損害賠償の責任を負わない。ただし,被害者から不法行為をした者に対する損害賠償の請求を妨げない。
A前項の規定は,他人の物から生じた急迫の危難を避けるためその物を損傷した場合について準用する。
侵害行為の態様と被侵害利益の性質からみると違法と評価される場合でも,その行為を容認できる次のような特殊の事由(違法性阻却事由)があるときは,違法性がなく,不法行為は成立しない。
英米法では,損害がなくても名目的損害賠償を認め,また,生じた損害を上回る賠償を懲罰的損害賠償として認めるが,わが民法では,被害者に現実に損害が発生していることが必要であり,生じた損害を賠償限度とする。
不法行為が成立するためには,加害行為と損害の発生との間に因果関係が存在しなければならない。
因果関係は,不法行為の成立の場面における因果関係(成立的因果関係:事実的因果関係ないし自然的因果関係)と,損害賠償の範囲を画するための因果関係(範囲的因果関係:法的因果関係)に区分けされる(なお両者の区別を否定する見解もある)。成立的因果関係としての事実的因果関係は,基本的には,条件説,すなわち「あれなければこれなし」公式(conditio sine qua non)によって判断される。この公式を充たす場合においても,偶然的結果に関する因果関係は否定される(例えば落雷による死亡事例)。
因果関係は,以下の2つのプロセスを通じてその存否が判断される。
以上の2つのテストによって,相当因果関係があるとされる「通常損害」に関してのみ,加害者に対して,民法709条の一般不法行為責任が課されることになる。反対から言えば,事実的因果関係のない損害,および,事実的因果関係はあるが,相当因果関係のない「特別損害」は,損害賠償の範囲から除外されることになる。
なお,相当因果関係があるとされる「通常損害」には,経験則上蓋然性の高い「通常事情から生じる通常損害」と,合理人にとって予見可能な「特別事情から生じる通常損害」とが含まれる。
「Aがないならば,Bが生じない」という関係があるときに,AとBとの間に事実的因果関係があるという(¬A → ¬B ⇔ A → B)。
「AからBが生じる(AならばBである)」ことを証明することは困難である。そこで,以下のような,「あれなければこれなし(sine qua non)」という方法によって,AからBが生じたことを証明することになる(But for テストともいう)。
原因がひとつである場合には,この方法は論理学的に正しいし,説得的でもある。
図1 "sine qua non" の論理 |
(a→b∧b→a),すなわち,単一原因のときにのみ (a→b)と(¬a→¬b)とは同値となる。 |
事実的因果関係があることを前提にして,さらに,Aの存在が,Bの生じる蓋然性を高める関係にある場合に,AとBとの間には,相当因果関係があるという。
相当因果関係説は,ドイツのクリース(J. von Kries)によって初めて主張された理論である[Kries, Wahrsheinlichkeit(1889) S.531]。クリースによって主張された相当因果関係の理論の概要は以下の通りである[浜上・現代共同不法行為(1993)288-292頁]。
一定の行為が損害をもたらしている関係は,一定の行為が,損害発生の蓋然性を高めているときに認められる。このことが認められる場合には,それは,一般的因果関係(ein genereller ursaechlicher Zuzammenhang)があるということができる。その一般的因果関係は,もし行為がなければ生じていないであろうという必要的因果関係の存否によって定まる具体的因果関係(konkrete Verursachung)とはまったく別のものである。上の具体的因果関係は,まだ刑法上の帰責に対する十分な根拠とはならず,帰責のためには,違法な行為が人間社会の一般的関係からしてそのような損害を惹起することに一般的に適したものであるということが付加されなければならない。その場合には,それは相当因果関係〔adaequante Verursachung〕があるということができる。それに対して,そのような一般的因果関係なしに,個々の場合についてのみ,結果は一定の行為がなければ生じなかったであろうということがいえるときは,それは非相当なすなわち偶然的因果関係ということができる。
一例を挙げれば,御者が不注意で,例えば居眠りをしていて,右側の道を間違えて左に行ったために,馬車に乗っていた乗客に雷が落ちて死亡したような場合が,偶然的因果関係である。この場合には,過失が,乗客の死亡を具体的には(in concrets)惹起している。すなわち,その事故は,正常な行為がなされていたならば生じなかったであろう。それにもかかわらず,御者の居眠りは,一般的には(im allgemein),雷による死亡の可能性を増大させていないし,雷による死亡を惹起するのに一般的に適したものではないから,死亡事故は,御者に帰責されることはできないのである。
相当因果関係説は,クリースによって初めて主張されたが,その後,リューメリン(M.Ruemelin)およびトレーガー(L.Traeger)によって,さらに発展する。クリース,リューメリン,トレーガーは,原因として問題となっている条件が,結果の発生を促進しているかどうかの評価を,一般的な基準にしたがってなしている点では共通している。しかし,この評価がなされる対象たる条件の範囲に関して,以下のように相違が存在している[浜上・現代共同不法行為(1993)288-292頁]。
クリースは,行為が結果の発生を促進しているかどうかの評価を,条件の作出者に条件の発生の時点で事前的に(ex ante)個人的に知られていた,もしくは知ることができたすべての事情を基礎にして,事後的に(ex post)存在している一般的な経験上の知識を判断の基準としてなすべきであるとしている。これに対して,リューメリンは,客観的な事後的な予測の理論を主張している。すなわち,結果発生の可能性の判断のために,人類のすべての経験上の知識ならびに,条件の発生の時点で存在しているすべての事情を,その事情が,たとえ最高度の洞察によってのみ認識しうるものであったり,あるいは問題の条件よりも後に生じた事象から事後的に認識しうるものであっても,考慮すべきであると主張する[Ruemelin, Caulalbegriff(1900) S. 189 ff., 216 ff.]。
しかし,必要条件的因果関係説の不当な結果を確実に排除するためには,クリースの見解は,民事上の客観的危険責任や契約責任に関して,あまりにも狭すぎるのに対して,リューメリンの見解はあまりにも広過ぎるといわれる。
それ故,トレーガーは,クリースとリューメリンの見解の欠点を除去すべく,以下のような見解を主張した。ある出来事が,発生した種類の結果の客観的可能性を一般的にわずかでなく高めているときに,相当条件が存在するとトレーガーは考えたのである。そして,トレーガーは,そのような評価に際して,原因たるある事情と,条件の創造者がそれ以外に知っていた事情のみが,考慮されるべきであると考えた。トレーガーは,上のような事情の下で確定された事実関係を,評価の時点で使用することのできる人類のすべての経験上の知識を参考にして,それが損害の発生を重要な仕方で高めているか検討すべきであると主張した[Traeger, Kausalbegriff (1904) S. 159]。
そして,ライヒ裁判所の判例(RGZ 133,126 ; 135,154 ; 148,163 ; 152,49 ; 158,38 ; 168,88 ; 169,91),および,ドイツ連邦裁判所の判例(BGHZ 3,261)は,トレーガーの見解に従っている。ドイツの判例の文言によれば,相当因果関係は「ある事実が,通常(im allgemein)ある結果の惹起に適したものであったときに,したがって,単に特別に個性的な蓋然性のないそして通常の事象経過からすれば考慮の外に置くことができる事情の下でのみ,結果の惹起に適したものでないときに(RGZ 133,126(127) ; BGHZ 3,261(267))」存在するとされている。
このようにして,相当因果関係説においては,Aの存在がBの生じる蓋然性を高める関係にある場合に,BをAから生じる「通常損害」と呼ぶ。すなわち,「通常損害」とは,原因との間に「相当因果関係のある損害」のことである。
これに対して,Aの存在がBの生じる蓋然性を高める関係にない場合には,BをAから生じる「特別損害」と呼ぶ。すなわち,「特別損害」とは,偶然から生じた損害のことであり,原因との間に,「相当因果関係がない損害」のことである。
以下において,「通常損害」と「特別損害」の意味をより詳しく説明する。
以下の2つの損害が,「相当因果関係のある損害」,すなわち,「通常損害」であるとされる。
(a)通常事情損害として相当因果関係を認めた判例
最一判昭和49年4月25日民集28巻3号447頁
交通事故の被害者の近親者が看護等のため被害者の許に往復した場合の旅費(21万6,278円)は,その近親者において被害者の許に赴くことが,被害者の傷害の程度,近親者が看護にあたることの必要性等の諸般の事情からみて,社会通念上相当であり,かつ,被害者が近親者に対し旅費を返還又は償還すべきものと認められるときには,右往復に通常利用される交通機関の普通運賃の限度内においては,当該不法行為により通常生ずべき損害に該当するものと解すべきであり,このことは,近親者が外国(モスクワ)に居住又は滞在している場合でも異ならない。
裁判官大隅健一郎の意見
本件旅費は,不法行為による損害賠償制度の基本理念たる公平の観念に照らし,本件交通事故により被上告人の被った損害として加害者である上告人にその賠償をさせるのが相当と認められるが,しかし一般の常識からいえば,これを本件のような交通事故から通常生ずべき損害と見るのは無理であって,特別の事情によって生じた損害と考えるのが素直ではないかと思う。
(b)特別事情損害として相当因果関係を認めた判例
最一判平成5年9月9日判時1477号42頁
交通事故により受傷した被害者が自殺した場合において,その傷害が身体に重大な器質的障害を伴う後遺症を残すようなものでなかつたとしても,右事故の態様が加害者の一方的過失によるものであつて被害者に大きな精神的衝撃を与え,その衝撃が長い年月にわたって残るようなものであつたこと,その後の補償交渉が円滑に進行しなかつたことなどが原因となって,被害者が,災害神経症状態に陥り,その状態から抜け出せないままうつ病になり,その改善をみないまま自殺に至つたなど判示の事実関係の下では,右事故と被害者の自殺との間に相当因果関係がある。
批評
交通事故による傷害事件で,被害者が自殺するということは,特別事情から生じた通常損害ではなく,特別事情から生じた特別損害であるが,予見可能であれば,損害賠償の対象となるとする方が,説得的ではないだろうか。
これに対して,「特別損害」とは,偶然から生じた損害であり,原因との間の相当因果関係が否定される損害である。
つまり,相当因果関係理論においては,「特別損害」とは,たとえば,両親が子を出生させたことからその子が犯した殺人(人身損害)のように,確かに,「事実的因果関係がある損害」ではあるが,子の出生によって,犯罪率が増加するわけでないので,「相当因果関係のない損害」を意味する。
ただし,以下の対照表によって明らかなように,英米法では,相当因果関係における通常損害のうち,「通常事情に基づく通常損害」を単に「通常損害(general damages)」といい,「特別事情に基づく通常損害」のことを単に「特別損害(special damages)」と呼んでいるので,注意が必要である。
相当因果関係と英米法の法理との間の通常損害と特別損害との概念の相違点 | |||||||||||||||
相当因果関係による説明 | 英米法の判例の法理 Hadley v.Baxendale(1854) |
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(c)特別損害として因果関係を否定した判例
最一判平成11・12・20民集53巻9号2038頁
平成3年9月18日に発生した交通事故の被害者が事故のため介護を要する状態(脳挫傷による知能障害,四肢痙性麻痺等(後遺障害等級1級3号))となった後に別の原因(胃がん)により,平成8年7月8日死亡した場合には,死亡後の期間(平均余命を基礎とすると12年間)に係る介護費用を右交通事故による損害として請求することはできない。
裁判官井嶋一友の補足意見
口頭弁論終結前の被害者の死亡により爾後の介護の必要がなくなった以上は,口頭弁論終結後の被害者死亡の場合における請求異議の訴え等の許否についてどのような結論を採るにせよ,死亡後に要したであろう介護費用を損害として認める余地はないものと考えられる。
訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである(最二判昭和50・10・24民集29巻9号1417頁(東大ルンバール事件))。
最二判昭和50・10・24民集29巻9号1417頁(東大ルンバール事件)
重篤な化膿性髄膜炎に罹患した3歳の幼児が入院治療を受け,その病状が一貫して軽快していた段階において,医師が治療としてルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入)を実施したのち,嘔吐,けいれんの発作等を起こし,これにつづき右半身けいれん性不全麻痺,知能障害及び運動障害等の病変を生じた場合,右発作等が施術後15分ないし20分を経て突然に生じたものであって,右施術に際しては,もともと血管が脆弱で出血性傾向があり,かつ,泣き叫ぶ右幼児の身体を押えつけ,何度か穿刺をやりなおして右施術終了まで約30分を要し,また,脳の異常部位が左部にあったと判断され,当時化膿性髄膜炎の再燃するような事情も認められなかったなど判示の事実関係のもとでは,他に特段の事情がないかぎり,右ルンバールと右発作等及びこれにつづく病変との因果関係を否定するのは,経験則に反する。(補足意見がある。)
事実的因果関係の証明は,被害者にとって通常は困難ではないが,大気汚染,水質汚濁,騒音等の公害事件,医療過誤事件などでは事実的因果関係の存否が重要な争点となり,被害者にとっては,その証明に困難を極める事例も少なくなく,従来から,因果関係の立証負担の軽減,証明責任の転換等が問題とされている。
因果関係の証明は,原因(始点)と結果(終点)との間を結ぶ因果系列の証明である。因果関係の最初の点(原因)と最後の点(結果)の発生が証明できれば,残りの因果系列は,その中断を主張する相手方に証明させるという解釈もありうる。それは,占有の継続について,民法186条2項が,始点と終点において占有の事実を証明したときは,その間の占有の継続を法律上推定していることを類推すれば足りる。
第186条(占有の態様等に関する推定)
A前後の両時点において占有をした証拠があるときは,占有は,その間継続したものと推定する。
しかしながら,最高裁は,法律上の推定は,明文の規定がある場合に限定され,裁判官が解釈によって立証責任の分配を変更すること(立証責任の転換を解釈によって行うこと)を認めていない(最二判平1・12・8民集43巻11号1259頁(鶴岡灯油訴訟上告審判決))。しかし,補足意見も述べているように,因果関係の立証は困難を極めるのであり,証明責任の公平な配分と言う観点からは,単なる立法提案だけでなく,解釈論としても,上記のような民法186条2項の類推解釈のような,立証責任の公平な配分を目指した解決が模索されるべきであろう。
最二判平1・12・8民集43巻11号1259頁(鶴岡灯油訴訟上告審判決)
元売業者の違法な価格協定の実施により商品の購入者が被る損害は,当該価格協定のため余儀なくされた支出分として把握されるから,本件のように,石油製品の最終消費者が石油元売業者に対し損害賠償を求めるには,当該価格協定が実施されなかったとすれば,現実の小売価格(以下「現実購入価格」という。)よりも安い小売価格が形成されていたといえることが必要であり,このこともまた,被害者である最終消費者において主張・立証すべきものと解される。
もっとも,この価格協定が実施されなかったとすれば形成されていたであろう小売価格(以下「想定購入価格」という。)は,現実には存在しなかった価格であり,これを直接に推計することに困難が伴うことは否定できないから,現実に存在した市場価格を手掛かりとしてこれを推計する方法が許されてよい。
そして,一般的には,価格協定の実施当時から消費者が商品を購入する時点までの間に当該商品の小売価格形成の前提となる経済条件,市場構造その他の経済的要因等に変動がない限り,当該価格協定の実施直前の小売価格(以下「直前価格」という。)をもって想定購入価格と推認するのが相当であるということができるが,協定の実施当時から消費者が商品を購入する時点までの間に小売価格の形成に影響を及ぼす顕著な経済的要因等の変動があるときは,もはや,右のような事実上の推定を働かせる前提を欠くことになるから,直前価格のみから想定購入価格を推認することは許されず,右直前価格のほか,当該商品の価格形成上の特性及び経済的変動の内容,程度その他の価格形成要因を総合検討してこれを推計しなければならないものというべきである(前記第一小法廷判決参照)。
更に,想定購入価格の立証責任が最終消費者にあること前記のとおりである以上,直前価格がこれに相当すると主張する限り,その推認が妥当する前提要件たる事実,すなわち,協定の実施当時から消費者が商品を購入する時点までの間に小売価格の形成に影響を及ぼす経済的要因等にさしたる変動がないとの事実関係は,やはり,最終消費者において立証すべきことになり,かつ,その立証ができないときは,右推認は許されないから,他に,前記総合検討による推計の基礎資料となる当該商品の価格形成上の特性及び経済的変動の内容,程度その他の価格形成要因をも消費者において主張・立証すべきことになると解するのが相当である。
(島谷六郎裁判官の補足意見)
本件訴訟は,石油元売業者の価格協定の実施により,石油製品の購入者が損害を被ったとして,民法709条による損害の賠償を求めるものであるが,その価格協定が実施されなかったとすれば形成されたであろう想定購入価格と消費者が現実に購入した際の小売価格との差額,価格協定の実施と現実購入価格の形成との間の相当因果関係の存在等についての主張立証の責任は,消費者において負担するものであること,多数意見において詳細に説示したとおりである。そして,現実の小売価格の形成には,経済的,社会的な幾多の要因があり,これら諸要因が複雑に競合して現実の小売価格が形成されるのであるから,想定購入価格の算出,小売価格と価格協定の実施との間の因果関係の有無等については幾多の難問が存在し,これらを消費者が主張立証することは,極めて困難な課題であるといわなければならない。しかし,不法行為法の法理からすれば,まさに右説示のとおりであって,いまにわかにこの原則を変えるわけにはいかない。
ところで,独占禁止法は,第25条を設けて私的独占若しくは不当な取引制限をし,又は不公正な取引方法を用いた事業者に対し,損害賠償の責任を課しているのであるが,同条の訴訟においても,損害の発生,因果関係の主張立証については,民法709条による訴訟におけると全く同様のことが消費者に求められている(前掲昭和62年7月2日第一小法廷判決参照)のであって,やはりその主張立証は消費者にとって容易な業ではないのである。
もし独占禁止法25条に基づく訴訟について,消費者の被った損害の額につき何らかの推定規定を設けたならば,消費者が同条に基づく訴訟を提起することが容易となり,同条の規定の趣旨も実効あるものとなるであろうと考えられる。たとえば,事業者に対し,価格協定において定めた値上げ額を基準として,一定の方式をもって算出される額を損害額と推定し,その賠償を命ずるが如きである。その算出方式については,立法過程における十分な検討によって,合理的な方式が見出されるべきものである。そのようにして,はじめて同条による訴訟が容易となり,独占禁止法の精神も実現されることになるであろう。そして消費者の被った損害の額について右のような推定規定をもつことによって,同条による訴訟が容易になるとするならば,消費者は民法709条による訴訟を選んで困難な主張立証の責任を負うよりは,むしろ独占禁止法25条の訴訟を選択することにより,その目的を達成することができるようになるものと思料する。
損害賠償の範囲を画するための因果関係については,因果関係の無限の連鎖を断ち切る基準として相当因果関係の概念が採用され,判例は416条を類推適用している(大連判大15・5・22民集5巻386頁(富喜丸事件),最一判昭和48・6・7民集27巻6号681頁)。
大連判大15・5・22民集5巻386頁(富喜丸事件)
不法行為によって滅失毀損した物が後に価額騰貴し被害者がこれによって得べかりし利益を失った賠償を求めるには,被害者において不法行為がなければ騰貴し た価格で転売その他の方法によって利益を確実に取得したであろうという特別の事情があってその事情が不法行為当時予見しまたは予見しうべきだったことを必 要とし,訴訟上これを主張立証しなければならない。
最一判昭和48・6・7民集27巻6号681頁
不法行為による損害賠償についても,民法416条の規定が類推適用され,特別の事情によって生じた損害については,加害者において右事情を予見しまたは予見することを得べかりしときにかぎり,これを賠償する責を負うものと解すべきである。(反対意見がある)
なお,最近の公害訴訟の分野では,疫学的因果関係論が用いられることもある。
疫学的因果関係とは,不法行為,特に公害を原因とする不法行為において,因果関係を証明する方法として主張された考え方のことである。大気汚染や水質汚濁などの公害の場合に,被害者が被告の行為と損害の事実的因果関係を証明することは困難であることが多いため,その立証の困難を緩和する目的で主張された。
元来疫学の分野で使われていた原因究明手法を,法律の分野に応用したものであり,富山のイタイイタイ病事件(富山地判昭46・6・30下民22巻5=6号別冊1頁,名古屋高金沢支部判昭47・8・9判時674号25頁)や四日市ぜんそく事件(津地四日市支部判昭47・7・24判時672号30頁)の裁判で認められた。
これによれば,ある因子(原因物質)と疾病(損害)の因果関係を証明する場合に,以下の条件が満たされればよいとされる。
その後,いわゆる熊本水俣病刑事事件(最決昭63・2・29刑集42巻2号314頁)や千葉大チフス菌事件(最決昭57・5・25判時1046号15頁:疫学的因果関係と法的因果関係との関連が詳細論じられている)などの刑事事件においても,因果関係の証明に用いられるに至っている。
不法行為の成立が認められると,その効果として,被害者のそれによって生じた損害の賠償を請求する権利(損害賠償請求権)が発生する。
現に継続しつつある違法行為の停止や,まさに行われようとしている違法行為の予防を,不法行為の効果として,請求することは(差止請求権)はできないとするのが伝統的な考え方である。なお,これに反対する筆者の考え方については,加賀山茂「消費者被害と事故予防−消費者の差止請求権の法律構成」『不法行為法の現代的課題と展開(森島昭夫教授還暦記念論文集)』日本評論社493-528頁()を参照のこと。
物権が侵害された場合のように,不法行為とは別に物権的請求権が発生するならば,これに基づいて妨害排除又は妨害予防を請求できることはいうまでもない(大判大5・6・23民録22輯1161頁(所有権に基づく返還請求権は所有権自体と同じく消滅時効により消滅することがない)等)。そして,この妨害排除請求権は,判例・学説によって,無体財産権や自由通行権(最判昭和39・1・16民集18巻1号1頁(村民の村道使用の自由権に対して継続的な妨害がなされた場合には,当該村民は,右妨害の排除を請求することができる))にも,拡張された。
しかし,これらの見解では,差止請求権が発生するには,それが生まれる基礎となる物権や人格権など絶対的ないし排他的支配権の存在が必然的に要求されるとする考え方に立っている。
ところで,公害・環境問題の紛争に関連して,継続的加害状態がある場合には,それを除去するための,妨害排除請求ないし妨害予防請求を認めることの可否が大きな法律問題となっている。
学説は差止請求を肯定する傾向にあるが,その法律構成は種々さまざまである。大別すると,@物権的請求権説,人格権的請求権説,環境権的請求権説など,何らかの絶対権ないし排他的支配権を根拠とするもの(権利説),A継続的不法行為においては,差止請求を認める必要性が大であることから,不法行為の当然の効果として差止請求を肯定するもの(不法行為説)等がある。
不法行為説の中には,709条の要件が全て充たされることが必要とする純粋不法行為説,故意・過失の要件は不要とする違法侵害説,故意・過失と違法性を一元化して受忍限度の概念におきかえる新受忍限度論がある。また,下級審の裁判例の中には,不法行為の効果として差止請求を肯定するものがある(東京地判昭和43・9・1O判タ227号89頁,名古屋地判昭和47・10・19判時683号21頁(利川製鋼差止請求事件第一審判決),最一判昭39・1・16民集18巻1号1頁(村道共用妨害排除請求事件)ほか)。
東京地判昭和43・9・1O判タ227号89頁
土地の境界線上に設置した高さ1.8メートルのブロック塀が隣地の家屋の採光,視界を極度にさえぎったとして,民法227条(相隣者の1人による囲障の設置)により適法であるとの債務者の主張を排斥し,その設置工事者に対し,不法行為に基づいて,右塀の一部撤去を認めた事例
名古屋地判昭和47・10・19判時683号21頁(利川製鋼差止請求事件第一審判決)
製鋼工場からのばいじんの発生により付近住民の平穏で快適かつ健康な生活を営む利益を侵害されたとするばいじん発生の差止請求を認めた事例
最一判昭39・1・16民集18巻1号1頁(村道共用妨害排除請求事件)
地方公共団体の開設している村道に対しては村民各自は他の村民がその道路に対して有する利益ないし自由を侵害しない程度において,自己の生活上必須の行動を自由に行い得べきところの使用の自由権(民法710条参照)を有するものと解するを相当とする。勿論,この通行の自由権は公法関係から由来するものであるけれども,各自が日常生活上諸般の権利を行使するについて欠くことのできない要具であるから,これに対しては民法上の保護を与うべきは当然の筋合である。故に一村民がこの権利を妨害されたときは民法上不法行為の問題の生ずるのは当然であり,この妨害が継続するときは,これが排除を求める権利を有することは,また言を俟たないところである。
しかし,裁判例の大勢は,物権的請求権説ないし人格権的請求権説を根拠としており(最大判昭和61・6・11民集40巻4号872頁(北方ジャーナル事件))は人格権としての名誉権に基づく差止請求を肯定。なお,環境権に対しては,学説・判例は否定的である),不法行為の効果としての差止請求は認めていない。
最大判昭和61・6・11民集40巻4号872頁(北方ジャーナル事件)
名誉侵害の被害者は,人格権としての名誉権に基づき,加害者に対して,現に行われている侵害行為を排除し,又は将来生ずべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることができる。
しかも,人格権を根拠に差止請求を認めるものも,その要件は金銭賠償を求める場合よりはるかに厳格である(賠償違法よりも差止違法の方が違法性の程度が高い(違法性段階論。最二判平7・7・7民集49巻7号2599頁(国道43号事件))。また,ひとくちに人格権といっても,その中味は多様であるため,判例はいかなる要件のもとに差止請求を許容しようとするのか,現在のところ必ずしも明確ではない。
最二判平7・7・7民集49巻7号2599頁(国道43号事件)
一般国道等の道路の周辺住民がその供用に伴う自動車騒音等により被害を受けている場合において,右道路の周辺住民が現に受け,将来も受ける蓋然性の高い被害の内容が,睡眠妨害,会話,電話による通話,家族の団らん,テレビ・ラジオの聴取等に対する妨害及びこれらの悪循環による精神的苦痛等のいわゆる生活妨害にとどまるのに対し,右道路が地域間交通や産業経済活動に対してその内容及び量においてかけがえのない多大な便益を提供しているなど判示の事情の存するときは,右道路の周辺住民による自動車騒音等の一定の値を超える侵入の差止請求を認容すべき違法性があるとはいえない。
しかしながら,損害賠償請求権と差止請求権とを対比した場合の相違は,一方は,過去に生じた確実な事実に基づいてその責任を追及するものであるのに対して,他方は,将来に生じるであろうことが予測される損害の発生を未然に防止するために損害が発生する前の段階で不法行為を抑制しようとする点にある。
前者(損害賠償請求)の場合には,確実なことに基づいているので責任の追及の根拠は容易である。それに対して,後者(差止請求)の場合には,不確実な将来予測に基づいて自由な活動を抑制しようとするために,その実行が躊躇されるというのが正直なところであろう。
前者(損害賠償請求)の場合でも,責任の追及の決め手は,すでに,過失の要件の箇所で詳しく述べたように,将来損害が発生するかもしれないという時点で,損害を予測して,その損害を回避するための行為を行っていたかどうかにかかっていることを学んでいる。つまり,過去に起こった事故に関する責任追及についても,実は,事故が起こる前の段階での加害者の注意義務違反を取り上げて,その責任の追及の根拠にしていることがわかる。
そうだとすると,事故が起こることが予測される時点で,結果回避措置を行うこと,すなわち,差止めを求めることは,損害賠償責任を追及する場合と,その根拠において何ら差がないばかりでなく,損害が予測されるのに,損害が発生するまで手をこまねいていなければならないと考える方がおかしいことに気づくはずである。
医学において,病気の治療と同時に,病気の未然防止が重要であり,むしろ,病気を未然に防止する方が,より重要かつ効果的であることが明らかになっている。法律学においても,既に発生した損害の賠償だけでなく,予見が可能な損害については,それを未然に防止することも,法律学の重要課題であり,今後は,むしろ,損害の未然防止の法理を確立していくことが求められているといえよう。
このような観点から差止請求権の問題を眺めてみると,以下のような問題点がが浮き彫りとなる。
差止めは,損害賠償よりも,活動の自由を制約するものであるから,通常の権利では足りず,絶対権(人格権,物権)侵害の恐れがある場合に限定すべきであるという説がある。しかし,民法の特別法である不正競争防止法を見てみると,事業者の営業上の利益(絶対権ではない)が侵害されるおそれがある場合においてさえ,損害賠償請求(4条)に先立って,差止めを行うことが認められている(3条)ことがわかる。
不正競争防止法 第3条(差止請求権)
@不正競争によって営業上の利益を侵害され,又は侵害されるおそれがある者は,その営業上の利益を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し,その侵害の停止又は予防を請求することができる。
A不正競争によって営業上の利益を侵害され,又は侵害されるおそれがある者は,前項の規定による請求をするに際し,侵害の行為を組成した物(侵害の行為により生じた物を含む。第5条第1項において同じ。)の廃棄,侵害の行為に供した設備の除却その他の侵害の停止又は予防に必要な行為を請求することができる。
不正競争防止法 第4条(損害賠償)
故意又は過失により不正競争を行って他人の営業上の利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし,第15条の規定により同条に規定する権利が消滅した後にその営業秘密を使用する行為によって生じた損害については,この限りでない。
不正競争防止法は,確かに,民法の特別法に過ぎないが,特別法において行われていることは,一般法である民法にも影響を及ぼすべきである。不正競争防止法が,営業上の利益が侵害されるおそれがある時点で,不正競争を行おうとしている他の事業者の行為の差止めを認めているのは,損害の発生が予測されるのに,損害が発生するまで手をこまねいていたのでは,取り返しのつかないほどの儲けそこないが生じる恐れがあるからである。
営業上の利益でさえそうなのであるから,他の利益に関しても,同じことが言えるのであって,絶対権侵害の恐れがある場合にのみ,差止めを認めるべきであるというのは思考方法において誤りがあると思われる。差止めは,取り返しがつかない権利が侵害される恐れがあるから認められるのではなく,どんな権利・法益であれ,その権利・法益が侵害される恐れがあり,損害の発生が予見できる場合には,実際に損害が発生するまで待っている必要はなく,予見できる時点で,損害の未然予防の権利が発生するという思考なのである。
差止請求権は,自由な行為を事前に抑制するものであり,その要件は,損害が発生した後に責任を追及する損害賠償請求権よりもより厳しくすべきだとする考え方がある。
しかし,損害賠償の要件である過失について,それが不法行為責任の追及の根拠とされているのは,損害が発生することが予見できるのに,結果回避の方法を取らなかったからであることを学んでいる。
差止請求権は,過失の判断の時点で,予見できる損害について結果回避措置を要求するものであるから,過失の判断を行っているのと同じであり,それ以上に要件を厳しくする必要はない。
むしろ,考慮しなければならないのは,実際には,結果が生じていないのであるから,差止めの程度を控えめにすることである。そうすれば,差止めによる被害の未然防止による利益を保持したまま,自由な行為を事前に規制することによる弊害を最小限にとどめることができる。
例えば,差止めの期間を短くして,様子を見ることにすることもできるし,差止めの範囲についても,必ずしも行為の全面的停止ではなく,部分的な停止で済む場合が多い。たとえば,人格権や物権的請求権等を根拠に差止めが認められている日照阻害を理由とする建築の差止請求事件においても,差止めが実際に許容される場合においては,建築の全面禁止ではなく,高さを低くしたり,北側を境界線より後退させたり,北側を斜面にするなどの合理的な設計変更がほとんどである (沢井裕『テキストブック事務管理・不当利得・不法行為』(1993年)120頁)。
人格権や物権等の絶対権侵害以外の権利侵害のおそれについても差止請求権を認めようとすれば,何らかの形で,一般不法行為を規定した民法709条を根拠にせざるをえないのであるが,民法709条の直接の効果として差止請求を認めようとする試みに関しては,現在も根強い反対論が存在している。その理由は,民法709条は,民法199条と異なり,損害賠償請求のみを認め,現状回復請求および差止請求を認めていないというものである。
確かに,民法709条から直接に差止請求を導こうとするには多少無理があると考える。絶対権侵害以外の場合にも差止請求を認めるためには,明文の根拠があることを示す方が説得的である。しかし,差止請求権を認めることについて,条文上の根拠を欠くというのは,誤りである。なぜなら,差止請求権の根拠条文は,民法709条には,その前提として,加害者に対して,予見できる結果を回避すべきであるとの不作為義務を課しているのであり,不作為義務がある場合に明文で差止めを認めている民法414条3項にその根拠を求めることができるからである。
第414条(履行の強制)
B不作為を目的とする債務については,債務者の費用で,債務者がした行為の結果を除去し,又は将来のため適当な処分をすることを裁判所に請求することができる。
民法414条3項は,債権発生原因の一つである契約から生じる不作為義務ばかりでなく,他の債権発生原因としての事務管理,不当利得,不法行為から生じる不作為義務についても,不作為義務が存在する場合には,民法414条3項は適用可能である(名古屋高裁昭60・4・12判時1150号30頁(東海道新幹線騒音・振動差止・損害賠償訴訟控訴審判決)参照)。
名古屋高裁昭60・4・12判時1150号30頁(東海道新幹線騒音・振動差止・損害賠償訴訟控訴審判決)
東海道新幹線の運行により生ずる騒音および振動の差止を命ずるようないわゆる抽象的不作為判決に基づく強制執行は,間接強制の方法により得るので,このような判決を求める申立も不適法ではない。
問題の核心は,民法414条3項に定められた救済方法を契約上の不作為義務違反に限定するべきか,それとも,不法行為上の不作為義務違反の場合にも認めるかという問題であり,この問題は,例えば,民法416条の損害賠償の範囲の規定を民法709条の損害賠償の場合にも適用,または,準用することを認めるかどうかという議論と本質的な違いがあるわけではない。
いずれにせよ,不法行為上の不作為義務についても,民法414条3項に基づき差止請求をなしうると構成することにより,物権や人格権侵害の場合だけでなく,単なる財産権侵害のおそれがあるに過ぎない場合であっても,差止請求が認められる場合があることを説明できるだけでなく,不法行為法の特別規定である不正競争防止法3条が営業上の利益の侵害のおそれがある場合に差止請求を明文で認めていることの意味も体系上,明確に位置づけることができる。
確かに,すべての権利について差止請求を認めると,濫訴のおそれがあるとの危惧が生じるかもしれないが,それは,個別的な権利自体に内在する保護範囲の問題(たとえば,一般債権や営業上の権利等は,良俗違反的な侵害行為からのみ保護されているという問題)や,侵害のおそれの証明の問題の中で解決されるべき問題であろう。さらに,差止請求というと,永久的な差止めを考えがちであるが,差止めも,その期間を限定したり,地域を限定したり,さらには,適切な解除条件を付することにより,差止めを受ける側の権利の制限を最小限に抑えることも十分に可能である。その点で,差止めも,分割可能な金銭賠償と同様,柔軟な解決が可能であり,一般に考えられているのとは異なり,イチかバチかという硬直的な制度ではないことも確認しておく必要があろう (沢井裕『公害差止の法理』(1976年)47-48頁)。
金銭賠償と原状回復の2つがあるが,わが民法は金銭賠償を原則とし(民法722条1項,417条),特に法律の定めがあるか,特約があるかでない限りは,損害賠償の方法として原状回復を求めることはできない。
法律に定めがあるものとして名誉毀損の場合がある。名誉毀損の場合には損害を金銭に評価することが困難なことや,金銭賠償だけでは傷つけられた名誉の回復が困難なこともあるので,名誉を回復するに適当な処分(通常は謝罪広告)を命じることができる(民法723条)。
民法上で金銭賠償の例外を認めているものとしては,無権代理人の責任について,損害賠償のほかに,履行責任を認めている民法117条の規定がある。
第117条(無権代理人の責任)
@他人の代理人として契約をした者は,自己の代理権を証明することができず,かつ,本人の追認を得ることができなかったときは,相手方の選択に従い,相手方に対して履行又は損害賠償の責任を負う。
無権代理人が本人の追認を得られない場合には,善意・無過失の相手方を保護するため,民法117条1項は,無権代理人に対して無過失責任を負わせている。 この責任の性質については,代理人(無権代理人)と相手方の間にはいかなる場合にも契約関係は発生しないことから,一般原則に従い,不法行為責任であると 解するほかない。
無権代理人の責任 | 表見代理における本人の責任 |
この場合の不法行為責任は,善意・無過失の相手方を保護するためのものであり(最三判昭62・7・7民集41巻5号1133頁[民法判例百選T (2001)第34事件]),必ずしも金銭賠償の原則(民法417条)には限定されてない。無権代理人は,相手方の選択に従って,不法行為における金銭賠 償の例外としての履行責任,または,一般不法行為の原則に従って損害賠償責任のいずれかを負担しなければならない(民法117条1項)。
民法の立法者の一人である梅謙次郎は,無権代理人の責任ばかりでなく,次に述べる表見代理における本人の責任についても,誤った外観を作出すること によって相手方に損害を及ぼした,または,及ぼすおそれのある者に対する不法行為責任であると考えていた。そして,善意・無過失の相手方を保護するため に,この責任を無過失の賠償責任とし,かつ,損害賠償の方法を金銭賠償の原則に対する例外として履行責任を認めたものと解していた[梅・民法要義(3) (1887)234頁],[浜上・表見代理不法行為説(1966)66頁]。
非常に重要な指摘であるので,その箇所を以下に引用する。ただし,読みやすくするため,カタカナはひらがなに改め,濁点,句読点,ルビを追加して記載している。
本人は不法行為に由りて第三者に損害を加ふるものなり。故に第709条の規定に依り,本人は第三者に対して損害賠償の責(せめ)に任ぜざるべからず。
然りと雖(いえど)も,損害賠償なるものは頗(すこぶ)る不確実なるものにして,往往(おうおう),実損害を償(つぐな)うに足らざるが故に,立法者は,特に,第三者を保護し,本人をして其法律行為に付き責を負わしめ,以て損害を未だ生ぜざるに防ぎたるなり。
なお,原状回復請求に関して,鉱害に対しては原状回復を請求できる場合がある(鉱業法111条)。なお,判例は,謝罪広告を命ずる民法723条は,良心の自由に関する憲法19条に違反しない(最大判昭和31・7・4民集10巻7号785頁)。
第416条(損害賠償の範囲)
@債務の不履行に対する損害賠償の請求は,これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。
A特別の事情によって生じた損害であっても,当事者がその事情を予見し,又は予見することができたときは,債権者は,その賠償を請求することができる。
加害行為と相当因果関係に立つ全損害である(民法416の類推適用−大連判大15・5・22民集5巻386頁(富喜丸事件))。すなわち,加害行為と損害発生との間に原因,結果の関係(因果関係)があり,一般的にみても,そのような加害行為があれば同じような損害が発生する可能性があると考えられる損害全体である。
大連判大15・5・22民集5巻386頁(富喜丸事件)
不法行為によって滅失毀損した物が後に価額騰貴し被害者がこれによって得べかりし利益を失った賠償を求めるには,被害者において不法行為がなければ騰貴した価格で転売その他の方法によって利益を確実に取得したであろうという特別の事情があってその事情が不法行為当時予見しまたは予見しうべきだったことを必要とし,訴訟上これを主張立証しなければならない。
最一判昭和48・6・7民集27巻6号681頁
不法行為による損害賠償についても,民法416条の規定が類推適用され,特別の事情によって生じた損害については,加害者において右事情を予見しまたは予見することを得べかりしときにかぎり,これを賠償する責を負うものと解すべきである。(反対意見がある)
この考え方(相当因果関係脱)に対しては,突発的に発生する不法行為に416条でいわれる予見可能性の有無を基準としてもちこむのは不合理であるから,416条にとらわれず,具体的事情に即し,加害者に賠償させることを相当とする全損害を損害賠償の範囲とすべきであるとする有力な学説(保護範囲説)がある。
損害は,加害行為の結果として,現に存在する利益状態と,加害行為がなかったとしたら存在したであろう利益状態との差を意味すると解するのが判例・通説である(差額説=所得喪失説)。
この説によれば,損害賠償額の算定に当たっては,損害を財産的損害と精神的損害とに大別したうえ,前者を既存財産の減少としての積極損害と得べかりし利益を喪失したことによる消極損害とに分け,個別的,具体的に損害を算定し,これに精神的損害としての慰謝料を加算した総和をもって賠償すべき総損害とする。
しかし,このような考え方に対しては,この方法は富める者に有利に,貧しい者に不利に働き,賠償額に極端な個人差が生ずるが人間の平等,個人の尊重という近代憲法の基本的精神とあまりにかけ離れているなどの批判があり,人の生命,身体が侵害された場合その死傷そのものを全体で一個の非財産的損害であると捉えようとする考え方(死傷損害説)や,死傷による労働能力ないし稼働能力の全部又は一部の喪失自体を損害として捉える考え方(労働能力喪失説)などが主張されている。
判例は,基本的には差額説=所得喪失説に立つが(最二判昭和42・11・1O民集21巻9号2352頁),反対説を考慮したと思われるものもあり(最三判昭和56・12・22民集35巻9号1350頁),下級審の実務は,双方の利点をとり入れた折衷説にたっているといわれている。
最二判昭和42・11・1O民集21巻9号2352頁
交通事故により左太腿複雑骨折の傷害をうけ,労働能力が減少しても,被害者が,その後従来どおり会社に勤務して作業に従事し,労働能力の減少によって格別の収入減を生じていないときは,被害者は,労働能力減少による損害賠償の請求をすることができない。
最三判昭和56・12・22民集35巻9号1350頁
交通事故による後遺症のために身体的機能の一部を喪失した場合においても,後遺症の程度が比較的軽微であって,しかも被害者が従事する職業の性質からみて現在又は将来における収入の減少も認められないときは,特段の事情のない限り,労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害は認められない。
また,中間最高価格の問題は,債務不履行の場合と同じである。したがって,原則として不法行為の時を基準として,その時の交換価格により損害額を算定すべきであり,目的物の滅失投損後の価格の騰貴や,既に転売契約で定められていた価格や違約金などは,いずれも特別事情による損害として,予見可能性のある場合に限り,例外的に,賠償の範囲に入ることとなる。
なお,不法行為による損害賠償債務については,催告をしなくても,不法行為の時から遅滞に陥るので,その時から遅延損害金を付すべきものとされている(大判明43・1O・20民録16輯719頁,最三判昭和37・9・4民集16巻9号1834頁)。
最三判昭和37・9・4民集16巻9号1834頁
不法行為に基づく損害賠償債務は,なんらの催告を要することなく,損害の発生と同時に遅滞に陥るものと解すべきである。
物の滅失の場合は,滅失当時の交換価格が,毀損の場合は修繕料(修繕不能の時は交換価格の減少)が通常生ずべき損害となる。文書偽造などにより不法な所有権移転登記がされた場合は,所有権を失っていないから目的不動産の価格でなく,回復に要する費用などが損害となる。不動産の不法占拠の場合は,賃料相当額が損害となる(大判昭和7・7・7民集11巻1498頁)。
生命侵害の場合,通説によれば,死者の得べかリし利益(逸失利益)の算定が中心となる。その算定方法は,次のようになる。
本人が天寿(人口動態統計に基づく生命表の平均余命により認定する)を全うすると仮定して,これをもとに死亡後の稼働可能年数を計算し,これに死亡当時の年間収入を乗じて,得べかりし収入金額を算出し,その得べかりし収入から本人一人の稼働可能期間中の生活費を控除(損益相殺)した純利益が損害である(最三判昭和39・6・24民集18巻5号874頁)。
最三判昭和39・6・24民集18巻5号874頁
年少者死亡の場合における右消極的損害の賠償請求については,一般の場合に比し不正確さが伴うにしても,裁判所は被害者側が提出するあらゆる証拠資料に基づき,経験則とその良識を十分に活用して,できうるかぎり蓋然性のある額を算出するよう努め,ことに右蓋然性に疑がもたれるときは,被害者側にとって控え目な算定方法(たとえば,収入額につき疑があるときはその額を少な目に,支出額につき疑があるときはその額を多めに計算し,また遠い将来の収支の額に懸念があるときは算出の基礎たる期間を短縮する等の方法)を採用することにすれば,慰藉料制度に依存する場合に比較してより客観性のある額を算出することができ,被害者側の救済に資する反面,不法行為者に過当な責任を負わせることともならず,損失の公平な分担を窮極の目的とする損害賠償制度の理念にも副うのではないかと考えられる。要するに,問題は,事案毎に,その具体的事情に即応して解決されるべきであり,所論のごとく算定不可能として一概にその請求を排斥し去るべきではない。
稼動期間について:原審は,本件被害者らは,本件事故当時満8才余の普通健康体を有する男子であること,判示統計表により同人らの通常の余命は57年6月余であり,20才から少くとも55才まで35年間は稼働可能であることを認定しているのであり,右認定は,平均年令の一般的伸長,医学の進歩,衛生思想の普及という顕著な事実をも合せ考えれば,相当としてこれを肯認することができ,この点に所論のごとき不合理は認められない。
収入額について:原審は,本件被害者らは,右稼働可能期間中,毎年,判示証拠資料により認めうる昭和33年4月から9月までの間のわが国における通常男子の1ヵ月の平均労働賃金2万647円,1年分にして24万7776円の金額を下らない収入を得べきものと推認し,その年収額から後出の支出年額を控除した額を基準としてホフマン式計算方法による一時払いの損害額を算出しているのであるが,被害者らがいかなる職業につくか予測しえない本件のごとき場合においては,通常男子の平均労賃を算定の基準とすることは,将来の賃金ベースが現在より下らないということを前提にすれば,一応これを肯認しえないではないが,収入も一応安定した者につき,将来の昇給を度外視した控え目な計算方法を採用する場合とは異なり,本件のごとき年少者の場合においては,初任給は平均労賃よりも低い反面,次第に昇給するものであることを考えれば,35年間を通じてその年収額を右平均労賃と同額とし,これを基準にホフマン式計算方法により一時払いの額を求めている原審の算出方法は,これを肯認するに足る別段の理由が明らかにされないかぎり,不合理というほかはないところ,原判決はこの点につきなんら説明するところがないので,少くとも右の点において原判決には理由不備の違法があるものといわなければならない。
支出額について:原審は,本件被害者らの稼働可能期間中における毎年の生活費は,判示証拠資料により認めうる昭和33年度における勤労者の平均世帯(世帯員数4.46人)の実支出額1ヵ月3万638円,一人平均6,869円,その1年分である8万2,428円と同額と認めるのを相当としているところ,上告人らは,本件被害者らは何時結婚し,何人の子供をもち,いかなる生活を営むか不明であるばかりでなく,世帯主の生活費は他の世帯員のそれより多いことは経験則上顕著であるから,世帯の支出の支出額を均分したものを世帯主と認められる被害者らの生活費とすることは不合理であると主張する。ところで,被害者らが独身で生活するという特別の事情が認められない本件のごとき場合においては,平均世帯を基準として被害者ら各自の生活費を算出すること自体は,一応これを肯認しえないではないが,原判決が,首肯するに足る理由をなんら示すことなく,右35年間を通じて被害者らの生活費が昭和33年度の前示生活費と同額であるとしていること,及び前示世帯の支出額を世帯員数で均分したものが被害者ら(男子であり,世帯主となるものと推認される)の生活費であるとしているのは,理由不備の違法があるものといわなければならない。
上告人らは,さらに,論旨二の後段において,被害者らの収入からは,被害者本人の生活費のみならず,被害者らの負担すべき扶養家族の生活費をも控除すべきであると主張するが,収入から被害者本人の生活費を控除するのは,本人の生活費は,一応,収入を得るために必要な支出と認められるからであるが(収入を失うことによる損失と支出を免れたことによる利益の間には直接の関係がある),扶養家族の生活費の支出と被害者本人の収入の間には右のごとき関係はなんら認められないのであるから,扶養家族の生活費の額は,収入額からこれを控除すべきではなく,この点に関する原判旨は,簡に失しているが,結論において正当であり,所論は採用し難い。
上告人らは論旨四において,原判決のホフマン式計算方法の適用の誤りを主張するが,不法行為による損害賠償の額は,不法行為時を基準として算定するのを本則とするのであるから,原審が,ホフマン式計算方法を適用するについて本件事故の時を基準とし,その時における一時払いの額を算出したのは正当である。所論は,ひっきよう,独自の見解の下に原判決を非難するものであり,採用のかぎりでない。
逸失利益とは,もし事故がなければ,被害者が将来にわたって得たことが確実であるが,実際には,事故によってその機会を奪われた利益のことである。その利益は,将来に得られたであろう利益であるから,本来は,定期金方式によって,将来にわたって徐々に賠償されるべきものである。
しかし,加害者の破産や死亡等の危険から被害者を保護するために,わが国では,逸失利益は,一括して賠償請求することが認められている。ただし,将来の利益を現在一括して請求できるのであるから,将来の利益を現在の価値に換算して請求しなければならない。将来の価値を現在の価値に換算する手続きは,中間利息の控除手続きと呼ばれており,ライプニッツ式,ホフマン式という2方式が一般に使われている。
ライプニッツ式とホフマン式との相違点は,前者が複利計算を行うのに対して,後者が単利計算を行う点にある。通常は,利子計算は複利で行われているので,預金の利息計算と同様,利息控除の場合も複利計算を行うライプニッツ式を採用するのが合理的であると思われる。しかし,ホフマン式の方が被害者にとって有利なため,大阪・名古屋を中心に根強い人気がある。
中間利息控除を複利計算で行う場合,被害者が取得すると思われる年収額を Anとし,民事法定利率を r とし,複利計算で算定すると,逸失利益の総額 S(複利)は,以下の式で表される。
S(複利) = A1/(1+r) + A2/(1+r)2 + … + An/(1+r)n
これが,ライプニッツ式の原型である。ここで,年収に変動がなく,常に一定であると仮定し,A1= A2 = … = An = A とすると,上の式の各分子は共通となるので,それを前に出すと,残りは等比級数の和としてまとめることができる。これが,ライプニッツ係数であり,ライプニッツ式が出来上がる。
S(ライプニッツ) = A×(1/(1+r) + 1/(1+r)2 + … + 1/(1+r)n)
次に,利息を単利計算で算定すると,逸失利益の総額S(単利)は,以下の式で表される。
S(単利)= A1/(1+r) + A2/(1+2r) + … + An/(1+nr)
これが,ホフマン式の原型である。ここで,同様に,年収に変動がなく,常に一定であると仮定し,A1= A2 = … = An = A とすると,上の各分子は共通となるので,それを前に出し,残りの定数の和を計算すると,それがホフマン係数となり,ホフマン式が出来上がる。
S(ホフマン)= A × (1/(1+r) + 1/(1+2r) + … + 1/(1+nr))
ここで重要なことは,ライプニッツ係数もホフマン係数も,年収額が常に一定であるという前提の下にのみ成立する係数であり,年収額が増加したり,減少したりする場合には,そのような係数は利用できないということである。
ライプニッツ係数もホフマン係数も,年収額が一定でない場合には使えないということを,簡単な例を用いて示すことにしよう。
例えば,ある人の年収が,1年目が100万円,2年目が200万円,3年目が300万円,4年目が400万円だとする。この人の逸失利益を中間利息を複利で控除して計算すると,正しくは,864万8,763円(単利計算の場合は,871万2,592円)となる。ところが,年収の平均を先に計算して,ホフマン式,ライプニッツ式を用いると,以下のように,これらの2方式は,正しい中間利息控除計算に比べて20万円前後も多いという大きな誤差が生じる。
また,年収の平均を取らずに,最初の年収を基準に取った場合には,ホフマン式,ライプニッツ方式は,いずれも正しい中間利息控除計算に比べて200万円以上も少なくなるという誤差が生じることも計算によって明らかとなる。
年数 | 年収 | 現価積み上げ方式 | ライプニッツ式 | ホフマン式 |
---|---|---|---|---|
1 | 1,000,000 | 952,381 | 2,380,952 | 2,380,952 |
2 | 2,000,000 | 1,814,059 | 2,267,574 | 2,272,727 |
3 | 3,000,000 | 2,591,513 | 2,159,594 | 2,173,913 |
4 | 4,000,000 | 3,290,810 | 2,056,756 | 2,083,333 |
合計 | 10,000,000 | 8,648,763 | 8,864,876 | 8,910,926 |
反対に,ある人の年収が1年目が400万円,2年目が300万円,3年目が200万円,4年目が100万円だとする。この人の逸失利益を中間利息を複利で控除して計算すると,正しくは,908万0,990円(単利計算の場合は,910万9,260円)となる。ところが,年収の平均を先に計算して,ホフマン式,ライプニッツ式を用いると,以下のように,今度は,正しい中間利息控除計算に比べて,20万円程度も少なくなるという誤差が生じるのである。
また,年収の平均を取らずに,最初の年を基準に使った場合には,ホフマン式,ライプニッツ式のいずれも,正しい中間利息控除計算に比べて,400万円以上も大きくなるという誤差が出ることも計算によって明らかとなる。
年数 | 年収 | 現価積み上げ方式 | ライプニッツ式 | ホフマン式 |
---|---|---|---|---|
1 | 4,000,000 | 3,809,524 | 2,380,952 | 2,380,952 |
2 | 3,000,000 | 2,721,088 | 2,267,574 | 2,272,727 |
3 | 2,000,000 | 1,727,675 | 2,159,594 | 2,173,913 |
4 | 1,000,000 | 822,702 | 2,056,756 | 2,083,333 |
合計 | 10,000,000 | 9,080,990 | 8,864,876 | 8,910,926 |
短期間でも,この程度の誤差が出るのであるから,ライプニッツ式も,ホフマン式も,年収が生涯にわたって一定であることが確実であるという特別の場合を除いて,実務では使ってはならない式であることがわかる。この点の詳細については,加賀山茂「逸失利益(4) 中間利息控除(ホフマン方式)−最二判平3・11・8交通民集24巻6号1333頁−」交通事故判例百戦[第4版](1999年)「第55事件」118-119頁参照。
また,これらの方式はいずれも将来の物価上昇や昇給を考慮していないことについて問題が指摘されている(前者につき東京高判昭和57・5・11判時1041号40頁(インフレ加算控訴事件)(子供(男・6歳)の死亡による損害額につき,インフレーション傾向の継続は明らかであるとして,事故後10年間に限って物価上昇率を4パーセント(ただし,利回り運用を年8パーセントとみる)とし,慰謝料算定についてこの事情を考慮した事例),後者につき最判昭和43・8・27民集22巻8号1704頁(死者の得べかりし利益の喪失による損害額の認定にあたり将来の昇給の見込を斟酌することが許されるとされた事例))。
しかし,最高裁は,札幌高裁が統計資料を分析して,実質金利の変遷をフォローした後,中間利息の控除は,控えめに見ても年3%とすべきであるとしたのに対して,ほとんど理由にならない理屈を並べて,民事法定利率で計算することが必要であるとしている(最三判平17・6・14民集59巻5号983頁)。
最三判平17・6・14民集59巻5号983頁
原審は,Aの将来の逸失利益の算定における中間利息の控除割合につき,次のとおり判示して,被上告人らの請求を一部認容した。
交通事故による逸失利益を現在価額に換算する上で中間利息を控除することが許されるのは,将来にわたる分割払と比べて不足を生じないだけの経済的利益が一般的に肯定されるからにほかならないのであるから,基礎収入を被害者の死亡又は症状固定の時点でのそれに固定した上で逸失利益を現在価額に換算する場合には,中間利息の控除割合は裁判時の実質金利(名目金利と賃金上昇率又は物価上昇率との差)とすべきである。
民法404条は,利息を生ずべき債権の利率についての補充規定であり,実質金利とは異なる名目金利を定める規定であるので,これを実質金利の基準とすることの合理性を見いだすことはできない。また,旧破産法(平成16年法律第75号による廃止前のもの)46条5号ほかの倒産法の規定や民事執行法88条2項の規定が弁済期未到来の債権を現在価額に換算するに際して民事法定利率による中間利息の控除を認めていることについては,いずれも利息の定めがなく,かつ,弁済期の到来していない債権を対象としており,弁済期が到来し,かつ,不法行為時から遅延損害金が発生している逸失利益の賠償請求権とは,その対象とする債権の性質を異にしているのであって,中間利息の控除割合についてこれらの規定を類推又はその趣旨を援用する前提を欠くものというべきである。
我が国の昭和31年から平成14年までの47年間における定期預金(1年物)の金利(税引き後)と賃金上昇率との差がプラスとなった年は16年で,マイナスとなった年は31年であること,そのうちプラス2%を超えたのは3年(最大値はプラス2.3%)であり,マイナス5%を下回った年は16年(最小値はマイナス21.4%)であり,全期間の平均値はマイナス3.32%であり,平成8年から平成14年までの期間の平均値は0.25%であることによれば,Aの将来の逸失利益を現在価額に換算するための中間利息の控除割合としての実質金利は,多くとも年3%を超えることはなく,中間利息の控除割合を年3%とすることが将来における実質金利の変動を考慮しても十分に控え目なものというべきである。
しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
我が国では実際の金利が近時低い状況にあることや原審のいう実質金利の動向からすれば,被害者の将来の逸失利益を現在価額に換算するために控除すべき中間利息の割合は民事法定利率である年5%より引き下げるべきであるとの主張も理解できないではない。
しかし,民法404条において民事法定利率が年5%と定められたのは,民法の制定に当たって参考とされたヨーロッパ諸国の一般的な貸付金利や法定利率,我が国の一般的な貸付金利を踏まえ,金銭は,通常の利用方法によれば年5%の利息を生ずべきものと考えられたからである。そして,現行法は,将来の請求権を現在価額に換算するに際し,法的安定及び統一的処理が必要とされる場合には,法定利率により中間利息を控除する考え方を採用している。例えば,民事執行法88条2項,破産法99条1項2号(旧破産法(平成16年法律第75号による廃止前のもの)46条5号も同様),民事再生法87条1項1号,2号,会社更生法136条1項1号,2号等は,いずれも将来の請求権を法定利率による中間利息の控除によって現在価額に換算することを規定している。損害賠償額の算定に当たり被害者の将来の逸失利益を現在価額に換算するについても,法的安定及び統一的処理が必要とされるのであるから,民法は,民事法定利率により中間利息を控除することを予定しているものと考えられる。このように考えることによって,事案ごとに,また,裁判官ごとに中間利息の控除割合についての判断が区々に分かれることを防ぎ,被害者相互間の公平の確保,損害額の予測可能性による紛争の予防も図ることができる。
上記の諸点に照らすと,損害賠償額の算定に当たり,被害者の将来の逸失利益を現在価額に換算するために控除すべき中間利息の割合は,民事法定利率によらなければならないというべきである。これと異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由がある。
以上のとおりであるから,原判決中上告人の敗訴部分を破棄し,損害額等について更に審理を尽くさせるため,同部分につき,本件を原審に差し戻すことにする。
被害者が家事に専念していた無収入の主婦である場合,年少者の場合,あるいは無職者の場合,その逸失利益の算定にはかなりの困難を伴う。しかし,だからといって損害がないとすることは相当でないから,経験則と良識に基づいてできるかぎり蓋然性の高い額を算定すべきだというのが,判例の態度である(前掲最三判昭和39・6・24民集18巻5号874頁)。
すなわち,判例は,家事に専念する妻について,妻の家事労働は財産上の利益を生ずるもので,これを金銭的に評価することも不可能ということはできず,平均的労働不能年齢に達するまで,女子雇傭労働者の平均的賃金に相当する財産上の収益を挙げるものと推定するのが適当であるとし(最二判昭49・7・19民集28巻5号872頁),また所得のない年少者については,男女別の全年齢労働者の平均賃金を基準とし(最三判昭61・11・4判時1216号74頁,最二判平2・3・23判時1354号85頁,判タ731号109頁),あるいは男女別初任給の平均賃金を基準として(最三判昭和54・6・26判時933号59頁),逸失利益の算定を行っている。
このような通説・判例の方法に対しては,このように逸失利益を被害者の死亡当時の収入を基礎に算出することとすると,死亡時の収入の多寡がそのまま損害額に反映し,個人差が著しくなるが,それでは,人間の平等,個人の尊重という近代憲法の基本的精神に反するとして,財産的損害も非財産的損害も個別的に計算することなく,すべてを総合し,適当な賠償額を一体として判断すべきであり,損害賠償額の定額化が必要であるとする見解が有力に唱えられている。
少なくとも,女子の逸失利益を男女別の平均賃金を基礎として算定することには,男女の不当な賃金格差を前提にしたものであり,将来的な問題についてまで,格差を温存させるものとして厳しい批判にさらされている。
まず,満1歳の女児の逸失利益を女子労働者の全年齢平均賃金額を基準として算定しても不合理ではないとされた最三判昭61・11・4判時1216号74頁を見てみよう。この判決には,女子の逸失利益の算定に際して,男女別平均賃金を基準とすることについての問題点を浮き彫りした伊藤正己の以下のような補足意見が付されていた。
私は,原審が,本件事故当時満1歳の女児である亡矢島環の将来の得べかりし利益の喪失による損害賠償額(以下「逸失利益」という。)の算定に当たり,昭和57年賃金センサス第1巻第1表の産業計・企業規模計・学歴計の女子労働者の全年齢平均賃金額を基礎としたことは,交通事故により死亡した幼児の逸失利益の算定として不合理なものとはいえないとする法廷意見の結論に異論がなく,これに同調するものであるが,上告理由第一点の論旨は,個人の尊厳ないし男女平等の法理にかかわる重要な論点とも関連すると思われるので,私の考えるところを述べて,法廷意見を補足することとしたい。
事故により死亡した幼児の逸失利益を算定するに際しては,裁判所は,諸種の統計表その他の証拠資料に基づき,経験則と良識を活用して,できる限り客観性のある額を算定すべきところ(最高裁昭和36年(オ)第413号同39年6月24日第三小法廷判決・民集18巻5号874頁参照),わが国の裁判実務上,その有力な証拠資料の一つとして機能している賃金センサスに示されている男女別の平均賃金額は,少なくとも現在における支配的な雇用形態,賃金体系等のもとにおいては,事実として存在する男女間の賃金格差を反映したものにほかならないから,これに依拠して逸失利益を算定する限り,男児の場合と女児の場合とで多かれ少なかれ算定結果に格差の生ずることは免れないところである。
そして,女児の場合には,他面において,将来得べかりし収入金額から生活費を控除する割合をどのようにすべきかなどの問題もあり,本件の場合も,原審は,右生活費控除の割合については,男児の場合に通常とられる5割よりも低い3割として算定しているのである。このように将来得べかりし収入金額以外にも男女間にさまざまな相違点がありうることを考慮すると,右収入金額については,賃金センサスの女子労働者の全年齢平均賃金額に依拠して逸失利益を算定し,その結果男児の場合との間に格差を生じても,これをもって直ちに逸失利益の算定方法として合理的根拠を欠くものとすることはできない。
しかしながら,少なくとも就学年齢に達しないような幼児については,所論がいうように,男女を含む全産業常用労働者の平均賃金を基礎とする手法もまた,必ずしも不合理なものということはできず,むしろ積極的に評価してよい視点が含まれているように思われる。けだし,個人の尊厳ないし男女平等の法理に照らすと,多くの可能性をもち,その将来が極めて不確定な要因に富む右のような幼児の逸失利益を算定するに当たっては,理念的には,まずもって男女による性差別を問う以前の人間的存在を対象として,その労働能力の金銭的評価を行ってよい側面をもつと考えられるし,更に,近時の社会情勢等にかんがみると,前記のような男女格差の原因を成している雇用形態,賃金体系等が,将来とも長期にわたって変容を来たさないことは,にわかに保し難いからである。
したがって,本件のような場合において,逸失利益の算定に当たり,所論のような手法をとることもまた一つの合理的な方法ということができよう。もっとも,このことは,右の手法が最善であることまで意味するものでなく,個人の尊厳と男女の平等という基本的視点に立ち,右手法を含め,より良い算定方法が検討されるべきものであって,この点は,なお将来の課題として保留しておきたいと思う。
しかし,伊藤正巳裁判官の傾聴すべき補足意見は,それ以後の最高裁判決によって,ほとんど無視されている。
最二判昭62・1・19民集41巻1号1頁
就労前の年少女子の得べかりし利益の喪失による損害賠償額をいわゆる賃金センサスの女子労働者の平均給与額を基準として算定する場合には,賃金センサスの平均給与額に男女間の格差があるからといって,家事労働分を加算すべきものではない。
しかし,高裁段階においては,賃金の男女差別・男女格差を無批判に取り入れて女子の逸失利益を算定することには問題があるとの指摘を受けて,男女別の賃金センサスを利用すること否定する判決が出現するに至っている。
大阪高判平9・5・29判タ952号246頁
交通事故死した大学生(女子)の死亡による逸失利益の算定にあたり,基礎収入について賃金センサスの「旧大・新大卒」の男子労働者の全年齢平均賃金と女子労働者のそれとの平均値を採用し,中間利息の控除についてライプニッツ方式を採用した事例
東京高判平13・8・20判時1757号38頁
交通事故により死亡した11歳の女子の逸失利益の算定において,高等学校卒業までか,少なくとも義務教育を修了するまでの女子年少者につき,賃金センサスの女子労働者の平均賃金を用いることは合理性を欠くとして,死亡時の賃金センサス第1巻第1表の産業計・学歴計・企業規模計による全労働者の全年齢平均賃金を基礎収入とした事例
もっとも,女子の逸失利益を算定するのに,男女の平均賃金を用いていたのでは,賃金の男女格差を是正することにはならない。なぜなら,男子の逸失利益の算定については,相変わらず,男女別における男子の平均賃金が利用され続けており,賃金格差が固定化するだけだからである。
職場において男女の賃金格差が是正された例は,賃金を男女の平均へと落とすことによって実現されるのではなく,常に,差別されていた女性の賃金を男性のものと同じにすることによって実現されていることに思いをいたせば,女子の逸失利益の算定においても,男女の平均ではなく,男子の平均賃金を利用すべきであろう。
この点では,有職の女性の逸失利益の算定に際して,女子の平均賃金ではなく,男子労働者の平均賃金を利用した千葉地裁の判決が参考にされるべきである。
千葉地判平10・12・25判時1726号142頁
平成8年に29歳の大卒の有職の女性が交通事故により死亡した場合の逸失利益について,29歳から60歳までの31年間は平成8年賃金センサス第1巻第1表の旧大新大卒・金融保険業・1,000人以上の男子労働者の全年齢平均賃金を基礎とし,61歳から67歳までの7年間は右の男子労働者の60歳から64歳の年齢別平均賃金を基礎として算定した事例
逸失利益に,将来受給し得た遺族厚生年金が含まれるかどうかが争われている。最高裁は,従来は,将来受給し得た遺族厚生年金も逸失利益として認められるとしていたが,平成12年判決で,逸失利益にあたらないとし,さらには,被害者の相続人が,遺族厚生年金の受給権を取得した場合には,給与収入を含めた逸失利益から遺族厚生年金を控除すべきであるとの判断を下すにいたっている。
最二判平11・10・22民集53巻7号1211頁
障害基礎年金及び障害厚生年金の受給権者が不法行為により死亡した場合には、その相続人は、加害者に対し、被害者の得べかりし右各障害年金額を逸失利益として請求することができる。
最三判平12・11・14民集54巻9号2683頁
不法行為により死亡した者が生存していたならば将来受給し得たであろう遺族厚生年金は、不法行為による損害としての逸失利益に当たらない。
最二判平16・12・20判時1886号46頁
不法行為により死亡した被害者の相続人がその死亡を原因として遺族厚生年金の受給権を取得したときは、当該相続人がする損害賠償請求において、給与収入等を含めた逸失利益全般から遺族厚生年金を控除すべきであるとされた事例
遺族厚生年金と逸失利益との調整を行うのは,性質の異なる問題を同一次元で調整しようとするものであり,無理がある。むしろ,民法の理論の中で,逸失利益と慰謝料の相続を制限する方向での調整を行い,民法と社会保障との間の調整は行わなくても済むようにすべきであろう。
なお被害者が外国人の場合の逸失利益,慰謝料額の算定は我が国の賃金水準,物価水準を基準とすべきか,それとも当該外国人の母国のそれによるべきかについて,判断が分かれている。最高裁は,一時的に我が国に滞在し将来出国が予想される外国人の逸失利益についてではあるが,「予測される我が国での就労可能期間内は我が国での収入等を基礎とし,その後は想定される出国先での収入等を基礎とするのが合理的であ」り,「我が国における就労可能期間は,来日目的,事故の時点における本人の意思,在留資格の有無,在留資格の内容,在留期間,在留期間更新の実績及び蓋然性,就労資格の有無,就労の態様等の事実的及び規範的な諸要素を考慮して,これを認定するのが相当である」と判示している(最三判平9・1・28民集51巻1号78頁)。
身体傷害を受けたときは,傷害の治療費,入院中の付添費,義足費,治療期間中の休業補償費,身体障害者となったことによる得べかりし利益の減少額等の損害賠償が認められる。
慰籍料の額の算定には,財産的損害のような明確な基準がなく,結局は,社会通念なり裁判官の良識に委ねられる。一般的には,加害者・被害者双方の身分,地位,財産,加害の動機・態様などあらゆる事情を考慮し,公平の観念に従って決められる。
最近は,慰籍料の補完的ないし調整的機能が重視され,証明の困難な財産的損害を慰籍料のなかに事実上組み込んで,慰籍料という項目一つで損害賠償を請求し,これを認める傾向が現れてきている(一括・一律請求方式。大阪国際空港事件の最大判昭和56・12・16民集35巻10号1369頁参照)。
最大判昭和56・12・16民集35巻10号1369頁
一般に慰藉料額の算定にあたっては,被害者各自の個別的な被害の態様,内容,程度や時の経過に伴う被害状況の変動等が重要な判断要素となるものであることはいうまでもない。しかしながら,本件訴訟において,被上告人らは,ひとしく本件空港に発着する航空機の騒音等に基づいて昭和40年1月1日以降引続き損害を受けてきたとして,居住地区及び居住期間により若干の差等を設け,昭和45年1月1日又は昭和47年1月1日の前後で損害額算定の方法を異にするほかは各被上告人につき一律に算定した慰藉料の支払を求め,その主張する損害の主要部分も被上告人らに共通するものであるところ,このような被上告人らの請求の性格に照らせば,裁判所としては,請求の本旨を没却しない程度において長期的な時間区分により概括的に被害状況の変動をとらえたうえ,各時期につき被上告人全員に終始共通して生ずる被害のみを対象としてこれに相応する慰藉料の額を定めれば足り,それ以上に各被上告人の個別的な被害の態様,内容,程度及びその刻々の変動について認定判断し,これに対応する慰藉料額を定めなければならないものではない。
原審は,以上述べたところと同様の見解に立ち,被上告人らの慰藉料の額を定めるにあたり,その適法に確定した事実関係のもとにおいて被上告人らの被害の程度,従来の被害防止対策が不十分であったことを含む侵害の経過を考慮し,被上告人らの被っている精神的苦痛,身体的被害の危険性及び生活妨害の主要な部分は全員に共通であることを理由として,被害者側の個別的事情としては居住地域及び当該地域における居住期間を斟酌すれば足りるとし,B滑走路供用開始の以前と以後とによって被害の程度の差が生じたものとして金額に差等をつけたほかは居住地域と居住期間に応じ一律に慰藉料額を算定したものと解されるのであって,右算定方法は一応合理性を有するものとして是認することができないものではなく,その過程に所論の違法があるとすることはできない。
被害者が,一方で損害を受けながら,他方で支出すべき費用の支出を免れる(例−逸失利益計算における生活費)ように,同一の原因によって利益を受けている場合に,その利益を損害額から控除して,賠償額を決定することを損益相殺という。
損害の公平な分担という見地に立脚して,被害者側にも落度があれば,それも斟酌して,妥当な損害賠償額を定めるための制度である。
第722条(損害賠償の方法及び過失相殺)
@第417条〔損害賠償の方法〕の規定は,不法行為による損害賠償について準用する。
A被害者に過失があったときは,裁判所は,これを考慮して,損害賠償の額を定めることができる。
不法行為の成立要件としての過失と異なり,不注意によって損害の発生を助けたという程度の意味である。かつては,不法行為における過失と同じ意味だとされ,被害者の過失を認めるためには責任能力が必要と解されていた(最二判昭31・7・20民集10巻8号1079頁)。
最二判昭31・7・20民集10巻8号1079頁
他人の不法行為により生命を害された者の父母が民法711条の規定に基づき慰謝料を請求する場合において,たとえ右被害者に過失があっても,その者が行為の責任を弁識するに足るべき知能を具えない幼少者であったときは,慰謝料の額を定めるにつき民法722条2項を適用しなくても,違法ではない。
その後,判例はこれを変更し,過失相殺の問題は,不法行為者に対して損害賠償責任を負わせる問題とは趣を異にし,損害賠償額を定めるにつき公平の見地から,損害の発生・拡大についての被害者の不注意をいかに斟酌すべきかの問題にすぎないから,被害者たる未成年者に責任能力がなくても,「事理を弁識するに足る知能」(事理弁識能力)があれば過失相殺できるとしている(最大判昭和39・6・24民集18巻5号854頁)。
最大判昭和39・6:24民集18巻5号854頁
未成年者が他人に加えた損害につき,その不法行為上の賠償責任を問うには,未成年者がその行為の責任を弁識するに足る知能を具えていることを要することは民法712条の規定するところであるが,他人の不法行為により未成年者がこうむった損害の賠償額を定めるにつき,被害者たる未成年者の過失をしんしやくするためには,未成年者にいかなる知能が具わっていることを要するかに関しては,民法には別段の規定はなく,ただ,この場合においても,被害者たる未成年者においてその行為の責任を弁識するに足る知能を具えていないときは,その不注意を直ちに被害者の過失となし民法722条2項を適用すべきではないとする当裁判所の判例(昭和29年(オ)第726号,同31年7月20日第二小法廷判決)があることは,所論のとおりである。
しかしながら,民法722条2項の過失相殺の問題は,不法行為者に対し積極的に損害賠償責任を負わせる問題とは趣を異にし,不法行為が責任を負うべき損害賠償の額を定めるにつき,公平の見地から,損害発生についての被害者の不注意をいかにしんしやくするかの問題に過ぎないのであるから,被害者たる未成年者の過失をしんしやくする場合においても,未成年者に事理を弁識するに足る知能が具わっていれば足り,未成年者に対し不法行為責任を負わせる場合のごとく,行為の責任を弁識するに足る知能が具わっていることを要しないものと解するのが相当である。したがって,前示判例は,これを変更すべきものと認める。
原審の確定するところによれば,本件被害者らは,事故当時は満8才余の普通健康体を有する男子であり,また,当時すでに小学校2年生として,日頃学校及び家庭で交通の危険につき充分訓戒されており,交通の危険につき弁識があったものと推定することができるというのであり,右認定は原判決挙示の証拠関係に照らし肯認するに足る。右によれば,本件被害者らは事理を弁識するに足る知能を具えていたものというべきであるから,原審が,右事実関係の下において,進んで被害者らの過失を認定した上,本件損害賠償額を決定するにつき右過失をしんしやくしたのは正当であり,所論掲記の判例(昭和28年(オ)第91号,同32年6月20日第一小法廷判決〔年令10年5ヶ月の事理弁識能力を有しない被害者を責任能力をそなえないものとして,民法722条2項にいわゆる過失の存在を否定しても不当でない〕)は事案を異にし本件の場合に適切でない。所論は,採用することをえない。
近時は,さらに進んで,事理弁識能力も必要でないとする学説も有力に唱えられている。
従来,判例は,子の損害賠償請求につき,監督義務者の過失は被害者自身の過失でないことを理由に,過失相殺として考慮することはできないとしていた(大判大4・10・13民録21輯1683頁)。
大判大4・1O・13民録21輯1683頁
1年11か月の意思能力のない幼者には過失なく,また親権者に監督に関する過失があったからといって直ちに同人に過失があるとはいえないから,損害額の算定に際し被害者の過失を参酌しなかったのは正当である。
しかし,その後考え方を変更し,被害者の過失には,広く被害者側,例えば,被害者に対する監督者である父母,被害者の被用者など,「被害者と身分上ないし生活関係上一体をなすとみられるような関係」にある者の過失も含まれるとするに至った(最三判昭42・6・27民集21巻6号1507頁,最一判昭和51・3・25民集30巻2号160頁)。
最三判昭42・6・27民集21巻6号1507頁
被害者本人が幼児である場合における民法722条2項にいう被害者の過失には,被害者側の過失をも包含するが,右にいわゆる被害者側の過失とは,被害者本人である幼児と身分上ないしは生活関係上一体をなすとみられる関係にある者の過失をいうものと解するのが相当である。
保育園の保母が当該保育園の被用者として被害者たる幼児を監護していたにすぎないときは,右保育園と被害者たる幼児の保護者との間に,幼児の監護について保育園側においてその責任を負う旨の取決めがされていたとしても,右保母の監護上の過失は,民法722条2項にいう被害者の過失にあたらない。
最一判昭和51・3・25民集30巻2号160頁
夫の運転する自動車に同乗する妻が右自動車と第三者の運転する自動車との衝突により損害を被った場合において,右衝突につき夫にも過失があるときは,特段の事情のない限り,右第三者の負担すべき損害賠償額を定めるにつき,夫の過失を民法722条2項にいう被害者の過失として斟酌することができる。
民法722条2項が不法行為による損害賠償の額を定めるにつき被害者の過失を斟酌することができる旨を定めたのは,不法行為によって発生した損害を加害者と被害者との間において公平に分担させるという公平の理念に基づくものであると考えられるから,右被害者の過失には,被害者本人と身分上,生活関係上,一体をなすとみられるような関係にある者の過失,すなわちいわゆる被害者側の過失をも包含するものと解される。
したがって,夫が妻を同乗させて運転する自動車と第三者が運転する自動車とが,右第三者と夫との双方の過失の競合により衝突したため,傷害を被った妻が右第三者に対し損害賠償を請求する場合の損害額を算定するについては,右夫婦の婚姻関係が既に破綻にひんしているなど特段の事情のない限り,夫の過失を被害者側の過失として斟酌することができるものと解するのを相当とする。このように解するときは,加害者が,いったん被害者である妻に対して全損害を賠償した後,夫にその過失に応じた負担部分を求償するという求償関係をも一挙に解決し,紛争を一回で処理することができるという合理性もある。
しかし,園児の送迎に付き添う保育園の保母の過失は,被害者と身分上ないしは生活関係上一体をなすとみられるような関係にある者の過失ではないので,被害者側の過夫として斟酌することはできない(前掲最判昭和42・6・27民集21巻6号1507頁)。
最近の最高裁判決は,法律婚ばかりでなく,事実婚の配偶者間においても,被害者側の過失の考え方を使うことができるとしている(最三判平19・4・24)。
最三判平19・4・24
内縁の夫の運転する自動車に同乗中に第三者の運転する自動車との衝突事故により傷害を負った内縁の妻が第三者に対して損害賠償を請求する場合,その賠償額を定めるに当たっては,内縁の夫の過失を被害者側の過失として考慮することができる。
被害者(側)の過失の具体的事情を考慮し,損害全体の何分の1又は何割という形で賠償額が軽減される。被害者(側)の過失を勘酌するかしないか,またどのように勘酌するかは,裁判官の裁量に任されるが(最一判昭34・11・26民集13巻12号1562頁),賠償責任を全く否定することはできない。
損害額の一部請求がされた場合の過失相殺は,損害の全額から過失割合による減額をする。したがって過失相殺後の残額が一部請求の額を上回るときは,一部請求は全部認容される(最一判昭48・4・5民集27巻3号419頁)。
不法行為者が無過失責任を負う場合も,過失相殺は行われる。過失ということに特別な意味があるのではなく,被害者の側にも有責原因があるときは,それも考慮して加害者の責任の範囲を公平に定めるのが過失相殺の理念だからである。
被害者(側)の過失ではなく被害者の素因が不法行為による損害の発生あるいは拡大に寄与していると認められる場合に,これを賠償額の減額事曲として料酌し得るか否かについて,判例は,損害の拡大について被害者の「心因的要因」が寄与しているときは,損害の公平分担という損害賠償法の理念に照らし,722条2項の過失相殺の規定を類推適用して,損害の拡犬に寄与した被害者の事情を斟酌することができるとし(最一判昭和63・4・21民集42巻4号243頁),さらに「体質的素因(身体的素因)」がある場合について,加害行為と被害者のり患していた疾患がともに原因となって損害が発生した場合において,加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは,722条2項の過失相殺の規定を類推適用して,被害者の当該疾患を勘酌することができるとしている(最一判平4・6・25民集46巻4号400頁)。
最一判昭和63・4・21民集42巻4号243頁
身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において,その損害が加害行為のみによって通常発生する程度,範囲を超えるものであって,かつ,その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与しているときは,損害賠償額を定めるにつき,民法722条2項を類推適用して,その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌することができる。
最一判平4・6・25民集46巻4号400頁
被害者に対する加害行為と加害行為前から存在した被害者の疾患とがともに原因となって損害が発生した場合において,当該疾患の態様,程度などに照らし,加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは,裁判所は,損害賠償の額を定めるに当たり,民法722条2項の規定を類推適用して,被害者の疾患をしんしゃくすることができる。
最一判平成5年9月9日判時1477号42頁
交通事故により受傷した被害者が自殺した場合において,その傷害が身体に重大な器質的障害を伴う後遺症を残すようなものでなかつたとしても,右事故の態様が加害者の一方的過失によるものであつて被害者に大きな精神的衝撃を与え,その衝撃が長い年月にわたって残るようなものであつたこと,その後の補償交渉が円滑に進行しなかつたことなどが原因となって,被害者が,災害神経症状態に陥り,その状態から抜け出せないままうつ病になり,その改善をみないまま自殺に至つたなど判示の事実関係の下では,右事故と被害者の自殺との間に相当因果関係がある。
本件事故と被害者の自殺との間に相当因果関係があるとした上,自殺には同人の心因的要因も寄与しているとして相応の減額(8割)をして死亡による損害額を定めた原審の判断は,正当として是認することができ,原判決に所論の違法はない。。
最三判平8・10・29交通民29巻5号1272頁
被害者に対する加害行為と加害行為前から被害者に存在した疾患(頚椎後縦靭帯骨化症)とが共に原因となって損害が発生した場合において,当該疾患の態様,程度などに照らし,加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは,民法722条2項の規定を類推適用して,被害者の疾患を斟酌することができ,このことは,加害行為前に疾患に伴う症状が発現していたかどうか,疾患が難病であるかどうか,疾患に罹患するにつき被害者の責めに帰すべき事由があるかどうか,加害行為により被害者が被った衝撃の強弱,損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者の多寡等の事情によって左右されるものではないとされた事例
しかしながら,被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても,それが疾患に当たらない場合は,特段の事情の存しない限り,被害者の当該身体的特徴を斟酌することはできないとする(最三判平8・1O・29民集50巻9号2474頁)。
最三判平8・10・29民集50巻9号2474頁
交通事故により傷害を被った被害者に首が長くこれに伴う多少の頚椎不安定症があるという身体的特徴があり,これが,交通事故と競合して被害者の頚椎捻挫等の傷害を発生させ,又は損害の拡大に寄与したとしても,これを損害賠償の額を定めるに当たりしんしゃくすることはできない。
また,民法722条2項の安易な類推については,歯止めがかけられている。
最二判平12・3・24民集54巻3号1155頁
大手広告店に勤務する労働者が,長時間にわたる残業を恒常的に伴う業務を1年余り継続した後にうつ病にり患し自殺した場合に,使用者の民法715条に基づく損害賠償責任が肯定された事例
業務の負担が過重であることを原因として労働者の心身に生じた損害の発生又は拡大に右労働者の性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が寄与した場合において,右性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでないときは,右損害につき使用者が賠償すべき額を決定するに当たり,右性格等を民法722条2項の類推適用により右労働者の心因的要因としてしんしゃくすることはできない。
不法行為については「賠償者の代位」を定めた規定はないが,通説は公平の見地から,債務不履行に関する422条を類推適用すべきであるとする。そうすると,賠償者が侵害した物又は権利の価値の全部を賠償したときは,その物又は権利は,賠償者に帰属する。
第422条(損害賠償による代位)
債権者が,損害賠償として,その債権の目的【物】である物又は権利の価額の全部の支払を受けたときは,債務者は,その物又は権利について当然に債権者に代位する。
第509条(不法行為により生じた債権を受働債権とする相殺の禁止)
債務が不法行為によって生じたときは,その債務者は,相殺をもって債権者に対抗することができない。
被害者の蒙った損害を現実に回復させるため,一方的意思表示による相段を禁止するのである。被害者(債権者)が自力救済的に加害者(債務者)に対して加害行為をなし,その賠償義務を自己の債権で帳消しにするのを防止する趣旨も,付随的に含まれる。双方がたまたま不法行為による損害賠償債務である場合も,同様であり,相殺は許されない(最三判昭和49・6・28民集28巻5号666頁(双方の過失に基因する同一交通事故によって生じた物的損害に基づく損害賠償債権相互間においても,相殺は許されない))。
なお,これとは逆に,被害者が損害賠償債権を自働債権として加害者に対して負っている債務と相殺することは差し支えないとされている(最一判昭和42・11・30民集21巻9号2477頁)。
財産的損害に対する賠償請求権は,一般債権と同様に譲渡することができ,あるいは相続され得る。精神的損害に対する賠償請求権(慰謝料請求権)については,生命侵害による慰謝料請求権は,被害者が生前加害者に対し賠償を請求する意思を表示したと否とを問わず,相続性を有すると解するのが判例であるが(最大判昭和42・11・1民集21巻9号2249頁),最近は相続性を否定する見解が有力である。それ以外の場合については,慰謝料請求権は慰謝されるべき者のみが行使しうる権利(行使上の一身専属権)であるとしてその譲渡性等を否定するのが一般である。
また,名誉侵害を理由とする慰謝料請求権については,一身専属性が認められるが,加害者が被害者に対し一定額の慰謝料を支払うことを内容とする合意若しくはかかる支払を命ずる債務名義が成立したなどその具体的な金額が当事者間において客観的に確定したとき又は被害者が死亡したときは,行使上の一身専属性を失うとされている(最一判昭58・10・6民集37巻8号1041頁)。
最一判昭58・10・6民集37巻8号1041頁
思うに,名誉を侵害されたことを理由とする被害者の加害者に対する慰藉料請求権は,金銭の支払を目的とする債権である点においては一般の金銭債権と異なるところはないが,本来,右の財産的価値それ自体の取得を目的とするものではなく,名誉という被害者の人格的価値を毀損せられたことによる損害の回復の方法として,被害者が受けた精神的苦痛を金銭に見積ってこれを加害者に支払わせることを目的とするものであるから,これを行使するかどうかは専ら被害者自身の意思によって決せられるべきものと解すべきである。
そして,右慰藉料請求権のこのような性質に加えて,その具体的金額自体も成立と同時に客観的に明らかとなるわけではなく,被害者の精神的苦痛の程度,主観的意識ないし感情,加害者の態度その他の不確定的要素をもつ諸般の状況を総合して決せられるべき性質のものであることに鑑みると,被害者が右請求権を行使する意思を表示しただけでいまだその具体的な金額が当事者間において客観的に確定しない間は,被害者がなおその請求意思を貫くかどうかをその自律的判断に委ねるのが相当であるから,右権利はなお一身専属性を有するものというべきであって,被害者の債権者は,これを差押えの対象としたり,債権者代位の目的とすることはできないものというべきである。
しかし,他方,加害者が被害者に対し一定額の慰藉料を支払うことを内容とする合意又はかかる支払を命ずる債務名義が成立したなど,具体的な金額の慰藉料請求権が当事者間において客観的に確定したときは,右請求権についてはもはや単に加害者の現実の履行を残すだけであって,その受領についてまで被害者の自律的判断に委ねるべき特段の理由はないし,また,被害者がそれ以前の段階において死亡したときも,右慰藉料請求権の承継取得者についてまで右のような行使上の一身専属性を認めるべき理由がないことが明らかであるから,このような場合,右慰藉料請求権は,原判決にいう被害者の主観的意思から独立した客観的存在としての金銭債権となり,被害者の債権者においてこれを差し押えることができるし,また,債権者代位の目的とすることができるものというべきである。
第721条(損害賠償請求権に関する胎児の権利能力)
胎児は,損害賠償の請求権については,既に生まれたものとみなす。
旧民法が胎児について,一般的に権利能力を認めていたのに対して,現行民法は,不法行為に基づく損害賠償請求権(民法721条),相続(民法886条),遺贈(民法965条)について,限定的に,胎児に権利能力を認めている。そして,民法が不法行為に基づく損害賠償請求権について胎児に権利能力を与えた場合というのは,胎児の親が不法行為によって殺害されたり傷害を受けたりした場合が想定されていた。
最高裁は,最三判平18・3・28 において,自家用自動車総合保険契約の記名被保険者の子が,胎児であった時に発生した交通事故により出生後に傷害を生じ,その結果,後遺障害が残存した場合には,「記名被保険者の同居の親族」に生じた傷害及び後遺障害に準ずるものとして,同契約の無保険車傷害条項に基づいて保険金の請求をすることができるとして,胎児自身の損害賠償請求権を認めている。
胎児の権利能力の詳細については,野村好弘「胎児の法的地位」日本不法行為法リステイトメント ジュリ903号(1988)93-96頁を参照のこと。
第724条(不法行為による損害賠償請求権の期間の制限)
不法行為による損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは,時効によって消滅する。不法行為の時から20年を経過したときも,同様とする。
損害及び加害者の双方を知った時から,3年の消滅時効にかかる。「損害を知る」とは,不法行為によって損害が発生したことを知ることを意味し,また損害の程度・数額を正確・具体的に知る必要はない(最二判昭和45・6・19民集24巻6号560頁)。
最二判昭和45・6・19民集24巻6号560頁
上告人の主張によれば,上告人は,昭和36年10月頃弁護士に本訴の提起を委任した際,成功時に成功額の1割5分の割合による報酬金を支払う旨約したというのであるが,かように,上告人が,弁護士に本訴の提起を委任し,前述のような成功報酬に関する契約を締結した場合には,右契約の時をもって,上告人が,民法724条にいわゆる損害を知った時に当たるものと解するについて,妨げはないというべきである。けだし,同条が,不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効が進行をはじめるためには,不法行為によって損害が生じ,被害者にその賠償請求権が発生したのみでは足りず,これに加えて,被害者が右損害および加害者を知ったことを要するとしたのは,客観的には不法行為により損害賠償請求権が発生したとしても,直ちに被害者が損害の発生および加害者を知りえないため,右請求権を行使することができない場合があることを考慮したためと解されるが,前述のように,上告人は,本件不法行為による損害の賠償を請求する目的ですでに弁護士に訴訟を委任し,同弁護士と前記成功報酬に関する契約を締結したのであるから,上告人としては,右訴訟を追行し,その主張する損害賠償請求権が認められて勝訴した暁には,弁護士に対し右約定による成功報酬を支払わなければならないこと,換言すれば,本件不法行為によってこの種の損害の発生したことを,右契約の時に知ったものというに足りるのであり,この場合,右損害を知ったとするためには,損害の額が確定していること,あるいは上告人が弁護士に対し現実に報酬を支払ったことは必要でないと解されるからである。
そうすると,かりに,所論弁護士費用金7万5,000円が本件不法行為によって生じた損害であるとして,その賠償請求権が認められるとしても,原審が,上告人の主張による弁護士に本訴提起を委任し報酬金の支払を約した時である昭和36年10月頃から起算しても,上告人の原判示請求拡張の時にはすでに3年の時効期間が経過しており,したがって上告人の右損害賠償請求権は,時効により消滅したものである旨判示した点に,所論の違法はないというべきである。
「加害者を知る」とは,被害者が加害者の住所氏名を確認したなど,賠償請求の可能な程度にこれを知ることを意味する(最二判昭和48・11・16民集27巻10号1374頁)。
最二判昭和48・11・16民集27巻10号1374頁
被疑者として逮捕されている間に警察官から不法行為を受けた被害者が,当時加害者の姓,職業,容貌を知ってはいたものの,その名や住所を知らず,引き続き身柄拘束のまま取調,起訴,有罪の裁判およびその執行を受け,釈放されたのちも判示の事情で加害者の名や住所を知ることが困難であったような場合には,その後,被害者において加害者の氏名,住所を確認するに至った時をもって,民法724条にいう「加害者ヲ知リタル時」というべきである。
不法占拠のように継続的不法行為のときは,侵害が継続する限り,日々新たな損害賠償請求権が発生するから,消滅時効はそれぞれについて別個に進行する(大連判昭和15・12・14民集19巻2325頁)。
大連判昭和15・12・14民集19巻2325頁
不法行為が継続して行われそのため損害も継続して発生する場合には,損害の継続発生する限り日々新しい不法行為に基づく損害として各損害を知った時から別個に消滅時効が進行するから,土地の不法占有による損害は,不法占有の事実を知った時から3年を経過した部分を除き,賠償を請求することができる。
問題は,被害当時予見できなかった後遺症などが現われて多大の治療費を費やしたとき,その損害の賠償請求権についての消滅時効は,いつから進行を始めるかである。
被害者が不法行為に基づく損害の発生を知った以上,その損害(受傷当時)とは牽連一体をなす損害でその当時既にその発生を・予見できたものについては,すべて被害者においてその認識があったものとして,前記発生を知った時からとすべきであるが,受傷時から相当期間経過後に後遺症が現われ,そのため受傷時には医学的にも通常予想できなかったような治療方法が必要とされ,費用を支出することを余儀なくされるに至ったような事案にあっては,後日その治療を受けるようになるまでは,右治療費の損害については,724条の時効は進行しないと解されている(最三判昭和42・7・18民集21巻6号1559頁)。
最三判昭和42・7・18民集21巻6号1559頁
不法行為によって受傷した被害者が,その受傷について,相当期間経過後に,受傷当時には医学的に通常予想しえなかった治療が必要となり,右治療のため費用を支出することを余儀なくされるにいたった等原審認定の事実関係(原判決理由参照)のもとにおいては,後日その治療を受けるまでは,右治療に要した費用について民法724条の消滅時効は進行しない。
後段の20年の期間は,除斥期間であるので,当事者の援用は不要であるとされている(最一判平元・12・21民集43巻12号2209頁)。
最一判平元・12・21民集43巻12号2209頁
一 原審が適法に確定した事実関係は,次のとおりである。
(一) 被上告人中山玉利(以下「被上告人玉利」という。)は,昭和24年2月14日,鹿児島県鹿児島郡東桜島村高免(現在,鹿児島市高免町)湯ノ尻の山林中において,同山林中で発見された3個の不発油脂焼夷弾の処理作業に伴う山林の防火活動に従事していたものであるが,その際,右不発弾の1個が同人の至近距離で突然爆発し,燃焼した油脂を顔面その他身体前面部全体に浴びて重傷を負った(以下「本件事故」という。)。
(二) 右不発弾の処理は,国の公権力の行使に当たる公務員である国家地方警察鹿児島地区警察署西桜島派出所勤務,同警察署二俣派出所補勤の巡査田中秀雄(以下「田中巡査」という。)又はその要請を受けた米軍小倉弾薬処理班の将兵2名がその職務として行ったものであり,前記山林の防火活動は,田中巡査の出動要請を受けた東桜島消防分団高免分団長森光重の求めに応じて消防団員でない被上告人玉利が高免部落の消防団員約20名と共に参加したものであった。
(三) 右不発弾の処理作業は,米兵が不発弾の露出部分に爆薬を詰めて爆破装置により爆発させる方法をとり,爆破の際は全員が不発弾から5,60メートル離れた箇所に避難して行われた。このような方法で2個の不発弾の処理作業は終わったが,3個目の不発弾に前記爆破装置を付けて爆発させようとしたところ爆発せず,不発弾の胴体が割れ,そこから火が出て燻焼し,山火事の発生のおそれがある状況であったので,田中巡査らの指図で被上告人玉利や消防団員らが右不発弾にスコップで砂をかぶせる作業をした。ところが,その作業が終わると同時に不発弾が突然爆発して本件事故が発生した。
(四) 本件事故は,不発弾の爆発による人身事故等の発生を未然に防止すべき義務を負っていた田中巡査が,被上告人玉利ら消防団員に燻焼し続ける極めて危険な不発弾にスコップで砂をかぶせる作業をさせる等した過失により発生したものである。
(五) 本件事故の結果,被上告人玉利は,全身の火傷に丹毒症を併発し,約6か月間入院加療して漸く一命をとりとめたものの,現在,顔面全体の瘢痕,高度の醜貌,左無眼球,右眼視力の極度の低下,両耳の難聴,瘢痕性萎縮による左肘関節の伸展位の固定等の後遺症がある。
(六) 上告人は,昭和24年8月から同年12月までの間,4回にわたり療養見舞金として合計5万2,390円,同年11月に療養費として4万5,060円,昭和26年3月及び同28年2月に特別補償費事故見舞金として合計10万8,000円を被上告人玉利に支払った。また,上告人は,昭和37年9月に被上告人玉利に対し,連合国占領軍等の行為等による被害者等に対する給付金の支給に関する法律(昭和36年法律第215号)に基づく障害給付金として13万円,休業給付金として7,500円を支払い,同42年12月には同法(昭和42年法律第2号による改正後のもの)に基づき,被上告人玉利に対し特別障害給付金として18万4,000円,同人の妻である被上告人中山ツルエ(以下「被上告人ツルエ」という。)に対し障害者の妻に対する支給金として7万5,000円を支払った。
(七) 被上告人玉利及び同ツルエは,上告人に対し,本件事故発生の日から28年10か月余を経過した昭和52年12月17日,国家賠償法1条に基づき,本件事故による損害の賠償を求めて本訴を提起した。
二 原審は,以上の事実関係のもとにおいて,次の理由により,被上告人らは,上告人に対し,国家賠償法1条に基づき,損害賠償請求権(以下「本件請求権」という。)を有するとした上,被上告人らの請求は,被上告人玉利につき慰謝料500万円,被上告人ツルエにつき慰謝料250万円及び右両名に対しそれぞれ右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和53年1月6日から完済まで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容すべきものであり,被上告人らの請求を全部棄却した第一審判決は右のとおり変更すべきである旨判決した。
1 本件事故は国の公権力の行使に当たる田中巡査らがその職務を行うにつき過失によって被上告人らに損害を加えたものであり,上告人は,被上告人らに対し,国家賠償法1条により本件事故による損害を賠償する責任がある。
2 上告人は,本件事故発生の日から本訴提起の日まで28年10か月を経過しており,本件請求権は民法724条後段に規定する20年の除斥期間の経過により消滅した旨を主張するが,同条後段の20年の期間は,同条の規定の文言,立法者の説明,3年の短期時効に対する補充的機能,時効の中断,停止,援用を認めないと被害者に極めて酷な場合が生ずること等に照らし消滅時効を定めたものと考えるべきであり,仮に,これを除斥期間と解するとしても,被害者保護の観点から中断,停止を認めるいわゆる弱い除斥期間(混合除斥期間)であると解すべきである。
3 そして,本件事故当時,上告人の被用者である前記鹿児島地区警察署係員らにおいて上告人の右損害賠償義務を知り,又は容易に知りうべかりし状況にあった上,右事故直後,同警察署長名で本件事故の責任の所在を不明確にしたと認められる被害調査書が作成されたこと,被上告人らは,本件事故後,鹿児島市役所,鹿児島県庁等上告人の出先機関等に何度となく被害の救済を求めており,権利の上に眠る者とはいえないこと等原判示の事情を総合すると,上告人が本訴において被上告人らの本件請求権につき20年の長期の消滅時効を援用し,又は前記除斥期間の徒過を主張することは信義則に反し,権利の濫用として許されない。
三 しかしながら,原審の右判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。けだし,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更に同条後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な主張によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。
これを本件についてみるに,被上告人らは,本件事故発生の日である昭和24年2月14日から20年以上経過した後の昭和52年12月17日に本訴を提起して損害賠償を求めたものであるところ,被上告人らの本件請求権は,すでに本訴提起前の右20年の除斥期間が経過した時点で法律上当然に消滅したことになる。そして,このような場合には,裁判所は,除斥期間の性質にかんがみ,本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても,右期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきでありしたがって,被上告人ら主張に係る信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当であって採用の限りではない。
してみると,被上告人らの本訴請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がなく,これを棄却すべきものである。しかるに,これと異なる見解に立って本訴請求を一部認容した原判決は,民法724条後段の解釈適用を誤った違法があり,その違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから,この点の違法をいう論旨は理由があり,その余の論旨について判断するまでもなく,原判決中,上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして,以上判示したところと結論を同じくする第一審判決は正当であるから,右部分に対する控訴は理由がなくこれを棄却すべきものである。
しかし,民法724条後段の20年を除斥期間と解釈することは,立法者の見解に明らかに反する上に,そのような硬直的な判断は,具体的な妥当性を確保できないことに留意すべきである。
民法の定める権利の期間制限が消滅時効と除斥期間(予定期間)のいずれかであるかを定める基準は,立法理由に従って,「時効ニ因リテ」という明文があるかどうかに求められていた。判例も,原則として,この基準に従っているといわれてきた。
しかし,その後,学説は,権利の性質と規定の趣旨によって実質的に判断すべきことが主張されるに至り,現在では,立法者が時効期間であると規定している場合においても,特に,ひとつの権利について長期と短期の期間制限が定められている場合(民法126条,724条)については,短期の期間制限は消滅時効であるが,長期の期間制限は除斥期間と解すべきであるという硬直的な区別の基準が有力に主張され,最高裁もこれに追随している(前掲最一判平元・12・21民集43巻12号2209頁)。
しかし,この考え方は,権利の行使期間を不当に制限するものであって賛成できない。旧民法は,権利の期間制限につき,明文のないものは時効として扱うとしていた(旧民法証拠編92条)。確かに,現行民法はこの立場を逆転して,原則は除斥期間(予定期間)とするのであるが,時効期間とするという明文の規定がある権利については,時効中断・中止による権利行使の延長を認め,権利者の権利行使を特に保護しているのである。
したがって,民法が明文の規定で権利行使の期間延長を認めているものを,期間が2つ定めている場合には,長期の期間は除斥期間と解すべきであるという説は,立法趣旨に反するばかりか,権利行使を不当に制限するものであって賛成できない。民法126条,民法724条の20年の期間は十分に長いとも考えられるかもしれないが,ドイツの債務法改正においても,不法行為の30年の時効期間は保持されていることも考慮すべきであろう(ドイツ民法199条2項)。いずれにせよ,民法の立法者が明文で規定した20年の時効期間を除斥期間として実質的に短縮する理由はないと考える。
最近の最高裁判決は,20年の長期期間を除斥期間と解すると具体的な妥当性を確保できないことにかんがみて,除斥期間の起算点を操作することを通じて,その硬直性を是正しようとしている。しかし,そもそも,20年の期間を除斥期間としたことが問題であり,20年の期間も時効期間と考える時期に来ていると思われる。
最二判平16・10・15民集58巻7号1802頁(水俣病関西訴訟上告審判決)
水俣病による健康被害につき,患者が水俣湾周辺地域から転居した時点が加害行為の終了時であること,水俣病患者の中には潜伏期間のあるいわゆる遅発性水俣病が存在すること,遅発性水俣病の患者においては水俣病の原因となる魚介類の摂取を中止してから4年以内にその症状が客観的に現れることなど判示の事情の下では,上記転居から4年を経過した時が民法724条後段所定の除斥期間の起算点となる。
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